中野 相続裁判(平成20年(ワ)第23964号)中野 相続裁判(平成20年(ワ)第23964号)
セキュアトラスト法律事務所・中島賢悟弁護士が依頼人の住所を公表した。インターネット掲示板「2ちゃんねる」のレス削除要求で事態を悪化させた事例である。
問題は大手金融グループに属する資産運用会社についてのスレッドで起きた。このスレッドでは名字を名指しして特定の人物を貶める書き込みがなされた。当初の書き込みは2008年12月になされ、2009年1月にも同内容がコピー・ペーストされた。
これに対して書き込まれた人物B氏はセキュアトラスト法律事務所の中島賢悟弁護士を代理人に立て、書き込みの削除を求める仮処分を東京地方裁判所に申し立てた(平成21年(ヨ)第2206号)。そこでは以下のように主張する。
「投稿内容が私人に過ぎない債権者の病歴、会社員としての資質に問題があるとの指摘であり、債権者の社会的評価を低下させる事実の摘示である」
仮処分決定書から確認できる限り、問題の書き込みが社会的評価を低下させると主張するだけで、書き込み内容が虚偽であるとは主張していない。
東京地裁は2009年8月6日に担保を立てさせて仮に削除することを命じる決定を出した。この仮処分決定を根拠に中島弁護士は「2ちゃんねる」に削除依頼をしたが、削除依頼の根拠として仮処分決定書をインターネット上に公開した。これが問題であった。中島弁護士は仮処分決定書をスキャンし、PDFファイルの形式でサーバにアップロードした。
そこでは決定書に記載された債務者の氏名や住所が誰でも閲覧できる状態になった。中島弁護士は債務者の氏名や住所を墨消しにしたが、それはPDFファイルの操作で墨消しを表示させないようにすることも可能であった。この結果、B氏の氏名や住所が「2ちゃんねる」の当該スレッド閲覧者に周知のものとなってしまった。
弁護士は「2ちゃんねる」の書き込みが個人を特定し、その社会評価を低下させると主張して仮処分を申請したが、自らの行為によって依頼人が一層特定され、プライバシーまで危うくしてしまった。インターネット掲示板に名字を書かれたことに対し、弁護士を代理人として仮処分を申し立てた人物が、依頼した弁護士にフルネームと住所を晒されたことになる。守秘義務を負っている弁護士の立場、個人情報保護の立場からもあってはならない問題である。
このため、「2ちゃんねる」では以下の意見が書き込まれた。
「これは依頼者に対して申し開きできないな。無防備でネットに晒した代償は大きいんじゃないの」
「債権者の氏名・住所等の個人情報を弁護士事務所の方が全世界に向けて公開するのは問題にならないんですか?」
「弁護士である中島賢悟さんは、債務者・債権者の住所氏名を全世界に公開した事実についてどう解釈しているのか聞いてみたい」
「代理人が、手紙が届くレベルの個人情報をネットに晒して放置するのは酷いと思う」
弁護士職務基本規程以下のように規定する。
第18条(事件記録の保管等)「弁護士は、事件記録を保管又は廃棄するに際しては、秘密及びプライバシーに関する情報が漏れないように注意しなければならない。」
第23条(秘密の保持)「弁護士は、正当な理由なく、依頼者について職務上知り得た秘密を他に漏らし、又は利用してはならない。」
弁護士にとってはトラブルが飯の種である。悪く捉えれば事件を大きくして弁護士の仕事を増やせば被害者から受け取る報酬も多くなる。そのような想像も可能にさせてしまう不可解な事件である。
その後、中島弁護士は2009年8月31日に改めて仮処分の決定書をアップロードした。今度は依頼人の住所氏名が消されていたが、PDFの墨消し機能は使用せず、決定書上の住所氏名部分をマジックで消してから、スキャンしていた。しかし、その決定書にも問題があった。
依頼人の住所氏名だけでなく、送達場所も墨塗りされていた。送達場所には代理人事務所であるセキュアトラスト法律事務所の事務所名や住所が記載されていた。当事者の住所はプライバシー保護のために隠す理由がある。それをしなかったために中島弁護士は批判された。これに対して法律事務所名や住所を隠す理由はない。「2ちゃんねる」でも以下のレスが付された。
「代理人の連絡先をマジックで塗り潰す必要ってないと思うんだけど。何で窓口になる代理人の癖に、正本の連絡先を隠蔽してるんですか?」
最初にアップロードされた決定書では送達場所も公開された。記載された住所から、「2ちゃんねる」上ではセキュアトラスト法律事務所がレンタルオフィスを利用していたことが暴露された。
さらにセキュアトラスト法律事務所のファックス番号もレンタルオフィス利用企業で共有していることが判明した。ファックス番号を検索すると、様々な会社のファックス番号としてヒットしたためである。これが新たにアップロードした決定書で送達場所を隠した理由と推測する。
問題の書き込みは最終的には削除されたもの、削除には異論も生じた。大きく2点の問題がある。
第一に仮処分の対象である。中島弁護士は西村博之氏を債務者として、仮処分を申請した。しかし、西村氏は2009年1月2日に「2ちゃんねる」をシンガポール企業PACKET MONSTER社に譲渡したと発表しており、西村氏への仮処分決定が「2ちゃんねる」に対して効力を持つかは疑問である。「2ちゃんねる」で以下の主張の対立が生じた。
中島弁護士「法人格否認の法理から債務者を定めました」
2ちゃんねらー「債務者が管理運営に関係のないひろゆきって何で?」
第二に仮処分の決定だけで削除することの是非である。「2ちゃんねる」では以下の指摘がなされた。
「仮処分の審尋っていいかげんだし、大企業と弁護士には甘くて信用できん。」
仮処分は危機に瀕している権利を保全するために暫定的・仮定的に行われる処分である。たとえば名誉を著しく毀損する書き込みに対し、削除を求める権利がある。しかし、裁判で権利が認められるまでには時間がかかる。その間に問題の書き込みは多くの人の目に触れる可能性がある。そこで仮処分によって暫定的に権利を保全する。
仮処分が認められるためには疎明(一応確からしいとの推測を得られる状態)で足りる(民事保全法第13条)。これに対して裁判では証明(合理的な疑いを差し挟まない程度に真実と言える状態)が求められる。この差は仮処分が緊急の暫定措置であることから正当化される。
一方で疎明だけで仮処分が出るということは後日、訴訟で権利が存在しない(問題の書き込みは名誉毀損には該当しない)と認定される可能性も十分にある。この場合は既に仮処分が執行されたことによって、仮処分の相手方(債務者)は大きな被害を受ける。この損害を填補するために仮処分では通常、一定の担保を立てることを条件とする。このように仮処分はバランスのとれた制度構築がされている。
ところが「2ちゃんねる」では「削除ガイドライン」上、仮処分決定があれば削除できるようになっている。「2ちゃんねる」は匿名で無責任な書き込みがなされる場というイメージが強い。しかし、実際には精緻な「削除ガイドライン」を定めて自主的な運用が行われている。そして仮処分だけで削除できる点は削除ガイドラインの抜け道となっている。
「削除ガイドライン」の「9. 裁判所の決定・判決」では「裁判所より削除の判断が出た書き込みは削除対象になります。」と定める。問題は「裁判所の決定・判決」の具体例が「判決・仮処分の決定など」とされ、仮処分決定が判決と同列に挙げられていることである。このため、本訴を前提とした仮の処分であるのに仮処分決定だけで削除される。私はB氏に会ったが、訴訟を提起する予定も意思もないと断言していた。
問題の書き込み削除後もB氏の名前は新たに書き込まれ、被害は解消しなかった。中島弁護士の削除の進め方がユーザー(2ちゃんねらー)の反感を呼び、被害を拡大させた事例である。
仮処分による削除方法には2点の問題がある。
第1に仮処分を最終的な解決策にしてしまうことである。仮処分は訴訟とは異なり、十分な判断の上でなされるものではない。仮処分を得たからといって権利が認められた訳ではない。
仮処分自体が担保提供を条件とする場合は担保を提供しなければ効力を発生せず、担保を提供し続けなければ効力を維持できない。しかも、仮処分決定は仮に削除するだけであり、本訴で権利が否定されれば書き込みを復活させることもできる。その程度の仮処分で自己の主張を確定的に認めさせ、都合の悪い書き込みを未来永劫削除させようとすることは虫が良すぎる。
「本請求権について、仮処分によってその実現を図る可能性も考えられるところである。しかしながら、本請求権を被保全債権とする仮処分は、本案の請求が満足させられたのと同様の事実上の状態を仮に実現させる、いわゆる満足的仮処分であると解されるが、この権利の性質上、いったん発信者情報の開示がなされてしまうと事後的に「元に戻す」ことはできない権利であり、発信者に与える不利益が大きいことから、仮処分の審理であっても、保全の必要性等の要件について慎重かつ厳格な判断を要するものであり、仮処分命令を得て保全の目的を達することが容易でない場合も少なくないと考えられる。仮に、発信者情報の開示を受ける前に同情報が消去されてしまうことを心配するのであれば、本請求権を本案として開示関係役務提供者が保有している発信者情報の消去を禁止する旨の仮処分決定を得ることが考えられる。」(総務省電気通信利用環境整備室ほか『逐条解説』(2002年)55頁)
第2に仮処分制度が本来予定しない形で利用されることである。仮処分は訴訟の結果を待っていたら手遅れになる場合の仮の制度であり、本訴を前提とする。本訴を予定していないのに仮処分を申し立て、仮処分だけで自己の権利実現を図ることは制度の趣旨から外れる。簡便な削除方法として仮処分制度が悪用されることを懸念する。
この仮処分の悪用は発信者情報開示請求でも問題になっている。
「経由プロバイダーに対しては、発信者情報の保存のみを命ずる仮処分を発令しておけば、被害者の権利救済の道が閉ざされるということはないので、経由プロバイダーに対する仮処分は上記の限度で必要かつ十分であると解される。」(東京地裁保全研究会『民事保全の実務【新版増補】(上)』2005年、339頁以下)
「発信者情報開示請求に関しては、当事者ではない「発信者」に関する、プライバシー性が高い情報が対象とされており、他の紛争類型とは異なり、当該手続に関与する余地が事実上考えられない類型であることからすると、当該仮処分において発信者の氏名及び住所の開示を命ずる仮処分を行うことには、その保全の必要性において、他の類型以上に、極めて慎重に検討する必要があるのみならず、基本的には、開示することが認められないと考えることが相当と思われる。」(「発信者情報開示請求権に関する仮処分の在り方について」)
本案訴訟においては、公開主義の原則などが保障されており、これらが発信者の手続的保障を代替する制度とまではいえないが、裁判所の公平な審理は確保されており、本案訴訟とは異なる民事保全の手続において、本案訴訟における発信者の手続的保障の不存在を理由に、発信者の氏名及び住所を開示する命令を発出することとは、自ずと異なるものといわざるを得ないと考えるのが相当である。
発信者情報を開示される側からは「仮処分の決定があまりにも「軽く」なされていることから、腹立たしい思いがした」との声が出ている。