悲しさの中にちりばめられたユーモアが心地よく、
そのユーモアが次第にひとり一人の可笑しくも温かい人柄と溶け合っていきます。
そうして、物悲しいが、温もりに溢れる映画となっているのです。
■ユーモアと時代に取り残される悲しさ
淡々とした口調で語られる物語は、序盤からどこか物悲しい雰囲気をおびています。
西へ逃げてしまった父、それにショックを受け、一度心を閉ざしてしまった母。
元気になり、主人公が大人になってからは、今度、母は心筋梗塞で倒れてしまいます。
不幸な時代の不幸な境遇としか言いようがありませんが、
その語りには節々にユーモアがちりばめられていて、悲しいはずなのにクスリと笑ってしまいます。
そんなで出しのこの映画は、壁が崩壊した後、目覚めた母のためにその壁の崩壊を隠そうとする段で、
さらにユーモアの味を濃くしてきます。
主人公自身が大きな変化に衝撃を受ける様子や、変わってしまった世間を母に見せないようにあれこれ奮闘する姿が、実にユーモラスに描かれているのです。
しかし、そういうユーモアを面白いだけで終わらせていないところに味があるのです。
その背後には、それまで信じていたもの、憧れていたものが壁の崩壊と同時に崩れてしまったことへの、大きな悲しみが隠れているのです。
その悲しみを非常によく表しているのが、後半です。
主人公が母のために創りあげた架空の東ドイツは、いつしか彼が望む社会になっていきます。
もしこうであったなら、そんな悲しさが形となっていきます。
これこそが、この映画が描こうとしていたものなのだと感じられます。
時代の節目に遭遇し、大きなカルチャーショックに襲われる不安や悲しみや孤独。
ベルリンの壁崩壊だけでなく、例えばアメリカの独立戦争後や戦後の日本でも、
人々は同じような気持ちに襲われたでしょう。
そういう心の揺れを、「その社会の変化を隠す」という特異な状況を作り出し、
他にはない形で表現しているのです。そして、それは大成功しています。
■映画に溢れる温もり
もう一つ、この映画に描かれている素晴らしいものをあげるとするなら、それは温もりです。
それを感じさせる最も大きい要素が、主人公と母親のお互いに対する深い愛情です。
主人公が母のために壁の崩壊を隠していたのには、おそらくエゴのようなものもあったでしょう。
彼が望んだ社会を、母に押し付けているようにも見えるからです。
しかし、逆に言えば、それが感じられるからこそ彼には人間味があり、
母への愛情も作り物に感じません。
当然マイナスの面も持っている生身の人間の生身の愛情が感じられるのです。
切なさも一入です。
そんな彼が作った社会を見つめる母の視線には、やはり深い愛情が感じられます。
嘘をつくこと、そして嘘を見つめること、という独特の愛の形がこの映画に温もりを与えているのです。
ひとり一人のキャラクターの存在も、温もりを感じさせます。
なんとなく面白くて笑ってしまうキャラクターたちは、なんだかんだいって、とても優しい人々です。
母にニセのニュース番組を見せるために主人公と一緒に奮闘する友人や、
元西ドイツ出身だとバレないように、主人公が作った台本を覚えて(あまり努力は実っていなかったが)母の前で自己紹介する姉の恋人など、
その人柄は面白さと温かさに満ちています。
この温かさがあるからこそ、珍妙なエピソードの一つひとつがユーモラスに映るのです。
悲しさとユーモア、そして温もりが溶け合い、素晴らしい映画を形作っているのです。
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