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作田啓一『恥の文化再考』(筑摩書房)

 私の世代にとって、「近代化」「個人主義」はもはやそれほどまぶしい存在ではなかったように思う。しかし、ハリウッド映画やアメリカTVドラマを通した豊かなアメリカ社会はまばゆかったかもしれない。他方で、親たちは戦後の米軍支配を隠したがっていたが、明らかにショックを受けていたし、マスメディアに登場する知識人の多くもフルブライト奨学金によるアメリカ留学経験を持つ者であり、二言目にはアメリカ留学時代の見聞を持ち出して、日本社会が遅れていることを強調していた。
 
 中学2年生のとき、研究授業の「道徳」の時間に扱われた材料が、R.ベネディクト『菊と刀』であった。このこと自体が象徴的ではないか。
 「われわれは、周囲の他人の目を気にするのではなく、自分自身の内部に形成された価値基準に従って判断し、行動するべきだ。」こういうメッセージが発されていたのだと思う。優等生であった私はただちに了解した。しかし、学校という現実は、個人主義の原理で動いているわけではなく、事務室にでかけて定期券購入の申し込みをしても、事務の人から権威主義的に命令を下されるだけであったし、ふざけていて担任にビンタを食らうような毎日でもあった。何よりも運動会のための行進練習や組体操の練習は、いまの北朝鮮(朝鮮人民民主主義共和国)並の厳しさであった。個は全体の中に解消されるのが理想であった。

 中学生が早くも現実と個人主義とのズレに気づいたように、日本社会全体も目標として、スローガンとしての個人主義・自由主義と現実としての集団主義との乖離をなにかと口にすることが多い時代でもあった。
R.ベネディクトは、文化人類学者である。ほっそりとした女性学者で、同僚のM.ミードと交代で講義とフィールド・ワークを担当した。ミードは貫禄たっぷりの体形と性格の持ち主であった。ミードがフィールドに出ている間に恋愛と結婚をし、研究をまとめる間に離婚するのは有名。ミードと英国天才情報学者・ベイトソンの間の娘の書いた本に詳しい。ベネディクトは、日本映画のシナリオの内容分析とアリゾナの収容所でのインタヴュー調査とによって日本人のパーソナリティの基調となるものを「恥の文化」とした。それは、キリスト教的な「罪の文化」に対比されるものとして描かれ、価値の内面化の欠如として語られるものでもあった。
 この乖離を「近代化の遅れ」としてとらえる視点があった。逆に、「文化的な異質性」に力点を置き、そこから「伝統文化の尊重」へと結びつける視点もあった。前者の立場を採れば、われわれは生き方・考え方を少しでも早く改良すべきだということになるし、後者の立場からすれば、むしろ、占領も終了したことだし早く伝統的考え方に戻るべきだということになる。
 ここに社会主義の視点を組み合わせるとややこしいことになる。アメリカ・西欧の方向ではなく、ソ連の方向への改革を求めるわけだが、ソビエト・ロシアは個人主義を否定し、労働者階級の一枚岩的団結を強調しているわけだから、当然、アメリカ的「近代化」や「個人主義」を否定するべき価値群とみなす。ただし、歴史的段階という視点を加えると、まず封建的諸勢力からの解放としての近代化があって、次に社会主義革命的な改革がくるとみなせば、とりあえずの個人主義を肯定するという解釈も可能になる。いや既に次の段階に進むべきだとすれば、否定的にみることになる。
 幸いなことに、私の周囲にはさほど熱心な社会主義者もおらず、あまり混乱したわけでもなかったが、まあ、こんな言説が新聞などを通じて出されていたようだ。
 安保条約改定に抗議するデモはテレビ・ニュースでも流されていた。子どもにとっては、わけがわからんけれどすごいことになっているらしいと認識していた。小学生にとっては浅沼社会党書記長刺殺事件の方が直接的でわかりやすかったが、樺美智子さんの国会前での死亡事故は何度も映像を見た。基本的にはそのような情報からは当時の小学生は遮断されていたような気もする。日本社会は、「選挙」という地縁関係を掘り起こす活動については熱心だが、政治的事象に対しては無関心であることが「安全な人」である証と捉えられているのではないだろうか。
少し後に登校前の子ども番組にまで「アンポシマシマ」というキャラクターが登場したので驚いた。「おはよう子どもショー」といった番組中の着ぐるみの名前であった。
 樺さんは、後に入る高校のOGであった。そのため、彼女の父親(哲学者)がまとめた彼女のことを書いた本ももっている。この死を受けて高校生たちは県庁前デモに参加しようとして、教育委員会は文部省通達を各校長にまわしてそれを禁止した。このときに生徒総会は禁止され、そのままという高校も多いはずだ。
 長々と思い出話をしているようだが、こうした歴史的経緯抜きではわかりにくいのだ。
 とりあえず内容に入ろうか。ここでも記憶のみに沿って紹介する。21歳のときに徹夜して読み続けた記憶がある(それは本書出版から4年経っていた)。本当に興奮する内容だったのだ。
 作田の議論は、「罪の文化」=内面的制裁、「恥の文化」=外面的制裁と図式化することに対して「待った」をかけるものである。確かに、公開の場で嘲られたり拒絶されることにより、あるいはこっけいなものとして扱われる自分を恥じる。そんな場合がないわけではない。作田はこういう場合を「公恥」と名づける。
 しかし、われわれは他人から称賛を受けた場合には恥ずかしさを感じるではないか。いやむしろ、そんな日本人は多いはずだ。また、そんな場面も多い。
 この反応は何なんだろう。
 この辺りの記憶は不確かなのだが、カラマーゾフの兄弟を上げて、ドミトリー・カラマーゾフが友人から預かった金を蕩尽してしまい、彼が内心恥じたのは、その金を半分残したケチ臭さにあったという例をあげ、それを「私恥」と名づけていた。有島武郎が私有地を解放して、羞恥を感じるのは自分の行為の底にあるブルジョワ感覚が露呈しないかというところからきたものである。つまり、個体として注視され、個体として扱われるはずの状況のもとで、普遍者として扱われたり、その逆であったしたときに羞恥は生じる。患者であるはずの場面で個人として扱われたり、個人としての体験を恋愛の一事例として語られたなら、恥ずかしさを感じるのではないか。さらには、他者の注視は、隠しておきたい自己の劣等な自我の部分が露呈されるときに羞恥は起こる。

 そして、この羞恥が、必ずしも所属集団の基準からの劣等として意識されるとは限らないところに作田は注意を促しているのだ。さらに進んで、内面と深く結びついた羞恥の観念というものを考えていかないとうまく説明がつかない場合もあると主張することになる。

 さらに作田は、日本人は子どもの時からはにかみがちであるという柳田国男の指摘に言及する。にらめっこという遊びは、そのはにかみを克服するために近代になって発明されたのだそうだ。
 伝統的な閉鎖的なムラ共同体ではある状況には固定的な認識様式が存在し、志向のくいちがいは生じにくい。しかし、近代化はこの伝統的様式を崩していくし、元々善悪よりも優劣の判断基準が優位の集団でもある。大衆社会化は同調に失敗しないかという不安から、失敗を恥ずかしいとする、羞恥を誘発する面と同時に、都市社会のもつ、はにかみの感情を押し殺し、さまざまな未知の他人の視線に耐えて交渉する訓練を積む必要から羞恥を抑制する側面も併せ持つ。

 わかりにくいよな。
 恥ずかしさ、はにかみ、羞恥っていうのは、所属集団の基準に照らして劣っていると認識するから起こってくるものとは言い切れないだろうということはまずわかりますね?
 だから、それは外面的制裁とは必ずしも言い切れない、分類されないものという可能性が大なのです。
  
『菊と刀』は経済史家や社会心理学者など様々な方面への影響を与えた。終戦直後の論争史については『思想の科学』にそれに触れた論考もあるので、専門的に研究する人は読んでおくとよいだろう。
 有賀喜左衛門や柳田国男の議論は義理・人情という価値観や結い(ユイ)や講といった社会の最も基本的な網の目を形成する小集団についての実証的研究を踏まえた日本人の生活の実態から論じていて、むしろ現在再評価してもよいものを含んでいると思う。

志向のズレについては、マックス=シェラーの議論に拠っている。

 後に、作田の弟子筋の研究者によって〈所属集団〉と〈準拠集団〉の相違として議論は深められることになる。

 流石に本書は、記憶だけに頼って書き込むことはかなわなかった。つまり、それだけ単純な構造をもつ文章ではなく、複雑であり含意のある文章であった。

はにかみの表情は、いまや日本の子どもたちから消えた。テレビカメラを向けられるとピース・サインを送る。チベットやブータンの子どもたちを見てほっとするのは、このはにかみの表情をテレビ画面を通じてみることができるからだ。
写真集『ヴェトナム颱風』もよかった。


それにしても中央アジア周辺部での中国共産党の蛮行には唖然とされる。水谷尚子『中国を追われたウイグル人』(文春新書)を信じればのことだが。
 以下の分析は、一見もう一つ、別の系統の話に見えるかもしれない。同じ問題を別角度から掘り下げるものだ。
 日本における「家族」という中間集団の力はあまりにも、絶望的にと形容すべきかも知れないほど、弱すぎた。
 たとえば、孔子にしろ孟子にしろ、盗賊の息子が母親の元に逃げ帰ったとき、官憲に突き出すのではなく、庇い切ることを善として説いている。
 日本では、親は、正義の名の下に、子を役人の所に突き出すことが正義とされる。この食い違いを中学生の時に疑問に感じ、教師に質問した記憶がある。答えてもらえなかった。

 それだけ日本の中間集団は弱く、戦国末期以来、外の権力に対する防波堤となり得なかった。家族も同じであった。それゆえ、一見強そうに見える「父親」(=家父長制)も、実のところ政治権力や社会的権力の支配的価値観をそのまま所属する構成員に伝える転轍点でしかなかったのだ。
 
 作田は、だから、次のように指摘する。日本においては、西欧社会のように父親の価値観を継承することで自我が形成されるということにはならず、父親に逆らうこと、反抗することによって自我が形成される。そのように文学作品は描いている。

 そこから作田は、太宰治をとりあげる。
 太宰が描いた人間像は、公恥として達成や自己主張の動機を強化するのとは真逆の方向に向かうような人間の生き方を描くものであった。自らを負け犬に同化し、負け犬の役割を担った「状況において異和の感覚を身に凝縮させ、そのバネによって状況を鋭く切り開くかわりに、この感覚を周囲へふだんに拡散させ、自己を状況のなかへ沈める方法」を太宰は採ったのだとする。それにより連帯が成立するかを問うたのだという。
 その戦闘方法は、(中間集団による外世界からの攻撃に対する保護を欠く)「甲羅のない亀」状態にある日本人がとりうる一つの戦略であった。
 「はにかみがちな日本人は事大主義や権威主義に対して無為の立場から消極的に抵抗してきた。その伝統は未来につながるものとして再評価に値するだろう」と結んでいる。

 父なる神を代理する父親は、ナチスの台頭に抵抗して亡命までして家族に危害が及ぶことを防ごうとする。『サウンド・オブ・ミュージック』あるいはその先行作品である『菩提樹』のテーマでもある。
 われわれの父は、軍国主義の虎の威を借りねば強くあり得なかった。家城巳代治監督・依田義賢脚本の『異母兄弟』(田宮虎彦原作)において三国連太郎が怪演を見せた軍人の父親の描き方などが見事に対蹠的な父のあり方をみせているように思う。
 
 日本社会が負った宿痾のような「甲羅のない亀」状態を脱却できない以上、そこにおける内面的反応としてのはにかみは個人の行動を内側から促す基準たりうる。恥の観念は理想我にみずからを近づける行動を奨励するものでもありうる。また、羞恥の共同体は達成本位により結びついた徒党がもちやすい集団的エゴイズムに対決する一つの拠点としても働くものである。
 つまりはベネディクトにはとても理解不能であったかもしれないが、日本人のさらけだしたくない(太宰は例外だが)内面世界と結びつく羞恥の感覚こそあるいは日本人の集団との関わり、意味ある他者との関わりを微妙に調整する内的基準たり得るのではないかと理解することに私はおおいなる共感をもつのである。
中国史を大学一年のときに結構真剣に学んだ。秘密結社の歴史は実に興味深かった。秘密結社は西欧社会のフリーメースンなども有名であるが、それらは表の政治権力が圧倒的に強くなったり、外来勢力に抑え込まれそうになったときには抵抗集団は地下に潜り込まざるを得ず、そこまでして抵抗しようとするということを意味している。
日本にはその伝統はないのではないか。千利休やその弟子山上宗二《やまのうえそうじ》の抵抗にしたところで一命を賭けただけのものに終わっている。
西欧中世以来の大学の特許状・自治にしても、真面目に学べば、日本で言う自治とは根本的に違うことがわかる。

われわれの経験はあまりにも狭すぎる。
余談を記せば、ずっと銃をもつ権利などふざけたことと考えていた。しかし、フリーマントル『殺人にうってつけの日』(新潮文庫)を読んで、納得できた。確かに極めて限定的な条件下ではあれ、同意せざるを得ない状況はあるのだ。そして、アメリカ社会において、銃を保持するために必要とされる要件は極めて厳格に規定され、かつ、真面目に運用されているらしいということもわかった。にもかかわらず抜け穴があり、それが悲劇をもたらすことはわれわれも承知のことではあるのだが。

太宰治の『新編・お伽草紙』だったと思うが、これはお奨めの作品だ。
 太宰の甥たちが、太宰にあって話すと感化され、自殺してしまう。それは、本当に太宰の姿勢に共感できうるものが含まれていたからではないのか。


作田はこの公恥とは区別される羞恥(内面化された恥)というテーマを『深層社会の点描』(筑摩書房, 1973年)、『価値の社会学』(岩波書店, 1980年/岩波モダンクラシックス, 2001年)においても洗練させていった。また、『個人』(三省堂, 1996年)も別の角度からここで展開した分析視角を補強したものとして参考にできる。  

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