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退職! 失業 無職のおじさんになった@
上から下へ新しい日付となります。
05年4月1日(金)
朝6時30分から7時まで速歩(今までと同じ習慣の継続)
通勤で駅へ向かうサラリーマンや犬の散歩の高齢者や家庭の婦人に遭う。
当方から「ごくろうさまです」「おはよう御座います」と声を掛けられなかった。
自分の部屋の机に向かっていると、自宅前の通りに車が激しく
行き交う音がするのを知った。経済活動である。
05年4月2日(土)
通勤定期券を入れているケースに全て処分したつもりの自分の名刺が一枚
残っていた。記念に、この一枚をとっておこうかとも思ったが、直ぐ思い直し
鋏で細かく切り刻んでゴミ箱に捨てた。
律令制度の人間から解放されたわけである。一所懸命の武蔵武士になった
のでもない。やはり単に浪人なのである。出来たら聖か上人さまにでもなりたい心なのだ。
05年4月3日(日)
勤め人現役時代は、一日は短く一年は長いと言い
退職後はその反対で一日は長く一年は短いと言う。
(どちらが短いか長いかは諸説あるそうだが)
まだ三日の経過で言うのは早いが、今のところ、現役の時と何ら変わらない。
午前も午後もやることは一杯ある。
一年が経過してから、検証してみるか。
05年4月4日(月)
家族の「アッシー君」になったが、まーいいか。
ところで
区役所へ行き、国民年金を自分の分を2号から1号へ
妻の分を3号から1号へ切り替える申請を済ませた。
サラリーマンではなくなった実感が少し湧いてきた。
子が月曜なのにお父さんが居ると呟く。
05年4月5日(火)
清明の日である。清明上河図を毎年思い出す。
健康保険組合の保険料1年分を前納する。
へまをして窓口順番が3人分遅れてしまったが特に腹も立たず。
慌てる必要もない事が解り、ユックリズムが身に付きつつある。スローライフか。
05年4月6日(水)
人生70歳で、おしまい、が私のかつてよりの自論。
70歳からは、おまけであると。
(もっとも40歳の時50歳からはおまけと思っていたが。まさか70才で又考えることはあるまい)
70歳からは、おまけ論には根拠がある。仕事上知っていたからである。
勿論、90歳でもカクシャクとしておられる方はゴマンとおられる。
しかし、それはレアーケースと考えるべきだろう。現実を考えなきゃイカン。
現実とは何か、それは各人が一番良く知っている。人生を甘く考えてはイカン。
これからの残りの人生、65歳を頂点として種々の事どもにつき、設計をすべし。
と自分に言い聞かせている毎日である。
05年4月7日(木)
行楽地で夕刻になる。ふと明日の事を考える。
明日は月曜日ではなく金曜日、明日も自由な日であることを知り心休まる。
05年4月8日(金)
国民年金の保険料を妻と2人分を1年分前納する。
厚生年金ではなくなったのである。
話は変わるが
2軒隣のサラリーマン氏の会社勤めの時刻に我が家の前で会う。
彼は小走りで昨日までの自分の如く駅に向かう。
自分はその後ろ姿を見ながら駅とは反対の方角へ「朝の速歩」に行く。
挨拶をしたが、自分がどのように思われているかと気に掛ける。
別にいいではないかと胸をはる。開き直る。悪事を働いてるわけではないと。
05年4月9日(土)
排便の習慣が変わったようである。
現役時代は神経結腸反射であったが、今は健常になったようである。
前者の場合軟便になりやすいが、今は、どちらかと言えば硬い便である場合が多い様に思う。
もっとも、其の原因の一つに「朝の速歩」の習慣を朝食後から朝食前に変更したのも一つ。
他の要因を探せばヨーグルトを定時に2度食するようになったからかも知れないが。
ちなみにヨーグルトを定時に食するのは、嗜好の問題ではなく、逆流性食道炎の対症療法である。
05年4月10日(日)
一番大切なことは、家族と仲良く暮らすこと。
二番目には、自分の生活を、有る程度時間で区切ること(時間割をしておく)(残された人生も)
いや、緩急自在であれということかな。「おもしろきなきもこのよをおもしろく」ということかな。
最後に、間違っても今更趣味を探さぬこと。こればかりは人生いろいろ。
と、ココロヘタリ。
05年4月13日
携帯電話に電話が掛かってくることが極端に少なくなっていることに気が付く。
従来の携帯電話器に電話している人が、電話が掛からず舌打ちしている姿が、見えたりする。
のも、今の内だけだろう。
家族からと友人からの電話が掛かりにくくなっていることの理由が解った。
携帯電話の充電をしていないからである。
閑話休題
他のLinkでも書いたが、自分は要は、縄文時代人に成れたのである。成ったのではない。
喜ばしくも、原点に戻れ、新しい門出なのである。考える事は全てまっさらの状態から可能である。
赤ん坊と同じ視点で物事を見ることが出来る、目出度くも、素晴らしきことなのである。
ピカソは言った。常に「子供の絵が最も素晴らしい」と。
肩の力を抜き、赤ん坊になる。見えなかったものが見えるであろう。
05年4月16日
何かが見えるであろうかと、おもいつ暮らしてみる。
特に無為に生きている様に見える人が多くいる事に気が付く。
例えば、いつも庭の掃除と手入れをしている人、のんびりと犬の散歩をいつもしている人など。
それは思い上がりであろう、会社で仕事らしきことをする事が有為な日々の送り方などと高慢な
思いが抜けないからだろう。
つまり、何か生産的な仕事だけが良いことであると言う観念が頭に刷り込まれているからだろう。
05年4月19日
勤務時代と今の具体的な生活の違い(アットランダムに)。以下は過去に較べて現在。ご笑納。
読書=大幅増加(新聞は読書ではない)
エクササイズ=同じ
TV視聴=意外と、やや減少
PCでの書き込み=増加
PCでの読み=減少
家庭での食事=大幅増加
家族と外へ出かける=大幅増加
外食=減少
飲酒=激減(ビール皆無、但し梅酒のお湯割りに変更)
新聞を読む時間=増加
ボランティア=やや増加
落ち着き=増加
緊張感=減少
人生の張り=測定不能
就寝時刻=早
起床時刻=同じ
睡眠=増加
コーヒー=皆無、焙じ茶にした
会話=減少
服装=増加(家族がうるさいので)
お金を使う=減少
健康=増進(頭を除けば一番の弱点は消化器であるが暴飲暴食が皆無)
精神=安定か 以上。
05年4月22日
子供のころ、どんな事でもいいから日本一に成りなさいと言われたものである。
今になって解る。
学者や政治家(日本では政治業者だが)や勤務先でそれなりの業績を上げる事だけが
素晴らしいのではない。
それが解ったのである。例えば今まさに、ここでCPに入力しているが、このタイピングで日本一
であれば、何と素晴らしいことであろう。種々のことが考えられるが、それだけで十分な環境だろう。
05年5月5日
一日は長く一年は短い
一日は短く一年は長い
のどちらでもなく
一日は短く1週間も短い日々が続いている。これは、まさに実感である。
とにかく一週間が短い。
実のところゴールデン連休など無いほうがいいと思っている。
失礼ながら、他人が皆休んでいるとき自分も休んでいては興醒めである。
だからと言う訳ではないが、この世間の連休中どこへも行かず自宅に篭っている。
(もっとも、毎年、連休は混むのが厭で、出かけないが)
余談だが
知り合いの旅行業者が観光地は「混むからいいんだ」と言った。
暫く考え込んでしまった。そうだろう、旅行業者の立場からすれば。
自分に振り返り、それでは、お前は名勝や風流が解るのかと言われれば「解りません」である。
他の人が行くからそこは「いいところ」だと思うので行くのである。
自分にゴッホやマネやルノアールの良さなんぞ本当は解らない、有名な画家の絵画を見るのに
ワンサワンサと(NHK日曜美術館やマスコミに踊らされて)行くから、自分も行きたいと思うだけ。
かつて、東京ステーションギャラリーとか言うところへピカソを見に行った。(職場が近かっただけ)
実にツマラナク思いすぐ退散した。ピカソでなかったら、ありゃ詐欺だと思った。
ピカソがどのように変遷したかを、ある時代に区切って(大して面白くない時代)展示していた。
研究者や特に美術史家にとって興味深いであろうが、私のような素人には何も面白くはない。
若い女性が多かったが(どこも美術館はそうであるが)
ひよっとしたら、裸の王様に自らなっていい気分になっているのかなとも思えるが。
日本に来るのは一流画家の二流作品であると揶揄されるが、気を付けなければいけない。
業者が喜び我々大衆は益々目が節穴になる。
ついでに言えば、グッチとか屁ッチとか言う高価な物を大量に買う日本人に、おフランス様や
おイタリア様は密かにベロを出していることだろう。
05年5月14日
社会に飛び出す2週間ほど前、生家で庭を見つめながら、これからの越し方行く末、不安と期待
の日々であったことを鮮明に覚えている。
来る日も来る日も昼尚暗い隠居のガラス戸から陽の当らぬ庭を籐製のロッキングチェアーに揺られて
眺め続けた。
そして、ついに社会に出た。大都市の中心となる駅から数分の処に住まうことになった。
(今もその建物の中の隣の部屋の先輩とも、たまに電話などして旧交を温めさせて戴き至極有りがたい)
それからの日々は時間の経過を忘れてしまった。
大変な変革で、人生の一大事件であったはずである。
不安も期待も何もなく時間が過ぎた。宇宙船の中の無常力状態の飛行士のようであった。
2ヶ月もすれば、都会生まれの人間と少しも変わりない生活者になった。
ところで、以下のような切り口で人生を3つに分類する。
@社会にこれから出る人
A社会に出ている人
B社会から出でしまった(リタイヤ)人
退社して無職になるということは
AからBになることであるが、@になったのではない。
よって、やっかいな人間になったわけである(人のやっかいに、なろうと言うわけではない)
05年5月17日
前述のAからBになった話である。
Bになる前、やはり2ヶ月ほど考えた。越し方行く末、不安と期待である。人間数十年経っても変わらない。
ずっと以前にも書いたが縄文時代人になる得がたいチャンスが到来したのである。
そこで
勤め人は、いやおう無しに緊張感のある時間を他から迫られ、それが日々の生活の緊張感のある
受動的な生活と言える。
一方今は
自からが仕事を持とうが持つまいが自立した時間を過ごすと言うことは、
自らが緊張感を維持する工夫とある種の努力を伴う
能動的な生活と言える。
退職後の生活は、能動的な生活が出来るか否かに精神生活の全てが、かかっているといえるであろう。
精神が安定すれば、無理にエクササイズに清を出さずとも自ずと身体健康な自分でいられるし
家族とも(特に配偶者)仲良く暮らせる。
つまり正しいBになるという事は能動的な生活をすることと見つけた。
05年5月18日
能動的人間と来年の大河ドラマの山内伊右衛門一豊(土佐二十四万石大名)
について考える(但し気が向けば)
05年5月27日
アタフタト出かけてアタフタト仕事をする。
自分を何かに任せて「生きる」のは楽であると、今気が付いた。
自らが立案して自ら関わって仕事を(仕事でなくてもいいが)して「生きる」時
アタフタトはしないのではないか。
その代わり責任が、あるいは無過失責任が生じるが。
つまり前述の「楽」ではない。
責任が無いと楽であり有ると楽では無い。
ところで
「生きる」とは何かと思ってしまう。
故田中小実昌という物書きが「生きるとは何か、それだけだよ」と
毎晩新宿ゴールデン街の飲み屋で言っていたと言う。そして酒が因で死去したらしい。
そして、明治時代に「人生不可解」と言って華厳の滝から飛び込んだ人を思い出した。
05年5月29日
私が退職したことに対する人々の反応を書きたくなった。
以下相手により3タイプに分類すると
@おーそうですか。これからも従来どおりお付き合いしましょう。
Aやめたの! それでこれからどうするの。大変だね。
Bえっ、クビになったの。
日本はまだまだ健全な国であると思う。勤勉こそが国を救うのである。まだこの国は滅びる事は無い。
ただ残念ながら、人それぞれの生き方を許容しないのが、江戸時代から変わらないだけである。
私に言わせれば、そもそも江戸時代のガンジガラメノ身分制度から発していると思う。
室町時代のような自由な発想が失われて400年か。
人々は鎌倉時代からの戦乱に次ぐ戦乱が400年も続き、戦争はもう結構と思っていた。
そして関が原のあと、やっと静かな平穏な時代がきたと思った。
夏の陣で大坂城が炎上落城し、秀吉の妾・淀殿とその子秀頼や側近が城の蔵に隠れたのだが
その蔵の外から家康の一斉射撃で撃ち殺されてしまったのはチト興醒めである。
ところで秀吉の正室・北の政所はその時どうだったのかな、まだ生きていたのかな
淀殿の妹か姉か忘れたが、その人は徳川2代目の将軍秀忠(だったと思うが)のカミサンである。
確か於江とか言って、これがまた小うるさい人で、秀忠は側室を置け無かった。
余談だが、秀忠は1回ばかり浮気をした。その子供の末裔が幕末の会津の松平容保である
(血は繋がってないと思う、確か養子だと記憶しているが)
話を戻すが
それにしても信長の妹・お市の方の夫・浅井長政の娘3姉妹の人生は実に波乱万丈で面白い
信長の弟や子供たちは優れた人間が出なかったが織田家の女性の血筋は面白い
三姉妹をまとめてみると、長女が淀殿、次女が京極高次のカミサンで常高院、三女が於江。
(あわてて、調べてみた)
ちなみに高次の妹は秀吉の側室であた。高次は本能寺の変に
加わったが、妹が「大変な美しい人」という理由だけで死罪を免れた。
この頃の秀吉は可愛いげがあるが、朝鮮出兵の頃はDMが進んでいて、頭がおかしくなっていた。
家康は淀殿母子とその側近を一斉射撃で撃ち殺し城を炎上させて、石田三成の近江系を抹殺して
家康もほっとしてか元号を変えたのである。
大坂城落城の慶長20年を元和元年と変えたのが1615年である。
そして狸の家康も、ほっとしたついでに確か翌年死去した。人生そんなものである。
その後がいけなかった、太平の時代、やることがなくなったと見えて
前述のガンジガラメノ身分制度をつくりあげた。そして人間の心が変わっていくのである。
ただ残念なことに二百数十年後の幕末から維新にかけて室町のような自由な心は回復しなかった。
05年6月1日
駅の中 蝿の如きの 我をみる
かつて、肩の力を抜き、赤ん坊になる。見えなかったものが見えるであろう。
と書いたが、1行目のような句になって現れた。
これは、駅のコンコースの上にある喫茶店から人々の往来を見ていて作句した。
蟻でもいいのだが、季語の関係で蝿にしたのであるが、そうでなくともやはりあの煩い蝿だろう。
05年6月8日
午後3時 高齢者と見る 花菖蒲
高齢者に失礼な句である。
後で気が付いたが、こりゃ川柳だね。勿論川柳も良い。
よほど作り直そうと考えたが、最初にふと頭に浮かんだものが結局は自分の考えを表している。
自分も高齢者の仲間入りしたなどと嘆く必要はない。実際高齢者なのだから。
それよりも、菖蒲の良さと季節を織り込むことに専念すればよい。
実際はベンチに掛けて「街道を行く」を読んでいたが。
05年6月11日
久しぶりに現役時代の現役者にあった。
自分が川の中でじっとしている間に彼らはドンドン流れに沿って泳いで行く。
それだけではなく、自分が川そのものから離れて遠ざかって行くのが解る。
それでいいのである。
そしていつか川の在りかも忘れる時がくる。
あー、あいつは、いい奴だったなと言う記憶だけは残しておきたい。
彼らの有意義な人生を祈る!
彼らに声を掛けられても、自分は彼らの邪魔をしてはいけない。
いい所を褒め、励ますのみである。
05年6月18日
無職になると死を意識することが解った。
死にたい、ということでは無い。
何歳ごろまで元気で生存できて、何歳ごろ心身ともに「老いさらばえる」のが始まるだろう
という事が見えてくる、というより、そういう事を考える時間があるということ。
「すでに老いさらばえるが始まって」から、そう思うよりいいだろうと思う。
「老いさらばえ」たり、死が「現実の現象」であることが、今まで実を言うと理解できていなかった。
05年6月20日
今になって、「誠実が結局いい」「真実の言動がいい」「無欲がいい」と解った。
「真空な部分(無欲のこと)に人が吸い寄せられるのだ」などと解ったような事を言わなくても
平明に考えればいいわけである。
まさに、「自らが朱に染まれば、相手を朱くする」わけである。
いい人とお付き合いしたければ、いい人に自らがなれば良いわけである。
悪い人に遭遇する人は自らが悪い人であるからである、。
性善説にたって考えているわけである。
退職者の日常はこれに限る。
結構な日常生活が送れる。
但し進歩が無い人間になるだろう。今更シンポするか?
05年6月23日
昨夜TVで「そのとき歴史が動いた」で西郷隆盛をやっていたが
西郷さんは「無欲の塊のような人」であったろうと思う。
その分、その先の明治国家なんぞ殆ど考えない人であったと思う。
だから「おはんら、その事おいどんが責任をとろう」と言えたのだろうか。
もっとも南洲さんのような絶大なカリスマでなければ、そんな啖呵を切れないが。
それにしても、今、永田町にそんな啖呵切れる人いるわけない。
政治業者は「欲の塊」だから。と言って日本の将来を考えているのでも無い。
05年6月24日
街道を行くと言う本の「沖縄・先島への道」中の竹富島の項を読んでいると、階下で音がする。
本から目を壁に遣ると丸い小さな時計は午前9時10分前を指している。
何故か今日が木曜日であることを思い、3ヶ月前までの勤務時代の今の時刻を思いつく。
どこで何をして誰かと話をしている。いやその前に肺がんで他界された人の事を考えているだろう。
などど一瞬の内に脳裏に浮かぶ。
忘れようと頭の中を振る様にする。
05年7月7日
幸福とは
幸福は一瞬の時である。幸福は毎日訪れている。
これは中坊公平元弁護士の言葉である。
私もこの言葉が解る歳になった。
もっとも
中坊氏がこの言葉を吐いたとき、かれは弁護氏資格を返上した。詳しい理由は解らないが住専である。
幸福な状態と、幸福と思う気持ちは別であるのは、たれも解る。私にも解る。
たいていは、後から、「あ〜あの時は幸福だったのだな〜」と回顧する。
あっ今幸福だと無理に気が付いても、その場面が他の状況に変化する。
何故なら、人生は連続して時間移動しているから、やもうえない。
05年7月8日
吉武輝子の「夫と妻の人生定年学」
という本を本屋さんで見つけたが、購入するのをやめた。
目次を見たら大体解った。
夫が「うつ状態」になる、「一人で閉じこもる」「することがなくなり部屋から出ない」
「すぐ怒るようになった」「他人と人間同士の付き合いができない(会社での上下関係でしか付き合えない)」
などなど書いてある。
こりゃ自分には全く関係の無い話と解り、購入するのを止めた。
ワタシャもともと、勤め先の人とは原則ではあるが
「人間として付き合える人間としかお付き合いしてこなっかた」
(偉い人や能ある人が私なんぞと付き合ってくれるわけ無いが)
年賀状も本当の友人としか遣り取りしてこなっかた
(これは本当に)。
仕事上の年賀状は原則としてなるべく無視して、あたり障りがないようにしていた
(だからあまり来なかった)
上司に中元歳暮は入社以来このかた一度も実施したことがない。
かと言って、勿論いい思いもした事は当然ないが、不利益を被ったことも無かった。
お蔭様で壮年時代まで都心で仕事をし、熟年49歳の時から自宅近くで仕事させて貰い楽した。
何も文句言うことは無い。変な転勤や単身赴任も一度もなく、同僚から不思議がられ続けた。
もっとも、引き取り手が無かっただけのことで、褒められたことではないが。
特に能力もなく期待もされなければ、また邪魔にもされずか。
(まあ、それはそれで良かったと思っている)
そして、退職してからも、贅沢せず、慎ましくしていれば普通の経済生活が出来る。
エクササイズは勤務時代も今もやっている事は殆ど同じ。
体調は退職してから2ヶ月ほど不調だったが、元に戻った。有りがたや。
何で定年学とやらを気にしなければなら無いのか解らない。
自分って変なのかなと思ってしまう。
吉武輝子さんの暗示にかかってはいけない。
ただ、老婆心ながら、吉武輝子さんの本が悪いのではない。
私には幸運にも不要だと言うだけのこと。吉武さんには申し訳ない。
確かに退社後、早死にした人がいるのを、私も知っている。事実でである。
俺(自分のこと)は早死にしないなんて事はない。人の命は解るわけない。
「人体」はそんな単純ではないと思う。
05年7月10日
ゆっくり出来るについて
退職してよかったことに、何事もゆっくりと出来ることである。
ゆっくり出来るとは、ただ遅く出来ると言うことでは勿論ない。
時間をかけて納得して出来るということである。
私は頭脳が他人よりも弱いせいか、ゆっくりと、やらないと納得出来ない。
本を読むのも超スローである。薄っぺらい文庫本を読むのに2週間もかかる。
(普通の人は1晩で読了するだろう)
おまけに、白状すると、アワテンボウ人間で、誰かといると直ぐ自分を見失う、困った人間である。
前にも書いたが、アタフタトしたくない。
くどいがアタフタトは、受動的な行動であり、ゆくっり納得してとは能動的な行動である。
具体的な時間を言うと、勤務者時代の2/7の時間配分を7/7も可能である。つまり3倍強である。
7は勿論7日。
スローライフの一つでもあるか。
自分が退職する前に
すでに退職したある先輩が「ものすごい時間がある」と言われた。
それは物凄く暇でやる事が無くてしょうがない時間があると言う意味であろうか。
悪いが、自分にはそのような時間は無い。
ゆっくりと、やりたい事は山ほどある。
山ほどとは、何んの事かと冷静さを失って気色ばって聞く人がある。無駄である。
人生は有限である。おまけに明日、人生が終了するかも知れない。
つまり、自己を脅迫しているわけである。 それでいいではないか。
05年7月11日
日々過ぎていく。
今日一日を早いと思うかどうかは別として
何か「一つ、得るものがあった」と思えればもう十分である。
例え、意にそぐわない、不愉快なことがあった日であっても。
日々、納得出来る部分がある一日でありたい。
05年7月12日
若い人の初々しさ
年配の人は、どうしても説教臭くなる。「君はこうしなさい」「こうであるべきだ」
当然であろう。
若輩者も生き軒昂な、やる気満々な奴も実は同じような事を、つい唸ってしまう。
ところが、どこか違う。思い過ごしであろうか。
後者の場合、初々しさがあるからだろう。
「初々しさ」とは、社会の未経験者が、まるで一輪車に初めてのる幼児のようなものだろう。
そこに、面白さを感じるのである。人は年齢に関係なく、未経験のモノには初々しいのである。
「初々しさ」を保つ日々は捨て置けないであろうと、我が貧弱な胸に手を当てて見る。
05年7月16日
47年から3年間に生まれた人を団塊の世代と言うことになっているそうである。
私は46年生まれである。
私は05年3月に、58歳と6ヶ月でリタイヤした。
07年からの3年間、団塊の世代が次次と60歳になり、合計700万人のほとんどの人が
無職になるだろう。
いや、別に悪いことで勿論ない。
50歳だろうが55歳だろうが、リタイアして無職になっても何ら問題にすべきことではない。
その話は、以前にも書いたので、さておく。
ところで
私は自分のことを、プレ団塊の世代と勝手に命名している。
そして団塊の世代の人々の参考になる文章を書こうと意識している。
何故かと言うと、私はリタイヤ前に、「退職したらどうなるんだろう」と盛んに考えたから。
きっと、誰もがそう思うだろうと思ったのである。誠に僭越ではある。
05年7月20日
どこにいても一日は同じ
と子供のころ、大人たちが話していたのを覚えている。
これは、例えば親しい人が我が家を訪ねてきたとする。その人が、そろそろお暇しようかと
思っていると、我が家の人は「どこにいても一日は同じ」だからもう少しゆっくりしていってよ。
と言って、帰らせないのである。
なるほど、名句であると今思う。
毎日自分は、日々したいことをして過ごしている。もし、したいことがなければ辛いだろう。
どこかに勤めて働いていても、自宅にいても確かに24時間は変わらない。
自宅にいて何もせず、ひがな一日テレビの画面を漫然と眺めて、なんとなく一日が過ぎる。
あるいは、犬の散歩をしたけど、それ以外の事はあまり覚えていないし
何となく、あっという間に一日が過ぎちゃった、そんな感じだよな。
勿論それが悪いとは言えない。それも人生の在り方である。
しかし、それなら、どこかへ勤めてアタフタトまたはセッセト働いた方が遥かにいいだろうと
思うがどうだろうか。起業するのがもっといいが。
私には解らない。
05年7月21日
私は取り合えずマージャンをするにはしたが、頭が弱いこともあってか、それほど熱心には
やらなかったので言いにくいが。
例えば
皆で楽しく旅行に行った先で、その中の数人がマージャンをして皆とは同調しない。
旅行ではないが、何組かでゴルフコンペに行く。ゴルフコースのティーグランドの下で
待っている間にチンチロリンをする人がいる。
(これは絶対やめたほうがいい)
まー、人に迷惑をかけなければ何をしてもいいわけであるが。
ところで、今私は本がなければ、どうしょうも無い。ラーメンを食いに行こうが、うどんを食いに
行こうが必ず小さな本をもって行く。原則これはマージャンの話と同じである。
(1人で行くときは何を持っていこうが勝手だが)
但し、皆でゴルフに行ったり、旅行に行ったりした時は本は持って行かないと思う。
(家族だけや、よほど親しい友人となら別だが)
絶対とは言えないが。難しく考えると難しくなる。
しかし、確かに、旅行先で好きなマージャンをするのは楽しい。
旅行を楽しめばいいだけであるのになんで、わざわざそこでマージャンしなければいけないのか。
いや、そこでするのが雀荘でするより楽しいのである。
読書も同じだろうか。
また、自宅で食事をするのもいいが野外でするのも、もっと楽しいのと似ている。
よく解らなくなったが、いづれにしても他のメンバーに不快感を持たせてはいけない。
話はコロッと変わるが、セクハラの話。セクハラには基準は無い。普通人の被害者が
「それはセクハラだ」と思えばそれはセクハラであると、いつか新聞で読んだことがある。
セクハラした本人が「そんなことぐらい、いいじゃん」と言ってもそれは絶対通らない。
つまり、いやだと思う人があればそれは駄目である。
05年8月3日
心頭滅却すれば火もまた涼し
織田信長は坊さんを殺害するのが趣味のような人間であった。
いや趣味ではなく、理屈だけで生涯を送っている輩が何とも許せなかったのだろう。
いかにも信長らしいと思う。
叡山3,000人の坊さんを焼き殺したので趣味だろうと思わず冒頭で言ってしまったが。
(もっとも、一括大量殺人がもともと好きで、伊勢と北陸合わせて10万人は下らないだろう)
信長が本能寺の前年つまり1,581年(天正9年だろう)、やはりある寺に火をかけた。
坊さんは「心頭滅却すれば火もまた涼し」と言って焼け死んだらしい。
これがこの言葉の始まりだそうな。たぶん作り話であろうが。
もっとも信長は本能寺で「自害」したとなっているが、誰も見ていないので件の坊さんと
同じように焼け死んだのだろう(本能寺の話が出ると、私はいつもそう思う癖がある)
坊さんとは違い「クソーッ」とか何とか発して焼け死んだのだろう。
意外と「アーチーチーッ」と歌手みたいに発していたかも知れない(そんな歌手いたっけ)
想像すると面白い。
ところで、信長は、首謀者が光秀と解ったとき、何と思ったであろうか。
或いは解る前に焼死(自刃)したのであろうか。
ここのところが人それぞれに違う意見だろう。
ところで、我々凡人が心頭滅却する方法だが、20分で出来る方法があると思う。
人間20分なら我慢出来る。何かに20分だけ没頭する。21分目には開放されると
思えばこれは、可能である。20分必死にやれば、その後40分は心頭滅却状態が得られる。
お試しあれ!
言っておくが別に涼しい風が吹くのではない。 そのような脳の状態である。これ本当。
05年8月7日
時間の概念の喪失ほど面白いものはなかろう。
A氏は毎日通勤の為、東京に向かう満員電車に乗車するために上りホームで待っている。
A氏は一瞬反対側のホームを見て下り電車にのれば、どんなに痛快であるかと思う。
と言う本を何処かで読んだことがある。
いまやろうと思えばいつでも出来るが、まだやっていない。
真夏の5時ごろ(本日)小学生が男女数人小さな広場で草野球に興じていた。
子供は暗くなってボールが見えなくなってもまだ野球をやめないだろう。
目が慣れてくるし、子供は目もいいだろうから。
きっと親が呼びに来るまでやっているだろう。
自分が同じ世代のころ、川や池で泳いだ後、お宮さん(大宮神社といったが)の境内で
暗闇になるまで草野球に毎日興じていた。
神社の本殿の境内にノーバウンド一気に入るとホームランというルールであった。
かなりの本数が入っていたので、本殿はボールの衝突で板など破壊され続けて
いただろうが、村人は誰も怒らなかった。私の父も持ち回りの神主をやっていたが
親に小言を言われた事はまったく記憶が無い。
ところで、どの時点で野球をやめるかであるが、家族が呼びにくればやめるが
そうでない場合(今と違って呼びに来た事は記憶がないが)である。
今、思い出したが、一塁の奥が深い草むらになっていて暗くなるとボールが見えなくなり
皆で探すのに時間がかかった。この時点でゲームセットにしょうと暗黙の了解だったのだろう。
2塁の奥はもっと悲惨で、づっと奥は墓地であった。気持ちの悪い墓地でボールを探
した記憶がある。だから墓地に入る前に一塁の奥でボールが捜せなくなればおしまい
だったのかとも思う。
夏休みが終わる8月31日までやっていた。
一度やってみたいが、相手もいないし、妻が「いい歳してバッカジャナイノ」と言うだけだろう。
05年8月16日
吹上町の句碑
埼玉県に吹上町というところがある。
上州の風が吹き上げるのであろうか。
以下は当地出身の故須田剋太画伯の言葉。
「私は決して故郷を忘れてはいない。ただ、いやらしい封建制や縄張りとか、 人間の義理や人情という狭いワクの、うわさ話の関係だけはまっぴらである」 かつて私は、句碑の町と言われる当町を訪れ元荒川沿いを散策した。 そしていま須田画伯を思い出す。 やがて画伯は兵庫県西宮へ。 05年8月17日 シャツの袖口より、新涼が入る 秋が来て冬がくる イルマニフィコが言う 今を楽しまねば 老いはそこまできている 05年8月22日 10年という長さについて 私は10年後には70歳近い翁になる。 何の法によるか忘れたが65歳から高齢者というが、それを遥かに超える。 10年の長さを実感するには今から10年前のことを思えばいいわけであるが 実際は5乃至6年の前がこれからの10年の長さだろう。 同じ10年でも10歳代と20歳代30歳代では感覚が異なるのは容易に解る。 若いときほど長く感じられ加齢と共に短く感じられるのだろう。 更に 自分が中学生の時、高校生のお兄さんが随分と上の大人に見えたものである。 たれもが実感したことである。 その頃、NHKテレビで「バス通り裏」という番組があり、大学生が中学生に 向かって「中学生じゃ、ただの子供だもんな〜」という台詞があった。 その中学生が十朱幸代(字は、いいかげん)であった。 大学生が宗方勝巳だったと思う。 05年8月23日 スローライフ成功 見出しほど、たいした話ではない。 自宅から駅まで徒歩約10分である(勤務時代は7分30秒であったが 誰も、出社するのに毎日時刻を調べない) 勤務時代の休日には、電車で出かける場合、時刻表を調べて出かけた。 今は時刻表を調べないどころか、ノンビリ悠々と駅まで歩く。 駅の電車の発車は平均7分に1本である。 今考えてみると、時刻を調べて自宅を出るほどの事は無い。 都内で地下鉄に乗るのに時刻表を調べる人はまずいないだろう。 7分に1本の電車に乗るのに時刻表調べないで自宅をでるのが何で スローライフかと言うかと言われるかもしれないが、それは 過去の生活との相対的な話である。 05年8月24日 儒教嫌い 足利学校を物見遊山見学に出かけた。 私は、どうも孔子・儒教が嫌いである。 それは別として、足利学校は小野篁おののたかむらと言う人(平安時代の 初めごろの歌人)が創建したことにしていたとは初めて知った。 創建したことにしたのは江戸時代である。 古い方がいいに決まっている。江戸幕府の肝入りであろうが。 もう一つ、鎌倉時代に北条氏の血が入っていた事も初めて知った。 それじゃ、武家がせっせと大事にするわけだ。 さらに 帰宅して、孔子の生年を調べたら紀元前551年とあった。 なんだ、お釈迦さんとほぼ同じ頃じゃないか。 そんなに古い人とは知らなかった。お経のようにしても覚えられないね。 学校でただ習う歴史はテストの為だけだね。 それに長けた仁は東大に入る。そして悪さをするか(悪さをしない人もいるが) 話は変るがついでに朱子学について調べた。儒学をバージョンアップしたが 要は尊王攘夷であった。 宋の次に元(モンゴル)の時代になるが、南宋は元(夷狄)が脅威であった。 尊王攘夷は幕末の専売特許ではない。 05年8月26日 女親・男親 よく言われるが、女親にはかなわない。 今迄知らなかったが、日常生活してみるとよく解る。 考えてみると、自分とても同じだろう。 父より母といる空間の方がいいに決まっている。勿論父母はとっくに鬼籍だが。 なぜ母との方がいいかは説明不要だろう。 05年8月28日 幸いなり貧乏かな 私は戦後生まれだが、こんな語を誰かに教えてもらった記憶がある。 標語の成り立ちは別として好きな語である。 私は、子供が小さいとき子供に冗談で「幸いなり貧乏かな」などと言っていた。 子供が「あーあ、又言ってるよ」と言うのが、聞こえた。つい最近まで。 退職後の今、貧乏であるが、なんとか食っていける。 子供の頃、田舎であったせいもあり皆が贅沢などせず自給自足の生活であったが 幸せであったことが頭に刷り込まれているのだろう。 「幸いなり貧乏かな」いい〜言葉です。 05年8月30日 28日の、ついでの話 子供の頃、学校の帰りにその辺の草を食った。 ほかの子供も同じく食っていた。 腹が減っているので旨かった。道草の語源かな。 どうせ自宅に帰っても、おやつなど有る分けないし、腹減ったと母親に言えば めしでも食えと言われるし。それじゃ学校の帰り草でも食うかと。 夕飯でもないのに、めしが食える分けない、もし食ったら他の家族から 冷たい視線が来るに決まっているし、食事時間でもないのに、めし粒食うなんて 贅沢勝手に出来る分けない。 しかし今にしてみれば、幸福な子供時代であった。 そして、どの草は食っても大丈夫か知っている。 今でも、その葉が生えてるのを目にする。 食糧難がきても俺は死なないぞ。 05年9月2日 至福の時 ○夏の終わり ○平日の夕刻の少し前(5時30分ごろ) ○そよ風がある ○ベランダに椅子とビールとチーズを準備する ○好きな作家の本を置く 斜め下を見ると車が激しく行き交う時間帯。 この状態で読書する。チョー気持ちいい。 これは退職者にのみ許された贅沢か。 (私は変質者ではない)
05年9月8日 人間関係なんぞは小さきもの哉 退職してから、解る人のこころ。 腹を立てても所詮は「チイセイチイセイ」などと今更にして解る。 「なるように、なるものさ」と達観して、へらへら笑う人になって なら、も一度人生やってもいいなと思う。 でなければ、やりたくない。 面倒な人生遣りたいわけ無い。
やっぱり画像はいいものだね。
05年9月20日
悩みは必ず解消する
9月15日から当サイトへのUPでサーバーにアクセスできずに悩んでいた。
本日午前9時20分に解消した。
原因はセキュリティーとの兼ね合いである。
セキュリティーを高レベルにするとダウンロードもそうだがUPも支障となる。
問題は意識して高レベルにすれば自分は承知の上だが、複数のセキュリティー
同士が「同士討ち」してしまうことである。医薬品で言う相互作用である。
それが原因であった。
一年に1回は何かしら問題が生じるのである。ならばブログにすれば、そんな
事に悩む事はないのに。
ところが、ブログをしたくない理由は他にもあるが、自作のサイトをあれこれ
弄るのが面白いからやっているようなものと言うこともある
ところで、主題「悩みは必ず解消する」の件だが勤務者時代もそうであったが
悩みが解決しない場合とは「解決をする努力を止めたとき」である。
哲学的な表現で恐縮だが、なーに簡単な話なのです。
私は勤務者時代、5年も掛けて解決した事案が今思い出しても2つは確実にあった。
妙案などない、諦めずにボチボチやっただけである。
解決しても人は皆その事を忘れていて誰も褒めてはくれないが。
一人密かに喜ぶしかない。
これは、退職後についても同じ事だろう。
link-upの「日々思うこと」か「団塊の皆様へ」に掲載しようとしたが
何故か、こちらのコーナーが相応しいと思った。
05年9月25日
退職後の生活動向を電通がまとめた
と先日の新聞に掲載されたいた。但し「富裕層の」というのが気に入らないが。
まっ許すとして、自分と比較してみた。
夫婦で旅行する48%→自分の場合・特になし
パソコン購入39%→同上・間に合っている
夫が家事を分担60%→同上・従来通り(ほんの少しだが)
INTで社会との繋がりを求める→同上・従来通り
退職を期に行動を開始93%→同上・今更開始しない
マネープラン作成→同上・退職前3ヶ月前から就業中にも実施しました。
株購入・保険の見直し52%→同上・全く実施せず(保険はもともと無い)
ボランティア・NPO活動の開始17%→同上・ボラは12年前から継続、NPOは未実施。
大学入学や語学学習14%→同上・独学での国家資格取得でボケ防止は14年前から。
夫婦で過ごす時間が増えた73%→その通りです。
NETを使って情報収集開始67%→同上・最近飽きてきた。
電通さんの、つまらないアンケートでした。
これって、企業内で、かなり上位の立場の人であった人を対象にしていますね。
やっぱりね。
05年9月28日
直前の文章の内容と関係するが
企業戦士と言われ、精魂尽き果てた人のイメージがどうも付きまとうが、どうだろう。
自分に振り返れば、学校時代も会社時代も、なーんにもいいことは無かった。
今が一番いいのではないか、そのような気がする。
社会に対する裏切りか冒涜であろうかと反省もする。
退職して体調不調になって、そのままになってしまわれる人も知っている。
(企業という、与えられた組織の中で、のうのうと暮らしてきた報いである)
退職して勇んでパソコン購入したが、結局使うのをやめてしまわれる人も知っている
(この場合はパソコンを使う目的が最初からハッキリしない人が多い。重要である。
更に言わせて貰えば、会社では手取り足取り使い方を教えてくれるセクションがあったが
いざ一人になると、使い方が解らなくなってしまい、投げ出してしまう場合も多いと思う)
05年10月12日
パソコンは生活の一部となったか
3日ほど東北旅行をしたが、2日目の夜になって何か足りないものがあるとおもっていた。
何気なく宿泊先の机の上を見ると電話線のパソコンへつなぐケーブルがある。
これだと気が付いた。
日本中いや世界中そうゆう世の中になったのだろう。
勿論コンピューターを使わない人は多くいるが、何も問題にする必要はない。
ただコンピューターを使わないと情報が遅れることになるが。
評論家に言わせると「情報弱者になる」などと言うが、そんな事はない。
なぜなら、使い方によるが、WEBは我々の市民生活に重要なことなどは非常に少ない。
また、「WEBを通じて実施しなければならない」などと言うものは皆無だろう。
ただWEBを使えば飛躍的に便利であることは間違いない。
そして楽しい生活をする道具でもある。
問題はWEB上で悪さをする輩がいることだ。
05年10月12日
退職後半年の総括
なに、大した話ではない。
結論から言うと
「結構有意義な半年であった」
退職前は一般に言われているように
目的の無いつまらない日々を送ることになるだろうと言う
考えが見事にひっくり返った。
また、言われるように経済的な問題もほとんど考え込むことは
なかった。
では日々小躍りするほど、いい日が続くのかと言うとそうではない。
やはり、勤務時代と同様ある種の厳しさがある、というより自分に
何かを課しているからだろう。
退職後間もなく考えたことだが、受動的生活から能動的な生活にうまく切り替えられた
からだろうか。
しかしそれは、その人によって種々価値観が異なるから、良くわからないが。
今まで何を考えて会社勤めをしていたかが最も大きく影響しているのだろう。
つまり、与えられてた事だけをキチンと実施する「いい人」は退職後厳しいと思う。
05年10月15日
ある先輩が退職パーティーで言われた。
「退職後は首から上と首から下を考える必要がある」と。
なるほどと今更解る。
首から上の事だが、私は受験お宅である。これは14年前から行っており退職後も継続中。
ところで
受験とゴルフは似ている。
どちらも緊張してはいけないが、必要な部分は緊張の必要がある。
具体的に言うと
受験では、肩に力が入っていては慌てて問題を読んだり誤解して読んだりするが
脳味噌に緊張感がないと、ぼんやりしてしまう。
ゴルフでは、ティーショットで肩に力が入るのは禁物であるが左腕に(右打ちの場合)
のみ緊張がないと球が正確に当たらないし飛ばないことになる。
(私はゴルフが下手であるから偉そうなことは言えないが)
ちなみに
私には退職パーティーはなかった。
退職前の個人的お誘いもなかった。よかったと思う。
最後の日、時間が来たので「さようなら、お世話になりました」と言って部屋を出た。
これが数十年の最後であった。誠に自分らしく良かったと思う。そうしたいと願っていた。
ただ
自宅の最寄の駅には妻が迎えに来ていてくれた。これは良かった。
最初で最後の事であった。
何十年も一緒に居るが、妻も面白い人だなと思った。
05年10月18日
退職したらオハラショウスケさんの生活をする
と知り合いには話していた。
勿論冗談である。聞いた方も信じていなかったが。
本当にそのような生活をしたら3年で死ぬだろうと今思う。
05年10月20日
退職して半年以上が過ぎる
よく思うことであるが
「今日は木曜日か、皆、仕事しているんだろうな」と
冗談で配偶者には言う。
「そんなことを思っている内が花だよ」と言う中毒患者の皮肉な声も聞こえる。
私は確固たる信念で今の自分があると、日々思わない日は無い。
その確固たる信念のための自分なりの僅かな努力はある。
いずれにしても
後悔することはだけは無い。
強がりだけで、こうも日々暮らすのは辛いだろう。
なぜなら、自分の人生の最終ゴールを漠然と決めているからかも知れない。
05年10月21日
私は、TVをあまり見ない方で、特にドラマは全く見ない。
たまたまスイッチをONにしたら退職後、妻から離婚を突きつけられた夫の話であった。
(少しだけ見てスイッチを切ったので、顛末を知らないで云うのも問題だが)
自分ならどうするかと考えてみたが、すぐ解答は出た。
「そうだな、そうしよう」と言うだろう。
○逃げる女房を追わないだろう。
○元は唯の他人だったのだから、又、他人に戻るのもいいだろう。
○人間裸で生まれてきた、死ぬのも無一物。という例えがあるがそれに準拠しよう。
○配偶者には十分尽くしたので全く悔いはない。
○大した資産はないが、半分づつにするのは当然である。
○自分の種子もいる。生物としての自然の摂理どおりであった。
○生きて家族を持ち十分である(若くして戦死した叔父たちを考えれば何も云うことなし)
などと思ってはみた。
05年10月31日
一体、お前さんは退職して何しているのかと云われれば
午前中は、いわゆる「お勉強をしている」午前中からではなく超早朝からである。
人類には「学習欲」が古皮質にあるそうだが、それに従ってる。
超早朝であるのは、長年の自分のポリシーだからしょうがない。
午後は趣味がらみで出かける。夕刻より焼酎など飲み享楽の時間である。
大した享楽ではない、博打をする訳でもなし、異性を求めて彷徨う訳でもない。
素朴な楽しみである。あるいはPCに、このように入力しているお粗末な享楽哉。
その合間に必死に読書をしている。・・・・・何故か文句アッカと密かに思う。
05年 月 日
公園におられる年輩の人を見かける。
この話は後日。
05年11月3日
一日が短いと云うが、これは何だ
05年4月3日の項で以下のように書いた
勤め人現役時代は、一日は短く一年は長いと言い
退職後はその反対で一日は長く一年は短いと言う。
これは実は反対であることが今解った。
解ったことは以下の事だけだが。
「退職後は一日が短い」のである。現役時代ではない。
同じ日に退職した同僚が「一日が早い」と言ったので、ハタと考えた。
「一日が短い」と云う事は、それだけ内容の無い一日である証左である。
それに引き変え
ザ・ロンゲストデーという映画があったが、一日は長いのである。
それだけ濃密な一日であったということである。
濃密な一日は心に残る刺激的な一日であったということだ。
例えば、一日中テレビをぼんやりと見て、気がついたら夕刻だったとする。
「あーもう夕方か」と、溜息をつくのだろう。
これは多分一日は超短いと思うだろう。
(幸いにして、小生には無かったが)
で、
今の自分の一日はどうだろうか。
確かに短いと思う。しかし錯覚かもしれない。
以前も書いたが今は無職だが能動的な生活をしているが、
アタフタとする必要がないので万事マイペースである。
だからして特に刺激的な一日とは思わないのかもしれない。
或いは、
受動的に義務としてして何かを、せねばならないと言う事になれば
当然、時間と結果に制限がある。よって自分以外の為に右往左往とする場合が多い。
だから、ザ・ロンゲストデーと思うのだろう。
これは大いなる錯覚かもしれない。
なぜなら、それは、何も自分にとって有意義な事柄ではない
(社会に役立ってはいる場合が多いと信じるが)
自分が経営者としての一日なら、どんな一日でもザ・ロンゲストデーに近いものだろう。
0511月13日
自宅前の掃除
朝のウオーキングをしていると、自宅前の道路を掃いている人を見かける。いいことだ。
但し
@自分の掃いたゴミを塵取り等に取っておられる人。
A排水溝に落としておられる人。
B隣家の前に掃き出す人。
Cワンさとゴミが溜まっていたり、雑草が、かなり生えていても放置する人。
ちなみに、私も家人任せではなく、自ら実施することもあります。楽しんでやってるが。
05年11月17日
数年前、後輩が退職して「妻のアッシークンになったよ」と言っていた。
なるほど、今解る。その通りである。
ところで
女性は、美味しい物を食って何か買い物をするのが好きらしい。
それはそうだろうが
ちょっと我々男には解らないところがある。
05年11月21日
無職のおじさんになっても、今まで通り音楽を聴いて同じような思いをする。
無職になったからと言って急にそれまでもが変るわけない。当たり前である。
春日八郎や三橋道也、クレージーキャッツ・橋幸夫も好きである。
30歳の終わりから何故かバッハ・ヘンデル・ビバルディー・モーツアルトを聞いている。
他のも聞いたが感動しなかったので、そのまま4人だけ繰り返し聞いている。
TVのコマーシャルや商店街のBGMなど、あらゆる場所で耳にする。
自分にとって癒しのメロディーである。主に車の中で聞いている。
聞いていると、母親の腕の中にいるようであるから不思議だ。
勿論嫌な人もあるだろう。
不思議に思うことは
モーツアルトは本当に理解の出来ない妙な人だと思う。
こう言う人を天才というのかなと思う。
ちょっと常人ではない。
しかし聴くと病みつきになる。
実際、生活上でも、やや変な人であったらしいが。まあそんな事はどうでもいいが。
なぜこんな事を急に書いたかと言うと、新聞を見ていたら、06年1月27日が生誕250年
と書いてあったから。
いまから250年前といえば江戸幕府中期で、お金本位の社会が確立していた。
大名は、米を大商人に売ってお金に換えていたのだろう。
全国各地で湿地が農地にされ米の増産が盛んになっていたはずである。
が、下級武士たちは「武士は食わねど高楊枝」の時世が定着しつつあったのであろう。
その後、各藩は今で言う「地域起し」として、塩・紙・蝋燭・藍・織物などに注力して
お金を得たのであろう。
そのお金経済主義と殖産興業が、明治になって諸外国に追いつく原動力になるとは
誰が予想したことか。
などと、モーツアルトから転じて、ぼんやりと思う。
05年11月24日
人間というやつは、一生のうちに何かに夢中にならんとな。
何でもいいから夢中になるのが、どうも、人間の生き方で一番いいようだ。
井上靖
05年11月26日
11月24日の続き
少壮時代まで、いや昨日まで、つまらない事に夢中になっても、大した人間ではないよ。
とタカをくくっていた。
しかし人生のゴールを目前にして(まだ目前がどうかは決まってないが)
やっと、納得できた。
自転車に速く上手に乗れる人、馬と仲良くなって上手に乗れる人、自動車を速く運転出来る人。
野球のベースランニングが上手な人、単打が上手に打てる人
玉子焼きが上手に作れる人、ケーキを上手に作れる人
ついでに、極端なことを言えば
大食いの出来る人(個人的には、これは良くないと思いつつ見ているが)
と言う風にである。
なんだ、人生とはそういうものだったのかと、今解っても遅い。
いや遅いと思う事が、実は解っていない証拠だ。
05年11月30日
一日は人の一生に似るとは昔から言い古された言葉。
これを私なりのバージョンで考えてみた。
ざっと一日を4つに分ける。
一つ目:起床時から昼までが少年時代。これは専ら机のある場所にいる。
二つ目:昼から夕刻まで。これは趣味内容の事実関係を検証するため戸外踏査をする。
三つ目:夕刻から就寝前までは、享楽の時間である。酒を飲んでウダウダしている。
四つ目:就寝から翌朝起床時までは黄泉の世界である。全くの異界であり責任が持てない。
但し四つ目から一つ目に循環するとは限らない。
そのときは、そのときである。
また、二つ目は願望と冗談が含まれている。
三つ目のウダウダとは自分でも良くわからない。
退職後から現在まで、そのように考えているようだ。当分そう思い続けるだろう。
ちなみに、このSiteに入力する時間帯は夕刻で、酩酊しながら日々キーを叩く。
だから、誤字脱字も多いし何が言いたいかも不明の部分が多い(見直してはいるが)
05年12月6日
今日一日、良い日であったか?
○個人的ボランティア先との関係を明文化し、契約書を作成した。
○富士見市の難波田城跡を見学し、両上杉・古河公方VS後北条の関係がマクロに解った。
だから、良い一日だった。気分がいい。
お金が儲かったわけでもない、世の中に特別良いことをしたわけでもない。
しかし、今日と言う日に満足である。
私は、あの世に行くまで、こう言うヘリクツを言っているのだろう。
いいではないか。
会社で頑張って仕事をこなしているのではない。
こういう人生の何が悪いのか。
などと考えているのは今だけだろうか。
ただ、ボーッと一日を過ごすだけの日が、いつか来るのが怖いなどと思う。
05年12月8日
忙しさに紛れて本来の自分を忘れるのを多忙といい忘れないでいるのを多用という
などと暇人の考えることを考える。
勤務時代は多忙であった日が多かった。
我に返ることも季節も忘れている。
それって幸福なことなのか、不幸なことなのか解らない。
今の自分は我に返っていることが多いし季節も感じていることが多い。
それって幸福なことなのか、不幸なことなのか解らない。
故井上靖は
「何でもいいから夢中になるのが、どうも、人間の生き方で一番いいようだ」
と言うが、いつも夢中でばかりいても忘我となってしまうだろう。
夢中になると言っても勤め人の場合は禄を食んでいるからであり、能動的ではない。
自分が経営者なら別だが。経営者でない者に精神だけ経営者になれと言うのは勝手だろう。
多用などと難しいことは出来ずとも、多忙であったり我に返ったする人生がいいのだろう。
05年12月11日
縁起物熊手の値段
武蔵一ノ宮氷川神社の例大祭・大湯祭は地元では十日市(とうかまち)と言う。
12月10日に行なわれれる。
例年は通勤の途中でもあり、10日の早朝に境内・参道の縁起物を見る。
今年は前日の12月9日(金)の午後に行ってみた。
明日に備えて熊手やら神棚の陳列に忙しい時間であった。
先輩が若手に熊手の価格の決め方を教えていた。
「38万円と言うんだよ、その後、25万円しておくといえば買うからな」と。
中には、地元の有名な某小売店の名前が入れられ「お買い上げ済み○○さま」と
早々と書いてあったのには苦笑した。
一般の商取引が通用しないのがこの世界である。トラサンを思い出した。
05年12月14日
本日は読書も出掛けることも一切中止して、終日自室にいた。
TVで証人喚問の実況中継を8時間見た。
これは、勤務者では出来ないことだ。暇だから出来たわけである。
これは、退職無職者(造語)の特権であるので、このコーナーに記載した。
国会中継の中身は、偽装構造計算のマンション・ホテルの件である。
結論から言えば、
喚問された証人は、気の弱そうな人ほど真実を言う。気の強い人は嘘を言う。
嘘を聴かされる視聴者は「それとなく解る」から不思議だ。ただ嘘を言う側の人が
それに気が付いていないという事が、我我視聴者には解るという皮肉があり面白い。
質問する国会議員は大政党は不勉強のまま質問者として出てきて、ひんしゅくを買う。
野党は一生懸命勉強して、調査して出てくる。
そのような傾向が見られる。
延べ、20人ほどの国会議員の中には、質問者としての名誉を
選挙運動に使おうとしていることが、いかにも、それと解る議員がいる。
そんな中身の8時間であった。あ〜疲れた。但し下手な小説を読むより
リアルなノンフィクションであるから、面白かった。
面白がっていてはいけない。大変な立場に置かれているマンション購入者がいる。
05年12月26日
「自分はこれでいいのか」「自分はこれでよかったのか」などと思わない日はない。
また「自分は何と果報者であることよ」などとも思い
60半ばで他界した長姉の「おまえは、晩年にはきっといいことがある」の予言を思う。
また51歳で無念にも他界した次姉の「現実を受け入れなさい」も思い出す。
他人様の意見を「われ以外は皆師」と思いつつも、それは世辞で
結局、わが身に滲みるは我が血肉を分けたる者達なのか。
06年1月2日
本日は新聞が配達されない日で、やむなく早朝よりTVのスイッチを入れると
故人の柳家こさん師匠が出ていて
「極めてしまうまでの課程がいいのだ」と加賀美アナウンサーと対談していた。
成功するのが目的だが、後になって考えてみると、「その課程こそが人生の良さ」
と理解した。
今の日常に置き換えれば、加齢し続ける日々であるが、いつも挑戦している
何事かを持ち続けていることが、有意義なる人生であるはずだ。
06年1月3日
退職後、仕事を単に気晴らしで行うのは情けない人生だ。
(私はそれさえも、やっていないが。いや求めても見つからないのが実情)
仕事を経済や人様や趣味のためにやるなら良し。
それらが組み合わさっているも又良し。
いずれでもない日々を過ごすのなら
日々それなりに素晴らしいと検証出来るのがいいだろう。
実はそれが一番良いと思っている。
私は単なるナマケモノなのか。
但し、だれにでも、いつか、間違いなく退職後がやって来る。
(退職後に求める職が見つかれば問題はないが)
私はただ18ヶ月早かったと、一人納得して
エエジャナイカと開き直っている
06年1月14日
自分が死するとき3態
Aコース
消化器がんで60歳半ばで死ぬだろう。
理由
家族遺伝である。
Bコース
多臓器不全で68歳で死ぬだろう。
理由
10年後に、気力が失せる。
気力が失せると、なぜ多臓器不全になるかは省く。
Cコース
未知。
06年1月29日
生きられる有難さ
かつて盲目のピアニスト梯氏は「生きていることは普通のことではない」と。
宇宙の年齢を120億年とした場合
解り易いように、たとえ自分が120年生きたとしても我々がこの世に現れている時間などは
お話にならないほど一瞬もいいところだ。
割り算するのも馬鹿馬鹿しくなる。
さらに、自分が今「生きている」と実感出来るのは「死の前一週間」だけとも言う。
人間は通常あの世にいるのであり、この世に現れているのは「普通のことではない」
取り合えず特に困りもせず、生存できる生活費があれば有難や。
金など有ればあるほど欲しくなるのが人間なり。
動物は餌に有りつき腹が満たされれば、それ以上食おうとはしないが
人間は満たされても更に限りなく無茶食いをして体調が壊れるほどだ。
06年1月31日
29日に人間は通常あの世にいるのであり
と書いたが、勿論それは形而上のことであり
形而下でのことでは無い。
言うに及ばないが。
06年2月5日
私は路傍の石になりたい
先日若い現役の、「私が在籍した古巣」の社員と会食をした。
つらい事があれば誰でも路傍の石を蹴飛ばしてみたいことはいくらでもある。
10ヶ月前まで私は現役であったからよく解る。
私は、その石になれれば、それでいいと思うのである。
私は彼らから学ぶものは、いくらでもあるが、彼らは私から学ぶものは何も無い。
06年2月16日
人が生きているとは、どういうことか
退職して初めて解ったような気がするこのごろである。
その説明は大変難しい。
会社へ行ってPCを叩く。種々の人々と会ったり電話する。
会議をしたり、何かを説明したり説得したりする。孤独に考えることもある。
それだけではない、楽しくない時が多く惨めな時間が多いのが現実だ。
取り合えず皆で議論などする。そしてアタフタと時間を過ごして一日が終わる。
9時ごろに帰宅して飯を食って寝る。
冷静に「今とは何か」など「今は春か」など瞬時も考えることなく一日が終わる。
無意識の内にアタフタとすることにより脳を麻痺させて逃避しているとも言える。
それが「正しい人生だ」(笑)と無意識に思っていた。
それもいいだろう。
しかし、それだけが人生では無いだろうと。
いや、陽明学的に飛躍するべきだ。
・・・よく解らない。
それしか今説明のしようが無い。
06年2月23日
カラスがカーカー鳴くのを真似してみる
近在にある小さな川(農業土木歴史上は有名)の土手を自転車で行くのが好きである。
やや好天に恵まれた日の午後、空を見上げるとカラスが3羽西から東へ何の
用事か「そそくさと」飛んでいく。
丁度私の真上でカーカーと鳴いてみせた。
私も、空に向かってカーカーと応答する。
これが退職後の醍醐味である。 これに賛同する人はボケかそれとも。
06年2月25日
松島やアー松島や松島や
退職前から「退職したら梼原へ行く」旅行が楽しみであった。
まだ実現していない。
誰かから、四国へ「お遍路さん」に行くんですか言われたので興ざめして行くのを中止。
しかし1人で行ってみたい所はある。白神山地、平戸、網走、多賀城、赤間ヶ関。
しかし行くのを躊躇してしまう。
ついに今でも、いわゆる「退職したらのんびり旅でも」をやっていない。
知識もないのに行っても、松島やアー松島や松島やの状態で終わるのなら行きたくない。
別に、松島を見たいと特に思わない。 俺は、へそ曲りか。
妻が一緒に行きたいならお供するが。
念のため
アー松島やは芭蕉作では無い。 (言うまでもないか)
さらに言うと
TVで、連日やっている旅番組は好きで良くみる。但し自分で行って見たいとは思わない。
美観を眺めたり旨い食事したり温泉に浸かったり、それも勿論いいが、それほど
「行きた〜い」衝動がない。
自分にとって「う〜ん、なるほどそうか」が無いからだろう。
ついでに
TVの旅番組も好きだが、有名人の出演しない料理番組を淡々と眺めるのも好きである。
06年3月2日
「何もしないと、つまり仕事をしてないと呆けますよ」について考える
退社の前に雲上人から、そう言われたのを思い出す。
(言下に仕事を世話してもいいですよと言う意味も含まれるが)
同僚以下に言われることはなかった。
それはそうだろう。
何かをする=仕事。
今まで会社で仕事をしていた人を他者が見る場合
その人(会社で仕事をしていた人)が退社をして仕事以外のことをするとは誰も考えない。
仕事以外のことは、通常は考えられないと言うことである。
日本人として、実に常識的な考えであり、自然であると言える。
ただし言った本人は、その相手に「やや面白くない」というのも事実だろう。
あと1ヶ月で1年となるがボケないのはどうしたことか。
どう説明をするべきか。
06年3月20日
同輩は「くに」で何を考えて暮らしていたのだろう
と、ふと最近思うことがある。
「くに」を後にして41年が過ぎようとしている。
ここで言う「くに」とは多分に「藩」である。
だからと言って学校時代の同窓会に参加して確かめてみたいとは全く思わない。
できたら、東北地方へ一人旅をして、どこかで話を聞く機会が得られればと思う。
勿論
いま自分が住む東京近郊にも、この地が故郷で、ここで生きてきた人々があるし
自分も、幸運にもその人々と知己である。
しかし
何かが違う、そんな気がする。東京近郊は、まことに特殊な場所なのだろう。
23区内に住まう寸前までいったことがあったが、結局私は地べたに住みたかった。
06年3月29日
なつかしき東京の風
3月27日と28日は所用で五反田に通った。
私が東京に勤務していた頃は五反田でなく御茶ノ水であったが。
昨年の3月31日までと同じ時間に家を出て同じ経路で東京方面に向かった。
ある種の緊張感。朝の寒さが快い。徒歩の速度。何も考えないで目的地へ。
目的地への途中
1年前と同じ場所に同じ人がいて微笑んで「お久しぶりで」と言われたので
微笑み返したが声が出なかった。誰であるかが今も解らない。申し訳ない。
気分を悪くされているのでは無いかと気がかりである。
交差点の信号のタイミングの取り方も同じ。見える風景の一点が同じ。
目的地に着いたが、交渉事をするのではないので気が楽ではあったが。
帰路
所有地の一部を譲渡して資金が許せば都心のワンルームマンションを
買いたい衝動を覚えた。
くどいが
「お久しぶりで」と挨拶された人は、勿論仕事関係の人ではない。
これとは別にもう一件同じように私の事を良く覚えていた人がいて
全く思い出せなくて困ったことがあった。
どちらの方も私ごとき者を覚えて戴いていて誠に有難い。
しかし
世の中そう言うもので、逆に私が今も気にしているが
私の事など全く覚えていない人が多数おられることだろう。
ついでに、もう一つ
20年以上前に、よくして戴いた方から、「メールのアドレスを変更したので
お知らせします」と言うmailが入っていた。
その方は我々から見れば雲上人(当時の勤務会社以外の人)である。
なんで私ごとき者にと思った。世の中は解らないものである。
06年4月1日
退職後一年の思い@
「日々有難い」これに尽きる。
自分には遣りたいことがる。遣らねばならない訳ではない。
生活に困ることはない。やや貧しい位だが丁度いい。
人とのお付き合いもある。適度に友人に合う会がいくつかある。
まさに、退職後万歳。有難い!
06年4月18日
退職後一年の思いA
勤務時代は会社の始業時刻より2時間前の7時には机にいた。
その習慣は33歳くらいからと思う。25年間そうであったことになる。
種々理由はあったが、結果として自分に良い結果を、もたらした。
そして通常の帰宅は20時から21時で、酒が入っても午前様は少なかった。
そういう生活を3月30日まで続けた。
30日間の有給が残っていたが取得しなかった。
そして3月31日は午前中で仕事を終えてサヨナラと会社を後にした。
翌日から何の違和感もなく一市民として、何食わぬ顔で過ごしてきた。
環境の変化に対するショックは、殆どなかったと思う。
半年間の準備期間があったのが理由だろう。
全ての面で自分にラッキーであったという安堵感・満足感がある。