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脳科学が発達し、従来の神経科学とは異質のものになったのには、脳画像検査(脳機能イメージング)法の飛躍的な進展があると著者は説明します。 |
| fMRIは、水分子に含まれる水素原子ではなく、脳活動に伴う還元ヘモグロビンの増加によって生じる信号強度の変化を時間経過とともに計測して画像化するという装置です。ただ欠点は、速い速度の変化を知るには適していないということだということです。 ということで、MEG(脳磁図)という新しい装置が脳内の機能や変化を知るには最適だということのようです。これは、超電導状態での微小な磁場変化を測定する装置なのですが、かなり高価な装置であまり普及していないものだそうです。 これらの装置を用いた研究が、1981年になって『発達障害研究』という専門誌に論文が載り始めた精神発達遅滞、1985年初出の学習障害、1995年初出の高機能自閉症とアスペルガー症候群、1999年初出の注意欠陥多動性障害(ADHD)といった最近になって注目を集め始めた、また、教育関係者にも衝撃を与えた発達障害について応用されるようになってきたのです。 発達障害についての説明は、省きます。一応の知識はあるものとして話を進めます。 本書では、学習障害(LD)を、@読みの障害A書くことの障害B算数障害の三つからなる障害に限定します。文科省の定義ではこれに、話す、聞く、推論する能力を加えています。新聞や雑誌で紹介されている学習障害(LD)は、さらに文科省定義に、注意力のLDとしてADHDが加えられ、運動のLDとして協調性運動障害、社会性のLDまで加えられています。最後のものはアスペルガー症候群や高機能自閉症に当たるものでしょう。アメリカの精神医学の診断基準であるDSM−Wの内容を踏襲するとすれば、最も狭い定義に限定するのが妥当ということになります。 新聞雑誌の説明は、むしろ発達障害そのものということになるでしょう。 発達障害のうち、広汎性発達障害に私の当面の関心はあります。脳機能の特定の領域だけでなく、幅広い領域に障害を起こす症候群のことで、これには女児にだけみられる精神遅滞、けいれん発作、特異な不随意運動を特徴とするレット症候群が含まれている以外は、対人関係の障害に関わる自閉症スペクトラムと呼ばれているものになります。 カナーの発見した自閉症は、@言語の発達の遅れA他人と感情を共有したり意志疎通を図ることの困難B特定のものや場所あるいは行為へのこだわりという症状をもちます。日本では150人に1人、0.6%いると言われています。 自閉症のうち知能障害を伴わないものを高機能自閉症といい、自閉症児の20%はこれに当たるとされています。私の職業で直接関わってくるのは、このタイプということになりますか。 病院は、昔、私が精神医学を大学で習ったときには、母子愛着関係の形成不全や言語中枢の発達障害説が紹介されていましたが、最近は、多くの遺伝子の関わる遺伝性疾患ではないかという説が有力になっているそうです。 アスペルガー症候群では、言葉の遅れはない。人の視線、表情、顔の同定がが苦手で、身振り手振りの理解も困難、人との距離が採れず、比喩・暗喩・反語が理解できない、感覚過敏、選択的注意ができない、特定のものや事柄への強い関心を示すといった特徴をもつ。最後の特徴がむしろ超人的な才能として発揮されるものがサバンと呼ばれている。映画『レインマン』のモデルとなった数字に強い例がわかりやすいだろう。 さて、著者は、自閉症児の脳部位の容積率のチェック(ボリューメトリー)をした研究知見から、大脳が有意に発達遅滞児群、定常発達児群より大きかったことを確認しています。さらに次のようなことに注目します。発達遅滞児群では小脳が小さかったが、自閉症児群では小脳も、これまで注目されてきた海馬や扁桃体は大脳サイズに比例していた。ただ、典型的自閉症に限ると扁桃体は大脳より肥大傾向が見られた。 別の研究では、脳の各部位の灰白色(ニューロン)と白色(神経繊維)との比較をすると、自閉症児は灰白色の容積減少、脳脊髄液の容積が増大傾向が見られた。灰白質の減少は、前頭葉、線条体や頭頂葉で目立ち、小脳や内包(大脳運動野からの神経繊維束)では白質が減少していた。 ボリューメトリーでは脳機能についてはまったく情報が得られません。視覚刺激による赤毛ザルの実験から、サルや人の顔を見たときにのみ活動する神経細胞群があることがわかっています。また、「相貌失認」とよばれる神経症状から脳の一部の破損が知っているはずの人の顔を見てもそれが誰だかわからなくなる患者さんの死後解剖による知見もありました。それが現在では、MRIなどを用いて脳のどの部位のはたらきと関連があるかが確認できます。 fMRIによる自閉症成人の研究では、顔の認識と紡錘回の活性化とが関連していることが突きとめられています。自閉症では、刺激を受けても、この部位が活性化しないのです。おそらく、自閉症では人の顔に関心がなかったため、紡錘回の発達がみられなかったのだろうと推論しています。 情動の変化も他人の表情を見るという行為には随伴します。恐怖や快不快の情動と深く関わっているのが扁桃体です。MEGを使った研究では、表情を判断する課題で、紡錘回だけでなく扁桃体や前頭葉下部の活性化がみられたことを確認しています。 fMRIを使用した研究で、高機能自閉症成人と対照者の間に笑顔では差がなく、恐怖では左の島と呼ばれる部位や左の下前頭回、大脳基底核の一部において自閉症の成人の活性化が低いことを確認しています。紡錘回や扁桃体ではなかったようです。 実験により差があり、未だ確実なことは言えないにしろ、自閉症者と対照者では脳内過程に明らかな差があることは否定しようがないと著者は記しています。 その後、視線認知に関わる脳内部位の反応について、さらにミラーニューロンという見ている相手がある行動をとったときに、見ているだけの者の脳の内部に活性化が起こる部位があるのですが、それに関する研究が紹介されます。 自閉症者では、ものまね反応において、ミラーニューロンの反応速度において特定の段階での伝達速度が遅くなることが分かっている。この知見だけでは自閉症者が物まね遊びができないことを説明しつくせないだろうが、関連性は考えておく必要がある。 「心の理論」つまり自分と他人とは違う考えをもっていることを認識できるかについての実験も紹介されている。 店に押し入って強盗を働いた犯人が逃げていた。うまく逃げおおせたので帰宅する途中、この強盗は手袋を落としてしまった。手袋を落とすのを見ていた警官が、強盗であることを知らずに、落としたことを知らせようと「おーい、君、止まりなさい」と叫んだところ、強盗はあきらめて、強盗に入ったことを警官に告げて降参した。 アスペルガー症候群の被験者では対照者が最も反応した部位に近いが、より内側で下方に位置していることがわかるのだといいます。つまり、「確定的なことはいえないにしても、自閉症者では心の理論課題を遂行するときに、対照者とは少し異なった脳部位を使っていると解釈するのがもっとも妥当であろう」というのです。これについての異なる方法による実験はいずれも同じ結論を導いているようです。 さて、なぜ私がこうした脳科学の成果に関心を示すかです。相も変わらず「親の躾が悪い」とか、「対人関係の重要性を分かっていないから言い聞かせてやらなければならん」といった反応が教師の中に多いことにもううんざりしているのです。 これは脳の機能の疾患だという認識がないのです。一番望ましいことは治療法が開発されることです。研究者には是非ともそのための努力を続けていただきたいものです。しかし、抜本的な事は解明されていなくとも、副産物として心理学者や教育者がどう対応すればより事態を改善できるか、当人の社会適応を促進できるかのヒントは得られると著者が言うように、「排除」するのでなく、より合理的な努力をすることが大事なように思えます。おそらく、そのことは、定常発達者やいわゆる健常者にとっても生き方の多様性を容認された風通しの良い社会を形成していく上での励ましになるのではないでしょうか。 分子生物学の飛躍的な発展は、遺伝子由来の障害を変えることのできない宿命のようなとらえ方から解放しつつあります。 無論、まだまだ道は遠く、とてもすぐに対応できる治療法が提示されているわけではないのですが、ちょっと前までの、「遺伝病」と聞くだけで、だれも変えることのできない不運とする感覚は薄れつつあります。まして、「親の因果が子に報い」とか「前世の因縁」なのだから本人が悪いといった反応はむしろ「差別的態度」として社会的に否定されていると思います。 また、逆に、環境決定論から親の責任、特に「母親の育て方が悪い」という決めつけも随分無責任に言い散らかされてきたのですが、「それは違う。遺伝子疾患なのだ」と明確に証拠を挙げて示すことができるようになり、部分的ではあれ、症状改善の薬の利用による効果の確認がなされれば、次第に、事態の改善の努力にエネルギーが割かれるようになるでしょう。誰かのせいにして放置するより断然ましな方向に向かうはずです。 そういった意味で、正確に現時点での専門領域の研究の到達点を知りたかったのですが、その欲望に本書はうまく答えてくれています。(3.12) 内野真・オザキミオ『子どもたちの叫び 児童虐待、アスペルガー症候群の現実』(NTT出版)「心を抱きしめて─児童虐待 愛されなかった子どもたち─」と「さまよう心─アペルガー・タイプに生まれて─」という二編の小説で本書は構成されています。 それぞれの現実をよく知る児童支援のNPO活動に携わっている人が、多くの人に伝わりやすい形式として小説を選んだものだということです。モバイル・コミュニケーション・ファンドという社会教育や国際協力、環境保全などのNPO支援団体編というかたちで、支援するNPOのリストも加えられたものになっています。 ここでは、オザキミオ「さまよう心─アペルガー・タイプに生まれて─」を中心に取り上げてみます。 小学5年生のマオ君はいつもおとなしく、同級生から離れて一人でいる目立たない子どもでした。4月7日、心に期する所あるマワ君は、BB弾ピストルをしのばせて登校します。夢の中で追いつめられて「このままではやられてしまう」と反撃の計画を練ったのでした。 職場でプレゼンテーションの準備にかかろうとしていた母親のもとに学校から電話がかかり、マオが休み時間に同級生にカッターナイフで斬りつけ怪我を負わせたという連絡が入ります。母親は早退を上司に申し出て、学校に向かう車の中で、小学校に入ってからの緊張し、硬い表情をした息子を思い出します。争うことが嫌いで、ひとり静かにしていたい子どもで、地理は大好きだけれど算数などは修得に時間がかかり、根気強く何度も練習させてきたこと、何度も学校に行くことを嫌がり、「どうしてみんなとあそばなきゃ駄目なの」といったことを訴えていたことを思い出します。何かあったのだという気がするのですが、何があったのかよく把握できません。 小学生によくみられる喧嘩とは思えず、担任もいじめがあったのかどうか確認しますが、マオ君はキィーという声をあげて叫ぶばかりで何も話せません。 やがてマオ君は登校しなくなり、終業式の日には保健室で通知簿を受け取りました。母親は仕事を一週間休みましたが、それ以上迷惑はかけられず、比較的近くに住む祖父が昼食を運んでくれるのに任せました。父親は、海外NPOに従事し、紛争地域に水路を建設するという困難な事業を進めており、年に一度程度しか帰ってきません。 担任のスズキ先生は何度もマオ君の家を訪れ話をして帰ります。どうしても理解できずに気になって、教育相談所を訪れます。臨床心理士の相談員に話すうち、もしかしたらアスペルガー症候群なのではないかということを示唆します。担任には納得するところがあり、母親に話をするのですが、母親には診察を受けさせる余裕が出てきません。 そんな中、祖父が骨折で入院する騒ぎがあり、電話で説明されなかせらマオは病院に見舞に出ることができない自分を責め、そのことをわかってくれない母親に対する非難の気持ちも高まり、また、母親の行動から見捨てられたと感じて混乱し、部屋中の物を破壊し、ガラスで血を流すような騒ぎを起こします。二次的な障害が深まってしまったのでした。 ようやく病院で専門家の診断を受けたときには六年生になっていたのでした。 もう少し時間をかけなければ正確な診断はできないが、言葉の遅れを伴わないのでアスペルガー症候群の範疇でしょうと告げられます。広汎性発達障害(PDD)、特定不能の広汎性発達障害(PDD−NOS)などと診断される場合もありますが、強いこだわり、不自然な行動パターン、独特のコミュニケーション、感覚の過敏などの特性をもつのですが、個人差が大きいようです。 空気を読めない発言がよくみられます。この小説でも、病室で、遮光サングラスを奨める医師に対して「そんな妙なものは僕いりません」とキッパリと断って、看護師とともに笑っていた。それまでの母親なら「先生にそんな失礼なことを言っちゃいけません」とたしなめていたのだが、ちょうど病室に入って事情を聞いた母親は一緒に笑ってしまったという場面を描いています。 叔父に対して「禿にならないか心配ですね」と言ったり、病院のカレーに「僕はインドカレーしか食べません。ご飯にカレーをかけて食べるのは気持ち悪い。インスタントは食べません。できればタミンとガラムマサラを入れてください」などという反応を返します。こだわりを示す例です。 この小説では、マオ君は、こだわりの少ない父親と心底息子を大切に思っていて、自分の仕事を制限してまで子どものために何とかしようとする母親とやさしく支援し、的確な決定をしてくれる医師に恵まれ、二次的障害を取り除くために児童福祉施設に入って母親から離れる期間をつくり、通院を続けるという決断をしたところまで描かれています。 現実の問題ならば収入および治療費の問題やマオ君の今後の仕事や収入のことまで出てきて、そんなに簡単な問題ではないだろうという気がしますが、教室の中で教師に気づかれずに、また親にも理解されずに苦しんでいる高機能自閉症やアスペルガー症候群の児童・生徒の抱えている悩みを大雑把に把握するためには適した材料となるのではないかと思いました。 親や教師の関わり方の一つのモデルを示している点も評価できます。子どもを守りたい、子どもによりよい人生を送って欲しいという感情は誰にもあるのだろうと思います。それを他の子どもとの競争において勝利させるという方向に傾きがちなのが最近の傾向なのかもしれません。ところが、アスペルガー症候群を抱える子どもということになったとき、「競争の勝者」というモデルは使えない、頼れないわけです。親は、その症状、特徴に適した「よりよい人生」のイメージを描き、それをわが子の心に投影してやらねばならないのです。そんなに容易なことではないように思います。しかし、おそらく非「勝者」モデルがみつかり、それがより多くの人々に共有されるとき、日本社会は住みよい社会、生きやすい社会になるのではないかという気がします。(3.13) |
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