|HOME | 斎藤環『ひきこもりはなぜ「治る」のか?』 | 関川夏央『おじさんはなぜ時代小説が好きか』||『ニッポン天才伝』|
|
柳田民俗学の成果を吸収し、日本政治学に反映をさせた主著『近代日本の精神構造』(岩波書店)での指摘を少しみていきましょう。 *少々むずかしい表現になりますが、『近代日本の精神構造』から紹介してみます。 「都鄙の感覚」と柳田が名づけているのですが、日本人に共通したミヤコへのあこがれの感覚があります。固有信仰における他界観念の影響ではないかと神島は付け加えますが、高い文化の存在するミヤコに〈第一のムラビト〉はあこがれ、〈第二のムラビト〉は世界にあこがれるのです。都会は金銭獲得と奢侈の可能な場でもあり、都市に村人が向かう誘引になります。 また、相対的に貧困化する農村では、土地を奪い合い、自然村内部の階級対立を生み出さないためにも、内部の不満を爆発させないためにも余剰人口を都市に押し出す圧力が働いていたというのです。 こうして都市に出てきた人々は、自然村での拘束の裏返しの自由(というより放恣、放縦)を求めます。「旅の恥はかきずて」とばかりに拘束のもと蓄積された抑圧と屈辱とを洗い去る「自由」であり、あらわな自己主張と実力闘争に終始する「自由」に支配されます。第二に、奢侈と乱費。虚栄、ハッタリにより他を圧するためでもあるのですが、都市へのあこがれでもあり、生産のよろこびから疎外されて法外な消費に逃避しているからでもあり、酒と女に走るのです。第三に、社会的連帯意識や自生的な社会的秩序を欠落した都市に流れてきた人の精神は不安定さが特徴となります。都市は群化社会なのだと神島は指摘します。 都市に定住し、何代にもわたって生きていく姿勢のない滞在者、漂白の民としての単身者が大衆文化に曝されて、原子化した、つまりばらばらの個体となってしまい、連帯し、組織化し、互いに支え合って安定した基盤を作っていくことができない状態になったわけです。そこに日本ファシズムの成立基盤をみたのです。 この政治学者の仕事はユニークなものであったといってよいでしょう。『日本人の結婚観』(講談社学術文庫)は、お奨め。日本の近代化という現象を家族という観点からとらえる視点をもつようになったのは、大学生のときによんだこの一冊の本のおかげです。また、性と政(治)との関係について語るなどという破天荒なことをやってのけたわけです。幕末のイギリス大使館員が江戸で現地妻をもちます。その分析はやはり外交史の研究対象として真面目に取り組むべきですよね。 もう一冊を選ぶとすれば、『磁場の政治学』でしょう。私は、この本の原型となる白表紙の本をもっているのですが、日本列島が海流の関係で外からは何でも漂流し、入ってくるのに出ていかない地形にあるという指摘から始まります。 アメリカ流の政治学になじんだ者にとって、その主張は実証的ではないということになるでしょうし、フランスの構造主義思想になじんだ連中だって支持し難い説でしょう。 |
連想したこと 江戸時代の知恵 吉原は火事で何度か焼けますが、ついに新吉原に引っ越します。上野へと色町が移動させられたのです。 おもしろいことに、そこに向かう川沿いの道が整備され、その道は堤、つまり堤防の役割を担ったわけですが、当時は、コンクリートなんてないわけです。無論、柳の枝を編み込むなどの戦国時代に発展した技術の応用があったはずですが、土盛が中心にならざるを得ません。当然、ここに植物の種が飛んできて、成長すれば、水を吸い上げることになります。それは、堤を脆弱にすることに繋がります。 そこで新吉原なのです。吉原に通う客やそこで働いたり、商品を納める商人たちが、足繁くこの堤の上を歩くことになれば、草が生い茂ることはなくなります。 一石二鳥の名案だということになります。太い整備された道で、その整備補修の義務を吉原町会所に押しつけ、治安対策まで担当させます。これで交通・治安面の機能を高めたわけです。さらに、堤防による治水対策としての機能を高めました。しかも、その堤の上を通路として利用する多くの人々が踏み固め、堤の堅固さを高め、保っていく機能を意図せず果たしていたというのです。 かなり頭のいい方法です。 |
補足説明 伝統的共同体、ムラの世界から人々が都市に出て行くには、押し出し(push)要因と引き出し(pull)要因があるとします。 毛織物工業がオランダで盛んになると原料としての羊毛の需要が高まる。商品としての羊毛が儲かるということになれば、それまでの農地をつぶして羊の飼育場、牧場にする方が地主としては経営上得になる。 日本の場合は、江戸中期以降に農民の階層的分解が起こります。封建領主による土地支配と二重構造で、地主−小作人関係が形成されています[所有権はすべて天皇あるいは公にあり、使用権、利用権や収税権が地主や領主にあるということです]。そこに廃藩置県と地租改正というかたちで封建領主による土地支配がなくなると同時に、地主の土地私有が法的に認められることとなるのです。 吉本隆明、谷川雁、竹内好といった人たちの見解についても余裕ができれば紹介したいですね。1960〜70年代を考えるとき、はずせない思想だからです。彼らは丸山の思想を近代主義として批判し、日本の土着文化に目を向けるべきだとしました。 頭に戻る |
|
| トーマス・モア (1478〜1535) 囲い込み運動によって社会不安の増大していた当時の英国社会に対する痛烈な批判として、『ユートピア』(どこにもない国)という著書を著しました。私有財産制のない、食事もみんなで共同生活を行う農園などの生活を描いたものです。金などというものに対する軽蔑の感情を幼児より培うため、トイレの便器を純金製だと描いています。そのため、ユートピアでは道に金のかたまりが落ちていても誰も拾う者もいないというのです。 モアはヘンリー8世の重臣で、大法官として活躍しました。1487年に国王直属の特別裁判所として星室庁ができ、その長官になっています。 ヘンリー8世はテューダー朝の二代目として絶対王政確立に尽力した人物です。彼が妻との結婚の無効を認めさせようとしたのに対してモアはそれを認めませんでした。そのため、国王は、モアを収賄の罪で訴えさせ、その地位を剥奪し、死刑に処したのです。シェークスピア劇でお馴染みの物語です。 これに対してモアは従容として断頭台に向かいます。映画では、馬車が処刑台まで彼を運んでいくシーンがクライマックスの一つになります。モアをなじる民衆の罵声の中をモアは首を上げて誇り高く進んでいきます。大きな首切りの鎌をもった処刑執行人に会うと微笑み、砂金の袋を渡します。「しっかりと切ってくれ」 当時、よく首を切る途中で執行人が気絶したりするようなことがあったらしいのです。砂金を渡すのは、そうしたことを防ごうとしたためだということです。 ここで執行人のもつ鎌というのは、よく漫画などで死に神が手にしている大きな三日月状の刃のついた、そして長い棒状の持ち手のついたあれです。 戻る |
19世紀のロンドンの貧民街生活の様子については、『二都物語』などのチャールズ・ディッケンスの小説群がよく伝えてくれます。 |