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基本図書を探ってみる  神島二郎

 柳田民俗学の成果を吸収し、日本政治学に反映をさせた主著『近代日本の精神構造』(岩波書店)での指摘を少しみていきましょう。

 日本社会の近代化を考えるとき、農村社会の精神風土がそのまま旧制高等学校の寮や軍隊に受け継がれて、集団を動かす原理として採用されたわけです。そこで培養された精神風土が企業の組織原理に反映していったし、政治家の行動原理ともなっていったというのです。
 確かに憲法に書かれた組織構造はプロシアや西欧世界の模倣であり、企業の組織も西欧を意識したものであるとしても、現実にそこで生き、動いている人間同士のやりとりは、そしてその調整は、近世以来ムラ社会において日本常民が受け継いできた原理*によって動いているという説明です。

*少々むずかしい表現になりますが、『近代日本の精神構造』から紹介してみます。
 自然村の秩序は、これをつぎの五つの原理に帰着させることができる。第一は、神道主義、第二は、長老主義、第三は家族主義、第四は身分主義、第五は自給自足主義である。(24頁)

 第一は「家族国家」イデオロギー、天皇制の正統性根拠を与えることになり、祭りを通じて「和」の統合機能に結びつくものとされる。
第二は待ってさえいればやがて支配者になれるので、若い世代に保守的態度を生む。
第三は、親分―子分関係や義理の関係などの原型である。
第四は、家格と人格を結びつける発想に関連し、
第五は、自己を閉じ、外部を一方的に情報を受け取るだけの存在とする態度につながる。

 高等教育では、
@寮祭や対校競技における集団的昂憤を媒介とする団結心の培養(神道主義)、
A「先輩・後輩」や「期」の意識(長老主義)、
B家庭へのノスタルジーを媒介とする「オヤジ・アニキ」の意識(家族主義)、
C選抜試験を媒介とする「特権」や「序列」の意識(身分主義)、
D修業を契機とする「籠城」の意識(ハイ外主義)が馴致される。
卒業して社会に出て行っても、同窓会、交友名簿を通じて、この秩序意識を温存する。これは農村からの出稼ぎ人と同じく出身校にシッポを持っているのであり〈
第二のムラ〉となっている。

 「都鄙の感覚」と柳田が名づけているのですが、日本人に共通したミヤコへのあこがれの感覚があります。固有信仰における他界観念の影響ではないかと神島は付け加えますが、高い文化の存在するミヤコに〈第一のムラビト〉はあこがれ、〈第二のムラビト〉は世界にあこがれるのです。都会は金銭獲得と奢侈の可能な場でもあり、都市に村人が向かう誘引になります。

 また、相対的に貧困化する農村では、土地を奪い合い、自然村内部の階級対立を生み出さないためにも、内部の不満を爆発させないためにも余剰人口を都市に押し出す圧力が働いていたというのです。

 こうして都市に出てきた人々は、自然村での拘束の裏返しの自由(というより放恣、放縦)を求めます。「旅の恥はかきずて」とばかりに拘束のもと蓄積された抑圧と屈辱とを洗い去る「自由」であり、あらわな自己主張と実力闘争に終始する「自由」に支配されます。第二に、奢侈と乱費。虚栄、ハッタリにより他を圧するためでもあるのですが、都市へのあこがれでもあり、生産のよろこびから疎外されて法外な消費に逃避しているからでもあり、酒と女に走るのです。第三に、社会的連帯意識や自生的な社会的秩序を欠落した都市に流れてきた人の精神は不安定さが特徴となります。都市は群化社会なのだと神島は指摘します。

 都市に定住し、何代にもわたって生きていく姿勢のない滞在者、漂白の民としての単身者が大衆文化に曝されて、原子化した、つまりばらばらの個体となってしまい、連帯し、組織化し、互いに支え合って安定した基盤を作っていくことができない状態になったわけです。そこに日本ファシズムの成立基盤をみたのです。

 この政治学者の仕事はユニークなものであったといってよいでしょう。『日本人の結婚観』(講談社学術文庫)は、お奨め。日本の近代化という現象を家族という観点からとらえる視点をもつようになったのは、大学生のときによんだこの一冊の本のおかげです。また、性と政(治)との関係について語るなどという破天荒なことをやってのけたわけです。幕末のイギリス大使館員が江戸で現地妻をもちます。その分析はやはり外交史の研究対象として真面目に取り組むべきですよね。

 政治学という学問は、当然の事ながら、国会議員や官僚の活動、あるいは経団連や全国農協連合会、日本遺族会などの圧力団体の動きに注目し、世論研究がそれに絡んできます。でもしかし、結局の所、権力関係に還元されてしまう現象が「政治」なのですが、それも、その権力の問題も、還元してしまえば人間の欲望の問題ということになります。

 そして、生きた人間の欲望を少し等身大の人間のレベルでとらえようとすれば、家族とか性の問題は否応なく視野に入ってくるものなのです。

 この学者のおかしみは、それを大真面目で論じたところにあります。硬い文体で書かれた『近代日本の精神構造』も注を読んでいくと笑ってしまうような記述に富んでいるのです。
 都市の形成において、人口を集めることは重要になってくる─と神島は説きます。真面目な人間は、「交通網や公共施設、電気、水道、下水、道路といった生活基盤・生産基盤を整えていけばよい」と模範解答を出すでしょう。ジムシティなどでもそういう設定になっていました。

 この方は、徳川家康が江戸の発展にしたことを参考にすればよいというのです。京都の島原遊郭などが出店を出しました。それに便宜を図ったのです。
 これがあっというまに農家の次男以下を集めさせました。江戸の町はそうした単身者によって形成されていた都市であると指摘しています。

 現在も、新宿歌舞伎町などという名所があります。

 実は、都市郊外について論じるとき、抜けているものにラブ・ホテルという要素があるのです。みんな避けて通りますが。
 おそらく、日本民族という不思議な生き物は、単身者が移動するのが好きで、この連中の多くはどうも性的冒険を好む傾向があるように思えます。

 人類学者がおもしろい指摘をしていました。かつて、モンゴル民族がアジアを大遠征したとき、先頭を十代の若者男子が進む。その後中核戦闘部隊になり、女性と子どもに家畜の大集団がその後を進む。しんがりを老人男性集団が守る。こうしたかたちで高速の大移動をしていたというのです。

 似たような説明を別のところで受けました。それはニホンザルの群れの移動についてでした。

 多分、モンゴロイドのはしくれであるわれらが日本民族も、その変形の動きをするのではないでしょうか。

 そういったことを想像させてくれる本なのです。

 もう一冊を選ぶとすれば、『磁場の政治学』でしょう。私は、この本の原型となる白表紙の本をもっているのですが、日本列島が海流の関係で外からは何でも漂流し、入ってくるのに出ていかない地形にあるという指摘から始まります。
 そして、日本では、露骨な権力関係・支配関係はあまり成功しない、として祭りまつらわれる嚮導関係と表現していたのしたか、私の勝手な解釈なのですが、祭において神輿をかつぎますね。あのときの神輿が天皇あるいは天皇家のようなもので、それを担ぐ貴族であったり、将軍家であったりという説明をしているのです。さらに、それをまわりで囃し立て、うちわで扇いだり、水をかけたりしている連中がいます。これが国民、大衆に当たります。こういう構造の総体が日本の政治ということになります。
 支配者とは、この文脈では、先に立って神輿の行く手を先導する存在ということになります。それは勢いを読みうまく流していくのです。だから、日本では、西欧のような、あるいは中国のような、露骨な権力、荒々しい暴力的な権力の行使はみられないと神島は説明します。むしろ響導という表現が適切に思えるような権力関係あるいは支配構造がみられるのが日本なのだということになるかと思います。

 いくら優れた数学理論を持ち込もうと、経済学モデルを当てはめようとしようと、おそらくこの構造は変わることはないでしょうし、それらのモデルでは捉えにくいでしょう。日本列島に住む多くの人間にとって最も落ち着き安心のできる「決め方」のメタ・システムなのでしょう。

 アメリカ流の政治学になじんだ者にとって、その主張は実証的ではないということになるでしょうし、フランスの構造主義思想になじんだ連中だって支持し難い説でしょう。
 でも、日本の歴史を真面目に学んだ者には腑に落ちる説明ではあります。
 哲学者の中村雄二郎さんが、神島政治学を評価した文章を眼にしたとき驚いた記憶があります。中村さんは、ユニークな政治学者と形容し、日本の政治の現実を独自の視点から分析した、日本の学者では珍しく輸入ものに頼らなかった学者だと(いう趣旨の)賞賛していました。(05.3.23)

 連想したこと
 江戸時代の知恵
吉原は火事で何度か焼けますが、ついに新吉原に引っ越します。上野へと色町が移動させられたのです。
 おもしろいことに、そこに向かう川沿いの道が整備され、その道は堤、つまり堤防の役割を担ったわけですが、当時は、コンクリートなんてないわけです。無論、柳の枝を編み込むなどの戦国時代に発展した技術の応用があったはずですが、土盛が中心にならざるを得ません。当然、ここに植物の種が飛んできて、成長すれば、水を吸い上げることになります。それは、堤を脆弱にすることに繋がります。
 そこで新吉原なのです。吉原に通う客やそこで働いたり、商品を納める商人たちが、足繁くこの堤の上を歩くことになれば、草が生い茂ることはなくなります。
 一石二鳥の名案だということになります。太い整備された道で、その整備補修の義務を吉原町会所に押しつけ、治安対策まで担当させます。これで交通・治安面の機能を高めたわけです。さらに、堤防による治水対策としての機能を高めました。しかも、その堤の上を通路として利用する多くの人々が踏み固め、堤の堅固さを高め、保っていく機能を意図せず果たしていたというのです。
 かなり頭のいい方法です。

補足説明

 伝統的共同体、ムラの世界から人々が都市に出て行くには、押し出し(push)要因と引き出し(pull)要因があるとします。

 英国社会の場合は、囲い込み運動(エンクージア)というものが押し出し要因として歴史的にありました。

 第一次囲い込み運動があったのがトーマス・モアの時代です

 毛織物工業がオランダで盛んになると原料としての羊毛の需要が高まる。商品としての羊毛が儲かるということになれば、それまでの農地をつぶして羊の飼育場、牧場にする方が地主としては経営上得になる。
 そこで、それまでその土地に付属して暮らしていた農奴を追放することにした。

 これが押し出し(push)要因だというのは理解できるでしょう。

 当然の事ながら、彼らに行くところは見つかりません。近年の研究によって、親戚の人間で既に都市に出て、御者や園丁、下男になっていた者との間で手紙のやりとりを交わして、徐々に都市への移住が進んでいった事実が判明してきています。
 しかし、かなりの数が都市での浮浪者の群れに加わっていったのです。

 もう少し正確に言えば、私有財産制度を強化するために、それまでの共有地を廃止したのですが、こうしたコモンズでの耕作に大きく頼っていた中世農民の経済の仕組みが否定されると、多くの農民の生活が立ちゆかなくなりました。これは日本の村落において入会地というものの存在を近代租税体系が否定することとよく似ています[日本の入会権は紆余曲折の末、民放などにおいて保障されるようになりますが、納税の義務を免れるために既に国有地・国有林に譲り渡した地域もあれば、納税立て替えの都合から村長など土地の有力者の私有財産に書き換えしたところもありました]。

 17世紀後半以降は、法律によって囲い込みを正当化しました。そのため18〜19世紀前半に大土地所有が進みます。

 他方で、この時期には産業革命が起こり、本格的な産業労働者として農村部の余剰労働力を吸い上げる現象も起こっていったのです。

 日本の場合は、江戸中期以降に農民の階層的分解が起こります。封建領主による土地支配と二重構造で、地主−小作人関係が形成されています[所有権はすべて天皇あるいは公にあり、使用権、利用権や収税権が地主や領主にあるということです]。そこに廃藩置県と地租改正というかたちで封建領主による土地支配がなくなると同時に、地主の土地私有が法的に認められることとなるのです。

 地租は収穫量とは無関係に土地の価格に応じて課されるため、その重圧とデフレの米価下落によって生計を維持できなくなった農民が土地を手放し都市に流出していきました。地主による土地の集積は明治期に急速に進むことになります。[この過程の意味づけが日本歴史学の一大論争テーマであった時期があります。]

 1890年代には、農事改良は農民の生産力を高めたため地主手作は放棄され、地主は寄生地主と化します。小作料が高いために小作農は農業だけでは食べていけず、家族のうちの誰かが都市に出て働くことで食いつないだのです。家族全員の離農を促すには、工業労働者の賃金は低すぎました。

 したがって、農家出身の労働者は、景気が悪くなると田舎に帰り、景気回復と共に都市に再度出るという生活を繰り返したのです。この時期の家屋という観点から見れば、夏目漱石の作品中で主人公の宗介がぺらぺらの建て売り住宅が建つ様子を見てあきれる場面が出てきます。とても定住者がまともな住環境を作り出そうとしているようには思えませんね。それは、いつでも田舎に引き上げることを想定した「仮初めの住まい」という意識が底にあったからなのだという指摘を神島はしているのです。

 家は、戦前においては間貸しをする農村出身者にとっては収入源としても機能する存在だったのです。

 そうした実態を把握するためにも、われわれは三世代前に書かれた小説類に親しんでおくことは大切だと言えそうです。高校生の頃は単純に楽しんで読んでいたものが、後に、貴重な情報源、資料となるのですが、高校時代に馴染みのないものには活用しきれないこととなります。高校時代の小説読みは、特に社会科学を本格的に学ぶ者にとっては重要ですよ。

 いずれにせよ、神島は、日本近代において囲い込み運動(エンクージア)というものがなかったことが、西欧との根本的相違をもたらしたと解釈しているのです。
 
 日本では、ムラ的感覚、生活実感は生き続いたのです。西欧社会のように、近代と前近代が囲い込みによって切断されるということがなかった、連続してしまっているというのが神島の主張です。

 われわれは、前近代的なムラの規範意識と近代的な合理主義との二重性を生きることになります。そこでは、様々な不整合が生じることになるのです。われわれは無意識のうちに多くの矛盾を見ないようにすることに慣れます。その意味で、日本人はほとんど解離的・多重人格的なのだということになりましょうか。

 たとえば、ムラの規範を破壊することによって、あるいは生活基盤を再構築することによって近代化を果たしてきた地域では、〈市民社会〉による〈国家〉の管理としての基本的人権思想が確立されます。日本ではこれを誤魔化さざるを得なかったということなのです。

 丸山真男においては、この感覚は強かったわけです。神島は、日本は日本のやり方でいいじゃないか、というところがあったのではないでしょうか。
 丸山に対する「近代主義」という批判があろうとなかろうと、われわれは未だ、自分たちの社会を動かすルールを自分たちの手で作り上げていくという実感をもてないでいると思います。「本当の自分を生きられない」という感覚は、個人レベルの精神の病気から発生するのではなく、社会のシステムにあるのではないかという指摘は、こうしたことと関わっています。

 吉本隆明、谷川雁、竹内好といった人たちの見解についても余裕ができれば紹介したいですね。1960〜70年代を考えるとき、はずせない思想だからです。彼らは丸山の思想を近代主義として批判し、日本の土着文化に目を向けるべきだとしました。 頭に戻る

 トーマス・モア (1478〜1535) 囲い込み運動によって社会不安の増大していた当時の英国社会に対する痛烈な批判として、『ユートピア』(どこにもない国)という著書を著しました。私有財産制のない、食事もみんなで共同生活を行う農園などの生活を描いたものです。金などというものに対する軽蔑の感情を幼児より培うため、トイレの便器を純金製だと描いています。そのため、ユートピアでは道に金のかたまりが落ちていても誰も拾う者もいないというのです。

 モアはヘンリー8世の重臣で、大法官として活躍しました。1487年に国王直属の特別裁判所として星室庁ができ、その長官になっています。

 ヘンリー8世はテューダー朝の二代目として絶対王政確立に尽力した人物です。彼が妻との結婚の無効を認めさせようとしたのに対してモアはそれを認めませんでした。そのため、国王は、モアを収賄の罪で訴えさせ、その地位を剥奪し、死刑に処したのです。シェークスピア劇でお馴染みの物語です。

 これに対してモアは従容として断頭台に向かいます。映画では、馬車が処刑台まで彼を運んでいくシーンがクライマックスの一つになります。モアをなじる民衆の罵声の中をモアは首を上げて誇り高く進んでいきます。大きな首切りの鎌をもった処刑執行人に会うと微笑み、砂金の袋を渡します。「しっかりと切ってくれ」
 当時、よく首を切る途中で執行人が気絶したりするようなことがあったらしいのです。砂金を渡すのは、そうしたことを防ごうとしたためだということです。

 ここで執行人のもつ鎌というのは、よく漫画などで死に神が手にしている大きな三日月状の刃のついた、そして長い棒状の持ち手のついたあれです。 戻る

19世紀のロンドンの貧民街生活の様子については、『二都物語』などのチャールズ・ディッケンスの小説群がよく伝えてくれます。


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