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村上護編『尾崎放哉全句集』(ちくま文庫)

  自由律俳句で有名な尾崎放哉〈おざきほうさい〉全句集は、筑摩書房刊行で全三巻で2001年に出されました。幸い、学校図書館が入れてくれました。その折りに生徒に向けて紹介文を書いた覚えがあります。

この度、文庫版が出版されました。書簡を含めて読み直してみましたが、自分が勝手に抱いていた放哉のイメージとは少しズレがあるなという印象を受けました。未だ、その辺りを明確に説明するだけの力をもちませんが、いずれ自分なりに文章化してみたいとは思っています。

 家族には迷惑千万だろうと思うのですが、私にはかなり年少の頃より隠遁願望がありました。基本的には「欲望」というものを打ち消そうというよりも、「面倒臭い」ことを避けようという──もしかするとこの欲望が私の中では最も強い欲望なのかもしれません──ことの延長上にある姿勢に過ぎないのかもしれません。ただ、通常は、その「面倒臭さ」を金銭を出して機械や企業などのサービスに置き換えていくことが近代文明の特徴になるのでしょうが、私の場合は、「望まない」という意識の転換によって「面倒臭い」ことを避けるという欲望を満たすことが多いのです。誰かに代わりにやってもらうということも避けられないことではあるのですが、これも実は望みません。そうすることで、その人に対する負い目を感じるのが嫌だからです。

 以前にも読んでいたはずなのですが、今回、文庫版で「年譜」を読み、村上護の解説を読んで、尾崎放哉が京都・一燈園に入り、須磨寺の寺男、小浜、小豆島と移り、41歳で亡くなるという彼の世俗を捨てる以前のことを少し確認しました。一高3年生のときに夏目漱石に英語を習い、漱石に傾倒したということも以前読んだときにはあまり気にも留めていなかったことです。東大法学部を(6月のところを10月に追試験で)遅れて卒業し、穂積陳重の薦めで銀行ではなく保険会社に勤めます。

 従妹の沢芳衛と相思相愛の仲になり結婚を望むが彼女の兄に反対され断念したあたりから酒に浸り、芳哉の号を放哉に変えたのも、落第も、この恋愛が成就しなかったことと関係が深いかも知れません。
 裁判官の次男(とはいえ長男は夭折)として生まれ、エリートコースを歩んできた放哉の転機であったような印象を受けます。
 保険会社での人間関係に疲れ、大正10年秋に契約課長事務取扱を免じられ、年末には退社し、故郷鳥取市に帰っています。どうやらアルコール依存症であった様子がうかがえます。大正11年4月に朝鮮火災海上保険株式会社支配人として新会社設立の準備に奔走。母親の死去にも帰郷できなかったとのことです。肋膜炎を病み、社長との禁酒の約束を守れなかったためか、5月には馘首されています。その後満州で金策に動くものの病に倒れて、一燈園での奉仕活動へとつながるわけです。
 ただ、厳しい托鉢には耐えられなかったようです。

 種田山頭火もそうですが、世俗的な失敗と脱世間と作句の関係が、人の気持ちを惹くのでしようか。なんともいえない孤独な寂しさが顕れた句に心打たれるものがあるような気がします。住宅顕信のように肺結核による入院の上に幼児の世話まで抱え込むという切羽詰まった境遇というところで詠まれる句には、われわれ常人が日常生活に安穏としていられるのとは違った迫力が生まれます。それは、厳しい現実の隙間にほっとできる時間を得ようとし、それを表現している余裕という些か転倒したかたちで結晶化しているのではありますまいか。
 俳句については素人の私のいうことであり、大した意味もないのですが、極めて個人的にそのように感じてきたのです。

 ねそべって書いて居る手紙を鶏に覗かれる

 土塀に突っかい棒をしてオルガンひいてゐる学校

 あけがたとろりとした時の夢であったよ

 いずれの句も鶏と作者との関係、距離が縮まっているようには思えないし、オルガンの音は彼の耳に達しながらも学校の誰とも放哉とは結びついていない。直接表現はないものの孤独である。その孤独は、ある意味では放哉の方から罰として遮断したものであるのかもしれない。こんな感じを受けるのです。
 それでいて、それらの句に流れている時間は、ゆったり、のんびりしたものでしょう。金策に走り回っていた時期とは全く別種のゆとりある姿勢が見られます。ただし、それは安全や安心とは無縁のある種の緊張感の狭間に生まれたゆとりのような気がするのですが、いかがでしょうか。
 人は本当に得ようとしたものを逃し、得られなかった後には、どうしても自罰的にならざるを得ないものかもしれません。あるいは、自分の内面に隠れている甘えに対し、時に厳しく向き合おうとするものの、やはりどこかに身勝手な甘さが見え、それを許せない気持になり、そこから自罰的になるのかもしれません。

 をそい月が町からしめ出されてゐる

 写生的な風景とも見えますが、私には、閉め出されたのは放哉その人と聞こえます。他のすべてを否定しきって、句を作ることだけに自己の存在を託した晩年の三年ほどの生き方は、逃避でもあるかと思いますが、純粋な生の結晶化ともいえましょう。私が惹かれるのは、そうした純粋さでもあり、その底にある挫折と弱さの認識のような気がします。(3.2)

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