バナナフィッシュの世界―小説と映画の小部屋―

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『二すじの紫煙』

 

 学校に傘を忘れてきた。すぐに気付いたのだけど、その時は、まだ雨は降ってなかったし、わざわざ取りに戻るのもダルかったから、そのまま歩いている。それで、しばらくすると、まるで道路を侵食するみたいに、暗い色がじりりと辺りに広がっていって、変だなと、ふいと顔を上にあげてみると、空でも真っ黒な雨雲が、青さを呑み込むようにずううんと広がっている最中だった。あ、やばいな、と思ったのとほぼ同時に、雨がざばざば降ってきた。

 急な雨のせいで、持っていた煙草が紙くずみたいに、へにゃへにゃのぼろぼろになり、手にへばりつく。その気持ち悪い感触が嫌で、私は煙草を道端に捨てて、手をふって白い紙くずを落とそうとした。けど、その感触はなかなか取れない。あー、マジうざい。私はそんなふうにつぶやきながら、それでもゆっくり雨の中を歩いていた。

 周りを歩いてる奴らは、大抵、傘を持っていて――天気予報で雨降るって言ってたし――私だけに大粒の、重たい雨が降りかかる。ずぶ濡れになると寒かったけど、その寒さにだんだん慣れてくると、むしろ心地よくなってくる。なんだか、自分の心に、雨がじわりと馴染んでくるみたいだった。

 いつもは、煙草を吸ってる時が、一番落ち着く。一人で煙を吸って、それを、ふう、と吐き出すと、なぜか安心した。だけど、今は煙草を吸ってるその時より、心が緩んで、「ああ、本当に一番落ち着くのは、雨に濡れてる時なんだな」と私の頭が考えていた。

 それで、もっと考えた。濡れながら。一人の時は大抵、なんか意識して考えるんだ。

 

 ――学校が嫌だ。嫌いな奴らばかりだから――

 

 たとえば、同じクラスの高橋って女子。みんなから「優しいいい子」って言われてるけど、本当は全然優しくなんてない。優しいふりをしてるだけ。だって、クラスで目立ってて人気のある子が具合悪そうだと「大丈夫? 保健室一緒行こうか?」とか話しかけて、他の子相手に「すごい辛そう。大丈夫かな?」とかそんなことを三分おきくらいに言ってるくせに、目立たない全然イケてない子が具合悪そうな時は知らん顔してやがるんだ。目があったって、なんとも言わない。要は、自分が好かれて得する奴には優しくて、得しない奴には冷たいんだ。好かれたい相手にだけ「いい子アピール」しやがる。偽善者って言葉は、たぶん高橋みたいな奴のためにあるような言葉だよ、きっと。

 それから、小西って男子も大嫌いだ。へらへら笑いながら自分より弱い奴をバカにして、それが楽しくて仕方ないってタイプのくそ野郎だ。同じテニス部の布目って男子のことをいじめるのが好きで、そいつがなんか言うたびに、「黙れ、顔面障害者」とか言ってへらへら、へらへら笑ってる。そのへらへら顔を見てると、腹ん中にむかむかしたものがわいてきて、吐きそうになる。そのくらい、小西のことは大嫌いだった。

 いじめられてる布目って奴も、実は同じくらいか、それ以上にムカつく野郎だ。自分はいじめられてるくせに、自分よりもさらに弱いいじめられっ子のことは、小西なんかと一緒になってバカにする。「お前、キメえよ!」とか大声で言って、小西に「ってかお前も同類じゃね?」とか言われると、「いや、一緒にされたくないし」って、小西と同じへらへら顔で言うんだ。自分が少しでも優位にありたいって、そう思って、必死に弱い者いじめしてるんだよ。だから、自分だって気持ち悪いくせに、人にはキモいっていうんだ。くそ野郎だ。ファック・ユー。

 いやがらせを受けてるのは、いじめられっ子ばかりじゃない。いや、いやがらせ受けてる時点でいじめられっ子なのかもしれないけど、どうも「いじめられっ子」って言葉が似合わない奴がいる。佐藤って男子で、そいつ自身、授業中に勝手に教室出て行っちゃったりする不良っぽい奴だった。いじめられっ子と言うよりは、一匹狼って感じの奴だ。

 実は佐藤のことは嫌いじゃない。いい奴かどうかは知らないけど、少なくとも嫌なところはなかった。他の奴にいやがらせするわけでもなく、周りにいい奴アピールするわけでもなく、ただ授業中に廊下を徘徊してるだけだ。

 そんな佐藤がいやがらせされる理由は三つ――くらいかな――ある。一つは、性格が悪いから。いや、私は性格悪いとは思わないけど――むしろ、他の奴らの方がずっと悪い――ほとんど誰ともしゃべらないし、周りで騒いでる奴らのことを、いつも冷めた目で見てるから、みんな馬鹿にされてるんだと思ってるみたいだ。実際、馬鹿にしてるんだろうけど。

 二つ目は左手にリストバンドをしてること。中学に入学した時から、ずっとはめてる。だから、そのリストバンドとすかした態度のために、周りから「リスカ野郎」と呼ばれていた。本人は特に言い返すこともなく、シカとし続けているけど、逆にいくら言われてもリストバンドを外そうとはしなかった。

 最後の理由は、かなりエグイ。私でも、佐藤のことが可哀想だと思うくらいだ。

 佐藤が小五の時、父親が自殺してしまったらしい。しかも、佐藤の目の前で灯油かぶって自分で火をつけたって、噂だ。ずっと父親が鬱病だったって、そんな噂もある。それで、小西みたいないじめっ子集団は、「あいつも鬱だからしゃべんねーんじゃね? そのうち灯油かぶるよ」とか、そんなことを佐藤に聞こえるように大声で言って、げらげら笑っている。理科の実験で、ガスバーナーとか使う時は、「やばい、やばい、佐藤の親父みたいになるかもよ」なんてことを言って騒ぎまくる。そんな時、私はいつも、胸の中にぞくりと冷たいものを感じて、それがぞわりぞわりとうごめいた。居たたまれない気持になって、どうしたらいいか分からなくなって、でもどうにもできないから、そのぞわりという気持ち悪い感触を、胸で押さえつけながら、ただ、黙って実験を続けていた。

 そんなことを思うと、本当に嫌になる。学校だけじゃない。世の中には、顔の違う高橋が、小西が、布目が、溢れてるんだ。テレビで流れてる高橋みたいに偽善的なドラマも、電車ん中で人の悪口を大声で話して馬鹿笑いしてるような小西や布目みたいな連中も、みんな大嫌いだ。世の中くそだめだ。私はくそだめの中で生きてるんだ――

 

 そんな、「いつもの学校」、「いつもの世の中」のことを考えながらずぶ濡れで歩いていると、ふいと、傘をささずに歩く姿が目に留まった。

「佐藤」

 私が呼びかけると、佐藤は振り返って、雨なんて何でもないようにのんびりとした感じで、

「何?」

 私は小走りで近づきながら、聞いた。

「あんた、傘持ってないの?」

「ああ、壊されてたから、小西の机に置いてきた」

 いい事するなと思った。

「ってか、お前も持ってねーじゃん」

「私は忘れてきちゃって」

「雨降ってんのに、傘忘れんだ」

「出た時は降ってなかったんだよ」

 そんな風に言ってると、何だか、二人してこんなずぶ濡れになってるのがおかしくなって、なんか、笑ってしまった。

「何笑ってんだよ。変なヤロ―だな」

 そう言ってる佐藤も、珍しく笑ってた。その顔を見ると、なんか、少しだけ、気持ちから重さが引いたような感じがして、余計に笑えてきた。

「お前んち、どの辺? 遠いの?」

 佐藤が聞いてきた。

「あー、もうちょっとあるかな」

「じゃあさ、そこのバス停で雨弱くなんの待とうよ。さすがにこの雨きついし」

 

 そのバス停は屋根付きで、でもベンチはびしょびしょに濡れてた。けど、はじめから私も佐藤もびしょびしょだったから関係ない。二人でベンチに座って、ざあざあ音を立てて降る雨を見つめた。そうしてると、ふうっと言葉が頭に浮かんできた。で、雨の音に気を取られてたせいかな、私は何も考えず、その言葉を浮かんだままに言ってしまった。

「あんたさあ、なんで生きてんの?」

 佐藤は驚いたように、目を大きく開いて私の方を見た。で、その顔に意識が向いた途端、頭の中で自分の言った言葉の意味が鮮明になった。しまったという後悔で、私は慌てて、

「あんたがどうのってことじゃないよ。私が生きてても意味ないなって思えるから」

 ――と、自分が言ったのを聞くと、続けてその言葉が胸に迫ってきた。そうだよ、意味ないじゃん、生きてたって。だって、世の中には、高橋とか、小西とか、布目みたいな奴ばっかりなんだから。

「別に理由ないけど……」

 佐藤は言って、少し視線を下へ向けた。その顔が――もともとそういう顔をしてるんだろうけど――悲しそうに見えて、なんか、目頭が熱くなってくる。と、佐藤が視線を戻して、私を見て、

「でも、とりあえず、生きてるしかねーじゃん?」

 その佐藤の言葉は私の心にすうっと入ってきた。すると、心ん中に岩みたいに重くのしかかってたものが消えていく感じがして、なんか――気持ちがふわりと浮かんだ。

「そっか」

 私は短く言って、また雨を見つめた。地面にも、木にも、石っころにも、私たちの屋根の上にも、平等にざあざあ降り続ける雨。それをしばらく黙って見ていると、なんとなく、

「ねえ、キスしてみよっか?」

 佐藤は少し間を置いて、

「いいよ」

 それで私たちは向き合った。でも、いいよって言ったくせに佐藤は動かないから、私が顔を近づけた。すぐそこまでいくと、ちょっと気になって、

「あんた、キスしたことある?」

「ないよ」

 それを聞くと、なんか嬉しくなって、私はそのまま佐藤の小さくて薄い唇に、私のぽってりした唇を重ねた。その唇の感触は、乾いてて、冷たくて、そのせいか悲しい味がした。

 顔を離すと、佐藤の目から涙が、つう、と伝った。佐藤はすぐ掌でそれをぬぐったけど、また目から涙が溢れて、同じところを同じように伝ってしまう。それを見ると、佐藤をなぐさめたくなって

「煙草、吸う?」

「……うん」

 私はポケットからキャスターマイルドの箱を取り出すと、中から二本、煙草を取り出した。雨のせいで湿気てしまってたけど、別に構わない。で、一本を佐藤に渡し、火をつけ、二人で雨を見ながら煙を吸って、吐き出す。そうしながら、やっぱり一番落ち着くのは、煙草を吸ってる時だな、なんて、そんなことを考えてた。

 私たちの吐き出す煙は、細く、ゆっくり、深海みたいに暗くて冷たい空気の中、それでもくっきりと白い線を描いて、上へ上へ、上っていった。

 そう、私たちは上ってくんだ。細かろうが、のろかろうが、くそだめみたいな暗い世の中をとりあえず生きれば、ちゃんと、上っていくんだよ、きっと。

 

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