バナナフィッシュの世界―小説と映画の小部屋―

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『運命が、ふってきた』

 

 明るいリビングに少年が一人。手に持っているのはバレンタインにもらったチョコレートの箱だ。それは水玉の包装紙に包まれ、ピンクのリボンがあしらわれていて、リボンには丁寧な字で書かれたメッセージカードまでついている。まるで小さくて可愛らしい、一つの作品のような箱だった。

 彼はその作品を、ちょっとの間眺めていたが、すぐに給食の牛乳パックを潰すみたいにして、あっさりと紙を破って箱を開け、その中身に目を落とす。と、そこには――まるで小さな宝石みたいなきれいなトリュフチョコレートが三つ、礼儀正しく並んでいた。彼はその中の一つを、寒さや、乾燥で赤くなった指でつまむと、ぱくりと口に含む。と――トリュフチョコのくせに、固っ。その繊細な見た目とは正反対に、歯で噛み砕くのはもはや不可能に思われる強靭なボディを持つトリュフらしきチョコを、仕方なく口の中で溶かしていく。一つ目を溶かしきるのに、三十分かかった。二つ目も同じように、口の中で溶かしたが、三つ目になると、もう、口の中自体がチョコになってしまったように、甘ったるくて、気持ち悪い。もう食べたくなかった彼は、宝石みたいなチョコに見つめられながら、考えた。――と、ポケットの中でケータイが鳴り始め、出る。学校の友達だ。

「うん……、うん……」

 友達が話すのに合わせて、相槌を打ちながら、チョコをつまむ。

「そう、あしたは雨だって、天気予報で言ってたよ」

 そう言いながら、つまんだチョコを、観葉植物とか枯葉なんかが入った水槽にぽとりと落とす。

 その水槽の中には、一匹の、コノハカメレオンが住んでいた。小さくて精巧な模型のように固まっていた彼の前に、突然、茶色い物体が降ってきたのだ。驚きで、一瞬、ピクッ、と後ずさった彼は、片足を上げた状態で再び模型に戻る。そして、目だけキョロっと動かして、目の前に現れた物体を確認する。しばらく、じいっと見つめたまま固まっていたが、どうやらそいつは動く気配がない。見つめているうちに好奇心がぽつりと胸で輝き始めた。未だに彼は片足を上げたポーズのままでいたが、次の瞬間、さささっ、と動いて茶色い奴に近づいてみる。そして、ぺろりと長い舌でなめてみると――それはまるで天国の味だった。突然、目の前の世界が輝きを増して、心にも輝きが増して――彼はぺろり、ぺろりとチョコを全て食べてしまった。

 その日を境に、彼は上を見つめて過ごすようになった。もう一度、あの天国の味に出会いたい。彼は、ぱっちり開いた目を上へ向けて、ずっと、幸せが降ってくるのを待っていた。

 月日は流れた。その間、晴れの日も、雨の日も、曇りの日も、雪の日も、台風の日も、いろんな一日が過ぎていった。しかし、彼はそんな変化とは無関係の、無機質な世界の中、ただ、ひたすら、待ち続けた。

 少年はどんどん成長していき、毎日いろんなものを食べた。ハンバーグ、寿司、あんこう鍋、スパゲッティ、野菜炒め、それにアイスクリームやクッキー、チョコレートなんかを。

 カメレオンは、毎日、毎日、与えられたコオロギを捕まえて食べた。でも、どんなにコオロギを食べても、彼の心は満たされなかった。彼の待ち続ける天国の味は、いつまでたっても現れなかった。

 そして、彼は年を取った。もうコオロギすら食べることができなかった。それでも待ち続けた。せめてもう一度、一口だけ、あの甘い幸せに包まれてみたい――

 それから間もなく、彼は動くこともできなくなった。足を動かそうとしても、それは鉛のように重い。目がかすんで、観葉植物の緑も、枯葉の茶色も、白い膜の向こう側に行ってしまった。彼は上の方を仰ぎながら、悟った。これが最期なんだと。――その時、

「そう、あしたは雨だって、天気予報で言ってたよ」

 ふいと、そんな声が聞こえてきた。そして、かすんだ目で、それでも、はっきりと、見た。あの茶色い奴が、天国の味が、上から降ってきたのを。

 

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