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上田紀行『かけがえのない人間』(講談社現代新書)

 著者の友人・佐倉統東大教授の対談でのことばを紹介することから始めてみましょうか。

 小学生の学力が低下したとか言われているけれども、テストの点数に一喜一憂するよりも、もっと大切なものがあることを忘れてはいけない。小学校六年までの教育では、周りにいる人間が仲間なんだ、という意識を身につけることが決定的に重要なんだよ。人間はその仲間意識さえ持っていればそれからの人生は大丈夫なんだから。

 自分の周りの人間は、みんな仲間で信頼できるんだ、という感覚を小学校の六年生までに得られれば、そのあとで人生にかなりの問題が起こってきて、相当な負荷がかかっても、人間は大丈夫だ。壊れない。しかし子ども時代に信頼というものを築き上げられなかった人たちは、その後の人生でたいへんなことになる。自分が調子がいいときはいいけれども、人生がピンチになったときに、いろんな問題が噴出してくる。キレて他人に暴力的になったり、自分自身に暴力的になったり、たいへんなことになるというのです。

 ところが、この数十年、「構造改革」の名の下に、この信頼関係を破壊するような社会の変化が激しかったのではないかというのが、著者の見解です。
 〈競争〉というのにも二種類あって、ライバルと競争するのは、「お互いを高め合うための」競争です。あいつが毎朝走ってるから俺も走って頑張らなければ、というような競争です。互いに互いを励まし合うような競争です。それに対して、敵に勝とうとする〈競争〉というものがあります。この目的は勝者と敗者を決めることです。勝者は勝ち組でバンザイだし、敗者は負け組で、相手にどうされても仕方がない。勝者に屈服して、勝者の言いなりになるというものです。
 後者の競争観では、征服して負けた奴は奴隷になれ、というわけですからまさに戦争です。負けた人間は奴隷だ、お前の人権は認めないぞ、というのは近代以前まで戻ってしまうようなあまりにひどい競争観です。
 現在の日本社会にはびこっているのは後者の競争観で、「勝ったのだからオレはすべてを手に入れて当然だ。おまえは負けたんだから、そんなみすぼらしい境遇に甘んじるべきなのだ。そういった不毛な競争は、互いに互いを高め合うような、実りある競争とはほど遠いのではないでしょうか。」ということを著者は問題にしているのです。

 著者は東京工大準教授で文化人類学が専門の方です。医療人類学の観点でスリランカでの悪魔払いの調査をしてこられた経験をもとにして「癒し」の問題や仏教ルネサンスの運動に関わってこられたことで有名な方でもあります。
 「癒し」ということばを流行らせたきっかけを作った一人として著者は、あまりにもすべてを「個人」の「心の問題」に原因を求めすぎたのではないか。「心理主義化」を促したのではないか。本当は、社会の構造の問題なのに、個人個人が自己信頼がもてないとかどうしたら癒しが得られるかどうかといった心の問題に還元してしまう。それでは駄目で、社会全体に対して信頼を得られる、ひとりひとりの人間が「かけがえのない存在」として大切にされるような方向に働きかけていくという視点が抜けてしまうのではないかというのです。
 
 それが、いまの若者は、社会そのものの矛盾を変えていこうとか抗議していこうと考えるよりも、仕方がないと考えて、ひたすら「空気読め」ばかりを考え、日々そこで摩擦なく過ごすことばかり目指す、ひたすらそこに留まってうまく調停していくという発想から抜け出せないでいます。
 それでは自分が、そして周囲にいる人がそれぞれ「かけがえのない存在」だという実感がわいてこないでしょう。ではどのようにして「かけがえのない存在」だという感覚とか信頼感のようなものを取り戻せるのかが問題になります。それに対して、著者は、自分自身の体験を語っていくのです。


 聞いてみるとなかなか波瀾万丈の凄まじい人生です。彼が3歳のときに小説家志望であった父親は、親の所有する乃木坂の数百坪の土地を勝手に売り払い、浪費してしまい、杉並の建て売り住宅に引っ越します。その日、そのまま行方をくらまします。元々俳優座の演出助手であった母親は会社勤めを始め、その後、テレビドラマの翻訳、推理小説の翻訳業として子どもを育てていきます。
 会社勤めをしているときに雇った家政婦さんに児童虐待を受けた経験も語られていきますが、東大に合格してから暗い気持ちに支配され、母親のせいにして責め続けたのですが、母は、著者が二十歳になった時、「じゃあ家族を解散しましょう」と言い出します。「二人しかいないから、家族を解散するのは簡単でしょう」と言って、母は「私、昔から住みたいところがあったからそこに住むことにするわ」と、家を出てしまいます。行き先はといえば、アメリカ、ニューヨークのマンハッタンです。
 なんとも痛快なお母さんです。


 その後も著者は悩み、カウンセラーのもとに通ったり、インド帰りの友人のことばに励まされてバイトで貯めたお金でインドに出かけます。インド人の存在感に圧倒されながらもやがて大声でインド人相手に値切れるようになります。
 それまでの自分が、「自分は被害者です」と身体で表明していたために周囲がそのように扱ってきたのだと悟ります。元気になって帰国後もインドの民族衣装で大学に通ったり少しヘンな状態が続きますが、インド病が治まってくると再びエネルギーがなくなってくる。バリ島にいってしばらくはエネルギーを取り戻すのに、また切れてくるといったことを繰り返していたそうです。
 あとは本書をお読みいただくとしましょう。本当に興味深い内容が詰まっています。


 著者は、「明るさ」だけを評価し、みんなにポジティブな姿勢だけを促すような社会は、本当は、「かけがえのない存在」としての自分を大切にし、周囲の人々に対しても「かけがえのない存在」としてその人を大切にするような生き方にとり妨害要因になるのだと考え、自分の経験から、ネガティブなことの積み重ねも、そこから自分を見いだしていく大事な経験なのだと説明していっているのです。

 もうひとつ本書の中から引用しておきます。(以下、引用します。)

  例えば、調理師学校でがんばって勉強するのは、素晴らしいコックや板前になって、美味しい料理を作る実力をつけるためです。美味しい料理は人を幸せにします。調理師学校の成績がいくら長くても、料理コンクールで一位になっても、毎日作る料理がまずければどうしようもないでしょう。「学ぶ」 ことは、成績のため、評価のためではないのです。もちろん、いい成績を取ろう、いい評価をもらおうと.いうことは、勉強する励みになります。ですからテストのためにがんばったり、コンクールにチャレンジするのはとても大切なことです。しかし、そうやって実力をつけ、それを「活かす」ことに意味があるのです。評価のためだけの「死んだ」成績ではなく、「活きた」実力こそが大切なのです。
 評価をもらうことがいちばん重要なのではありません。全ての分野で百点をとることが必要なのではなくで、自分が命を懸けてやるぞと決めたこと、それをやりたいと思って続けていく中で、評価をステップにして実力をつけていくことが大切なのです。
 評価よりも自分が成長していくこと、評価よりも貢献することが重要なのです。
 それは「かけがえのなさ」についても同じことです。だれだって自分がかけがえのない人間だと思いたいでしょう。しかし、自分はかけがえのない人間だ、素晴らしい人間だと思いたい、そのことによって自分の自己愛を満たしたい、ということが目標になってしまっては、それは「死んだ」成績と同じです。
 私はかけがえのない存在だ、バンザーイ、はい終了、ではあまりにこっけいだと思いませんか。しかし私たちは、あなたはかけがえのない人間だ、愛されるに足る人間だというふうに言われて、自分が評価された、そして目標が達成されたというように誤解してしまいがちなのです。テストでいい成層が取れたときのようにです。
 テストでいい点数を取ったときのように、それは喜ぶべき事です。しかし、問題はその後なのです。私は愛されるに足る存在だ、素晴らしい人間だ、かけがえのない存在だ、ああ良かったと思い、そのあとは何にもしない、それはあまりにもかたよった心理主義というべきでしょう。
 いい評価をもらってもその後で何もしなければ、その評価というのは崩れていきます。算数で百点をとった人間がその後算数を使わなければ、それはどんどんダメになっていきます。英語を何年間も勉強しても、その後使わなければ、まったく忘れてしまいます。
 私はかけがえのない人間なのだということを自分で認識しても、その後でかけがえのない人間としての行動が続かなければ、自分がかけがえがないという認識はどんどん崩れていきます。それは当然のことでしょう。
 だれか偉い先生に、「あなたはかけがえのない人間だ」と言ってもらデことも、自信になるかもしれません。しかしその偉い人が死んでしまったら、おそらくそのとたんに不安になるでしょう。その偉い先生が実はインチキでたいしたことがなかったという噂を聞きでもしたら、その時にはさらに不安が掻きたてられていくはずです。
 かけがえがない人間であるという評価は、かけがえがない人間として、かけがえのない行動を起こすという、その後の行動とワンセットになっているのです。その行動が、私がかけがえがないという意識を強化する、そして強化された意識がさらなる行動を生み出すという、意識と行動の循環がそこにはあるのです。
 例えば、努力はしていでも自信がなかった板前の若者が、お客さんから「兄ちゃんの握る寿司はうまいねえ」と言われて嬉しくなり、ますます努力を積み重ねて修業をして、お客さんからも「どんどん腕が上がってるね」と言われる。成長とはそういうものです。いい評価をもらっても、それから修練しなければそこまででしょう。問題は、評価と行動のいい流れをいかに創りだせるかなのです。その意味では「お前の寿司はまずくて食えたもんじゃない」というお客さんからの手厳しい評価であっても、それで奮起して本気で精進しはじめれば、それは「いい評価」なのです。
 巷にあふれている自己啓発本の多くは、根拠のないかけがえのなさを振りまくばかりです。そこから後、かけがえのない人間は何を始めるか、という方向にまで行かないから、読者を気持ちよくさせて、はいおしまい、不安になったらまた本針買ってくださいねとしか言っていません。
 だから少したつとまた不安になってきます。そこでまた本を読んだり、セミナーに出かけていくと、またあなたはかけがえのない人間だと言ってくれる。なので、自己信頼を保つためには、永遠にその先生の言葉を聞き続け、あなたはかけがえがなくてすばらしい人間だと書いてある本を読み続けなければならなくなります。
 そのほうが、本は売れるのです。本当に人々を目覚めさせず、自分に依存させておいたほうが、ビジネスとしては儲かる。

 (5.7)


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