浄土真宗について
箇条書きにしてみると(司馬遼太郎によると)
○江戸時代以前は一向宗と呼ばれていた
○一向(ひたすら)に阿弥陀如来をたてまつるという意味である
○よって他の神仏を拝まないどころか、その時代の権力者にも媚びない
○信者を門徒という
○武士階級ではまず門徒はいない
○偶像否定
○仏壇の中の彫像を好まず絵像とする
○名号(南無阿弥陀仏)が良い
○聞法(説教)を重んじる
○安心(あんじん)とは宇宙の絶対者である阿弥陀如来を信じて悟ること
○悟りを決定(けつじょう)という
○以上のことから中心部分はキリスト教に似ている
○ところで本願とは何か。
○「阿弥陀如来の本願」という使い方をします。
○阿弥陀如来は浄土(極楽)の主宰者です。
○本願は「本質的な機能」でありますから、「阿弥陀如来の本質的機能」です。
○阿弥陀如来は存在せず、架空の哲学的・宗教的存在です。
○阿弥陀如来=空ですから、空の機能です。
○修行は必要ではなく全てに感謝すれば往生できるのです。
○感謝の方法は南無阿弥陀仏と唱えるだけです。以上は親鸞さんの教えだそうです。

以下は真宗とは離れるが
〇紀元前数百年前に死んだとされる釈迦は、その偉大さだけが語り継がれた
〇彼の思想の内容はよくは解っていない。
○ただ、現世は一切空であるとし
○その苦しみから抜け出す(解脱する)方法を説いた人である。
○言葉を残さなかったのは啓示(人の知りえないことを神が示す)の宗教ではなかったから。
○啓示とは、例えばキリスト教のイエスの父なる(絶対者)神の指し示す内容
○だから釈迦には聖書のようなものが無い。
○よって、釈迦にとって最高の概念は神ではなく空であると言えます。
○その修行法は自らが空となって解脱するわけです。
○釈迦の死後、教えを、その後の人々が、まるでCPのOSをリナックスの如くに多くの人が
○寄ってたかって変質させて
○その時々、地域と時代に合うように、使い勝手を良くしたと
○私は思うのです(この部分は私の私見ですが)
○これをお読み戴いた皆様はいかが、お思になられるでしょうか。
○日本仏教を念頭にそう思っています(他国の仏教を知りませんが)。
○その意味で日本仏教は素晴らしいと思います。ただ変な仏教紛いが出て来ますが、あれはどうもね。