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アメリカ合衆国史については、それなりに学習してきたつもりであった。しかし、アメリカ建国や奴隷制度廃止などに大きな役割を果たしながら、かつまた、アメリカ政党制度の発展に寄与しながらも、大統領になることなく終わった人物について、関心を抱いたこともなかった。
著者は、切手収集の趣味から彼ら大統領になりそこなった男たちへの関心を抱き、丹念な叙述を行っている。この続編は現在も『中央公論』誌上で書き綴られている。
アレキサンダー・ハミルトンは、ワシントン将軍の副官として活躍、ワシントンが大統領に就くと財務長官として税制や中央銀行の制度整備に尽力した。若すぎたのが、彼の不運であり、私生児として出生せざるを得なかったこともその不運を強めたということだろうか。
当時の政敵トーマス・ジェファーソンやジョン・アダムスらが、農業中心の社会しか想像できず、工業やそれを支える銀行を貧乏人を食い物にする詐欺としてしか認識できなかったこと、マディソンが議会を国家の中心ととらえ、行政の重要性を認識できなかったことが、ハミルトンの活動や思想を追跡することで明確に浮かび上がってくる。
考えてみれば、われわれは、つい、現在あるいは二十世紀のアメリカの繁栄を思考の基礎にして、そこから逆に歴史を遡ってみてしまう癖をもつようだ。建国当時の弁護士や知識人たちの「常識」を想像することが案外できていなかったことに驚いた。
正直に言って、さほどアメリカの歴史に関心はないのだが、欠落していた自分の知識をいくらかでも埋めるチャンスが得られたことに、ある種の知的満足は感じた。ただし、こうした情報を整理することは私にとっての喫緊の課題とは思えず、ついテレビ番組のCMタイムを利用した読み方となってしまった。熱心な読み手でなくてゴメンなさい。
同時に読み進めていた橋本努『経済倫理=あなたは、なに主義?』(講談社メチエ)、下川浩一『「失われた十年」は乗り越えられたか』(中公新書)は、読み応えはあったが、とてもここに内容紹介する力は私にはないように感じられた。パスする。多分、受けた影響は大きいのは後二書である。(10.12)