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釈迢空のこと

  これまで柳田国男の弟子としての民俗学者であり、国文学者である折口信夫のことは幾度か本HPの前身にも書いてきました。私は、彼の七夕、タナについての考察にはドイツの社会学者ジンメルの窓の二重性についての論考に匹敵する思考の緻密さと文章の華麗さを備えもつものとして高い評価を与えてきました。勿論、私がそんなものを与えたからといって、何の重みもありはしないのでありますが。

 あるいはまた、その際、柳田の折口支配の苛烈さについて触れたかも知れませんし、折口の弟子への愛情についても触れたかもしれません。私は、折口の同性愛嗜好を別段気持ちの悪いものとして言及したわけではありません。むしろ、養子にした弟子が戦死をし、その遺体を弟子の好きだった故郷の海の見える土地に墓を建て、折口自身がその墓に入ろうとした逸話にある種の感動を覚えるものでありました。実は、中学生の頃に、父より折口についてはいろいろ聞かされていたのですが、当時の私にとっては男色についてはまったく意識の外であり、気にも留めていなかったのです。というよりも、父親に対する反発から食卓において彼の話すことは耳を通過させるよう努めていたのでした。
 そんなわけで、折口の先の逸話について知ったのは、舟崎克彦『ゴニラバニラ』を『野生時代』連載中に読んでのことでした。無論、これは小説、それもかなり虚構性の高い小説ですから、後に池田 弥三郎『私説折口信夫』や全集の解説などで補った知識でもあります。

 丸谷才一『袖のボタン』(朝日新聞社)の中に、「釈迢空といふ名前」という一編があり、そこでは富岡多恵子『釈迢空ノート』に触れながら、釈迢空というのが、単に折口の短歌や詩、小説を発表するときの筆名というのではないということが記されています。釈迢空という歌人が生存中にいかに熱狂的に女性に人気があったかは、父が面会の約束をしていた講演会の会場に出かけてその控え室に女性の追っかけがサインを求めて延々やってきたという話を幼児期に聞いていたので、長じてその歌集を手にしたときなんともいえぬ感慨に耽ったものです。
 そんなわけで私も折口が学問のほうは本名で、短歌などは釈迢空でと使い分けをしていたことについての予備知識はあったのです。ところが、この釈迢空は、13歳の一人旅で出会って新仏教家藤無染と恋仲になり、19歳で國學院に入学したときにも麹町の素人下宿の、新仏教家藤無染の部屋に同居し、その後もこの9歳年上の恋人に従って引っ越しています。二年後に無染の結婚により別れ、さらにその二年後に恋人は亡くなります。この藤無染が、戯れに年下の恋人に付けた戒名風の名前だったのではないかというのが、富岡さんを受けた丸谷才一の解釈のようです。また、安藤礼二の研究により、無染の新仏教というのが神智学的傾向によって仏教とキリスト教を結びつけようというものであったらしいことがわかっているらしいのです。
 丸谷は、『抱朴子』という道教の書にある「超空」という山の精である小児になぞらえて、山で片足を怪我していた少年に出会ったときの様子から迢空の名を与え、それに釈を付けて絶妙の法名だと戯れたのではあるまいかと推測を楽しんでいます。若き日の恋人のかたみとして、折口は釈迢空を使い続けたのではあるまいかという推理をしているのです。

 そう指摘されてみれば、私もはじめ坊主臭いペンネームだと感じたものです。折口は、なんとなく感情過多のひとという印象がありますが、もしも丸谷の推理が当たっているとすれば、この逸話も凄まじいばかりの恋情に浸されているものといえそうです。

 同性愛というのは、実は苦手でどちらかといえば避けたい話題なのですが、少女マンガにはよく出てきます。少年愛というかたちでです。『パタリロ』をそれをパロディにした名作ですが、なぜその愛読者たる少女たちが少年愛にかくまで関心を持つものか未だに理解できません。また、ブジテレビの『笑っていいとも』あたりを中心にゲイのひとが多く出演するのはなぜかも不可解なままです。それにしても、あの手のテレビの影響力はたいしたもので、女装をしたり、女性風のしゃべり方をしたり、化粧をしたり髪型をしている男性の存在に、いつのまにか違和感がなくなりました。
 そうなってくると不思議なことに、少女マンガにおいても少年愛は周囲に反発することによって恋人同士がより緊密になる契機となっていたはずであるのに、その感覚が希薄になってきました。いわゆるヤオイもので描かれている二人も、単なるお約束として恋仲であるような錯覚を起こしかねないではないですか。こういう風潮ってどうなんでしょうね。
 いま、折口みたいな国文学者が現れて、弟子である恋人の早逝に涙して墓を恋人の生前の言葉を頼りに建てたとして、美しさを感じるものだろうか、と疑ってしまいます。少し昔に、美少年タレントの自殺があって、養父であり恋人であったタレント事務所の社長が週刊誌に注目され、それから数年経って食べるのに困った元社長がテレビに出て、業務用自転車にお釜を括りつけたものにまたがって登場という悪趣味なコントをやらされていたことを思い出します。現在では、純粋な同性愛もかような運命に曝されるのでありましょう。 

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