旅人たち

5主=ファル、4主=ラズ

 

 

 

──あんた、戻ってきたのか」

「行く意味がなくなった」

 ラズ、と名乗った少年は、渡し舟の順番待ちでごった返すその場の隅に、どさっと荷物を下ろした。真っ青な瞳に、無愛想な表情。茶色の髪に、腰に携えた双剣……。

 ラズは、顔面を最小限にしか動かさずに言葉を発する、というなんとも無駄な特技の持ち主だ。以前その特技を指摘したみたところ、どうしたことかちょっぴり照れていた。そこんところのツボは、ファルにはさっぱり分からない。

「そっちこそ、行くと言っていた」

「俺はまだ、悩んでいるんだ」

「僕は同じ台詞を、これで四度聞いた」

「……出足から、悪くてな」

 ラズは無言で、続きを促す。

 ──そもそも、彼らが出会ったのは数週間前。船着場近くの宿屋に長逗留しているファルと同じテーブルに、ラズが相席となった。それだけの縁である。その後も席がないとなればやってくる、この無口な少年に、ファルは他にも席はあるだろう、と一度悪態をついた。すると。

「……君の周りが、一番静かだ」

 最近概して機嫌が悪く、二、三度立ち回りを演じたファルの周りは、確かに静かである。そして少年は平穏をこよなく愛するようだった。……概して他力本願ではあってもだ。

 だが数日前、ラズはやっぱ行くか、てな調子でふらりと出て行ったのである。旅の縁なんぞそんなものだ、もう会うこともないだろう……そう思っていた矢先、少年はやっぱりふらりとした様子で戻ってきた。表情は無いままだった。

「俺のことはいい。行く意味がなくなったってのは、何だ?」

「僕は魔力方面に疎い」

 ラズの話は飛ぶ。飛ぶが一応きちんと着地するので、話させておくのが一番近道であることを、ファルは学んでいた。

「俺も疎い。で?」

「……君は本当に疎そうだな」

「攻撃魔法は得意なんだ……だがこう、気配、とか精密、とかになるとどうも不得手でな」

「話が逸れている」

 逸らしたのはラズである。

「ともかく……君が今言った、気配、か。それは僕もすこぶる疎い。だが…………紋章のアレコレは分からずとも、これだけはなぜか、分かってしまう」

「何がだ」

「星」

 ラズは膝を抱えた。今初めて気付いたが……悲しんでいる、ようだ。

 

 ──星が、堕ちた。

 

 そして、ラズは尚いっそう小さくなった。

 その表現を理解できるのは、現在この世でファルだけであろう。ファルの表情にも、悲痛なものが走る。

 ちなみに、このときラズの脳裏に浮かんだのは茶の髪をした弓使いの少年であったが、ファルの脳裏に浮かんだのは愛くるしい毛玉の頭領である。

 今は鬼籍のビーバーとなってしまったフワ×2を思い、ファルはぐっと唇を噛みしめた。ああ、お前のいない水軍なんて……あれだ、ただの水軍じゃないか……。

 ファルは一度ビーバー隊に参加して、「殿下にはガジガジの才がありまする〜」とフワラフワルのお墨付きを貰ったことがある。人間にしてはやるじゃねぇか兄ちゃん、とモルーンの評価および好感度も急上昇した。後で前歯は痛んだものの、ファルにとっては人生で五指に入るほど誇らしい日であった──

 じゃない。ファルは立ち直った。主に悲しみから。

「ラズ、あんた、それで戻ってきたのか」

「……むしろ未だ堕ちない二星が怖い…………鏡の子はまだわかるが、紋章師はいつからいるのか……そしていつまでいるのか」

「あんたも入れたら三星だろう」

 なぜか通じる会話。

 ラズは顔を上げた。泣いてはいなかった。

「ともかく、僕はもう、行かない。だから君が行け」

「俺はまだ考え中だ」

「なぜ渋る?」

 そう訊ねられて、ファルは短くなった銀髪を無造作にかきあげた。解放戦争が始まる前の、グレッグミンスター、マクドール邸前。

 ……そもそも、出鼻から悪かったのだ。

 

 

「思ったよりは、普通の邸宅だな……」

 辿り着いたマクドール邸を見上げながら、ファルは呑気に呟く。テオ将軍は、衣食住に必要以上の金をかけない、質実剛健な武人なのだろう。

 しかし玄関脇で、ファルは思案する。

「だが大丈夫なんだろうか……アイツは俺の国でも、女王をグッサリとやってくれちゃってお尋ね者な札付きだぞ……? この赤月でも何やらかしてるか知れたもんじゃない。あの甲斐性なしのことだ、ここの戦争でも、騒ぐだけ騒いでトンズラしたってのが包み隠さぬ真相だろうな。しかもラスボス戦ではこれぽっちも役立たなかったに相違ない」

 ファルにおけるゲオルグの評価は、ここ数年でパラシュート下降していた。愚痴がとめどなく溢れ出る。

「…………そこの人……うちに何か?」

 カシャン!

 そのとき、門に手をかけて、あからさまに不審者を見る目で問いかける者がいた。黒髪に赤い服。緑のバンダナ。真っ黒な、鋭い眼光。ファルは思いっきり、しまった、という顔をする。自分が不審であり美形であり、従って人相描きなどが極めて作られやすいことを、ファレナ王兄閣下は少々図々しい方向に熟知していた。

 こんなところで失態を晒したら、リムに約十年ぶりに蔑んだ視線を向けられる──

 ……だが今にして思えば、あれはあれで悪くなかった。

 むしろ、あの視線はもう一度浴びたい。さあリム、お兄ちゃんをもう一度蔑んでくれ……!

 と、脳内でしょうもない妄想(妹限定発動)を繰り広げながらも、ファルは表情には一つも出さず、いっそ思慮深い微笑みとともに問いかける。

「いや、マクドール邸はここですか?」

「……そうですが」

「テオ将軍はご在宅?」

「父は今、西方の守護で不在です」

「え」

 ……父?

 ファルは目を丸くする。そして目の前の少年を数秒間凝視すると、すぐさま目を逸らしてなんとも言えない表情で怒涛の呟きを漏らした。少年は明らかに引いていた。

「こんなデカい息子がいるのか! 全く、友達が立派に家庭を築いてるってのに、あのエセ眼帯ときたら未だ根無しか! 同期と比べると際立つ! 哀しいほど際立つぞ……!! …………だが、ウチの騎士たちの甲斐性のなさときたら、折り紙つきだしな……ガレオンはちゃんと復縁したのだろうか……」

「父に、何か?」

 独り言の奔流を遮って話しかけたマクドール家の一子は、ある意味さすがであった。目つきはその年齢の者が成しうる限りの範囲で冷たかった。

「ああ、ご不在なら出直しま……」

「おい、先に行くんじゃねーよ!」

「坊ちゃん、夕飯までに帰ってきて下さいねー」

 そのとき、家の中から茶髪の少年と、金髪の青年が出てくる。黒髪の少年は、表情を緩めて振り返った。

「悪い、テッド。じゃ、グレミオ、行ってくる!」

 ファルは道を空けた。来訪者のことなんか、瞬時に忘れられたようであったからだ。

 少年二人はそのまま、慌しく出て行く。

「……出直すかな……」

 彼らとすれ違うと同時に、ファルも身を翻す。だが。

 

 ──ぞっ……

 

 そのとき背筋に走った悪寒を、なんと表現すればよいのだろう。ファルは弾かれるようにして振り返った。

 黒髪の少年は、そのまま背中を見せて走り去っていく。……だが、茶髪の少年は、少しだけ不安げな顔で、じ、とこちらを見ていた──。 

 

 

 

「……なんだか、あのままあそこに留まったら、問答無用でジリ貧の上108人集める流れに駆り出されそうな、そんな不吉かつ具体的な予感がしてな……本当にぞっとした。大抵の場合、俺の勘は外れないんだ」

「…………そうか、気の毒な」

 テッドが。

 ラズは無表情であったが、心の底から同情していた。かつての仲間に。その長い人生に渡って逃亡を強いられた彼は、さぞ不安な思いをしたことだろう。

 にしても、死神と擦れ違っておいて赤貧の方が怖いとは、ある意味リアルな話である。一瞬の死よりも苦しく長い生の方が辛い、人生とはそういったものかもしれない……。と、ラズはなんだか哲学的な気持ちになった。

「そのままグレッグミンスターから離れ、二ヶ月もしないうちに戦争が始まった。……そして今や、テオ将軍も……死んだ。悩みどころだろう? 俺にも、もはや行く意味はないんだ」

「行ってくるといい」

「……あんた、俺の話聞いてたか?」

「だけど、君は行きたがってる」

 ラズは立ち上がった。彼には、この戦争に対する好奇心はないようだった。

「僕が思うに、戦争はじき終わる。……そして、軍主はこの国からいなくなる。行ってこい、意外と面白いから」

「面白い? 何が」

 ラズはゆっくりと、出会ってから初めて見せる微笑を浮かべる。

「後輩」

 そのまま、ラズはふらりと出口に向かう。

 そして……どうやら今度こそ、本当にいなくなった。

「…………そんな、理由」

 二の句の告げなくなったファルも、だがしかし、立ち上がる。ファレナ王兄閣下は、今も昔も物見高かった。

 ──面白いと言うならば、ぜひとも見にいかなくては。

 

 

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