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辻井喬・上野千鶴子『ポスト消費者界のゆくえ』(文春新書)

 西武百貨店、セゾングループの総帥、堤清二のペンネームが辻井喬です。小説家としても書き続けてきた人でもあります。そして、バブル崩壊後に巨額の赤字を出したグループ内の西洋環境開発と東京シティファイナンスの二社の処分だけでグループの他の会社を守るためにメインバンク頭取との口約束で、個人資産百億円を出したということで、当時、週刊誌などでは経営者失格だと叩かれた人物でもあります。結局、彼の後を引き継いだ西武百貨店会長によりファミリーマートを伊藤忠商事に売り渡すことになり、当時大きな話題になりました。

 社会学者の上野千鶴子は、セゾンの社史編纂に関与している上に、本書では触れられていませんが、パルコの発行していたマーケッティング雑誌のための基礎調査に若い頃関与しています。彼女には、三浦展との対談集『消費社会から格差社会へ』(河出書房新社)があります─紹介しておくべき一冊でした。最近、とても文章を書くのがおっくうになっているもので、すいません─が、この中で、かつてその情報誌の編集者であった三浦に当時の関わりやその後の社史編纂でのことを語っています。

 関西に居住する私には西武百貨店の業界内の位置というものがまるで分かっていなかったし、パルコのCMが話題になったときにも、実際に澁谷に行く機会を得てはじめて実感したくらいでした。つかしんには一度だけ行ったことがあるのですが、どう考えても三年ほどしかもたないだろうと直感的に思いました。ただ、ああいう施設が少し離れた近所にできると助かるなとは思いました。西武の大津進出は、劇場ができたという感覚で注目しましたし、神戸のハーバーランド出店も私にとってはよそ事でした。三宮、元町以西は滅多に出かけないからです。 

 したがって、1940-48年武蔵野デパートという「下駄ばき百貨店」と呼ばれていた時代というものを知り、首都圏の百貨店業界での位置づけがようやく納得できた次第です。ダイエーがプランタンを作って百貨店を目指した時期があります。あれは居住地に近くだったのでよく分かりますが、誰もあれを百貨店として認識していた住民はいなかったものです。やがてスーパー・ダイエーとしてリニューアルしてはじめて地域に受け入れられたのではなかったでしょうか。[本書と直接関係ありませんが、衣料や家具なら甲子園の駅前にあっても、多くの消費者は大阪の梅田や神戸の三宮に30分ででかけてしまいます。ファッション性が求められる商品の場合は特に、この両方で何十もの店を見比べて最適のものを選ぶでしょう。そして、食料品ということになれば、近くにいかり、ピーコックという高級品を扱うスーパーがあります。自転車で行ける範囲にスーパーが三店舗あり、酒類に特化した中規模ディスカウント・ショップが数店加わってきます。ダイエーに転換したときには、むしろこうした競争地域であることと野球場とが機能して、グループ内最高の売上げ店に変化するのでした。そのために今度はイトーヨーカ堂の大規模店舗進出を招くことになるのですが。]その例から推して、西武百貨店がデパートとして認知されるのは並大抵のことではなかっただろうと考えられますし、仕入れ、接客術においても伊勢丹などから学んだことが語られています。
 この西武百貨店に鉄道王である父親に命じられて勤め始めた堤清二は、元共産党員ということもあり、労働組合を作るところから改革をはじめています。無論、労資協調路線を敷くのですが、労資対決の激しかった当時としては先駆的なあり方を模索したということになるのでしょう。
 上野は、女子大生の雇用について問いただしていますが、特に差別はしていなかったと辻井は述べているだけです。デパートが1956年頃に大卒を採用というのは珍しいことでした。大半が高卒で、幹部候補生として大卒を採ったのだとしても、大卒の同年齢比率で3割程度の時代、そうあることではなかったのです。辻井は、意識的に人材確保と体質改善をはかったことを語っています。ついでにという感じで、女性の大卒者の評価は半々だったとも話します。途中で挫折した者が多く、直接社長と交渉する立場まで出世してきた女性社員の中には、上司からダメだしをされると、それを実績ではなく、ジェンダーのせいにして頑固に自分を変えない者も多くいたと説明しています。
 ただ、流通業・小売り業というものが、客の主力が女性である関係もあって、女性の比重が自然に高まるものであるという認識をもっていたことは大事なのではないでしょうか。辻井には、父親から押しつけられたという感覚があって、自分を経営者として意識するということがやや希薄というより、自己矛盾した心理状態を抱えていたようではありますが。
 政治家でもあった父親は、親米政策を推し進めることを使命と考えており、ハガチー事件の後、アイゼンハワーに謝罪に出かけます。そして、西部百貨店のアメリカ進出を命じます。結局、当時の為替レートが原因で50億円の赤字を出してしまいます。このことが、積極的に拡大路線を推し進めることにより赤字を埋めようとする基本姿勢を生み出したのだと説明するのです。
 辻井は、文化事業に積極的に乗り出します。このことが事業失敗後の批判の的になるのですが、彼によると、創業者配分としての自己の取り分の中から美術展や演劇上演などの出資をしてきたのであり、また上限を設けてもいたので、批判されるような事実はないということでした。
 ともあれ、セゾングループが意識的に文化事業に関与してきたことは確かでしょう。
 60年代の高度経済成長の結果、大衆消費社会が成立します。基本的には、大量生産・大量消費と大量廃棄という構造をもち、中流階層だと自己認識する人口が半数を超えるような(日本の場合は90%─その後の格差社会化の末、最近でも60%弱─)社会だということになります。「消費は美徳だ」とする考え方が浸透している社会だと表現してもよいでしょうか。
 辻井は、60年代にスーパー業界に参入をはじめます。ロスで50億円ロスした際にあちらの流通業界状況を学んできた成果ということです。西友スーパーです。ところが、デパート業界のノウハウしか持たない社員にはスーパーの経営感覚が欠落しているということで随分と苦労した様子です。また、欧米の真似では通用しません。少し、その部分を引用しましょう。

辻井 それは日本の消費生活が、アメリカと比べて非常に多様性をもっていたということでしょうね。アメリカ人は牛肉でも一塊のブロックごと買って、二、三週間、同じ肉を少しずつ切って食べるという生活ができます。でも、日本人は、家庭の冷蔵庫の収容量が小さいせいもありますが、あるとき買った牛肉を何週間もかけて切って食べるという習慣がない。今日はロース肉、明日はヒレ肉、明後日はバラ肉と、その都度、献立を変化させて食生活を楽しむ民族です。アメリカ人はまず、そんな面倒な食生活はしないですからね。
上野 それは日本の消費文化が高度だということですか。
辻井 食に対してバラエティー感があるということは、消費文化に対する多様性があるということです。(p.69)

 また、近頃ようやくテレビの世界でも注目しはじめていますが、日本社会は地域文化というものの多様性が極めて強い社会です。とりわけ食生活に関しては、ほんの少し離れただけで異なる味覚を示します。その上、食べ物に関する安全性には敏感です。
 時期的にはいつの話だとしなければならないのか私には明確な意識がありませんが、最近のことにしても、日本のスーパー業界における食料品の占める割合は高く、生鮮食品がほとんどです。欧米のスーパーでは考えられない事です。生ものなので主婦が調理、加工しなければならない。そんなのは合理的ではないというのがウォルマートの担当者の態度であったということです。中食というれる調理済み総菜の売上げが増えても、生鮮でなければ気が済まないのが日本の消費者というのが、特徴的であり、そうなると閉鎖的な地域性が前に出てきます。流通圏を狭くして、土着化しなければスーパーにしろ、コンビニにしろ成立しないということになります。グローバリズムでは対応できないというわけです。
 果たして、この日本的特徴は変容することがあるのでしょうか。格差がより広がり極貧化した層が厚くなれば、彼らは鮮度に拘っていられなくなり、安価な食品を毎日食べるような生活形態に嵌っていくかもしれません。アメリカの低所得層の食品チケットに依存する層が、腹持ちのする高脂肪のファストフードに傾くような状態が現出する可能性はないでしょう。竹中・小泉の狙ったグローバル化=アメリカ化は案外、そんなかたちで実現するのではないかと想像してみます。


 これまでの部分を書いてからあまりにも時間が経ってしまいました。西部黄金期のニューファミリーを対象にした宣伝戦略のことやその時代の空気について書きたいと考えていましたが、意欲が萎えてしまいました。
 簡略に、キャッチコピーの紹介だけ付け加え、さらに時間的余裕が生まれた時点で書き加えたいと思います。
 ’75年西部百貨店池袋店 9期改装完成時のキャンペーン広告
 手を伸ばすと、そこに新しい僕たちがいた。
 80年 じぶん、新発見。
 81年 不思議、大好き。
 82年 おいしい生活。
 84年 うれしいね、サッちゃん。
 88年 ほしいものが、ほしいわ。
  「自立した消費者であれ」というメッセージを発したというのですが、いまいちピンとこない。また、女性労働の多様な選択という観点からの改革のことやパルコとの関係、美術館のことセゾン劇場での演劇のことなど、あの時代を東京から離れて眺めていた私などの視点からでも語りうることはたくさんあります。
 そうした内容を含んだ本書の叙述は、ツッコミどころ満載なのです。
 余裕の出来たところでもう一度、書き直しをしてみたいと思いつつも、とりあえずのUPをさせてください。(9.18&10.10)