127時間(127Hours)生きて帰れ! 未来を笑え!
極限状態で描かれる生きる喜び 作品情報
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■STAFF
監督:ダニー・ボイル
原作:アーロン・ラルストン
脚本:ダニー・ボイル&サイモン・ボーファイ
製作:ダニー・ボイル&クリスチャン・コルソン&ジョン・スミッソン
撮影:アンソニー・ドッド・マントル&エンリケ・シャディアック
音楽:A・R・ラフマーン
■CAST
ジェームズ・フランコ(アーロン・ラルストン)
アンバー・タンブリン(事故前に出会う女性ハイカー)
ケイト・マーラ(事故前に出会う女性ハイカー)
クレマンス・ポエジー(元恋人)
トリート・ウィリアムズ (父)
ケイト・バートン(母)
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作品レビュー

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遭難した実在の登山家が、生還するまでの127時間を描いた映画。
さすがダニー・ボイル! と感じるほど躍動感あふれる演出。
その演出のおかげで極限状態にありながら、画面には生きる喜びや活力が溢れており、
理屈ではないエネルギーが観る側にも伝わってくる。
そして、それは純粋な感動を引き起こす。
主演のジェームズ・フランコも良く、時には力強く、時には繊細に生きることへの渇望を表現していた。
■描かれる、生きる喜び
この映画の最大の特徴は、画面からほとばしる生のエネルギーだ。
生きることの素晴らしさを理屈で説明するのではなく、映像や音楽を通して、感覚的に伝えている。
そこに理屈は必要ない。
むしろ理屈があると、生きる喜びは半減してしまうだろう。
主人公の持つ特定のエピソード等で、生きる喜びに理由付けがされてしまうと、
同じような経験を持つ観客にしか共感を得られないし、
共感を得られたにしても、感動の向かう先が生きる喜びではなく、そのエピソード自体へと変わってしまう。
純粋な生に対する喜び、渇望ではなくなってしまうのだ。
その意味で、ボイルの演出は、この題材にピッタリはまっていると言えるだろう。
しかし、主人公の背景が全くないわけではない。
ボイルは持ち前の躍動感あふれる演出――躍動感あふれる映像と音楽の連動――で、主人公の過去への郷愁と未来への希望を完璧に表現した。
映し出される映像は、劇的な物語を持っているわけではなく、
思い出や希望の一端が、フラッシュバックのように浮かび、入れ替わっていく。
まるで主人公自身の心に浮かぶ映像を、そのまま映しているような撮り方だ。
だからこそ、観る側も主人公に寄り添い、感動を、渇望を共有できる。
物語という理屈が与えられていないからこそ、感覚的に主人公の内面に近づくことができるのである。
また、過去や未来ではない、岩に腕を挟まれているというその状況の映し方にも、特筆すべき点がある。
生きるか死ぬかという瀬戸際にあっても、自然の偉大さ、美しさを描くことを忘れていないのだ。
渓谷の偉大さ、広がる大空、とりわけ、夜明けに渓谷へ日光が伸びてくる描写は最高に美しかった。
極限状態であっても、それに感動できる主人公の描き方も、好ましい。
■ジェームズ・フランコ
主演のフランコも素晴らしい。
彼がもともと持っている、にやけた表情と影のある雰囲気が両方活きている。
冒頭、ブルー・ジョン・キャニオンを目指して進んでいく姿には、こちらも理屈やキレイ事を抜きにした、ただ単純に冒険を楽しむ様子が見てとれ、
そのシンプルさが、何とも気持ちがいい。
そして、その理屈のなさとにやけた表情が絶妙にマッチしているのだ。
冒頭の理屈のないこういう冒険心は、遭難してからの理屈のない生への渇望へと繋がってもいく。
遭難してから活きてくるのが、影のある表情だ。
冒頭に多く出てくるにやけ顔との対比も良く、
軽いノリの若者の内に、恐怖、葛藤、後悔などが、あることを自然と表現。
眉毛をゆがめ、目を潤ませた表情からは、主人公の切実な思いがじわりと伝わってきて良い。
こういった面は、もともとの彼の素の部分が多いためか、演技らしくない演技、
つまり、力強く演じてはいても、それがオーバーではなくとても自然。
この自然体の演技が、映画の持つドキュメンタリー性に、説得力を持たせてもいるだろう。
超個人的には、岩から解放された時の主人公の行動が、最高にカッコいい。
ボイルの生命力に溢れる演出とフランコの自然体の演技が魅力の、最高の1本。
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