
教育実習が始まる少し前、同じ学科の友人から、お前の実習が終わる日に学科で飲み会を開くから来てくれないか、という旨のメールが届いた。何でも、学科内で一番遅く実習が終わる私のために、当初はもっと早くに行われる予定であった学科の飲み会の日を幹事がわざわざずらしてくれたのだ、とのことだった。
私は率先して飲み会に参加するようなタイプではなかったが、メールには、これでお前が来なかったら幹事の人にいろいろと申し訳ないだろう、それに学科の大きな飲み会もこれで最後かもしれないし、と強く釘が刺されていた。そのせいで末尾に添えられた僅かな譲歩の言葉が何の意味もなさなくなってしまっている。まるで必ず来い、と言われているかのようだ。
確かに、教育実習最終日である七月第一週目の金曜日には、何の予定もない。家に帰っても、することは家事と卒論の情報収集くらいだ。そのうち、必ず来いと言われている飲み会と天秤にかけても釣り合うのは家事の方だが、果たして今回は飲み会を選んでもよいのだろうか。
私はその場で数秒間考えて、いいのかもしれない、と結論を出した。何を迷う要素があろう、幹事は私のためにわざわざ予定を組んでくれたのだし、友人は必ず来いと言っているし、仲のよかった学科の友達と夜遅くまで馬鹿騒ぎできるのは卒業式を除けばこれが最後かもしれない。こんな重大な機会を与えられていて、むざむざいつでもできる家事を優先する必要はない。そのくらいの自由は私にだってあるはずだ。
それに、酒を入れれば大概のことは頭から消える、迷うことは何もない。
私はそのメールに、わかった、とだけ打ちこんで送信ボタンを押した。
***
妹とか弟とか、とにかくきょうだいと言う存在は、同居中の兄・姉の立場からしたら非常に厄介であると言う他ない。そしてそれはまた、我が家とて例外ではない。
昼間だと言うのに部屋の中は不気味なほどに薄暗かった。本来日当たりがいいはずの南向きの窓は固く雨戸で閉じられていて、光が入ってくる余地はまるでない。部屋で唯一目立つ机が、そうした薄暗さの中にぼんやりと存在感を持って浮かび上がっている。その前の椅子に座る妹は、明かりもつけずに、机に突っ伏していた。
机の上では文房具や教科書が塵紙やら食べかすやらにまみれて重なり合っている。汗を吸って茶色く変色した靴下が足元に脱ぎ散らかしてあり、その隣に用途不明のスーパーのビニール袋や、使いもしない青色のリュックサックが、だらしなく口を開いたまま放置されていた。まともに取り替えていないであろうゴミ袋の中身は既に溢れかえって部屋中にすえた臭いが漂っている。何度来てみても、この部屋が女の子の部屋とは思えない。しかしそれを今更妹に言ったところで何の効力もない。
六畳の狭い部屋なので闇に目が慣れると放置されているものには自然と目が行くが、あれば一番目立つであろう布団が敷かれていなかった。たぶん、妹は机の上でそのまま眠りこんでしまったのだろう。時刻は午前十時。普通の中学生は今頃二時間目の授業を受けていることだろうが、妹が起床するにはまだ早い。昨夜、いや、今日未明の一体何時に寝たのだろうか。
「おい」
私は部屋に踏み入って、机に全身を預けている妹の肩を揺すった。数回力を入れて揺すると妹は不機嫌そうに唸って、顔を納めていた腕から頭を上げた。だが顔をこちらに向けただけで、一向に瞼を開けようとはしない。それどころか、少し反応を示せば睡眠を妨げられずにすむと考えているのか、再び組んだ腕の中に顔を戻そうとしている。
「おい、起きろ。起きろってば」
もう一度肩を叩くと、うぅ、と声を上げるがやはり起きようとする意志は感じられない。仕舞いには肩においていた私の手を虫か何かのように払い除けて、頭を腕の中へと戻しにかかる。仕方がないので伸びるだけ伸びて整えられていない長髪を軽く引っ張ってみると、激しく痛んだ毛先が指に絡まって、私が意図しない形で妹の頭皮を刺激した。
「いッ……たいな、もう!」
「わ」
妹は突然頭を上げると私の肩を突き飛ばしてきた。押された衝撃で壁に思いっきり背中を打ちつけてしまい、骨と皮の間から鈍い痛みが生じた。皮下に直接鋭いものをねじ込んだようにびりびりと響くその痛みに背中をさすっていると、完全に暗くはない闇の中で、胡乱な瞳が私を見下ろしていた。相手が妹であるから恐怖こそないものの、露骨に顔をしかめられたら、やはりいい気はしない。
「ご飯は」
「いらない」
このタイミングで言われて肯定的な反応は返ってこないであろうとは予想していたものの、即答されるとこちらも「ああ、そう」と府抜けた返事をせざるを得ない。キッチンに作り置きしておいたビーフシチューがあるが、本人がいらないというのだからこれ以上勧めても仕方がないだろう。
「部屋に入ってくるな、バカ」
尻もちをついてほとんど壁に背を預けている状態の私を、妹がありったけの力で数回蹴飛ばした。小さな足の指の骨が一・二回脇腹に直撃して生々しい感触を残したが、大して痛くはなかった。私は座ったままの状態で後ずさりで移動し、開け放した状態だったドアから部屋を出た。
毎日同じことの繰り返しでは飽きるだろうと思ってわざわざ部屋にまで侵入してみたが、これも駄目だったか。私はリビングに戻って、一人分の食器を棚から出した。ルーを入れ過ぎて水気のなくなったビーフシチューが、コンロの上で温められてぐつぐつと音を立てている。近づいて鍋蓋を持ち上げると、黒と赤の中間色の表面が、見事な艶を宿して鍋底から吹き出てくる泡を包み込んでいた。フランスパンが欲しいな、と思ったが、用意するのが面倒だったので食卓の上にあったバターロールで我慢する。シチューを底の深い陶製の器に盛り付けて、パンでそれを掬いとって食べる。昨日食べたものから一段と熟成したシチューのコクと、フカフカのパンの舌触りが何とも言えない。
昼食を一人で食べるのは今日で何日目だっただろうか。最初のうちこそカレンダーを見ながら指を折っていたものの、途中からどうでもよくなって数えるのを止めた。今、私の目の前には旨いビーフシチューがあり、旨いロールパンがあって、食事には一向に困っていない。大学での友人関係も、学業の方も特に問題と言う問題はなく、四年になって危惧すべきとされている就職活動の方も、教育学部だから教員一本道。いろいろと大変だった教育実習もつい二週間ほど前に終了し、単位も足りているから、あとは卒論を書けば無事に卒業できる。最近は、その情報収集に忙しいと言えば忙しいが、テーマがかなりメジャーなものであるため、逼迫しているわけではない。それにこの不況の時代で既に行くべき場所が決まっており、自分が社会の歯車になれるというのは、ある意味喜ばしいことだ。
どう見たって私は幸せだ。幸せなはずなのだ。
食事は正味三分程度で終わった。食べた量は少なかったが、食欲が落ち気味の夏には寧ろそのくらいがちょうどよかった。普段あまり運動をしないから、尚更食事の摂取カロリーはあまり多くない方が宜しい。最近は大学の授業もめっきり減ってしまい、自宅と学校の往復どころか家の中と庭の往復だけの日も少なくない。無駄に食べると太るから止めろ、と母にも言われている。
食べ終わった食器を流し台に持って行って、洗剤をたっぷりつけたスポンジで洗う。液体石鹸が海綿状のスポンジに絡み合って滑らかな泡を吹き出し、汚れは陶器をこすると何の抵抗もなくするりと落ちた。食器を洗い終わったら、次は掃除だろうか、と考えたが、この家は妹の部屋を除き、散らかったり汚れたりする場所がほとんどないのだった。就寝前に面倒だと母が脱いで放置する服を洗濯すればそれで終わりだし、洗濯は朝起きてすぐに片付けたから問題ない。あれだけ汚れている妹の部屋は、侵入すると逆切れされるから、まともに掃除もできない。
どうやら今日は夕食までもうやることはなさそうだった。泡まみれの食器をきれいに洗い流しながら、私は久々に、〝面白そうな〟サイトの巡回でもしてみるか、と思った。
私は昔の経験から一種のインターネット恐怖症に陥っていた。というのも、中学時代に絵や漫画や小説を展示しているサイトを見つけて嵌り込んでしまい、まともに思考できなくなってしまったのだ。勉強が疎かになった、というわけではなく、何をやるにしても「さて、これが終わったらあのサイトであれを見よう」と考えるようになってしまった。その時にインターネットの世界には、フラッシュと言うものがあり、動画、画像、文字情報等、大方のものが無料で見られることを知ったのであったが、情報の世界に浸れば浸るほど、自分が現実に対しての執着をなくしていくのが手に取るように分かった。ある日、リビングにあるパソコンを使って遊んでいたところを母に目撃されて激怒されたために、私のネット生活は幕を下ろしたのだったが、その後は現実感の色あせた世界にまた嵌り込むことに恐怖を感じるようになってしまい、学校の勉強のためかどうしてもパソコンでないと見られない情報を得るため以外はネットに接続しないようにしていた。ネットと一切縁を切ることも考えたが、やはり情報を得るにあたっては本よりネットの方がより早く量が多い。それゆえ、知識を得る目的以外では使わない、という縛りを付けたのだった。
どうして今更それを破ろうと思ったのかは私自身にも判然としなかったが、久しぶりに浮かんだこの考えには強く惹かれた。どうせ今は家事以外に何もすることがないのだから、やることをしっかりやっていれば多少遊んでいても母に叱られることはあるまい。私はレポートの作成と卒論の情報収集のためにしか使っていなかったノートパソコンを持ちだしてきて、インターネットエクスプローラーを起動させた。
さて、なにから見ようか。
「ねえ」
パソコンの画面を眺めて呆然としていたら、後ろから不意に声がした。何事かと思って振り返ると、開け放したドアから入って来たらしい妹が、まだ眠そうな目をしたままコンロの前に突っ立っていた。
「ご飯」
手を差し出すわけでもなく、食器を準備するでもなく、私の向かい側の席に腰掛けながら、食事を要求した。
「お前、さっきいらないって言ったじゃん」
「うっさい」
「鍋に、シチューあるから。自分で用意して」
「やだ」
「せめて、手と顔ぐらい洗ってきたら?」
妹は無視した。全く動くそぶりを見せずに、着いてもいないリビングのテレビを不機嫌そうな顔で睨みつけている。仕方がないので私は席を立ち、先ほどと同じく食器を棚から出した。コンロの上で未だ湯気を立ち昇らせているシチューを器に盛り付けて、ついでに軽く焼いたパンをシチューの脇に添えおく。どちらも量は私のものより遥かに多めにした。
「ほら」
食卓を振りかえると、いつの間にか妹は、私がパソコンを開いた席に移動していた。差し出した食事を見るなり、キーボードを叩いていた指を止めて何か言いたげな顔でロールパンと睨めっこしている。
「何」
「ご飯がいい」
「はあ」
そうならそうと先に言えばいいものを。私は妹に見捨てられたロールパンを摘んで自分の口に放り込み、炊飯器の中を確認した。だが弁当を作るわけでも昨晩和食を食べたわけでもない我が家の炊飯器にはご飯らしきものは一粒として残っていなかった。どうしようかと迷った末に、冷凍庫に凍らせておいたものがあったのを思い出し、電子レンジで温めてから妹に提供した。妹は私のパソコンの前から移動もせずに、渡されたご飯をビーフシチューの中にぶち込んでパクパク食べていた。食事が終わると、口を拭ったティッシュもパソコンも食器もそのままにして、あの薄暗い自室に戻って行った。
***
妹が引きこもりになったのは今年の夏休み少し前からだった。一学期もあとわずかで終了という七月第二週目の火曜日。妹は母に「明日からもう、学校には行かないから」と高らかに宣言して、自室に籠った。
不登校になる子供が親に対して学校に行かないなどと宣言することは、一般的に言ってほとんどない。ありがちなパターンとしてはまず朝起きるときに「今日はお腹の調子が悪いから」と体調不良を装って初日を欠席、以降も仮病を使って悉く登校を避ける。三日か四日を過ぎたあたりで親や教師から怪しまれ始め、「もしかして学校に行きたくないのか」と尋ねられ、初めて不登校の意を露わにする。
中学校教諭である母も、三〇年と言う長い経験で裏打ちされたその一般論を信じて疑わなかった。母は妹のこの発言には露骨に顔をしかめ、「どうしてそんなこと言うの」と妹の部屋に詰め寄り扉を拳で叩いて説明を求めた。しかしその日、遂に妹が自室から出てくることはなかった。
翌朝、授業が二時限目からあった私は、ちょうど八時くらいに目を覚ました。すると何やら部屋の外から叫び声と唸り声が聞こえてきた。それはどうやら妹の部屋の辺りから発せられているようだった。自室の扉から向かい側にある妹の部屋の様子を静かに伺うと、学校に行けと大声を出す母に対して、妹が罵詈雑言を浴びせながら暴れ回っているのが見えた。
今出て行くと巻き込まれそうだと思った私は暫くその場で待っていたが、二人の声は一向に収まらなかった。仕舞いには子供か猿の兄弟喧嘩なのではないかと思うほどに喧しく無意味な叫びがあがり、物が投げられて壁に当たる音まで聞こえてきた。母に殴られ、妹が叫ぶ。妹に蹴られて母が物を投げる。髪の毛を引っ張って、痛い痛いと、奇声があがる。今の声はどっちだろう。うるさかったので扉を閉じてみたが、妹の部屋が見えなくなっても声のせいで内部の様子はよくわかった。母は怒っているのに、妹はそれを逆に冷やかしていた。そうすると余計に母は怒った。さらに妹が冷やかすという悪循環。いつまで経ってもお互いに全く妥協しなかった。もうこうなっては不登校も何も全て水かけ論と化してしまっていた。
初日の動乱が収まったのは、それから約十五分後、妹ではなく、母が遅刻しそうになったからだった。母の勤務する中学は自宅からそう遠くないが、騒ぎのせいで朝の職員会議に出席できなかった上、一時間目の授業にも姿を現さないのはまずいと考えたらしかった。母は妹に「もう行くよ」と叫んでから部屋を出て、今度は私の部屋に入って来た。そして寝たふりをしてベッドに横たわっていた私に、妹をどうにかして学校に連れて行くようにと言い付けた。私は朝から騒がしいのに滅入ったのと正直言って自分が巻き添えを食らいたくなかったので何も返事をしなかったが、母はそれを勝手に肯定とみなしたらしく、早々に朝の支度を済ませて家を出て行ってしまった。
母の車が完全に家から離れたのをエンジン音の大小で確認して、私はゆるゆるとベッドから起き上がった。母が去った後の隣の部屋は数分前までの喧騒が嘘だったかのように静まり返っていた。あれだけ殴ったり蹴ったり殴られたり蹴られたりしたはずなのに、妹は取り残された部屋で泣き声の一つも上げていなかった。私は逆にそれが恐ろしく感じたが、母から言われたことは一応守るべきか、と思い、とりあえず妹と話をしてみることにした。
「どした」
部屋に入った私はできる限り感情を込めない声で言った。この年頃の子どもは必要以上に接近されることを嫌うと、大学の授業で習ったからだった。
だが妹は私の呼びかけに何の反応も示さなかった。ただ教科書やらノートやらが散らかった部屋の真ん中で、呆然と首を垂れているだけだった。今度は逆に私が反応に困った。
「そんなに学校行きたくないのか」
妹は答えない。何をするのもかったるいのか、首すら振らない。私はさらに反応に困る。
「そもそも理由は何? 昨日何かあったのか?」
少し距離を詰めて話したが、やはり妹は体を硬直させたままだった。学校に行くのが嫌なら、はっきり理由を述べれば母も納得するかもしれないのに、と私は続けたが、沈黙を保ち続ける妹は反論も同意もしない。こういうところが母のカンに障るのだろうか。
「もう、反抗するのがめんどくさいんだったら、学校行けばいいのに」
そう私が言った瞬間、目の前に飛んでくるティッシュボックスの底が見えた。反射的に体を逸らしたおかげで直撃は免れたが、耳に箱の角が触れたせいで少々皮膚が痛んだ。妹が、手元にあったティッシュを、私に投げつけたのだった。
「黙れ、リア充」
妹は立ちあがっていた。先ほどまでの静かな佇まいが嘘のように、意味のわからない単語を使って私を怒鳴りつけた。激情のあまりティッシュを投げつけた手が震え、顔が真っ赤になっている。私は痛む耳のことも忘れて呆然と妹を見た。
「どうせ私はお前とは違って頭も悪いし、顔も悪いし、トロいし、根性もないし努力もできませんよー」
他人を馬鹿にするときによく男子が使う軽薄な口調でそんなことを言いながら笑う。怒ったかと思えば突然笑い出したり、自虐したりで何を考えているのか全く分からない。こういう意味不明なところも、母のカンに障るのかもしれない。
「じゃあ、今日は学校行かないわけか」
最早分かりきった答えをあえて口にして私は諦めて部屋の扉に手を掛けた。妹は何を思ったのかもう一度背中にティッシュボックスを投げつけ、死ねだの、カスだのと私を罵った。私は怒る気力もなく、何も言い返さずに部屋から出た。
その日帰宅した母に妹がこっぴどく叱られたのは言うまでもないが、監督責任を怠ったと言われてなぜか私まで叱られた。だがこれに味をしめた妹は本当に翌日からも学校に行かなくなってしまい、毎朝十五分の格闘の後に部屋に引きこもり、ゲームをやったりパソコンをしたり、テレビを見たりという自堕落生活を開始した。私がそれを知っているのは、たまにこっそり部屋を覗き見るときに、妹がしているのがそれしかないからだ。
幸いなことに休み始めたのが七月の第二週からだったため、期末テストは終わっていた。終業式には出なかったものの一学期の通知表は担任からクラスメイトを経由して貰っていたし、その後はそのまま夏休みに突入してしまったから、実質的な登校拒否の期間は一週間と少しとなる。しかし、学校に行っていないためにテスト後の部活動には参加していないし、このまま休み癖がついてしまえば二学期からは完全に不登校になってしまう。夏休み中に何とかしたいと母が言っていたような気がするが、自身も部活の監督で忙しい母がどこまで本気でそれを言っているのかはわからない。
妹が休み始めて三日後の、七月第二週目金曜日。担任が我が家に初めて家庭訪問に来た。その日は丁度、妹の中学の終業式があった。だが本来家族ぐるみで話をするはずの家庭訪問に立ち会ったのは、最も話を聞くべきはずの相手である両親でも、また当の本人でもなく、私だった。
前日夜遅くに教師と電話をしていた母は、その日の出勤間際に家庭訪問があることを私に告げた。それから担任の先生が来るのだからしっかり掃除をしておくように、と命じた。毎日家にいる上、毎日掃除をしているのであるから、家が汚れるはずなどなかったが、それでもその日は念入りに埃が落ちていないか、視界に入る屑などはないかをチェックした。しかし特に目に付くゴミは何もなかった。
妹の担任が訪れたのは午後三時ごろだった。もっと早く来るのかと思っていたが、考えてみれば中学の終業式の後、掃除やらホームルームやらをしているのであるからそんなに早く来るはずもない。寧ろ部活の監督をしないで(部活の活動日でないのかもしれないが)妹の家庭訪問を優先してくれただけ熱意があると考えるべきなのかもしれない。母だったらどちらを取るのかな、という考えが頭を過ぎった。
妹の担任は社会人五年目の男性教諭だった。バレーボールでもやっていたのか肩幅が異様に広く、身長の方もジャンプをすれば我が家の天井に届いてしまうのではないかと思うほどの高さであった。彼はスーツをビシッと着こんでやってきた。事前に来ると知っていなかったら、どこぞの企業のサラリーマンが営業で何かを売りつけに来たのではないか、と勘違いしたかもしれない。
居間に通すと担任は礼儀正しく一礼して、無駄のない動きでソファーに腰掛けた。持っていた黒い仕事鞄を足元に置き、膝の上で手を組む。私がリビングから用意していたお菓子と緑茶を出すと、ありがとうございますと律儀に会釈をしてそれに手を付けた。ゆっくりと、それでいながらどこか緊張した動作で茶をすすり、一口で茶碗の半分くらいまで飲み干してから受け皿の上に戻す。彼は向かい側に座った私を何やら不思議そうな目をして見つめていた。数秒間沈黙していたが、私がその視線に気づいて「どうかしましたか」と尋ねると、彼は部屋に入ってくるときと同じ真剣な顔つきに戻って、口を開いた。
「あの、すみませんが、ご両親は」
私は虚を突かれて、え? と返してしまった。教師の立場からすれば家庭訪問に来て、親ではない者に対応されたらその反応は当然なのかもしれなかっただが、てっきり私は母が対応を私に任せると教師に説明しているものかと思っていた。
「両親は、不在ですけど。母は学校で、父は単身赴任中です」
「ああ、そうでしたか」
担任は受け皿においた茶碗を持ち直してもう一度口に付けた。半分残っていた中身がさらに少なくなって、全体の五分の一程度にまでなってしまう。
「まあ、見ての通り両親は多忙で家にいないことの方が多いですから、家庭のことは私が一任しているのです。最近はずっと家に居りますので、多分、妹のことも母親より知っているのではないかと」
担任はふむ、といった様子で私の話を聞き、前のめりになって足元の鞄からクリアファイルを取りだした。中には生徒の個人情報と思しき書類が大量に詰められており、彼はそれをペラペラめくってその中の一枚を引き抜いて、机の上においた。だがその紙には何も書かれていなかった。どうやらメモをとるようだ。
「本当のことを言うと、家庭訪問はご両親のどちらかからお話を聞かなくてはならないのですが……このようにされてしまうと、こちらも打つ手がありません」
このままお話をお聞かせ願えますか、と担任は全く表情を崩さない緊張した様子で手元の紙に視線を落とす。それしかありませんからね、と私が言うと、ご尤も、と彼も反応する。
「では最近、妹さんの動向に、変わった点はありませんでしたか」
おそらく家庭訪問にやってきた教員がまず尋ねるであろう言葉のうち、最も使用率が高そうな発言で担任は話を始めた。私は特に心当たりがなかったので、いえ何も、と答えた。ただ、妹が引きこもりを開始すると宣言したことは伝え、寧ろこちらが学校での妹の動向に何かあったのか疑っていたところなのだと尋ね返した。
「もしかしたら、成績のことで悩んでいるのでしょうか」
担任は先ほどのクリアファイルを再び指でめくって何かを探し始めた。部屋のクーラー音の中で、ページをめくる音だけが静かに響く。数秒後に、ああ、これだ、と一枚の紙を取り出した。それにはエクセルで作られた枠の中に、一から三までの数字が縦列にびっしり並べられている。妹の通知表だった。
「五段階評価ですが、全く提出物を出さなかった理科と数学は一、残りの教科は各担当がテストに応じて付けた、と言っていました」
「ひどいですね」
私は見たままを思ったままに口に出した。担任が紙に落としていた視線を一瞬だけこちらに向けた気がしたが、それが何を意図しているのかには気付かないふりをして淡々と話を続ける。
「ああ、もちろん別に先生が酷いと言っているわけではないですよ。うちの妹が提出物も出さないでやる気を見せないのが悪いんです。よく母から、中学は提出物をしっかり出して出席していれば二より下は付けない、と聞いておりますので。たぶん妹も知ってるんじゃないかな」
はっきりそれと分かるように外の方を見る。普段引きこもっているはずの妹は、今日に限って外出していた。どこに行ったのかは知らないが、担任の家庭訪問に付き合うのが嫌なのだろうとは簡単に想像がついた。たぶん、という言葉で、担任も何となくそれを察したらしく、妹は同席しないのか、とは聞いて来なかった。
「成績について、妹さんに問い詰めたことはありますか」
担任は話を続ける。
「いえ、全く。私から妹に何かいうことはほとんどありませんから。ただ、そういうのは母の方が厳しいですね」
「お母さんですか」
不意を突かれて担任の表情がパッと変わる。
「ええ、母が。何と言いますか、教員であるためか人一倍成績に関してはうるさいような気がします。しかしただ単に相対的な評価を気にするわけではないんです。その子が全力を出して物事に取り組んでいるかっていうのを見る、絶対評価型なんですよ」
担任はなるほど、と頷く。つまるところ妹は成績が低くて怒られたわけではなく、全力を出していないために怒られているということだ。これには担任も共感するところがあるのか、確かに学校においてはその子なりに頑張ることが一番重要ですからね、と私が伝えた母の意見に同意した。
「でも、このまま叱り続けるのは、妹さんを学校に復帰させるためには得策ではありませんよね。逆効果です」
はい、と私は頷く。
「どうにかして、お母さんが妹さんを叱りつけるのを止めるよう仕向けられませんか」
「それができたら苦労はしませんよ」
珍しく即答だった。私の気迫が変化したのを敏感に察知して、担任は肩を強張らせた。体格は一回りも二回りも大きいはずなのに、年が近いせいかなぜかそれほど怖いという印象がない。しかし怒らせてしまっては話し合いに支障が出る。私は落ち着け、と自分に言い聞かせて、緊張する担任と目を合わせた。
「それが出来たら苦労はしないんです。母は、そういう人ですから」
触れてはいけない事に触れたのがわかったのか、非常に曖昧な返答にも担任はそうですか、と言ってそれ以上追及してこなかった。少しの間、私たちに気まずい沈黙が流れた。まるで会議室で会議をしているのに何も案が浮かばない会社員みたいだった。
「そういえば、学校に妹の友達らしき人はいましたか」
その空気に先に耐えられなくなったのは私だった。担任はちらりと目配せすると、またクリアファイルに目を落とした。中学の教員は、自分が担任しているクラス以外でも同じ学年の授業を受け持たなくてはならない。誰が誰と関係を持っているかなど、紙を見なければ把握しきれないのだろう。担任は、該当する用紙を数秒で見つけ出すと、そうですね、と前置きした。
「それらしい生徒は何人かいるようです。少なくとも、ずっと一人でいる、というわけではなさそうですけど」
話によれば、妹には給食を一緒に食べたり、休み時間に一緒に喋ったりするくらいの友人はいるらしい。担任が小耳に挟んだ情報では、どこかに遊びに行くほど仲のいい友達もいたのだそうだ。だからこそ、担任は妹が引きこもる理由は成績のことしか思い当らなかったらしい。
「本当に、どうしてこうなったんでしょうね」
担任は茶碗に残っていた緑茶を一気に呷った。受け皿に茶碗を戻すと、水分どころかお茶っ葉までもが空になっていた。それを見て、私も自分用に用意しておいた茶碗に触れてみたが、熱湯を注いで淹れたお茶はまだ熱く、とても飲み干せるような温度ではなかった。自分で淹れておいて思うのも何だが、こんなものを平然と飲んでいる担任の気が知れない。
「さあ。そのあたりは妹に直接尋ねてみた方がいいかもしれませんね。やはり当事者がいないことには分かるものも分かりません」
「まあ、それもそうでしょう」
妹のことは母より私の方が知っているかもしれないと、つい数分前に言ったばかりなのに、私はもう妹の担任への興味を失っていた。そのときは妹が救われようと救われまいとどうせ私には関係ないと思っていた。私はソファーから腰を上げた。担任がそれに続いて、茶碗を持って立った。そして何の打開策も出ず、何の方向性も提案されないまま、家庭訪問は終了した。
***
妹が部屋に戻ってから、私は例によって面白そうなサイトを探し回って過ごした。いくらか関心を掻き立てるものはあったが、その中でも特に巨大掲示板の存在が目にとまった。昔インターネットに熱を入れていた時期に、こうしたものを見かける機会がなかったためだ。
何でも、この掲示板というのは、議論したい内容ごとにカテゴライズされた「板」という階層に、自分の議論したい内容を題名にして「スレッド」というものを立て、集まって来た人たちと適当に書き込みをし合う、という仕組みらしい。ただし、大半の者は書き込みを匿名でするし、匿名である以上情報の特定のしようがないから荒らしや誹謗・中傷を行なう者も後を絶たたない。また、情報の出所が分からないので書き込みには信憑性などほとんどなく、皆冗談半分に書き込みを見て、喜んだり、貶したり、褒めたり、励ましたりしているようだった。
数年間パソコンを勉強の道具にしか使っていなかった私にとって、掲示板の発見は本気で話し合わないという点で何となく新しさを感じた。傍から見ればどうでもいいとしか思えない日常的な会話も、品のない会話も、貶されることはあったがなぜかそこでは受け入れられていた。ブックマークでもしておこうかと思ったが、あとで履歴を漁れば同じページが見られるだろうと考えて止めておいた。それからほどなくして、別のページを見始めた。
そうしていくらか興味をそそるサイトを回り続けていると、時間はあっという間に過ぎた。膨大に広がるネットの世界での情報収集は、いくら時間があっても飽きることはなかった。だがふと時計を見て午後六時になっていたのに私は恐ろしくなってパソコンの電源を切った。考えてみればまだ洗濯物を取り込んですらいなかった。
液晶画面から目を離した後の私の行動は自分で言うのも何だが実に迅速だった。洗濯物をさっさと取り込み、それを畳んで洋服棚に仕舞い終わるまで三十分。無洗米を炊飯器の窯の中に放り込み、味噌汁とサラダ、冷凍庫に眠っていたサイコロステーキを全て作り終えるまで四十五分。風呂を沸かすべく、浴槽を磨くこと約五分。すなわち午後七時半までにはやるべきことを全てやり終えたのだった。昔は夕食を作るだけでも一時間以上かかっていたものだが、慣れると手際もよくなるものだと改めて感心した。
妹の部屋の扉をノックして夕食を食べさせ、私も暫くしてから食卓についた。妹は部屋から出てくるときは朝と同じく睡眠を妨害されたかのように不機嫌だが、いざ食事を始めると恐ろしく静かだった。食事をとるのが嫌なのではなく、部屋に入られるのが嫌なようであった。
卓を囲む形は取っているものの、私たちの間に会話はほとんどなかった。音を埋めるために着けられたテレビが滔々と映像を映し出している他には、食器のすれ合う音しか聞こえない。だからといって私たちの間に何か特別なことがあったというわけではない。ただ、お互いに話す内容などないだけなのだ。引きこもり始めた頃こそ、これを息苦しいと感じたものの、もう今となっては喋らない方が自然だった。
食事が終わると妹はまた自室に引き上げて行った。私は食べ終わった食器を流し台に持って行ってすぐに水洗いを始めた。時刻はそろそろ午後八時になる。母が帰ってくるまで、あと一時間ほどだ。食器を洗い終えたら、先に入浴をすませて母の寝室の布団を敷いておこう。どうせ、明日も練習試合か何かで早目に家を出て行ってしまうのだから、早めに寝られる準備をしておいた方がいい。
サイコロステーキの油を水ですすぎながら、すると次は風呂だな、と考えていると、聞き慣れた車のエンジン音が耳に飛び込んできた。バッグ駐車をする際に車体から出る、空気を微妙に放出する音。母だ。私は直感して食器を洗う手を一瞬止めてしまった。いつもより早い帰宅、残業がなかったのだろうか。
蛇口から水が落ちる音の向こう側で、鍵を回してドアロックを外す音がはっきり聞こえる。三秒後、母は鍵を鞄に仕舞ってドアを開ける。玄関で靴を脱いで、スリッパに履き替える。それから、一秒、二秒。
「何やってんだよ!」
怒号が耳を劈いた。思わず、ひっと肩を強張らせる。家に帰ってきて、僅か十秒、母は妹の部屋の前で、自堕落な生活風景を見て絶叫する。何も今日一日だけではない。妹が引きこもりになってから、これは毎日続いている。沈黙を絶叫で破られた妹は逆上して母に食らいかかる。母の怒りには理由があるが、妹の怒りに理由はない。二人はそのまま目的もない怒鳴り合いに突入する。どちらかが疲れるまで金切り声は上がり続ける。わけのわからない争いに、私はひたすら無力で聞こえないふりをしなくてはならない。
数分に及ぶ死闘を終え、母がリビングにやってきたのは、食事の片付けももう終わろうという頃だった。私は母をとりあえず「お帰り」といって迎えることにした。母は憔悴し切った様子で「ただいま」と返事した。
「食事なら、電子レンジの中に、サイコロステーキとご飯とみそ汁と……その他いろいろある」
母は、うん、と頷く。声に幾分力がこもったところからすると、少し元気が出たのかもしれない。だが私の話を聞いていなかったのか、目の前にあった電子レンジを開けずに食卓に腰掛けてしまった。仕方がないので、私は電子レンジの中からラップがかかった食事を取り出して、椅子に座ったままの母に差し出した。ついでに箸も添えておく。散々怒鳴って咽喉も枯れただろうと、水も用意した。
母は最後に用意された水をまず一気に飲み干した。ふう、とため息をついて料理に手を付け始める。ご飯を一口含んで、音を立てながら味噌汁を啜る。それからまた一呼吸おいて、サイコロステーキを一つ摘む。食べる、飲み込む、水を飲む。ご飯をあっと言う間に食べ終える。
「ああ、そうそう。聞いてよ、今日浅田がね」
母は唐突に喋り始めた。浅田、とは母のクラスの生徒である。このところ、頻繁に母の話に名前が上っていた人物だ。
「また給食費払わなかったんだよ。これで滞納三ヶ月目だわ。まあ予想してたっちゃ、してたんだけど。でもひどくない? 連絡も謝罪もしないんだよ? 払えないなら払えないってちゃんと村上んちみたいに連絡しろっつうの。あの馬鹿親が」
子供を第一に考えた金の使い方が出来ないなら子供なんか作るな、これだから最近の若い親は! 母はまた学校であった嫌な事を思い出したようで怒りをあらわにしていた。食卓に堂々と頬杖をつきながら、まだ残っているサイコロステーキを箸でつまんでどんどん口に入れる。
私は、また始まったか、と心の中でひとりごちた。
母の話によく出てくるこの浅田という人物は、過去に怒り狂って教室のガラスを蹴り飛ばして割ったことがあるほど気持ちに余裕がもてないらしい。教師が少し注意すればたちまち頭に血が昇って、周囲の制止も聞かず大声を出すわ、奇声をあげるわ、とにかく手がかかるのだそうだ。また、本人もさることながらその家庭内も最悪とのことで、母親は高校時代に知り合った先輩と恋仲になり、十七才の時に妊娠。一時は一緒にいて、妊娠を機に結婚しようとまで言われていたそうだが、父親が高校を卒業してから連絡が取れなくなり、事実上見捨てられた。どうすればいいのか分からず親に泣きつくしかなかった浅田の母親はそれでも子供を堕胎させることを拒みそのまま出産。男の子が生まれた。その後は高校を中退してバイトやパートで食いつないでいたらしいが、たまたま入ったパチンコ屋で一度大儲けしてはまり込んだせいでそれもすぐに続かなくなり、より多くの金を求めるために女であることを売りに夜の街へと繰り出していった。この間、浅田の面倒はほとんど親戚に任せていたとのことで、職員室では専ら、親戚内で浅田の母親の処遇を巡るトラブルから浅田に厳しいしつけがあり、それがあのような性格を形成したのではないか、とあらぬ噂が飛び交っているらしい。浅田の母親のギャンブル癖は未だ抜け切れていないらしく、体で金を得ては子供の養育費そっちのけでパチンコ玉に変えている、とのことだ。そのため浅田は細く小さいし、人一倍食い意地が張っている、と常々聞かされている。
「もう、本当に嫌になるよね。嫌になると言えば、今日また三組でとんでもないことが起きてさあ」
「とんでもないこと」
母は自慢げに、そうそう聞いて、と言って私の相槌に笑った。
「理科の実験で、永井がアルコールランプとマッチもって脅してきやがった」
この死に損ないが、ってものすごい気迫で。母は続ける。
「その割に要求してくることが、実験の報告書なんか宿題にするんじゃねえっていうあたりがガキだよね。調子に乗ってたからすぐに若い男の先生呼んで対応してもらったよ。ホント、この職場、年食った女だと子供に舐められるのが困るわ」
今更管理職を目指すってのも、もう遅いし、とサイコロステーキを食べ終えて母はため息をついた。
学校では少し気を抜くと、子供が悪さばかりして手に負えないらしい。特に理科の教師なんかしていると、実験用具を玩具や脅しの道具に使いかねないため、子供から目が離せないそうだ。例え、理科室に大して人体に影響を及ぼすような薬品を置いていなかったとしても、そこに珍しいものがあると言うだけで理科準備室に忍び込む子供もいるし、ビーカーやフラスコ等のガラス製品を壊してしまうなんて日常茶飯事だそうだ。もちろん、公立中学であるため壊したものは処理から再購入までが全て学校負担である。何か問題があればすぐに理科専科のせいにされる。母の苦労はいつになっても絶えない。
「全く、本当に定年まであと三年を切って、いい加減この仕事にも飽きて来たよ」
退職金もらうまでは頑張ろうと思うけど。今辞めたら辞めたでお金は出るだろうけどそれじゃあもったいないし。
「そういえば、今日は帰り早かったね」
私はまるで明らかに母の話を聞いていなかったと言わんばかりに全く別の話題を提示した。
「ん? ああ。今日は午後から来月の研究授業の話し合いのために出張だったんだ。出張が終わったのが五時くらいだったから、そのまま帰って来たんだよ」
それに今は夏休みだし。おかげであのクラスの連中の顔を見なくていいから本当に気がラク! そうそう、この前、掃除用具でチャンバラしている奴らがいてね。大声あげて止めに入ったら、危うく腹のあたりを万年箒の持ち手で刺されかけてね……
母のお喋りはその後もしばらく続いた。内容は主に担当している学年の、悪い子供とその親の悪口だった。主に、というよりそれしか話さない。話が一段落したところで、私が全く別の話題を提示するとそこからさらに様々な事を思い出して子供を貶した。
貧乏で風呂にも入れないため、頭に虱をつけたまま登校してきた生徒、宿題の提出率は担任になったクラスの中で過去最低だということ、教育熱心すぎて子供の成績の低下を学校のせいにする親、万引きが発覚して警察に捕まり、その付き添いをしなくてはならなかったこと。
最後は今クラスにいる引きこもりの人数の話だった。学年全体では中学一年の段階で二人ほど登校拒否になり、中学二年になってさらに三人、計五人が現在不登校であるとのことだ。
「まあ、不登校は暴れて授業ブチ壊す奴よりまだ楽だね。不登校なんて、親が甘やかしてるか、本人のやる気がないのかどっちかなんだ。いずれにしても、担任が直接迎えにでも行って、学校に引っ張ってくればいいだけなんさ。浅田とか永井みたいなのが一番手に負えない」
ようやく腹の虫がおさまったのか、母は食器を持って食卓から立ちあがった。話している間ずっと私がうろついていたキッチンの方にやってきて、食器を流し台におく。
「いろいろあるけど、あと三年の辛抱だしね。もう大きな金が出ることもないだろうし、これからは家の中でのんびり」
「ねえ」
私はようやく終わりそうだった母の話を自ら続けさせようと声をかけた。どうしても、今の話では納得できないところがあった。
「じゃあ、あいつは?」
あいつ、というのはもちろん妹のことだ。
「あいつのことは、どう思う?」
尋ねた直後に母もそれを悟ったらしく、こちらをしっかり見ていた目が一瞬泳いだ。母は不登校の話になったのに、明らかに妹の話を避けているように思えた。
「……そんなの、本人のやる気がない方に決まってるでしょ」
「本当に?」
「あたしが甘やかしてるように見えるの?」
声に怒気がこもる。もしかしたら地雷を踏んでしまったのかもしれない。
「いや、そうじゃなくって」
「何?」
母の怒りに、私は何とか弁解しようとしたが、自分の考えがうまくまとまらず、またこの訳の分からない感情をぶちまけることもできず、ただ押し黙ってしまった。母はますます憮然として、眉を顰めた。私がそのまま緊張していると、もういいよ、風呂に入るよ、と言ってリビングを出て行った。
***
妹が引きこもってからと言うもの、私たち家族の間には何とも形容しがたく深い溝が生まれた。それは妹と母の間に、妹と私の間に、そして私と母の間全てに当てはまる深い溝だった。いや、考えてみれば妹が引きこもるずっと以前から、その溝は私たち家族の間に深く存在していたのかもしれない。私には今までその溝を意識する必要も余裕も与えられてはいなかっただけなのだ。妹が引きこもって初めて、今までのことを思い返し、その溝を自覚したに過ぎない。
引きこもりになる二日前。日曜日特有の暇な時間を持て余していた妹は、私に奇妙なことを尋ねてきた。
「ねえ、人の感情っていうのは、本当に多彩なものだと思う?」
突然妹の口から飛び出した抽象論に、私は何を言われているのか分からず「は?」と首を傾げた。妹は真面目な顔で口の端の方だけ釣り上げて笑いながら、私の方を見ていた。
「私は違うと思う。人の感情なんてさ、きっと相手への憎悪と自分への嫌悪しかない」
妹は顔を背けて浅く息を吐いた。私はとりあえず妹の言うことを黙って聞くことにした。
「感情には、例えばどんなものがあるか。喜び、怒り、悲しみ、愛情、嫉妬。考えればまだまだ沢山あると思う。けど、結局それらは他人への憎悪と自分への嫌悪から生まれてくるものなんだ。どういうことかっていうと、ほら、尊敬の気持ちなんかは、相手が自分にできることができるという、自己嫌悪から来てるって考えられるし」
「それは」
「違う、と思う?」
尊敬できるだけの人に対して抱く感情が尊敬以外の何ものでもないと信じて疑わなかったし、実際そうであった私からすればその考えは否定して当然だった。しかし、逆に自分が出来ないことをやってのける人でなければ、尊敬なんて感情は生まれないのだろうか、と変に深読みして、私は何も言い返せなかった。
妹は言い淀んだ私を冷めた目で見て話を続けた。
「一見プラスのようにしか見えない他の感情だって、元をただせば全部一緒だよ。喜びを感じるのは、喜びを感じている時以外の自分が嫌いだから。愛情っていうのは、自分を愛せない奴が勝手に憎悪を他人に向けてプラスに変えようとする感情。もちろん、怒りなんて自己嫌悪以外の何ものでもないしね。要は自分を嫌いになる感情か、相手を嫌いになる感情しか人間にはないってこと」
一体こいつは何を言い出すのかと、右から左に抜けて行く妹の声の中で私は考えていた。学力的な意味での頭の良さは本来私の方がずっと上だったはずなのに、頭は妹の論理を理解するので精いっぱいだった。しかし、妹の言っていることは何だか違うような気がした。それが何故なのかは言葉にしがたいものがあったが、それでもただ漠然とした理由から、それが違うのではないかと言う考えが、私の中に確固として存在していた。
「いや、お前の言っていることは、極論だ」
だから素直に違うと答えた。だが妹はそれでは満足しなかった。違うと言うのなら具体例を示せ、そうでなければ違うとは言い切れないだろう、と主張し始めた。その場でうまい例が思い浮かばなかった私は、結局妹の持論を覆すことができなかったのだが、その様子に妹はどこか満足だとでもいうようにフフッと笑いを漏らしていた。しかし、笑みを収めた直後の妹は、人形のように空虚な瞳を床に落としていた。
あのときから、私と妹の間に決定的な溝があることを知った。そしてそれを自覚して妹の話に私が生きて来た時間を照らし合わせると、そのほとんどが妹に対する嫉妬で埋め尽くされていることを理解してしまった。今まで円満だとしか思わず、素晴らしい功績だけを信じて過ごしてきた二十二年間が、溝を自覚してから酷く虚しいものに思えてきた。どんなに頑張っても、私が心から欲しいものは何も手に入らない。
母が教員、父が会社員だったため、私の家は全員帰宅時間がとても遅かった。幼年期は保育園で他の園児たちが早々に帰って行くのを羨ましく見ていたのをよく覚えている。ただ、この頃は父親が何とか早めに仕事を切り上げられることもできたし、母親も私が小さいのを言い分に職場から一時的に抜け出して、迎えに来てくれることもあった。父が出張だったり、母が早めに迎えに来られなかったりするのがあらかじめ分かっている場合は、保育園を休んで、近くにいる母方の祖母の家に預けられたりもしていたらしい。しかし、そのときのことは私本人が幼かったのであまり詳しく覚えていない。祖母は私が保育園の年長組だったときに他界したとのことだ。とにかくいろいろと世話をしてくれたのだという話は聞かされているが、私の中の祖母に関する記憶は遺影に見られる面影くらいなものである。
小学校に上がると同時に、私は合鍵を持つことを許された。最初のうちは家にいられる時間が長くなることに喜んだが、親の帰りを遅くまで待つという立場は変わらなかったので徐々にその喜びも薄れて行った。それどころか、そろそろ家事もできる年齢だろうと言われ、私の面倒をみる必要がなくなった母の帰宅時間はより遅くなった。
必要と命令に迫られて、帰ってきてからは洗濯と食事と宿題に追われる日々を過ごした。家事の内容は、休みの間に母が教えてくれた。ご飯の炊き方も覚えたし、洗濯機の回し方も学んだ。休日は、母も父も時間があれば一緒にいてくれたように思う。そのおかげでいろいろなことを学ぶことが出来たし、心にゆとりも持てた。
母に教わって最初に作った料理は目玉焼きだった。黄身を半熟にするか否かで焼き方が違うのだとのことだった。私は半熟の方が好きだったのだが、黄身がしっかり固まっているものより難しいのだと言われた。母はまず完熟の目玉焼きを作り、それから半熟のものを作った。両方食べてみたがやはり半熟の方がおいしいと感じた。興味があったので作り方を教えてもらい、翌日の夕食は目玉焼きにした。始めて作ってのだが、黄身の半熟具合が他の食材では再現できないようなとろみを持っていて、なかなかおいしく出来た、と思った。半熟目玉焼きに味の素と醤油をかけてみると、よりご飯が進んだ。それからは料理に興味を持って、夕食に何を作るのかを考えるのがささやかな楽しみになった。レパートリーは、最初のうちは目玉焼きだけだったが、休日のたびに母にねだって作り方を教えてもらい、一年生が終わるまでにカレーやスパゲッティなど主要十品くらいは作れるようになった。
小学校二年生に上がった時に、母のお腹に新たな命が宿った。私はもうその頃にはすっかり家事が板についていた。子供が生まれると聞いた時も、家族が増えるという喜びを純粋に噛みしめた。母は産休を取って入院し、家には父と私だけになった。そのためなのか、父は母が入院している間は出来る限り早く帰ってきてくれた。いつもは早いと言ってもせいぜい八時が限度だった父が、夜七時に家にいるのがとても新鮮だった。数ヵ月後、真夜中に病院から、子供が生まれたという電話がかかってきて、それを父が受けた。女の子だった。私も父も、おそらく電話の向こう側にいる母も、皆妹の誕生を心から喜んだ。大変な時期ではあったが、思い返せばこの頃が私の中で一番幸せな時期だった。
妹が生まれた直後、母は私が生まれたときには取ることができなかった育児休暇に入った。高校時代に勉強して後から知った話だが、これは子供が生まれて一年以内ならば、職場は有給扱いになることでお金をもらいながら育児に専念できるという法律だった。何でも運良く妹が生まれる直前に法改正が行われた、とのことだ。おかげで母は一年近く家にいた。一年も家にいたのだから、また以前のように休みを私と一緒に過ごしてくれるものかとばかり思っていた。しかし母がその間ずっと相手にしていたのは、私ではなく妹だった。ただいま、と家に帰ってくると、妹を抱いた母がいつも、お帰り、と迎えた。何かにつけて妹がかわいいという話をして、頭の中にはまるで妹しかいないような話し方ばかりをした。そして何であいつだけ、と文句を言うと、妹は小さいから仕方ないでしょ、といつも返されるのだった。私は、いつもそればっかりだ、と言って、よく母を困らせていた。
私が中学になった頃に、今まで無理を言えば何とか休みが取れていた父親の仕事が激化した。IT絡みの話だったような気がするが、あまりに専門的な話だったので詳しいことはよく覚えていない。父は夜中十二時まで会社にいることが頻繁になった。そのせいで夜九時に帰って来た母は仕事の愚痴を聞いてくれる相手がいなくなり、少しの間不機嫌になった。しかし私がネットに現を抜かしている間に、いつしかその愚痴の受け皿を私に変更したらしく、気がつくとこの頃の母はいつも仕事の愚痴ばかりを言っていた。
それから妹の出来の悪さを嘆くこともあった。母も父も勉強で躓いたことなどなかったとのことだったのに、なぜか妹は頭が悪かった。保育園では年長組になった辺りでひらがなやカタカナの読み書きを教えるのだが、妹は周りの子たちがそれを全部覚えた頃に半分をこなすのがやっとだったとのことだ。母はそのことを連絡帳で知って、妹の心配をしてはあの子は大丈夫なんだろうかと私に漏らしていた。私は、それからは完全に、母の文句の引き受け手となっていた。
頭の中が学校の生徒と妹の出来の悪さでいっぱいの母だったが、それでも私を褒めてくれる時はあった。学校でいいことをした時だ。二児の母になっても、やはり母は教員としての本能を失ってはいなかった。私はテストでいい点数を取る度に母に見せた。何かで表彰されて賞状をとったら、母に見せた。通知表も評価された絵も、作文も、工作も、全部全部母に見せた。ありがたいことに、母は私の功績を見るのに飽きず、その都度よく頑張ったと褒めてくれた。幼い頃から、そうやっていいことを並べ立てて、母が妹のことを忘れて私だけを見てくれているような気分に浸った。私は中学に入って以来は猛烈に勉強した。勉強していい成績を残すことでしか母を振り向かせる方法はないと思っていた。中学時代も高校時代も、部活を適当な文化部にしてとにかく勉強ばかりしていた。成績はウナギ登り、自分が頑張っているという実感も得られたし、母も喜んだ。特に喜んでくれたのは、高校入試と大学入試の時だ。どちらも難関に属するレベルの学校に受かった。家事をしなくてはならないから家から近い場所でと言う条件付きだったが、もともと家が都内だから探せば自転車で通える距離にレベルの高い学校はいくらでもあった。塾の先生も友達も、皆、私を優秀だと言った。もちろん、母もだ。お前は本当に親を楽しませてくれる子だと言ってくれた。私は嬉しかった、とにかく心の底から母が喜んで私を褒めてくれているのだと思っていた。しかし、そうした絶え間ない称賛の最後に、いつも決まって母が言う言葉に、私は愕然とせざるを得なかった。
「本当に、お前はあたしの自慢の子だよ。それに引き換え、全く、妹やうちの学校の連中と来たら……」
私たちの間には埋めようのない溝があった。それを自覚したのは妹が引きこもる前に言ったあの抽象論からだったが、私はずっと以前から、それに気づかない振りをしてきただけなのかも知れない。人間の感情なんて他人と自分への憎悪しかない。私を今まで動かしてきたのは、妹への嫉妬、即ち憎悪だけだった。口では絶対評価だと言いながら、母はどんなに頑張っても妹のことを忘れてなどくれなかった。それ、本当に褒めてくれてるの? と何度問い返したくなったか分からない。私がいい評価を貰った程度で、母の妹や学校の生徒に対する嫌悪は消えなかった。私は根絶することができない母の嫌悪に対してさらに憎しみを燃やし、妹に嫉妬して勉強をし続けた。自分でもこんなのは異常だと薄々気づいていた。しかし、何をやっても取り除くことのできないこの痛みを少しでも癒すためには、いい成績を取り続けて母に上辺だけでもいいから褒めてもらうしか方法がなかった。
妹は年齢を重ねると事あるごとに母とも私とも常に衝突するようになった。最初は、今まで面倒を見て来た私が大学になって突然時間がなくなり、妹の夕食を用意できなくなったことが批難の対象になった。今まで私に頼り切って料理の一つも満足に覚えられなかった妹は、毎日たまごかけごはんを食べて暮らしていたという。たまに早く帰宅した時に、さすがに毎日たまごかけごはんだと飽きる、と文句を言われた。本当のことを言うと、大学も家から近いからフルコマであっても早く帰宅することなど造作もなかったのだが、この時になってなぜか自分の時間を割いて妹に食事を与えることが嫌になり、サークルの飲み会に積極的に出席しては、「ごめん、忙しいんだ」と嘘をついて妹を宥めた。後に妹がこれを母に申告したために私の嘘は見破られてしまったが、今までやり続けてきた家事を放棄したのは、これが最初で最後だった。
妹の頭の悪さは学年が上がるごとに拍車がかかっていった。小学校の高学年になると、先に学校での功績を挙げた私に憎んで、お前がいるから、私はダメになったんだ、私が勉強嫌いなのは全部お前のせいだ、と自分のことを棚に上げて文句を言うようになった。その度に私が、違う、お前が自分なりに頑張れば、母さんが認めてくれると慰めてやっても、妹は聞かなかった。そうしてどんどんやる気をなくしていき、毎日のように宿題をさぼっては夜遅く帰ってきた母に怒られた。当然、母のストレスもたまる一方で、私に吐かれる愚痴はいつにも増して多くなった。
私はもうどうすればいいのかわからなくなっていた。一時的な家事の放棄で母に目をつけられてから、大学での勉強も家事も全力で行ったが、最早妹に何を言われても怒る気力もなくなっていたし、教育学を勉強するうちに思春期の子供は非難されることで構って貰いたがるのだと教わったので、最低限食事だけ与えていればもういいか、という気になって来た。私は思考を停止して、自分を幸せ者だと思い込むことにした。学業も生活も一切不自由がない。両親が共働きをしているおかげで、汗水垂らしてバイトして金を稼ぐ必要もない。不況の時代だが、自分の将来は教員のみ。迷う要素も困る要素も何一つない。これ以上の幸福がどこにあるというのだろう――そう思い込むことにして、それからは日常的な家事と勉強を淡々とこなした。そうして過ごしていると、妹と母に至っては、私のことなどもう空気のような扱いをした。何をやっても楽しくなかった。金はあるし、食うものにも困っていない、私は満たされているんだという思い込みは、空回りして徐々に虚しくなった。
妹の論理に照らし合わせれば、あれは紛れもなく、憎悪に端を発した無気力だった。あとあと、妹の論理を知って、私がさらに嫌悪に落ち込むのは、そうした感情が全て妹への憎悪から始まっていると分かったためだった。自分の感情の所在をどうやって見つければいいのか、私はさらに混乱した。考えれば考えるほどわけがわからなくなって、本当に自分の感情の全てが憎悪でできていると思い込みかけた。状況を打開するには妹の言う論理を崩壊させなくてはならなかった。でなければ、次は私が壊れてしまうような気がした。しかし、家族の溝を自覚してから何度過去を振り返ってみても、妹が生まれてからの私は嫉妬という感情に苛まれて生きる亡霊でしかなかった。妹が引きこもりを宣言した時、私の中に生まれたのは憐れみではなく、また母に構って貰いたがって、私の欲しいものを独り占めする気なんだろう、という憎悪から始まった懐疑だった。私はまたそれを認めるのが嫌で、家事だけに集中して、よく出来た料理の鍋にひたすら蓋をし続けた。
***
顔をじりじりと鉄板の上で焼かれているような熱を感じて、私は目を覚ました。全身がだるく、左側頭部の反応が嫌に鈍くなっているのが気になって、昨日の記憶を手繰り寄せてみる。確か、母と何かで言い合いになって、その後嫌な事をいろいろ思い出したため、冷蔵庫の中にあった焼酎を一、二杯飲んでいたのだった。一夜明けてもなお残る気だるさとこの妙な感覚は、おそらく体がアルコールを拒否している証拠だろう。深酒をしたつもりはないのだが、体質的に飲めない体は飲みたいと言う気持ちに付いてきてはくれない。食卓ではなく、ベッドの上で朝を迎えられたのがある意味奇跡だ。
頭痛を感じつつも体を起して適当に手足を振る。服が昨日の朝選んだもののままだったので、風呂には入っていないようだった。今は何時くらいだろうかと時計に目をやると、まだ朝の八時だった。これから風呂に入って着替えて食事の支度をしても、妹が起きてくる時間には余裕で間に合う。寧ろ早すぎるくらいだ。
シャワーを浴びて着替えをすませた後、朝食の準備をする前に新聞をとっておこうと、玄関を出た。夏休みだと言うのに、朝も早くから母の車はなかった。たぶん部活の監督のためだろう。近々合宿があるとか聞いたような気がする。車庫に付属する郵便受けを見ると、いつものように新聞が灰色の肌を朝日にさらしていた。その頭をひょい、と掴んで中身の広告ごと引き抜くと、重なり合うチラシとチラシの間から、一枚のハガキが顔を覗かせた。こんな時期だから暑中見舞いか何かだろうか、しかし誰から、と思い、ハガキの差出人を確認した。単身赴任中の父からだった。
父は私が大学に合格したのをきっかけに、会社の海外進出に便乗して上海に転勤した。どこで習ったのかは知らないが、五十代にして北京語と上海語が話せるため、中国に拠点を構えるなら、責任者はあの人しかいない、と会社では言われていたそうだ。父としても、子供が大きくなったしそろそろ自分が家を離れても大丈夫だろうと考えたらしく、転勤の話を意気揚々と家内に持ち込んできた。もともと父は家にいない事の方が多かったから、私としても母としても特に引き止める理由はなかった。話を持ち込んでから数ヵ月で準備をすませ、父は中国に旅立っていった。
以来連絡をよこしてくることは頻繁にあったが、向こうでの仕事が忙しいのか帰国したことはまだ一度もなかった。だから今回も連絡だけだろうと思ったが、裏面に所狭しと並べられた字をよくよく読んでみると、八月の頭くらいに一週間だけ帰国できるという旨が書かれていた。あまりの唐突の報告に、思わず息が止まった。
私は回収した新聞と広告、それにハガキを持って家の中へ駆け込んだ。すぐにでも誰かに報告したい気分だったが、妹は起きてこないし、今母に電話をしても繋がらない上に仕事の邪魔にしかならない。行き場のない高揚感が私を捉えて無駄に体が動いてしまい、妙に落ち着かない。このままだと、今日は何にも手がつかなくなってしまいそうだった。
そのときふと、視界の端にノートパソコンが映った。私は昨日サイト巡りをしていて見つけた巨大掲示板のことを思い出した。皆がどうでもいいことをどうでもよく書き込む場所。他人にとっては有益なことなど何一つないが、この気持ちを吐きだすのには、ああいう雑多な場所が丁度いい。
私は迷わずパソコンの電源を入れた。ブラウザを起動して、昨日の表示履歴を漁ると、すぐさま掲示板のアドレスが見つかる。それをクリックし、とある「板」に行くと、青文字で書かれた膨大な「スレッド」のタイトルが一瞬のうちに目に飛び込んでくる。家族のことを書き込んでもさし障りのなさそうなタイトルを適当に選んで、押し寄せてくる高揚感をそのままに、中国に勤めている父から、三年ぶりに帰国の知らせが届いた! とタイピングした。書き込みボタンを押すと、高まっていた気分が少し落ち着いたような気がした。
何とか乱れた気分を一時的に収めて、私は朝食の準備に戻ろうとした。一度深呼吸をしてから、パソコンをシャットダウンさせるためにディスプレイを見る。液晶画面の中には先ほど書き込みをしたばかりの掲示板が右側に、昨日見た履歴の山が左側に映し出されている。履歴は、wwwから続くサイトのアドレスが、アルファベット順に並べられており、昨日半日かけて巡った跡が克明に記録されていた。具体的には覚えてないが、そういえば他にも面白いサイトがあったような気がした私は、その履歴を一番上から順に漁ってみることにした。空腹も感じていないから、食事は後回しでいい。一番上のaから始まるサイトのアドレスを、何を考えるでもなくクリックした。最初に目に入ったのは色彩を少し調節した青空の写真だった。ブログのテンプレートであるらしく下にはやたらと文字が小さくて改行が多い記事が連なっている。しかし私はそれを見て突然の不信感に襲われた。昨日、こんなブログを見た覚えはなかった。
思わず履歴の曜日を再確認した。木曜日、間違えなく昨日の曜日だ。少しでも見覚えがあれば,これだけ印象的な青空の写真を忘れるはずがない。酒で消えた記憶も疑ったが、嫌なことしか思い出さなかったのだからパソコンを開く暇もなかったはずだ。
薄気味悪くなってブラウザを閉じようかとも思ったが、単に写真を忘れているだけかも知れないと思い直し、載せられた記事の内容を読んでみる。最新記事は、丁度昨日だ。だが、今日も一日無駄だった、もうこんな自分に嫌気がさす、という二行しか書かれていなかった。次の記事は一昨日。これもまた、今日も特に何もしなかった、何だかいろいろめんどくさくなって来た、の二行で終わっている。もう一つ前の記事はその一日前。何やら自作のポエムらしきものが載っている。しかし言葉が整ってない上に、内容もピエロがどうとか、花火がどうとかと支離滅裂で、全く頭に入ってこない。
そうして見て行くと、どうやらここの管理人は短文のようなものをメインにブログを更新していることがわかった。特に、ここ一週間に限っては、管理人が暇なのか妙に記事の更新率が高い。しかしそれらは一律に、書いている意味があるのかどうか怪しくなるような密度の薄く日本語が崩壊した文章ばかりで、そのためなのかブログのコメント数はどれもゼロのままだった。国語の教師を目指している私からすれば、こいつ、きっと幼少時代に碌な本を読んでなかったんだろうなと断定したくなるようなレベルだった。そしてそれに思い当ってようやく、私はこのブログの正体がわかった。
せっかく掲示板に書き込みをして落ち着いていた気分が、また一気に高まっていくのが酷く恐ろしかった。
その日は高揚した気分を引きずって何とか家事を済ませた以外は、頭が真っ白になって、ほとんど何も手に付かなかった。今更卒論以外手につけるほどのものがないというのもそうだが、それを上回って、液晶画面を凝視するより他に何もやる気が沸かなかった。しかも、そのうちの大半はあの青空をテンプレートにしたブログの監視をしていた。
最近の記事を見たときは短文ばかり載せていると思ったブログだったが、昔の記事を見て行くとどうやらそうでもないらしいことが、長い時間ブログを読み漁ってようやくわかった。寧ろ過去の記事は、改行や句読点がほとんどなく、一文がやたらと長い文章ばかりだった。どの記事も相変わらず日本語が崩壊し、無駄も多かったが、一番多いときだとワードの文字カウント換算で一万字近くも一つの記事に載せていた。一番文字数が多かったその日の日記は、今から二週間前のものだった。内容は読者が途中まで読んでブラウザのバックボタンを押したくなるような痛ましいものだった。管理人が一万字も書かなくてはいけない理由、ここ一週間短い文ばかり投稿していた理由が、ようやく分かった。
管理人には仲のよかった幼馴染がいた。その子とは小学校時代からの付き合いで、家も近く、時々遊びに行っては食事を出してもらったことが何度もあるようなほど、親しい間柄だったそうだ。昔から何かにつけて冗談を言って笑い合い、たまにケンカもしたがすぐに仲直りできた。管理人は中学生になってもその仲の良さは変わらないと思っていた。いつも一緒に遊んでいたのだから、お互いのことは何でも分かりあえると信じていた。
しかし、中学二年生になった途端、その幼馴染は何の話し合いもなく、管理人とは別の友人を作った。管理人は突然増えた友人に戸惑ったものの、最初はその新たな友人とも仲よくやっていたらしい。だが幼馴染は、それから一月後、その輪の中にまた別の人物も誘い込んだ。その一ヶ月後にさらにもう一人。中学一年まで二人だけだった管理人と幼馴染の輪は、二年の一学期が終わる七月前までに、計五人にまで広がった。
期末テストが終了した七月第一週目の金曜日、早帰りだった管理人と友人たち四人は、管理人の幼馴染から、家で遊んで行かないかという提案を受けた。幼馴染曰く、両親が遅くまで帰ってこないからだそうだ。その日、同じく家族が不在で夕食にありつける見込みがなかった管理人は、出来れば食事も貰えると助かるのだが、と少々虫のいいことを考えつつ、その提案に賛成した。残りの三人も、八時までなら、と時間制限付きで同意した。
事件はその日の夜に起きた。
ひとしきりゲームなどをして盛り上がった管理人とその友人たちは、夕食後に花火をすることになった。時期はまだ七月だったが、夏に入りかけと言うこともあり、一足先に風物詩を楽しもうという考えからだった。これも幼馴染の提案だった。
花火は、近場のスーパーに売っているような安っぽくて大して量がないものを使用した。お母さんに黙って買っちゃったんだ、こういう日に皆とやろうと思って、と幼馴染は説明した。父親の部屋に忍び込んでくすねたというライターで付属のロウソクに火をつけ、一本目の花火のヒラヒラした部分を軽く炙った。ほどなくして、炎が火薬に燃え移り、青白く透明な光がサイダーのように吹き出して夜の闇に浮かび上がる。おぉっ、とその場にいた幼馴染以外の三人から歓声を挙がり、皆は次々に小分けされたビニール袋を破いて、花火に手を付け始めた。赤、黄、緑、色とりどりの光が闇の中に現れては、数十秒後に儚く消えてゆく。管理人も、見ているだけではな、と思って花火の入った袋に近づいた。だがその直後、友人の一人が持っていた花火が、突然管理人の足元に当たった。短パンしか穿いてなかった管理人は、火花を直に皮膚に受けてしまい、あっ、とその場で声を挙げた。ところが友人たちは花火に夢中らしく、管理人のその声には誰一人気付いていない様子だった。もう一度、花火を取ろうとしたところ、今度は運悪く花火を取りに来た別の友人にぶつかってしまった。さすがに謝られたが、自分が花火に近寄る度に何かが起こるのを不審に思った管理人は、その後は皆が楽しそうにはしゃぐのを離れた所からぼんやり眺めるだけにした。
暗い闇の中で、一人光がある方を眺めていた管理人は、幼馴染たちが全ての花火を消費しきるのをずっと待っていた。三十分経過した頃に、ようやく友人たちは線香花火以外の最後の一本に行きついた。管理人はホッとしてその様子を見ていた。そしてもう二度と花火は御免だ、と思った。だがそこで、思いもかけないことが起きた。
「ねえ、こっちおいで」
この期に及んで、幼馴染が管理人に声を掛けて来たのだ。すっかり安心しきっていた管理人は、その突然の声に体を強張らせた。だがニコニコしている幼馴染の顔を見ると、何だかこれからいいことが起きるんじゃないかという期待がふと脳裏を掠め、放置されていた内心の孤独感も相まって、どうしたの? と笑い混じりに答えざるを得なかった。いいから、いいから。幼馴染は管理人を立たせて背中を押した。あまりにも楽しげな様子に、管理人は先ほどまでの不安が一気に頭から飛んだ。そして心から安心しきったその矢先、幼馴染はありったけの力で管理人を後ろから突き飛ばした。
何事かと思った瞬間にはもう遅かった。前のめりに崩れた管理人が頭を上げると、目の前には先ほどまで花火を見てはしゃいでいた友人三人が立ちはだかっていた。思考が状況の理解に追いつかないうちに、三人がそれぞれ、管理人の両手と頭、それに体を掴んだ。アハハハハ、皆が笑うのが聞こえた。凄い、いい格好、よくこんな案思いついたね――管理人は皆が何を言っているのか全く分からない。だが力で自分を押さえている三人の他に、もう一人いることだけは忘れていなかった。まあね、あたし天才だから! またまたー、と明るい声。あれだけ信じて、ずっと側にいると思っていた幼馴染だった。絶望的な予感と夜の気配が、管理人の脳裏を浸食していった。明るい声が聞こえる中で、自分だけがただ沈黙していた。なんで、どうして、こんなことになってるの、管理人は訳が分からない。やがてその言葉は無意識のうちに口をついて飛び出してきた。なんでどうしてこんなことするの、皆おかしいよ、間違ってるよ、怖いよ、離して! だがその叫びは幼馴染の次の一言に一蹴された。
「だって、あんたのこと、前から嫌いだったんだもん!」
ずっとずっと、もうずぅっと前から。ここに呼んだ皆もそうだし。管理人は目の前が真っ白になった。人んちに勝手に上がり込んでさ、人んちのご飯食べてさ、親が何とも思わないとでも思ってるの? 怒られないとでも思ってるの? だとしたら、あんたって最低、ホント馬鹿で無神経。こっちが気を利かせてるってのも知らずにノコノコ付いてきやがって。幼馴染は管理人の背中を靴のまま思い切り蹴り上げた。弾力のあるプラスチック製の靴底が激しく肉を抉って体に食い込んだ。声を上げる前にさらにもう一発。絶望に打ちひしがれて泣きそうになるまでにもう一発。三発蹴られて、やっと管理人は自分がどういう状況にいるのか理解した。幼馴染は最初から自分を騙すつもりだった。何度も親に叱られ、それでも遊びを断り切れなかった腹いせに、自分を最悪の形で裏切って傷めつければいいと考えたに違いなかった。体を押さえている子たちは友人なんかじゃない。この日、何カ月も前から用意してきた計画を実行するための悪友、共謀者。大方、自分のことが無条件に嫌いな人間を集めて、怪しまれないようわざわざ一月に一人増やすと言う真似をしたのだろう。どうしてそんなことに気付かなかったのだろうか。
皆の恐ろしい画策に落ちたことを思って、管理人は焦った。これから一体どうされるというのだろうか、まさか――そのまさかだった。幼馴染は管理人の背後で最後の花火に火を付けていた。火薬に炎が燃え移り、パチパチと火の粉が飛び散る音がした。嫌、止めて、ごめんなさい、ごめんなさい! 管理人は叫んだ。しかし幼馴染はそんな声をものともせず、花火が燃えて行くのを淡々と見ていた。自分を押さえ付けている共謀者たちが、手の力を緩める気配はまるでなかった。それどころか、逆に力が強くなり、掴まれているあちこちが痛いくらいだ。管理人はいよいよ何もかもが目の前から消えて行くような気がした。暗かった夜の闇がより一層暗くなった気がした。現実を受け入れることを頭が拒否し始め、背後に迫る花火なんて、全て夢のように遠く虚ろな存在感しか持っていない。掴まれている場所ばかりが、ただただ痛く、こいつら全員、きっとずっと前からこうして体を傷めつけたくて仕方がなかったんだ、と考えた。背中に張り付いていた上着をペラリと捲る感覚があった。何かが壊れて行く漠然とした恐怖。自分がなくなっていくような陰鬱とした不安。そして温かい煙のようなものが背筋を伝わって流れてくる、と思った刹那、皮膚を捻じ曲げて内皮に入り込み、その先の神経まで焼き切ろうかとする強烈な熱が、管理人の背中を襲ったのだった。
***
たまたま履歴にあったブログを見つけてからの私は、いつにも増して無駄なことを考えぬよう意識することにした。ひとたび不安な気持ちになるとそれだけで丸一日考え込んでしまいそうだった。たまに酒が飲みたくなって冷蔵庫の中にある焼酎に手を伸ばし掛けたが、その度に二週間前の教育実習の日に、大学の友人に飲みに誘われ、帰りが遅くなったことを思い出した。最早酒にも頼れなくなった。救いようがない母への執着も、どう接していいか分からなくなった妹との会話も、全部捨て去って今まで通り家事だけをしていればそれでいいと思った。少しでも気になることがあればすぐに自分は幸せなのだと暗示をかけた。それは考えてはいけないのだと言い聞かせた。そうして過ごして行って一週間後に残ったものは、日付と曜日を忘れないようにとカレンダーに付けていった、バツ印だけだった。
七月下旬になると、気温は遂に三十度を超すようになった。東京都内でもクーラーなしでは眠れないほど暑い夜が連日続いている。カレンダーを一ページめくって迎えた八月初日も、そんな七月までの纏わりつくような熱気を諸に引き継いで暑い日だった。最高気温、三十五度。朝食を準備している間に聞こえてきた天気予報は、今日も一日熱中症対策が必要となるでしょう、と言っていた。
父が帰って来たのは、その日のうちでも最も暑い、午後二時ごろだった。私は、遅い昼食を終えた妹が空っぽにした食器たちを、いつにも増して丹念に洗っていた。母が帰ってくるときには決まって大きな音を出す玄関のドアの音もしなかったはずなのに、突然ガラリ、と何の前触れもなくリビングのドアが開いた。妹からまた何か理不尽な要求だろうか、と思ってゆっくりとそちらに目を向けると、はあ、とため息をついた父が立っていたのだった。
予想外にも、父は異様に身軽な格好で我が家に帰ってきていた。手には貴重品とその他おおよそ帰国に必要なものを入れてきたと思われるのに小さい鞄が一つ。服は頑張って探せば百円ショップでも買えそうな薄手の緑色のTシャツが一枚と、おそらく現地で調達したであろう灰色で幅の広いズボン、それとどこのものだかわからない茶色いベルトだけだった。軽装に相まって父の態度も非常に軽いもので、私と顔を合わせた直後など「よ」と片手をあげて挨拶したきりで、今まであったことなど言おうともしない。三年ぶりに中国から帰って来たというのに、まるで今日の午前中近所でお茶をしてきただけなのではないかと思うほど、あっさりした調子だった。
思わず拍子抜けしてしまった私が笑いながら「お帰り」と迎えると、父は「ああ」と言って口元を綻ばせた。五十代後半になってもなお抜け切らない髪をボサボサと指で掻きながら、そのままリビング奥にあるソファーに向かい、どっかり腰を据える。蛇口から溢れる水で洗剤の付いた皿を洗い流し、食器洗いを終了した私がぼんやりとその様子を見ていると、父はゆっくり目を閉じて唸りながら首を回し、餌を食べるときの金魚みたいに天井を向いて口を何回か開いたり閉じたりしている。一度こちらと視線を合わせて天井に向かってパクパク。深呼吸をしてさらにパクパク。一体何がしたいのだろうか。
「あのさ、大丈夫?」
とりあえずそう声を掛けてはみたが、父は「ん」と返事をしただけで引き続き口の開閉を楽しみ始めた。最近は仕事疲れからアルツハイマーや認知症と言った病気が蔓延していると聞くが、うちの父にもついにボケたのか、と一瞬思った。しかし、一人で上海から自宅に帰って来られたのだから、それは違う。では何だ。まさか過呼吸などではあるまい。
「お前さー」
あれこれ私が父の行動を考えていると、今度は父の方から私に声をかけてきた。語尾が変に伸びているのを聞いて、話し方自体は中国に行く前と大して変わっていないことを知る。
「何」
「昔と比べて、だいぶ痩せたよなー」
私は驚きのあまり「え……?」と小声を漏らした。家事はしているものの、ここ暫く家の中にしかいなかったためにまともな運動などほとんどしていない。食事は摂ってもエネルギーを使わないからずっと太っていくものばかりかと思っていたのに、父はなぜか痩せたという。
「昔はさ、もっとこう、こいつ太ってんなぁ、って思うような体形だったのにさ、今じゃもう普通、いや寧ろ、痩せ型に近い気さえするんだが」
ちゃんと食ってるのか? 父は私に問う。私は若干の戸惑いを感じつつ、うん、と首を縦に振る。昨日の昼はハンバーグ、今日の昼は冷やし中華、野菜も炭水化物もしっかり摂っているし、栄養的には何の問題もないはず。おそらく父は三年前の私しか知らないからそんなことを言っているのだ。受験が終わった直後の私は、確かに今より遥かに太っていた。だが人の体形がそれほど急激に変わるはずはない。きっと父の目から見てそう見えるだけで、外の人からすれば、私はまだまだ肥満体形に違いない。実際、大学の友人たちからは、体型についての指摘は何もないし、いつも一緒にいる母と妹にも何も言われない。暫く会っていなかったのだから、父が私のことを痩せたと言っても何ら不思議ではないはずである。
そう、父に何を言われたところで、今更。
「そういえば今日も母さんはいないんだな」
母さん、という言葉の響きに私の意識は父の発言に引き戻された。食器洗いを終えた手をタオルで拭いて、食卓の椅子に腰を下ろす。今日もやはりやるべきことがない。久々に父と会話がしたかった。
「ああ、今日はテニス部の合宿だって。二泊三日だから、帰ってくるのは明後日って言ってたような気がする」
父はそうか、と何食わぬ顔で言った。私はそれを見て、何とも申し訳ない気分になった。
父は、出来れば早めに母の顔も見たかったのだろう。久々の我が家、そこで自分を温かく迎えてくれる家族。家の扉を開いたときに、そんな光景を思い描いていたのかもしれない。だが今の私たちでそれを再現するのは不可能だ。母のみならず、妹まであんな状態では、久々の父の帰宅を素直に喜びあうことすらできない。
一週間前に父の帰宅を母と妹に知らせても、母は「丁度よかった。父さんなら、二学期が始まるまでにあいつの不登校をどうにかしてくれるかも」としか言わなかったし、妹に至っては相変わらず無視だった。誰も何も、望むものが手に入らない、それが今の我が家。だからこそ、私は何にも期待しないで家事をしようと決めたのだ。母のことも妹のことも、余計な事は何も考えないようにすると決めた。だから私のことはもういい。でも父は違う。父は今まで家庭のために夜遅くまで働いて、単身赴任が決まってもなお家庭に金を入れるために働き続けて来たのだ。文字がびっしり書かれたハガキの裏面、そのハガキが送られてくる頻度、本当は家族のことを誰よりも思ってくれていたのだろう。皆が理想的な形で自分を迎えてくれることを信じていたのだろう。そう思うといたたまれない。父には得るべきものくらいあってもいいのではないかという気になってくる。
「ごめん、何か」
いつの間にかそんな言葉が口を突いて出ていた。父は、「ん?」と不思議そうな声を出してこちらを見た。
「あいつが不登校になって、母さんが今日も合宿でいなくてさ。せっかく忙しい中、こっちに帰ってきてくれたのに」
今までのことが私の頭の中でぐるぐる回っていた。七月第一週目、教育実習の日、帰宅がかなり遅くなってしまったこと。もっと小さいうちから感情を消して、ストレスがなくなるくらいに母の話を聞いてあげるべきだったのではないかということ。もしかしたら、この家庭が崩壊したのは自分のせいなのではないかと言う不安。それが結果的に、今の事態を招いているのではないかという疑念。考えれば考えるほど何もかもに申し訳ないような気がして、母にも父にも妹にも、なぜか全員に謝りたい気分になって来た。
私がそうしてとめどもない思考に浸って俯くと、父は「おいおい、どうしたんだよ、いきなり」と少し慌て気味にソファーを立って私の方に近寄って来た。
「何でお前が謝るんだよ」
「だって、私のせいであいつがあんなになったんだ。いつもは家にいたのに、たまに教育実習の日に帰るのが遅くなったから」
父は訳が分からない、といった顔で私を見つめた。
「それに、母さんだって私がもっと話を聞いていればあいつに当たり散らすようなことはなかったかもしれない。自分がそうだから分かる。相手がちゃんと話、聞いているかどうか。きっと母さんにも分かったんだ。本当は私が母さんの話に興味がなかったってことくらい。それで余計にストレスが溜まって、あいつに当たるように」
「いや、それは違うだろ」
父はいつになくきっぱりと、断定的な口調で私の発言を遮った。少し熱っぽくなっていた口を閉じて、私は父を見た。父は先ほどまでの話に置いてけぼりの状態から、すっかり真剣な顔になっていた。
「母さんはそんなこと思っちゃいない。ただ、話を聞いてくれる人がいれば相手が聞いていようといまいと、それでいいんだよ」
昔母さんの話を聞いていたのは、俺だし。長い間そうしてきたからよくわかってるつもりさ。父は続ける。
「大体、お前がいつ母さんに反抗したんだよ。お前はいつも母さんの言うことを聞いて、ちゃんと家事をしていたじゃないか。勉強だって頑張って第一志望受かったし、あいつの面倒だってずっと見てきてくれただろ」
父は実に尤もらしいことを並べて私を慰めた。だが確かにこう聞いてみると、まるで自分が正しく生きてきたかのように聞こえた。その裏で働いている感情が、妹への嫉妬心であったとしても、それは客観的には健全な家族の一員のように聞こえた。
「寧ろ謝るとしたら俺たちの方だろ。小さい頃からお前をほったらかしておいて、面倒見た気になってた。理由が、お前たちを養う金を稼ぐためだとしても、同じだ。お前に寂しい思いをさせたのは変わりない」
「別に、寂しいのなんて、もう慣れたし、今は何とも」
思わない、と言おうとして、咽喉がなぜか痞えた。このタイミングでどうしてこんな言葉を返してしまったのかは、自分でも分からなかった。だが、そっけなく取ってしまった態度とは裏腹に、父の言葉は心の奥底にまで届いて、恭しく私を覆い隠していた何かを融解させた。今まで抑制してきた感情の波が、とめどなく溢れてきそうだった。
私は最後の抵抗とばかりに、父をキッと見返した。しかし、父はそんな私を見てなぜか逆に頬を緩めた。そのまま、ふふ、と鼻で笑ってニヤニヤしている。何なんだ、何だと言うのだ。私は少し馬鹿にされたような気がして、苛立つ気持ちを隠さずに「何」とつっけんどんに言い放った。
「いやあ、昔っから思ってたんだが、お前って全然、親に似ない奴だよなあ、と思って」
父に言われて、私はハッとした。父は、こうなったのは自分のせいだといった私の言葉の裏を完全に読んでいた。その上で私をあえて褒めて、私の態度を確かめた。いや、もしかしたらそんなことすら考えていなかったかもしれない。父は打算という言葉とは無縁だ。その証拠に、夜遅くに帰ってきて母の話を聞いていてもストレスが溜まらないし、翌朝早く、何事もなかったかのように出勤できる。私のように意識して感情を潰している人間とは違う。
だからこそ、愚痴の何かと多い母を支えられたに違いなかった。話を聞いていてもいなくても、とにかく父は気にしない。父の言うことには本心から向き合うことができる。素直な意見が聞ける。
私は胸につかえていたものが一気に取れた気がして、自分のありのままを父に告白した。妹が生まれてから母が見てくれているのは自分ではなく、クラスの子供や妹だったのだということ。どうにか母を振り向かせるために、言うことを聞く子供になって、必死で勉強してきたのだと言うこと。それでも母は妹のことを忘れてくれなかったから、自分に嘘をついて幸せ者だと思い込むことにしたこと。引きこもる直前、妹から聞いた話で、自分の人生を振り返ってただ虚しかったこと。そして何より、本当はずっと寂しかったのだということ。
それらの話は要領を得ず、順番もめちゃくちゃで、ただ感情に任せて気持ちを吐露したに過ぎなかった。しかし、思いつくままに自分のことを述べるのは、どれだけ言葉を選んで丁寧に脚色して喋るよりも、よっぽど私の気持ちを素直に伝えられるような気がした。父は、私が話している間はただ黙っているだけだった。それがまた父らしいと言えば父らしいのだが、それでも私の話を真剣に聞いてくれているのだろう、話の重要だと思われる場所がわかると、時々頷いてくれた。
やがて私が今まで抱えていたことを全て話し終えると、父は「そうか」と少し俯き加減で食卓に目を落とした。何か思案しているようにも見えるし、ただ私の話を反芻しているだけのようにも見えた。妹が引きこもり始めてから、今日までの約一月は実に密度が濃かった。それに合わせて、私がずっと思い悩んだことを打ち明けたのだから、話を理解するのも相当大変なはずだ。父の頭が混乱していてもおかしくない。だが数秒後、父は何か重大なことを決意したかのように食卓から顔を上げて、私と視線を合わせた。
「きっと、お前も、母さんも、あいつも、みんな疲れてるんだと思うぞ」
今までよく頑張って来たな、これからは、もっと素直になっていい。
父の言葉に、私は涙腺が緩むのを止めることが出来なかった。そうだ、何も考える必要は最初からなかった。皆、ただ疲れているだけだったのだ。愚痴を言い続ける母も、無視を続ける妹も、家事を続ける私自身も、皆、悩んでいることを気にしないようにと意識するあまりにそういう態度しか取ることが出来なかっただけなのだ。私は泣いた。目から涙が溢れて来るのにも嗚咽を漏らすのも気にせずに泣いた。今の私の気持ちは、自分でも何と表現したらいいのか分からなかった。だが、ただ一つ、絶対に言えることがあった。この感情は、妹やその他自分や他人の憎悪から来るものではなく、私自身の一番深いところに存在するものから込み上げてくるものだということ。素直に気持ちを吐きだすということそのものが、大切だったということ。今なら、あの妹の虚しさに埋め尽くされた冷たい論理さえも、簡単に覆せる気がした。
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コメント(1) お初にお目にかかります
HN グージェ
管理人様、初めまして。七月中旬ごろから、こちらのブログにはお邪魔させていただいておりましたが、今回気になる記事を見つけたのでコメントさせていただきました。コメントと言っても、大したことを述べるわけではありませんし、まあ、私の考えたことですので、一個人のお話として受け止めていただければ幸いです。
「人間の感情が、他人と自分への憎悪しかないのではないか」とは、なるほど、面白い考察ですね。確かに、自分の人生を振り返ってみても、他人に負けないようにとする動機から起こしていた行動が数多くあったように思えます。その「他人に負けないようにすること」を仮に「憎悪」と表現するなら、私の人生はほとんど、いえ、寧ろ全て「憎悪」から成り立っていたと言っても過言ではありません。
考えてみれば、人は他人と自分を比べることで、自分を知る生き物です。アイデンティティ、とよく言われています。そういうものって、どうしても他人との違いを見ないと分からないものだと思います。だから他人を意識してしまうのでしょうし、自分の感情があたかも他人から派生したものなのではないかと考えてしまうのだと思います。そして先にも述べたように、「他人に負けないようにすること」を「憎悪」と書きかえるならば、他人と自分を比較することさえも、憎悪であると取れてしまい、アイデンティティの形成は憎悪から為されるのだ、と考えてしまうのも無理はありません。
しかし、もっと単純に考えてみたらどうでしょうか。本当に、自分の感情は、憎悪だけから派生したものなのか、と。
例えば今、管理人様はこのコメントを読んでいるわけですが、コメントを初めて寄せてくれた人がいると分かった時は、どう思いましたか?
純粋に、嬉しかったのではないでしょうか。
もちろん、その感情が普段コメントを寄せられない自分という存在の前提があり、自分への憎悪から来ていると考えるのであればそうかもしれません。しかし、よく考えてみてください。本当にそれはあなたの本心からの思いなのでしょうか? あなたの本心は、そんな面倒くさいところには存在せず、もっと別のところにあるのではないでしょうか。
さらに簡単な例を、と言うのであれば、些細な幸せを感じるときというのはどうでしょう。例えば、おいしいものを食べたとき、美しい景色を見たとき、思いがけない出会いをしたときなどなど。普段の生活にあるちょっとした幸せを感じるときに、他人とか自分への憎悪、という感情は存在しますか? ある、と言うのであれば、失礼ですがそれはまだ素直になっていないだけだと思うのです。自分の中にまだ認めたくない感情があって、それを隠そうとしているだけなのだと思います。
話は変わりますが、他の日記も拝見させていただきました。長文になってしまいますが、もう少し我慢を。
期末テストの日の日記は、私も思わず背筋が凍る思いでした。あんなことが実際に管理人様の身を襲ったのだと思うと、今でも体の震えが止まりません。管理人様が学校であの人たちと会いたくないと言う気持ちも、よく分かります。燃える花火を押しつけられた、あなたの背中の火傷は大丈夫なのでしょうか。あの後、家に帰って水で冷やした、とありましたが、念のため、今からでも皮膚科で診てもらった方がいいと思います。ブログにも、今日から引きこもる、という風に書いていらっしゃいましたが、やはり現在では学校から遠ざかっているのでしょうか。ですがそれも無理もありません。学校に出れば、あの幼馴染や取り巻き達と合わなくてはなりませんから。
しかし、このまま学校から遠ざかっていても、管理人様も辛いのではないでしょうか。ここ数日のブログの記事が二行で終わっていたりするのはそのためなのだと思います。
本当は、管理人様も気付いているのでしょう。こんなことを考えるのはあの恐ろしい経験が招いたことなのだと。無理もありません。あなたもさぞお疲れなのだと思います。いっそのこと、肩の力を抜いて、ご家族に今までのことを話してみてはいかがでしょうか。自分の話にとりあってくれないと決めつけないで、まず話してみることが大事です。おそらくあなたの思っていたのとは違う反応が返ってくることでしょう。自分の苦労をわかってくれる人が、いないわけではないのです。他人と自分とは、考えていることが違うだけなのです。どちらかが悩みを打ち明ければ、自ずと両者は歩み寄っていくことができるのだと思います。何があったのかきちんと話した上で、今後どうするのかを考えて下されば、と思います。
では、管理人様の回復を祈っています。長文失礼いたしました。
PS.たまごかけごはんより、目玉焼きの方がおいしいと思います!