本の棚卸        山田慈雨

香山リカ・江川紹子『きびしい時代を生きぬく力』(岩波ブックレット)

 香山リカさんは精神科医。私が勝手に運営していた生徒たちのための自主講座に特別講師としてお話願ったこともある。もともと、現代思想にも関心があり、プロレス・ファンであり、パソコン・ゲームやアニメなどオタク文化にも通じているブロガーとして評論活動で有名になった方です。
 自主講座では、彼女自身がなんとなく医学部に進んで、いよいよ専門を決める時にも迷いに迷ってかなり消極的理由から精神科を選んだ上に、北海道から千葉に移って、利殖に熱心な同僚の姿勢に驚いたりもしたといったようなことを話していただいたのではなかったかと思う。細部については記憶が薄れていると申し上げておかなければならない。誤った記憶から迷惑を掛けては申し訳ない。
 要するに、極めて柔軟な姿勢で、かつ「できる女」を演じるというのとはほど遠い、それこそ私の世代で言えばSFファンに集まっていたようなマイナー志向というか、「どうせわれわれは少数派で、世間の大人たちの基準には合わないもんね」「それでも自分の好きなことくらいわかっているからね」といった感覚で共通していた雰囲気をもつ方だと私は認識しました。実を言うと、私自身はその時点では彼女の評論はあまり読んでいませんでした。講談社新書の乖離性精神障害に関連したもの(『「じぶん」を愛するということ----私探しと自己愛』)を読んでいた程度でした。読売テレビの土曜日の朝の番組コメンテーターとして友人が出ていて、それで見ていると彼女が出ていて感心をもったのでした。そこから連載雑誌バックナンバーも何冊か読み、メールマガジンに目を通ししたような具合でした。この時期には政治・経済・社会に関する知識は弱く、感心も薄いとお聞きしました。しかし、その後、ワーキング・プアに関する活動など(大学就職課担当をされたためでしょうか)にも関与されたり、自衛隊のイラク派遣に関連してでしたか、憲法を守る文化人の声明に参加されたりしておられたようでした。
 しかし、私がSFファン云々と表現した特性がよく現れたのは、『しがみつかない生き方―「ふつうの幸せ」を手に入れる10のルール』(幻冬舎新書 2009年)でしょう。大きな夢、高い目標を持って、その実現を目指して頑張れば夢は実現するという積極的な思考、生き方を鼓舞する啓蒙書が特に女性に向けて多く発信される時代なわけです。これに対して「違うんじゃないの」という発言をされたわけです。
 われわれがここ20年ほど経験してきたことは、あまりに激しい「自己鼓舞」と「自己責任」を言い立てる言説の嵐でした。「やればできる。できないのはやろうとしないからだ」というのと「失敗したとすれば、悪いのは本人だ」という型の言明ですね。
 「夜道を歩いていたら通り魔の被害にあった」という事件があると「そんな夜に一人で出歩くからだよ。この人にもなにか責任があったんじゃないか」と発想してしまうことはよくあります。トラックが個人の住宅に突っ込んで、寝ていた人が重傷を負った」という事件報道にも、「そんな道路の近くに家を建てるからだ」と発想してしまうというやつです。離婚してシングルマザーになって、仕事を求めても正規社員にはなれず苦しい経済状態の中で保育所も利用できず、ギリギリの生活の中で幼児を虐待してしまったという報道があれば、その状況改善に手を貸そうとか、政策の転換を求めるというよりも、離婚したことを責めたり、児童虐待という行為だけを切り離して責めたりするような態度と「自己責任」ということばとは関わってしまっているというのが現在の日本社会の心理状態なのではないかという気がします。
 同情するとか、もしかすると自分も同じ状況に陥っていたかもしれないと想像する力は失っているところがあります。

 香川さんは、うつ病による自殺予防のために企業に心の相談室を作ることを提案したら、企業にはそんな余裕はない、こういうところにお金をつぎ込むのは無駄なんじゃないかと反対されてしまうという例を挙げています。景気の回復が急務で、無駄なコストを削減するのが正しい姿勢だというのです。
 ところが、2009年に厚労省は、自殺でなくなった方たちが、働いていたらどのくらいの給料を得ていたか、うつ病の人たちが休職せずに働いていたらどのくらい仕事ができたか、あるいはその人たちに対する医療費や休業補償費などを算出し、日本社会がうけた経済的損出を積算すると約2兆7000億円になると、発表しました。
 企業が予防のために年間500万円出すことで10人のうつ病患者を減らせれば、ずっと安くつきそうな計算になります。

 余裕のない社会になってしまっているため、こういう視野の広さは求め得なくなっているのでしょうか。あるいは、「暗いことは考えたくない」という心理状態があらゆる面で広がっているということなのでしょうか。「不幸な目に遭うのは運が悪いか、本人の努力不足かで、自分とは無縁だ」と思うことで、とりあえずはハッピーな気分に浸れるわけです。
 「自己責任だ」と他人を厳しく非難するのも、「だから自分は無関係だし、努力しているからうまくいっているのだし」「とうことは、これからもこの幸せは続のだ」と思い込みたいからなのかもしれません。

 江川紹子さんは、オウム真理教事件の取材で有名になったジャーナリスト。それしか知りません。
 本書(長野県須坂市での講演を基にしている)では、村木厚子厚労省局長の郵政不正裁判での拘留とアフガニスタンで拉致拘束された常岡浩介カメラマンに共通する逆境を耐え抜く要因をまとめています。いずれも突然襲われた不幸・不運で、めげずに耐え抜き、解放を勝ち取ったケースです。
 江川さんは4つの要因を挙げています。1.どういう状況でも楽しみを見つける。2.無理に勝とうとしない。3.強いプロ意識。4.自分を見る客観的な視点を失わない。5.人間関係をつくっていく力。この5点でまとめているのです。
 1.について。村木さんは、(裁判官も保釈を認めなかったために長引いた)拘置所の中で、読書に没頭し、150冊は読んだそうです。また、ラジオ放送は聴けたので、それまで知らなかった野球のルールも覚え、阪神タイガースの試合を楽しみにするようになったそうです。常岡さんは魚を捌くなどアフガンの人間との交流を楽しみにしたとか。あとの諸点も興味深いのですが、今回は2について特に注目します。

 村木さんは検察官の取り調べをうけているときに、弁護士から「ここは検察官の土俵だ」と言われる。そこで、「だったら勝てるわけがない」と観念し、相手を説得することはできないと考え、負けないことだけを考えて、自分の原則は曲げない、経験していないことは言わないことだけを守って検察官にきっちり話したそうです。
 横綱白鳳が、「勝つ相撲をとらないこと」が強い秘訣だという記事があって、それは「決して無理をしない。結果を求めないことだ」というんですね。そういう風に自分に言い聞かせていないと、力が入りすぎて、自然な流れで相撲が取れない。そういうことだといいます。

 われわれの領域でも、「○○大学に○○人現役合格!」などと勝つことを意識したアピールをしていると、多分、いい結果に繋がらない。むしろ自然な流れを生み出すことが大事なんです。いい教育をその瞬間々々していけばよい。その積み重ねが望む以上の結果をもたらすということが普通だと思います。生徒個々人をみていても無理をしている生徒は、やはり結果としてうまくいかないことも間々ある。無論、かなり無理で無茶なやり方で強引に合格を勝ち取るというケースもあるわけで、それが世間の注目を集めることにもなるのですが、それでは白鳳が勝ち星を重ねていくような偉業はなし得ない。つまり、大学までは行けてもその後は果たして…ということになりかねません。

 ところで話を戻しますが、香山リカさんは重要な指摘をもう一つしているのです。それは、次のような事です。人間は、突然不幸に見舞われることもある。「まさか私がこんな目に遭うなんて」ということもある。外から批判、非難を浴びるような目に遭うかもしれないし、「自己実現の躓き」に陥るかもしれない。「私って何だろう」「これが私らしい人生だろうか」と悩んでしまうかもしれない。しかし、同時に人間には、すばらしい回復力が備わっている。

 アホではないので、生徒諸君の中には、自分の成績に悩んだり、人間関係の躓きに悩んだり、親との関係に困難を感じたりしている人もいるでしょう。中には深く傷つき、自分の人生はもう終わったような気持ちに支配されている人もいるかもしれません。ずっと先の受験どころじゃないということでもあります。
 そんな人にも知っておいてもらいたい。人間のもつ回復力は凄いと、実際に深く傷ついた患者さんと向き合ってきた精神科医の香山さんが感心して述べておられるのです。
 私はそれを信じたい。 (2011.3.12)

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