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中野 相続裁判(平成20年(ワ)第23964号)

中野 相続裁判(平成20年(ワ)第23964号)



遺言書重視の誤り


書店の法律書のコーナーには「遺言書を作成しよう」的な書籍が並んでいる。まるで遺言書を作成すれば憂いがなくなるとでも言うかのようである。しかし、死後に執行される遺言には説明責任を果たせないという致命的な欠陥があり、遺言書の存在によって相続紛争が激化したケースもある(林田力「「一澤帆布」の泥沼相続紛争は「遺言」が罪つくり」PJニュース2010年7月5日)。

従って遺言書を過度に重視することは誤りである。死後の財産分配に思いがあるならば、だまし討ちになるような遺言ではなく、生前から相続人に説明しておくべきである。

実際問題として、日本の死者の中で遺言書を作成する割合は約7.5%である。これは以下の統計値からの算出による。

・日本の年間死亡者数 約108万人(厚生労働省「人口動態総覧」、2006年)

・自筆証書遺言の年間検認申し立て件数 約12600件(最高裁判所「司法統計年報」、2006年)

・公正証書遺言の年間作成件数 約69000件(法務省民事局、2005年)。

自筆証書遺言の年間検認申し立て件数と公正証書遺言の年間作成件数を合わせると約81600件であり、この値を年間死亡者数から除した。

但し、自筆証書遺言が作成しても、家庭裁判所に検認の申し立てをせずに私的に開封してしまうケースもありうる。遺言書の私的開封は5万円以下の過料に処せられる違法行為だが(民法第1004条第3項)、露見しないケースも存在する。そのため、実際の遺言書作成数は増える可能性があるが、法律の手続に従って遺言が処理されたケースにはならないため、ここでは無視する。

遺言書を作成する人が約7.5%程度という数字を多いと見るか少ないと見るかは人それぞれである。もし「少なすぎる」と感じた場合、「もっと遺言作成者を優遇すべきではないか」との問題意識が生まれる。この意識は遺言書作成をビジネスにしている事業者には強いだろう。しかし、遺言作成者を優遇する必要はない。

遺言書は作成することができるもので、作成しなければならないものではない。民法では法定相続分が定められており、遺言がなければ、それに従って遺産分割を行えば済む問題である。そして民法の定める均等相続の原則は日本国憲法の定めた個人の尊厳や法の下の平等に従い、戦前の封建的家制度を解体するために定められたものである。

この点において遺言の位置付けは戦前と戦後では180度異なる。戦前は遺言が封建的な長子単独相続の例外となりうる制度であった。ここでは遺言を可能な限り有効に解釈することが家制度の不合理からの救済になった。これに対し、戦後は均等相続が原則となり、その民主主義的な原則を破る例外が遺言になった。ここでは均等相続に則った遺産分割が道徳的には期待されるものであり、それに背く遺言を優遇する必要はない。

無論、現行民法にも限界がある。事実婚(内縁)の配偶者や非嫡出子らは法定相続では不利な扱いを受ける。彼らの救済のために遺言書が作成されることは結構なことである。しかし、遺言書を作成するか遺言書の内容をどうするかは遺言書作成者の恣意に委ねられており、事実婚の配偶者や非嫡出子の救済になるとは限らない。問題の本質は不合理な差別が残存していることであり、制度変更が王道である。

文書偏重主義が支配する日本の裁判所では遺言書を錦の御旗のように扱う傾向があった。遺言を可能な限り適法有効なものとして、遺言者の真意の実現に資するように解釈すべきとする傾向である。しかし、裁判所の姿勢は学説から大きく批判されている。現実問題として無効な遺言書が出回る危険は高い。

遺言は形式的には単独行為と位置付けられるが、実際には遺言者を取り巻く人々の思惑の渦中において作成され、一部の者の結託により遺言者の意思が創造されてしまうことが多い。遺言書が作成された実態を直視しなければ遺言書の有効性は判断できない。

そのため、遺言を有効にすることが常に遺言者の真意を実現することになるのか、強力な疑問が呈されている。例えば以下の批判がなされている。

「遺言実務はますます民法法規から遠ざかり、論理性を失い、いまや百鬼夜行に近い」(伊藤昌司「遺言自由の落とし穴―すぐそこにある危険」河野正輝、菊池高志編『高齢者の法』有斐閣、1997年、179頁)。

「私は、『できるだけ遺言を有効にする』という一般的な解釈原則も、わが国の遺言実務や理論の成熟度が高まれば、より細かく、より節度と限界を弁えて現実例に応用されるようになり、結果的には諸々の遺言がイギリス並みの厳しい選別にかけられることになり、無理な推測を加えなければ意味づけが難しいような遺言文言にまで法的効力を認めることは避けられることになろうし、それでこそ正常なものになる」(伊藤昌司「共同相続と遺言法」野村豊弘、床谷文雄編『遺言自由の原則と遺言の解釈』商事法務、2008年、77頁)。

また、日本私法学会第70回(2006年度)大会ではシンポジウム「遺言自由の原則と遺言の解釈」が開催され、遺言自由の原則から遺言を可能な限り適法有効にする傾向が批判的に考察された。

これは比較法的視点に立つと一層明確になる。日本では諸外国に比して遺言書の有効性を担保する制度が乏しく、それだけ無効の遺言書が登場する可能性が高い。実際、以下の指摘がなされている。

「外国に見られるような、遺言の有効性を判断する特別の手続(検認手続)もなく、作成した遺言を公的に保管し管理する制度もない現状では、遺言に信を置き過ぎることには問題がある」(床谷文雄「遺言法の課題」野村豊弘、床谷文雄編『遺言自由の原則と遺言の解釈』商事法務、2008年、6頁)。

「わが国においては、自筆証書遺言であれ公正証書遺言であれ、遺言の真正性をその遺言内容の実現に先立ち確定する仕組みはない」(福田隆重「遺言の効力と第三者の利害」野村豊弘、床谷文雄編『遺言自由の原則と遺言の解釈』商事法務、2008年、77頁)。

「遺言とされる文書の遺言書としての有効性、複数存在する遺言書の関係を明らかにする手段を、日本民法は訴訟手続以外には制度として有しない」(道山治延「検認について」福岡大学法学論叢第52巻第1号、2007年、234頁)。

日本法上の遺言書の検認(民法第1004条)は遺言の有効・無効を判断するものではなく、遺言書の執行過程における単なる証拠保全のための手続に過ぎない(大決大正4年1月16日民録21輯8頁)。裁判所の判断が違法な遺言書を否定する最初で最後の砦となっている。それ故に裁判で積極的に遺言書の無効を判断することが求められる。

日本よりもはるかに遺言が普及しているイギリスでさえ、作成された遺言書の多くがprobate(プロベート)等の手続によって無効とされ、有効性が認められるのは50パーセント程度である(Janet Finch, Jennifer Mason, Judith Masson, Lorraine Wallis & Lynn Hayes, Wills Inheritance and Families, Oxford University Press 1996, p.14, p.32.)。

これは遺言が遺言者を取り巻く人々の思惑の渦中において作成され、一部の者の結託により遺言者の意思が創造されてしまうことを示している。それ故に遺言書の半数を無効とするイギリスの実務は健全である。この事情は日本においても変わらない。