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  田村理『僕らの憲法学』(ちくまプリマー新書)        山田慈雨


 田村理『僕らの憲法学』(ちくまプリマー新書)
  憲法は政治権力を抑制するために作られたものだ、という基礎知識がなかなか理解しにくいものだと私も思います。
 私の場合、アメリカの推理小説でペリー・メイスン・シリーズというのがあって、中学生の頃から法廷推理小説に親しんでいた、ということがあります。私が高校生の頃にはテレビ・シリーズも流れていたように思います。 
 その作品群で、なぜ「推定無罪」というルールが必要かを学びました。「正義」というのは人間には知ることはできないのだ、少なくとも最後の所は神しか知り得ないのだという感覚、そうした前提の上で不条理にも犯罪の犯人として疑われてしまった人やその近親者が警察や検察といった国家権力の前でいかに無力であることかが具体的に描かれていきます。
 幼児期には「勧善懲悪」の映画や芝居、ドラマに慣れ親しんでいるわけです。したがって、「悪いことをした奴は、それ相応の懲罰を受けさせるべきだ」という感覚に支配されています。
 冷静に考えれば、罰を与えるのは、神様とか仏様とか人間を超えた存在が勧善懲悪の前提になっているはずなのですが、子供には、それが警察という大きな存在であっても何の疑問も浮かばないのでした。
 英米の法廷推理小説は、「それは違うよ」ということを感覚的に分からせてくれるものでした。それを歴史的な経緯から理解させてくれたのが、大学受験終了後すぐに読んだ、法学の入門書の一冊(潮見俊隆『法律家』岩波新書ではなかっただろうか)にアイルランド人がイングランド人支配者に土地を奪われ、人権侵害が常態化していた中で、弁護士になって法廷で闘った人物について説明したものがありました。後で思い出してみて、最も素直に法律というものの機能を理解するきっかけになった書物でした。戒能通孝の何冊かの入門書とともに弁護士や法律家というものの社会的役割を評価するきっかけとなりました。

 現在の高校生にとって本書も自分の周囲何メートルを取り巻く人的環境しか知り得ない状況に風穴を開けてくれる一冊になる可能性はあると思う。
 本書「あとがき」にジャーナリストの池上彰が『憲法はむずかしくない』を同じシリーズに書いていることに触れて、それを引き継いで「もっと迷おうよ! 楽しいよ!」と呼びかけたい、と記しておられます。彼は、「憲法はむずかしいから面白い!」と宣言したというのです。
 この発想は好きですね。最初は物事を単純にして、大枠をとらえて論理的に整理するということは大事だと思います。でも、現実の世の中は結構、複雑ですよね。その複雑さに対応していろんな角度から紛争を処理していく仕組みの一つが法です。あるいはそれを支える裁判制度・司法制度でもあります。複雑になれば、それなりの理解の困難さは生じます。ただ、理解のための補助線を加えたり、分解してある部分を詳しく調べたり、異なる角度から光を当ててみたり、事例研究を行ってみたりといった方法(アプローチ)で理解しようと試みているうちに面白さは分かってくるものだと思います。だから、著者の意見に賛成。
 
 本書は5つの章から成っていましてね。第1章で、国家という権力と国民は敵味方に別れてゲームをプレーしているようなものなのだという認識を手を替え品を変えて説明しています。これが日本ではわかりにくいのです。西欧近代の歴史の中で、信教の自由や思想の自由、財産を国王によって奪われたり、理由もなく逮捕されたりということを防ぐことが真剣に希求され、血を流すような市民革命を経て確保されたわけです。ある意味では、日本は未だ市民革命を経験していないのかもしれません。だから、本当の意味での人権保障が確立していないのかもしれないのです。ただし、著者はそこまで言っていませんよ。
 憲法は、市民を規制するものではなくて、議員や官僚、裁判官や検察官、警察官といった政治権力(=国家)の構成者を拘束するものだということを説明し、国民が自分の意思を通そうとするときに、国家と向かい合って憲法をはさんだ「緊迫した攻防」をするのだとします。それを受けて、公権力担当者が、憲法の規範に従った自己抑制が必要だという認識もないまま、「オレの言うとおりにしておれば大丈夫」という態度で政治家がいるところから、憲法を改正して国民の義務も盛り込もうなどという主張が出てくるのではないかという疑いを浮かび上がらせています。
 第2章では、周防正行監督の映画『それでもボクはやってない』を丁寧に紹介、検討することで、現在の裁判官の意識の問題性、実際にわれわれ普通の善良な市民がなにかのはずみでチカンに疑われたような場合、この映画の主人公のような目に合うことを防ぐにはどうあらねばならないかを説明しています。そして、裁判員制度の発足は、国民ひとりひとりが、憲法の保障するところは何なのか、その背景事情とともに理解していく必要が高まっていることを指摘します。
 第3章では、アンシャン・レジュームに挑戦し、人権宣言において何が重要事項とされていたかを説明していきます。日本のアンシャンレジュームとして戦前の体制を考えてみるとどのような保障が日本国憲法においてなされたかが続いて説明されます。そして、裁判所を通して回復すべき権利と選挙−国会を通して回復すべき権利との使い分けを整理していきます。
 第4章では、ドラマ「救命病棟24時 第3シリーズ」を取り上げ、衆議院議員・寺泉隼人(仲村トオル)の言動を中心に、地震の中でのいろんな職業の人々の葛藤を説明していきます。ここで強調されることは、「国民は無責任な依存心で国家に何でも要求し、できるはずのない無責任な約束を政治家はすることで支配する」という図式は間違っているということです。震災の最中に、被災者は、困っている周囲の人々を助けながら、なんとか生活を続けていこうと活動していました。依存しきった人間がいなかったとは、私は言いませんが(実際、阪神淡路大震災のときには学校などの避難所巡りをして生徒の安否確認をする途中にいろんなケースを見ています)、ほとんどの住民は力強く行動していました。そして、消防署員のような公務員が、決められた公務を全うするために、自分の価値観や正義感に反しても責務遂行を優先させた場合も出てくるということを、著者は問題にしていきます。マスコミは、目に見える局面だけをとらえて、目の前の人命救助を回避して消火に向かった消防士を非難したりする(ドラマにそういう場面があったようです)が、住民ひとりひとりが精一杯の努力をし、それでは到底効果を上げ得ない部分を公権力が行うことが必要なのではないかというようなことを著者は説明しようとしているようです。相互に無責任な依存と支配の関係を打ち破り、自分の責任で自由に暮らし、そのために必要なことだけを公権力に託す、というのが憲法が定めるあり方なのだと説明しようとしているようです。
 第5章は、憲法第9条をめぐる議論を展開しています。あまりにもなし崩し的な現状肯定論がいま日本社会に広がりつつあります。それに対する疑問を提示しているのが本章だといってよいでしょう。われわれが考えるべきポイントが明確に整理されています。
 なんだか妙な反動の時代になったなという印象を受けていたこの十数年でした。経済的にも行き詰まりをみせ、こんなことを言っては何ですが、私の職業的状況においても、変化が大きかったように思います。それ以前に変化の方向、向上の方向として想定していたものが覆されるような失望感、失落感がありました。いろいろ考え直してみて、やはり、かつての方向が基本的に間違っていないと判断し、生徒に向かって「やはり違うと思う」と細々と発言していたところでした。本書の表現に従えば、「学園ドラマによく出てくる、校長や父兄や世間にしきりに媚びる教頭先生」のような行動はとりたくないと考えていたわけです。残念ながら、著者のような能力もなく、わかりやすい説明を一冊の本にまとめあげることはできませんでした。ただ、もしも私の授業をちゃんと聞いていた方がこれを読んでいるとすれば、思い出していただければ、著者が第1章や第3章で展開している内容を受験指導を離れて説明していたことに気づかれるかと思います。第2章については、随分以前にはしっかり説明していたのですが、ここ数年は時間的余裕をなくしていたように思います。
 私が脱帽したのは第4章です。ここまで力強く、国民に対する信頼を表明することは私にはできませんでした。どちらかといえばむしろ衆愚政治に傾く、国民不信の感情を抱いていたというのが偽らざるところでしょう。しかし、もう一度考え直してみなければならないポイントですね。なんとなく著者が説明している立憲政治の前提は大筋では認めながら、その次に来るいくつかの状況での失望を少し大きく取り上げすぎていたのではないかという気がします。それは、完全に誤った態度でした。しかるべきステップを踏んで述べるべき内容でした。条件を明記して触れなければならない内容を、条件を曖昧にして述べているわけですから、完全に誤りですね。自分の頭の悪さに嫌気がさします。
 もう少し見方を変えて言えば、実態としての政治の分析は、価値自由に冷静に行われなければなりません。それは本書で著者が整理した憲法と日本社会におけるその受容の状態とは同時に存在する別の側面ですね。こちらを説明することにやや力点を置いていたこと自体は誤りとはいえないのですが、憲法の要求するものと実態としての政治との関係性を明確に説明する努力を怠ってはいけないということでもあります。反省して、次の機会にはしっかり義務を果たしたいと思います。(4.6)

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