丸山真男のこと
さすがに新学期は忙しく、ゆっくり新しく書き加えている余裕がない。そこで以前の使い回しを…。
2001年6月に書いた文章から抜粋、一部書き直しということで勘弁してください。
『日本の思想』(岩波新書)や『「文明論之概略」を読む』(岩波新書)などロングセラーとなっているものもあり、『現代日本の思想と行動』(未来社)という出版社の危機を何度か救ったという名著もある丸山真男(1914年3月22日
- 1996年8月15日)という学者の名前は耳にしたことがあるというひとも多いことと思います。2001年にはNHKテレビで何度か丸山特集が流されもしました。『丸山眞男集(1-17)』(岩波書店)、『丸山眞男講義録(1-7)』(東京大学出版会)、『丸山眞男座談(1-9)』(岩波書店)、『丸山眞男書簡集(1-4)』(みすず書房)に加え、『丸山眞男回顧談(上・下)』(岩波書店)までありますから、彼の発言やその影響について、その気になれば丹念にたどれるものと思います。
丸山眞男東大法学部名誉教授で、終戦直後の日本社会の知的リーダーであった人物の生い立ち、人となり、業績については、本校卒業生で東大法学部名誉教授の福田歓一さんの『丸山眞男とその時代』(岩波ブックレット)という簡潔な書物が出ているので、そちらを読んで頂ければ本当は十分なのです。
それでもなおかつ取り上げたいというのは、私自身の思い入れのせいかもしれません。
新書版など手軽に取れる丸山論も、宮村治雄『丸山真男 『日本の思想』精読』(岩波現代文庫)、長谷川宏『丸山眞男をどう読むか』(講談社現代新書)、苅部直『丸山眞男――リベラリストの肖像』(岩波新書)、竹内洋『丸山眞男の時代』(中公新書)、水谷三公『丸山真男――ある時代の肖像』(ちくま新書)とあります。日本の比較的最近の思想家としては珍しい存在だといえそうです。
1996年8月15日、82歳での丸山の死の直後には、NHK教育テレビを中心に追悼番組が流されました。以下そこでの内容を踏まえて簡単な人物紹介をしてみます。
東京大学法学部助教授のときに陸軍2等兵として広島の大本営で被爆。その後終生身体に不安を抱えつつ研究に専念した生活を送られた。丸山眞男の父親の親友であった長谷川如是閑が軍部より睨まれていた存在で、眞男は高等学校のときに如是閑の講演会に行って特高警察に検挙された記録が士官としてではなく2等兵の体験を強いることになったのです。
とはいえ、東大助教授の彼は広島の大本営での情報収集の任に当てられていたわけです。番組では、当時の上官が終戦後の日本の行方についての講義を数回受けたという証言を得ていました。
1946年「超国家主義の論理と心理」を『世界』5月号に発表。この論文によって一躍論壇の寵児、戦後日本を代表する思想家、知識人として注目されました。この論文は、日本型ファシズムの特徴を分析したものであり、その後発表される日本陸軍内務班の内部における暴力の構造の分析などを含めて『現代日本の思想と行動』に収録されます。NHKテレビのドキュメンタリーによると、この時期の一般民衆の知的情熱の高まりは著しく、神社の集会所などを利用して、町のパン屋さんの奥さんなど普通の市民が参加した読書会、勉強会などに丸山は熱心に講師として参加したようです。草の根のサークル活動が実に活発になった時期でした。[私の両親などもエスペラントの会を熱心に進めていたらしく、私の幼児期の記憶にそうしたサークルに参加した人々やシンガポールからの留学生のことが残っています。ホームスティしていた中国系のシンガポール人学生の関係で神戸の華僑の人々のところに随分と連れて行ってもらいましたし、英国系のクラブにも連れて行ってもらったことを覚えています。]
つまり、本来、日本政治思想史家であった丸山は、「日本型ファシズムをどう理解すればよかったのか」そして、「何が間違っていたのか」「これから何をどう変えればよいのか」を適格に分析し、方向を指し示す役割を担って、戦後間もなくの論壇に登場したのでした。
思想家として〈近代〉思想を根づかすことができなかった明治以降の日本社会というものの根底に潜んでいる何者かが、軍国主義を生み出したのではないかと気になったのです。西欧〈近代〉とは何であったのか。その表面的な文物の輸入だけではいけないということを口を酸っぱくして言った先人が福沢諭吉であったわけです。福沢からさほど進歩していない日本社会の状況を冷静に見つめてみようと丸山は覚悟を決めるのでした。
また、その作業は、特にアメリカの近代化問題の研究者ジャンセンやベラーらとの交流を通じ、国際比較という視点ももたらします。
さらに、丸山自身の陸軍内務班におけるリンチの体験というものがあったのかどうかはわかりませんが、彼自身が生活の基盤とし、その自由な空気を吸ってきた大学教授やジャーナリスト、財界人や技師たち知識人の生活を支えるものの考え方や行動原理と、庶民のそれの違いの二重構造が、軍隊という機能組織の末端にある小集団を動かす非近代的・非合理的で情緒的な行動原理に反映していることに気づかずにはいられなかったはずです。私などは、丸山の描き出したこの二重性にひどく惹かれ、この難問を解決するための研究をしたいものだと若い頃思ったものです。
この丸山の研究および指摘の価値は古びるどころか、日本社会の構造改革の必要性が強く認識されるに従って、再度見直される傾向にあるのです。そして、さまざまな角度から検討すべきなのです。たとえば(2000年にとりあげた、)丸谷才一と池澤夏樹の対談における日本の近代文学の非政治性の問題も、丸山がいち早く指摘したことであります。これは、荻生徂徠と本居宣長の思想の比較をしてみればわかることです。さらに、丸山が筑摩書房のシリーズ『日本の思想』第6巻で「歴史意識の「古層」」において展開した『古事記』に現れた「つぎつぎとなりゆく勢い」という日本人の意識は、倫理の教科書などでも使われるほどインパクトは強く、われわれの日常の行動の解析の手がかりを与えるものでもあるのです。
したがって、今日、丸山眞男が注目され、関連した出版物が刊行されても驚くものではありません。否。みなさんに知っておいてもらいたいことは、優れた著作物とは、何十年を隔てて影響を保ち続けるものだということです。また、現在の社会問題は、その根を過去にもち、その全容をある程度知る事なしに現時点の分析だけで解決しようとすることは危険でもあります。そして、その過去の状況の正確な手がかりを得るには丸山のような優れた分析に目を通すことが適切な対応になるということなのです。
「である」価値と「する」価値
「どうもわが社の東大卒は、偉そうなだけで役に立たない」とある中堅企業のオーナー社長さんが憤慨している映像をテレビで見て、なんとなく納得したことがありました。でも、よく考えてみると、この社長さん、自分で「東大卒」のブランドを信用して採用したわけです。もし、その人材を活かすことができないのだとすれば、その社長さんにも問題ありということになります。しかしながら、「学歴信仰」などという言葉が現している現実があることは確かです。つまり、われわれ日本人の多くが、その人間が何を「する」かあるいは「してきたか」を判断基準にするのではなく、どのような集団に属すか、何「であるか」に依拠して判断してきたということではないでしょうか。身分や出生、家柄といった素性が尺度になるような江戸時代から、能力を価値尺度にした近代社会のはずだったのですが、いつの間にか能力そのものではなく、能力を裏づけてくれそうな「学校」の名が尺度になってしまう。そんな現象がそこかしこに見える社会に日本社会はなっているというのです。
「機能」「働き」が問題なはずなのに、それが形骸化してしまうという現象は多いのではないでしょうか。JASマークとか、品質の等級ラベルとかがありますね。あれも不思議なものがありますね。たまねぎやキャベツがまんまるでなければなぜ困るというのでしょう。きゅうりが真っ直ぐでなければいけなかったり、表面のつやが問題になったり、いちごの大きさが大事であったり…。味ではないのです。それは主観的で決めようがないからともっともらしい理由もあります。「しからば」と、糖度測定機なるものが開発されて、糖度でうま味を決めようなどということにもなります。どこか歪んだ反応ではあります。
今日、問題になっている規制緩和の問題のいくつかも、これは危険だからということがあって、対策をとらねばならないとなった。ところがどういう基準が適当か当時はわからなかったので、大体みんなが納得しそうな数値を決めて、その基準値をクリアしていないものは認めないということにした。その後の技術の発達や科学的解明によりそのような規制が無意味であることが判明しても、一度決められた基準が一人歩きして基準の見直しや規制の妥当性の検討がおこなわれてこなかった。さらに、規制のあるためにそれに関連した仕事ができ、それを廃止することで不利益を被る団体もできあがってしまっていた。概ねこんなところでしょうか。[ミートホープ社や白い恋人、赤福、船場吉兆の偽装表示事件はもっと分かりやすい例になったかもしれませんが、この記述期には起こっておりませんでした。]
これらはすべて「する」価値で考え、行動されていない。「である」価値に引き摺られているのです。
近代的思考というのは、「する」価値を優位にした思考様式なのです。
これは「権威」からの解放といいますか、ベーコンのいうところの「劇場のイドラ」からの解放の問題とも重なります。たとえば、元大リーガーの選手だから日本のプロ野球で四番を打たせてもまったく打てなければ五試合もすれば打順を下げざるを得ないでしょう。さらに十試合も打てなければ一軍登録抹消でしょう。実績、業績が問題なのです。
ところが不思議なことにより「劇場のイドラ」に注意深くなければならない学問の世界が、研究者の所属大学名に敏感に反応していたりするとすれば、これは近代的思考とはいえないわけです。
ある有名な高校に所属しているから頭がよいわけでも有能なわけでもありません。ただ、情報が不十分なときに、優秀な生徒が集まっているとされる学校で人材を求める方が、必要とする人材に出くわす確率は、そうでない学校で探すより高いという経験則は存在します。
それにしても、問題は業績であるとちゃんと認識して行動するか否かは大きな違いであるということを理解してください。
[「である」価値が重要な局面もあります。たとえば、障害者や高齢者といった身体的に競争原理だけで語られると弱者・劣者と分類され、業績だけを問題にするとすれば、ナチスのように処分するのが合理的などと言われかねない存在があります。近代西欧社会は、そこに誰もが平等に認められる自然権、基本的人権というものを認めようとしてきました。ひとであるだけで認められ、保障されねばならないのだという考え方です。
われわれ日本人は、家の制度と結びつけたり、儒教的な倫理観と結びつけて、出来不出来にかかわらず子を愛おしむこころや親に対する無条件の思いを認めてきたと思います。これもまた「である」価値を重視する態度です。
そのような「である」価値を尊重しなければならない局面に「する」価値を持ち込もうとするとき、様々な緊張が生じ、社会に綻びが生まれるのではありますまいか。]
「である」論理と「する」論理
「東大生であるから賢い」のではなく、「〜をすることができるから賢い」という判断を、いま、われわれは「する」論理として考えてみます。
「科学的」という形容は、「科学者が言うから」とか「科学の本に書いてあるから」というのではなく、「科学する」つまり、実験や観察に基づいた事実を重視した推論、仮説−検証を行う作業、あるいは思考(試行かもしれません)のプロセスに対して付けられると考えるのです。
同様に哲学的ということばも、「哲学する」つまりものごとを本質的に考える、方法的懐疑からスタートする一連の思考のプロセスに力点が置かれたことばなのです。
明治以来、われわれの先祖たちは、法律をはじめ軍隊、学校といった「制度」も、機械などの製品同様、完成品をそのまま輸入して使用する(とはいえ、微妙に変更し、それが先に行って大きな変化を生み出していたのですが、)というやり方を採りました。
つまり、「制度」というものが作られていくプロセスに対して鈍感であるということが起きたのです。使用価値、利用価値のみに関心が払われました。これが機械であれば問題はないかもしれません。使い勝手がよければ、アメリカで造られた自動車であろうと、ドイツで造られた自動車であろうと、国産であろうと、同じ価値です。しかし、これが「法律」や政治制度ということになるとそうはいきません。
なぜか? 民主主義というのは、それらの制度が、国民全体の総意で作られ、運用されることを前提にしているからです。討論――まさに論を闘わせるのです――を通じて、対立していた見解が、次第に共通の基底が見えだしたり、妥協点がみつかったり、自分の意見の欠陥が見え出し、意見変更を体験したり、といったルソー流に表現すれば一般意志を発見して行くプロセスを前提にしているのです。
「である」価値・「する」価値と近代化論
宮村治雄(岩波現代文庫版精読)の「である」価値と「する」価値の読み方は、「近代論」の序説としてこれを読むというものです。これは説明しないと理解してもらえないでしょうね。
@近代化という用語は、歴史的用語である。市民革命と産業革命という二つの社会の変革が、イギリスをはじめ西欧社会を大きく変えた。その現象を指すものと理解すればよい。
Aこれは、封建社会−絶対王政を否定し、政治権力の主体として市民(ブルジョワージー)が登場するプロセスを意味し、経済の世界において市民の経済活動の自由が保障された市場の形成を意味している。特にマルクス主義は、資本主義化として近代化を捉えた。
B第2次大戦後の発展途上国の比較研究を開始しようとしたアメリカの社会科学者たちは、マルクス主義者たちとはまったく異なる分析枠組みを用意した。それは、長期間の下からの近代化過程をもった西欧諸国と上からの近代化を余儀なくされた後発諸国や旧植民地諸国は、まったく別な歴史発展のコースをたどりつつ最終的に同じゴールに到達するものと仮定するものであった。E.
O. ライシャワー,J. ホール,C. E. ブラック,W.
W. ロストーらの議論は、政治体制のいかんにかかわらず近代化革命を経由することによって前近代社会から〈離陸〉すると考えていたし、日本こそが、非西欧的近代化のコースをたどりながら西欧諸国と同じ民主的社会にたどりついた典型としてあげられていた。
明治以来の問題
高校生のみんなには、多分欠落している知識をさらに補っておきます。正直言って、以下のような、われわれ日本人の先輩たちが真剣に悩んできた問題の本質を伝えることもせず、高校を終えさせることは、大げさに言えば、犯罪的ともいえる教育の欠陥なのではないかと感じてきました。
福沢諭吉の名前は皆さんご存知のことと思います。では、彼は何をしてきた人なのでしょぅか? 慶應義塾大学を作った?それはそのとおりですが、ではなぜ大学をつくったのか? 金儲けのためではありません。福沢にとって、学問とは、一身を独立させるための基盤であったのです。
想像してみてください。かつて日本はとても貧しかった。小作人というものがあった。あるいは人買い、逆にいうと家族や自分自身を他人に売ってしまわなければならないような悲惨な状況があった。明治時代だけではなく、昭和恐慌の頃に実際に生じた現象です。自分を農家に売ってしまった男性は、納屋に家畜と共に入れられて、わずかばかりの食べ物を与えられ、給料もなにもなく朝から晩まで働かされた。事実上の奴隷です。法律で禁止していたはずの存在です。そこまでいかなくとも、小作は地主に借金をしていたり、子供が生まれたり、学校に行くようになったり、といった節目節目に地主から援助を受けていた。その状況の中では、独立した人格として発言したり、行動したりは不可能になります。地主など有力者の顔色をうかがい、地主に依存して生活していかざるを得ません。これはとても「独立」しているとはいえないわけです。
だから、経済的自立こそが「一身独立」の条件になるのです。そして、そのためには、独立して生計をたてられる技能の修得が重要になるのです。「実学」と福沢がよんだものが重視されたのです。それは、従来の学問というのが、儒教など仕官に有利になる教養であったのに対して、医学、工学、経営学、法律学といった西欧の知識・技術の習得というかたちでとらえられました。また、その基礎となり、「独立」した人格をめざす合理性を形成する算術と物理の学習を重視しています。
要するに、大学設立を急務と考えたのも、独立自尊の育成に不可欠と考えたからなのです。
私の想念は、さらに、夏目漱石に飛びます。彼の言う「外発的開化」に対する「内発的開化」の問題です。われわれの先祖たちは、自分の内から沸き上がってきた必要に迫られて開化すなわち西欧化を進展させ、受け入れたであろうか、という問題です。「ファッション」としての開化だったのではないだろうか、という疑いです。しかし、この問題については、また別の機会に詳しく考えるということにしておきましょう。
われわれは豊かになり、経済的には自立したといってよいのでしょうか? もしそうであるのならば、精神的にも自立し、独立自尊の態度を貫くようになったのでしょうか?
私には、疑わしいような気もあるのです。それは自分自身の情けなさとも関係があります。しかし、それ以上に、若い世代の人々が、私の世代より精神的自立をしているような印象をもてないという事実とも関係があります。今野敏の推理小説、あるいは現在読んでいるスパイ小説福井晴敏『トゥエルブ Y.O.』(講談社文庫)でも、新宿を歩く若者たちを「群生生物」のようだと表現しています。珊瑚のような生態だというのです。そんな印象をもつ中年は多いはずです。教師という職業にあるものは、極力、「個人」として生徒一人一人に接したいものですが、返ってくる反応は、あたかも群体のパーツであるかのような反応であったりします。君たちですら、個人差が大きいのではありますが、当てられると後ろや横の友人に確かめてから答えるとか、授業外ならばわざと無視して聞こえない不利をしてやり過ごすという反応をしている人もいるではないですか。幼児体験のせいか、テレビなどの機械と人間である教師との区別がついていないのではないかと疑った時期もありましたが、最近はこの方が便利であることもあり、機械のふりをすることに慣れました。
ともあれ、宮村さんは、ベラーというアメリカ人近代化論研究者の次のような見解に対する丸山の批判を検討しています。
自分の所属集団への帰属意識がもたらす他の集団への激しい競争意識が働く。その結果、「である」価値が「する」価値を支えるというか、業績を上げることを動機づけることにつながることがある。
上層的な集団の目標達成が究極的には優位する結果、一旦緩急の場合には集団首長への献身を通じて目標達成に協力するアピールがシステム内部の「和」や妥協への関心を圧倒し、古い社会形態や定型化された行動様式を廃棄する動機付けとなる可能性がある。中核価値を破壊することなしに比較的急速な社会的変革を行う日本型「革命」はここに由来する。
ベラーは、このような「革命」への力が、江戸時代にすでに形成され、働いていたと説明するのです。
おそらく、現在の「小泉変革」にも、集団主義的な力が働いているようです。それも、この伝統の再現ということになります。
丸山は、偶然の結果として「する」価値につながったとしても、「何のために」という批判的問い直しをする要素はその集団主義的倫理そのものからは出てこないので、「近代化の成功」ではなく「近代化の問題性」があると理解したと(著者の宮村は)いうのです。
少し難しくなってきたかもしれません。近代化論者にとって、日本は近代化の別路線の「成功例」であってほしいわけです。そのような論理の筋道でまとめあげられます。丸山の反論は、福沢やあるいは漱石が苦しんできた「家族」や「世間」に埋没したり、流されたりしなくても生きていける「個我」の要素抜きでは、結果的に前近代あるいは伝統社会から近代社会に変貌を遂げたように見えてもそれは上辺だけのものではないか。上滑りなまがいものに終わるではないか。こういう話なのです。
現在の変革についても同様のことが指摘できます。うわべだけのアメリカのものまねにすぎない経済制度・財政制度の変革は、結局のところ日本国民にどれほどの幸福をもたらすといえるでしょう。経済の問題ひとつとってみても、バブル景気を迎える直前まで、多くの識者が「真の豊かさ」について問いかけていたではありませんか。そして、もう成長しない経済に適応する生活を考えようという機運が高まってました。環境問題や人口構成を考えるとき、経済成長を至上の課題とし、すべての矛盾をパイの拡大によって解決するのではない方向を選択すべだという提案がありました。
にもかかわらず、現在声高に叫ばれている改革とは、再びパイの拡大路線をとるという話になっています。
穏やかで落ち着いた、時間的にも気分的にも余裕ある生活を「ゆとりある生活」「新しい豊かさ」として模索することは止めたのでしょうか。
孤独な群集の問題
宮村さんの第二の指摘は、これまたかなり難解かと思います。まずは引用してみます。
「する」論理に見合った社会的行動様式つまり「機能的集団」「自発的結社」の形成という課題が、「前近代」の残存のみならず、「超近代」の早熟的な成立という事情によって大きく制約されたという問題があるでしょう。
これも解説を必要とするのではないでしょうか。
1.伝統的「帰属集団」、たとえば、家族、村落共同体は基本的に「である」価値を重んじるもので、社会の近代化とともに「する」価値が尊重されるにしたがって解体されていくものであった。
2.伝統的集団の解体に代わって、そういう集団から解放された個人は、さまざまの次元で自発的な集団形成と自主的なコミュニケーションを成立させていく。これが「する」論理の社会的基礎をなす。
3.ところが、日本では、これらの集団は解体されず、社会集団の「基礎集団」として規範化された。つまり、家族主義的な企業とか、家族主義国家といったかたちで人間関係を律するモデルにされた。あるいは、高等学校の寮が擬似的なムラになり、運動部の集団運営のモデルとして戦後まで持ち越された。
4.しかも、一方で、輸入してきた組織原理としての「官僚制化」「技術的高度化」あるいは事実としての「都市化」が進展すると、個人の「埋没感」が増大していき、バラバラに原子化された、砂粒のようにバラバラな個人が、孤独感を抱えて大社会に漂う状態となった。
5.つまり、各個人は、世間が作り出す画一的なイメージでとらえられ、マスメディアがこれをステレオタイプ化して伝え、それが自己イメージとして跳ね返ってくるというような感じでしょうか。私が小論文の問題集(?)人文系で紹介した石川啄木の「さびしさ」の正体がこれなのです。まんが『坊ちゃんの時代』を参考にして下さってもよろしいかと思います。
6.これでは、討論や会議などを可能にするコミュニケーションは発達するわけはなく、閉鎖的な所属集団の内に対しては自明性に寄りかかり、外に対しては排他的になるばかりです。「異質な他者」に「開かれた」対話は成立しないのです。
要するに、近代的な「する」論理に貫かれたデモクラシーの基礎が欠落したままであったわけです。それどころか、大衆社会化が、さらにデモクラシー成立の基礎である開かれたコミュニケーションを困難にすることになったというわけです。
これは丸山が戦前と戦中の間(おそらく大正デモクラシー期以上に困難になっていった時期)、そして昭和30年代を想定して描いた日本社会の姿なわけです。しかし、今日の日本、いや私自身のまわりを見渡しても当てはまる状況なのではないでしょうか。
「学校」や「クラス」が現在において擬似共同体的な様相すら保ち得ないことはほぼ確かなことでしょう。それでは生徒たちは、個人として、個人の資格において自由に「自発的」(volantary)にさまざまな集団を成立させて、生徒会や評議委員会などを通じて自分たちの問題をどしどし話し合い、解決しているでしょうか? クラブ活動も自発的・自主的に練習をし、上からの命令や指図なしに大会運営をしているでしょうか? あるいはHRも、生徒同士の討議、協議の機会として利用されているでしょうか? すべては、おんぶにだっこの「おまかせ民主主義」ではないですか。
まともにまじめに考える生徒にとっては「さびしさ」を抱え込まざるを得ない状況なのかもしれません。
「それが現実だ」という事実から考え始めるしかないのです。
「だから仕方ない。その現実に適応しよう」とか「適当でいいじゃん」ということを言いたいわけではない。丸山が真剣に取り上げ、変えていこうとした現実とよく似た現実にわれわれが未だに直面していると言いたいだけです。少なくともこの領域、この問題に関する限り、学問の進歩も発展もなかったとしか言いようがありません。
あるいは「教育」の問題であったのかもしれない。大事な問題を誤魔化してきた。あるいは「政治」の問題なのか。食べること、物質的な貧困を克服することにずてを優先させてきた。そこ(経済成長優先の社会)では「集団主義的」競争が正当化されてきたのです。教育も、経済成長に役立つ「人材」を育成することに特化されてきました。「集団主義」競争に適応した人間を大量に能率よく育成することです。我慢強く、「自己」を表現することなく、集団の指令に従うことができるだけではなく、自発的に先取りをして服従できる勘のよい人間がみごとに輩出されました。
これは退職して所属をなくし、指令をなくしても「自分」の欲求や趣味に生きることもできない「濡れ落ち葉」を作り出したというわけでしょう。「自分が何を欲している」かわからない大量の群れ。漱石が「自己本位」の生き方を見出したあの時点にすら達していないのでしょうか。
「である」価値と「する」価値の倒錯
ここまできたら、宮村さんの上げる第三の指摘までいってしまいます。
政治や経済の領域では「する」価値が重要であるが、文化の領域では「である」価値が重要なこともある。ところが日本社会では、これが逆転してしまっていたりする現象がよく起こる。
たとえば、政治は「働き」や「過程」「機能」が問題な領域であり、国民全体の利益を探り当て、それに対応する最も適切な手段を探して実行させるプロセスなのです。それをできるだけ多数の参加でおこなうことがデモクラシーの原則です。ところが政治が特定の職業的政治家の独占物になってしまう。逆に、レジャーとは、「自分を取り戻す」ことであって、何かをすること自体が目的ではありません。「レジャーどのように活用するか」などと「合理的」に考えることはおかしいのです。
「教養」が「自分」意識に支えられた「人間の存在」そのものの取り戻しの試みであるはずが、何か特定の文物を読破したり、コンサート通いをしたり、と何かを「する」ことに拘ってしまうというところがあります。
これらをあるべき姿に戻そうというわけです。
丸山の『日本の思想』だけでも、「ササラ」型の学問・技術の輸入ではなく、「タコツボ」型のそれになり、各研究分野が完全に隔絶したかたちで輸入し、発展させていくという問題や思想の軸というものがなく、列車のコンパートメントのようにバラバラな思考になってしまうといった問題、さらには、権力に近い上層部の西欧近代的思考様式と村落共同体の末端の伝統的思考様式とが官僚組織によって強引に接合させられ、木に竹を接いだような仕組みであるにもかかわらずうまく転換させられてきたことなど多くの議論があったと記憶しています。
私が、学問を「生活世界」と密接に結びついたものとして発想するようになったのも、丸山とその批判を通してのことでした。また、自分自身を反省的に振り返るとき、丸山の言う日本人の思考の「古層」が反映していることを強く意識してきました。これも大きな影響だと思います。日本の音楽家がどこまでいっても日本的あるいは非西欧的ならざるをえないということを、作曲家の三善晃が河合隼雄との対談において語っています。これは他のいろんな分野においても当てはまるのだと思います。
補足
現在65%近くの有権者が棄権をします。あるいは無党派層です。自身の意志を代表させるルートとしての選挙では、中央政府を頂点とした階層制の有力者の示す政策に頷き、付いていくしか許されないという無力感、不全感に苛まれる状態に陥ったのが日本社会の大多数の人間なのではないでしょうか。これを内在的疎外と、社会学者の大澤真幸は表現していました(『世界』7月号)。噛み砕いて言えば、これまでどこか遠いところで特定の企業や団体の権益と結び付いた一握りの政治家や官僚の作り、示したメニューのどこにも食べたいものは見つからない。自分たちでメニュー自体を作り上げて行く思考錯誤をしたい。こんな感覚を吸い上げて行く「機能的集団」「自発的結社」を形成することを通じて「個人」の意志を政治や行政に反映させるという経験をすることが現在手探りで求められているのかもしれません。
われわれが自分の内にある欲求に気付き、そして、その欲求を具体的にどのようなかたちの要求としていけば「公共性」をもちうるのかを考え、整理していく機会が自発的・任意的な中間集団に加わり、「他者」との交流をしていく過程を通じてなのです。痴呆老人を家族に抱えて苦労している人が、同様の問題に悩んでいる人々との交流を通じて、その悩み、現状改革が自分ひとりの問題ではなく、共通の問題であり、公的な要求として政府に突きつけられる性格のものであることを確認できるのです。その交流を通じてのみ、社会に開かれた存在としての自分の意志を確認できるわけです。
大衆社会化はこの道を塞ぐ要因であり、伝統的集団原理が社会のあちこちで(とりわけ永田町や霞ヶ関で)働き続けたことも妨害要因だったのだと思います。ただ、村落共同体のような古い集団が、抵抗の砦となりうることは、民俗学者・谷川雁や文芸評論家の吉本隆明などが指摘し、杉浦民平や瓢風亭前田俊彦などが実践を通じて報告してきたことでした。大澤真幸が報告しているように、現在、秋田県鷹巣町や青森県大畑町などが高齢者福祉や自然環境問題に対して「使命共同体」としての創造的な機能を示し始めていることにもっと目を向けてよいのかも知れません。
テレビなどを通じたパフォーマンスによって、内在的疎外を感じてきた都市中間層の支持を取り付けることが抜本的改革になるとは思えません。むしろ、町長が一軒一軒まわって、一人一人の欲求、要求のありかを確かめ、政策に生かしていくことこそ内在的疎外克服の方策であり、ボランタリーな集団を組織化することで「個人」の意志を際だたせていくことこそ、「近代化」の蹉跌を克服していく道なのではないかという感想を付け加えておきます。
そうした意味で、丸山眞男の提出した問題は、極めて現在的な問題なのだと思うのです。(4.20) |