|HOME |苅谷剛・山口二郎『格差社会と教育改革』|岩田靖夫『いま哲学とはなにか』|佐藤直樹『暴走する「世間」』|フェイ・ケラーマンの推理小説|辻井喬・上野千鶴子『ポスト消費者界のゆくえ』|岩村暢子『普通の家族がいちばん怖い』|芦田大蔵『技術者の見た「古事記」』(新風舎)|
国際政治学の常識は、おそらく一般日本人の感覚と離れているものの一つでしょう。それは、宗教戦争により身の毛もよだつような体験をし、ナポレオン戦争によりだめ押しをしたヨーロッパのような戦争体験のないせいともいえましょう。彼らの不思議さは、あそこまで悲惨な戦争を体験しながらも、第一次大戦、第二次大戦とまたしても悲惨な戦争をくり返し、旧ユーゴの内戦にもEUが関与していくあの凝りなさです。
著者に拠れば、むしろ本気で戦争を悪と信じて、戦争撲滅を信じられる集団がいることの方が信じられないことだということになります。欧州人は、すべて事務的に計算尽くで処理していく。戦争に対してもあるいは平和の維持に対しても善悪、理想の問題を離れて「どちらが国益に合致するか」だけを考えてしたたかに対処していくと言うのです。それは戦争が日常であり続けた世界の常識に見合った見方であったというわけです。日本のように平和が常態で、戦争は例外という社会は欧米にはほとんど存在しないからです。
アメリカだけが単独でも生きていける条件を揃えているため、理想主義に走りがちでした。ハンス・モーゲンソーという国際政治学者が注意を促して、リアル・ポリティクスという発想の重要性を説きます。私の世代は、彼の教科書でアメリカ式国際政治学を学んだのですが、案外、適していたかもしれません。彼の弟子にキッシンジャーがいます。
「指導者は前進すると困難が増大し、逆に退くと著しく名誉を損ずるようなところに国家をもっていってはならない」
という彼の基本方針は、理想主義の愚かさをそれとなく伝えています。民主主義のため、正義のためといったスローガンは、皆殺しの論理にすり替わりがちです。
このあたりは大学専門課程あたりで学べばよいことではありますが、できれば専門外の一般人も少しは馴染んでおいたほうがよいのではないかと私は考えています。ただし、教室で触れようとしてうまくいったためしはありません。「正義」のようなスローガンに惹かれる年齢の人たちが相手だからかもしれません。
しかし、本気で戦争を避け、平和を維持したいのであれば、リアル・ポリテークスの構えは不可欠です。外務官僚が率先してアメリカ追従だけで思考停止をしているような現状がもしもあるようなら(著者同様、多分に恐れありと睨んでいますが)、かなり危険な状態だといえそうです。
この本では、日本人の発想がいかに他国と異なっているかがわかりやすく説明されているので一読をお奨めします。
また、驚いたのは、「中国人は外交下手だ」という断定です。以下の説明からの判断です。
著者自身が中国のシンクタンク的官庁から話し合いたいと申し出があって、冒頭、「日中友好親善はとても大事なことです」と口火を切られた。相手の出方が読めたので、
「日中友好親善は大事だと思いません」と返した。相手はざわざわと中国語で話し始めた。戸惑ったのだろう。そこで助け船を出した。
「友好親善は双方の懸案事項が解決したとき、おのずから実現するものです。まずお互いの懸案事項を片づけることにしましょう。中国が考える日中間の懸案を教えてください」
流れについてこれず黙ったままで突然話題を変えてきた。
「日下さんはよく台湾に行かれていますね」はいという答えに、
「日本がこれ以上台湾に接近するなら、われわれの原子爆弾を覚悟すべきですよ」
と脅してきた。
「日本では個人の意見と国家の意見は別です。私のような民間人の発言で原子爆弾が飛んでくるなど、この日本では考えられませんが、お国では違うのでしょうか。もし、そうだとしたら中国では個人が自分の意見を述べる自由がないということになりますが、そんな言論弾圧が行われているのですか」
またしても中国語でガヤガヤとやっていて答えが出ない。ついに通訳が「日下さん、あなたは面白い人だ。ぜひあなたを北京に招待したい」と話し出した。
つまり通訳がこのグループで一番共産党の序列が上だったのだ。
少子化対策反対という立場を私はとっていますが、この本を読んでいてガストン・プートゥール『幼児殺しの世界』(みすず書房)を引用しながら、戦争の原因として若者人口の過剰を挙げている箇所で思い出しました。昔、私も『幼児殺しの世界』を読んでいます。この主張は、過去の戦争例にかなり合っている上、江戸時代の人口安定、つまりは他方での間引きという事実とも見合っています。
脱線します。
民俗学は、民間信仰と間引き、水子供養との関連に気づいていました。ある都市民俗学者は、大阪などの水子供養の調査を実施して、十代後半から二十代はじめの若い女性の間に水子供養の経験ある比率の高さに着目しています。アカデミズムや官庁統計が取り上げることのない部分ですが、現在日本の少子化、出生率低下は、江戸時代以来の伝統を引きずっているのです。
私にはその是非を決めるつもりはありません。
プートゥールはネズミを使った実験で、個体数が増えたときに若いオス、年寄りネズミ、妊娠しているメスといった順に死に追いやられるという結果を得ています。野生のサルの群でも同様の観察があります。人間世界でも、人口増加が生じて、食糧増産が不可能な場合、移民も拒絶されたならば、余剰人員を減らすのに戦争という選択は最適ということなのでしょう。
おそらく、派遣切りの現象をみても日本社会は余剰人員を潜在的に抱えています。少なくとも当面の少子化はかなり安定要因になっていると私は解釈しています。無論、子供が欲しい。自分の子どもを抱きたいという感情は納得できるのですが、それとは別に冷静に社会現象としての人口問題についてしっかりした判断なしに、大衆の耳に心地よいことだけを口にするポピュリズムの対応を政治家がしては亡国のもとです。
「定常社会」についての具体的イメージはなかなか描けず、書きかけて何度も失敗しました。
戦争には、国益・政略・戦略・戦術・戦闘・装備というフェーズ(段階)がある。軍人は戦略までを下から積み上げて考えていく。政治家は国益から考えていくのが普通だというのです。
こうした構図に沿って、第二次世界大戦において日本はどのような対応をはかることで国益を追求できたかの試論を素描しています。
最終章では、トーマス・モアの『ユートピア』で描いた戦争観を詳しく説明して、「自国民の生命と安全のためには戦う」「理想国も戦争はするが、武力以外の手段を最大限に用いる」「理想国では、兵士の死傷を避ける」などといった事項に触れています。「フランスで一番たくさん兵士を殺したのは?」「ロシアで…」「中国人を一番たくさん殺したのは?」といったクイズも付け加えています。ナポレオン、スターリン、毛沢東ですね。中世の傭兵による戦争時代には高く付くので戦争で兵士が死なないよう注意をしていたのに、国民皆兵になると兵器で殺し始めたというのがナポレオン戦争の特徴です。「人民のため」とか「祖国のため」といった名目で死に追いやるのは良心が痛まないのでしょうか。
モアは傭兵を使うので、そのための費用を十分に用意することを戒めているとか。インドではイギリス人将校、イギリス人下士官はヒンズー語で命令を出したそう。グルカ兵なんて完全に傭兵で、現在でも世界中に傭兵として出ていっているものね。
著者は、自衛隊ももっといろんな国の言語を習うべきだとしています。自衛隊幹部は英語以外必要ないと返してきたけれど、それは本来「政略」に属し、軍人が決めることではないとも述べています。(無論、このあたりユーモア感覚で述べています。)
山本七平の指摘を確認している記述箇所は重要で、陸軍の中国における戦争継続は、むしろ軍予算確保、もっと言えば機密費の確保のためだったのではないのかというのです。現在の官僚の行動傾向と同じだというのです。
これは本当に注意しておく必要のあることです。(2009.8.12)