本の棚卸        山田慈雨

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岡田尊司『なぜ日本の若者は自立できないのか』(小学館)

 精神科医・岡田尊司の本は『なぜ日本の若者は自立できないのか』(小学館)は、子供の得意とする情報処理の仕方に違いがあり、それが学び方の違いになるので、発達障害として語られるケースにも、この点に配慮しなかったために生じる摩擦に由来する問題行動というのがあるのではないかと指摘している。もう少し言えば、一般に精神科医は発達障害わけてもアスペルガー症候群のようなケースとされる児童に対しては、Yes/No 型の質問で対するように指導し、情報処理能力の訓練を避けるかのような指示を現場教師に対してはするような印象がある。岡田は、統合能力を高める教育の有効性を示しているようにも読める。
 視覚空間型、聴覚言語型、視覚言語型の3タイプは、偉人の伝記などからも確認できるとして、安藤忠雄、スティーブ・ジョブズ、本田宗一郎、バラク・オバマ、ビル・ゲイツ、井深大といった人物について本書で、取り上げて論じています。岡田が重視する統合機能とは、高次な情報処理能力で、手際よくまとまりのある話をしたり、文章を書いたりする能力のことなのだが、上の3タイプを配慮しつつ訓練していくことの重要性を強調している。
 
 情報処理型の「視覚空間型」の特徴は以下のようなもの。

 視覚空間型の子どもは、目で見て、瞬間的に処理するのが得意である。しかし、長時間何かをじっくり考えるということは苦手だ。また、話を闘いたりするのも、集中が続かない。すぐに気が散るか、眠くなってしまうのだ。言葉で、自分の考えや気持ちを表現するのも苦手なために、つい暴力的になったりすることもある。言語的に考えられないので、計画性も乏しく、場当たり的、衝動的に行動しがちである。
 視覚空間型の子どもでは、じっと座って授業を聞くということは、そもそも体質に合わないのだ。体を動かして、実際にやってみるという実技型の学習が向いている。(p.56)

  つまり、このタイプの子は、叱られたり、テストなどで失敗する経験が多い。そのため自信を喪失しがちになる。しかし、このタイプの子は、体を動かして、実際にやってみるという実技型の学習には向いているので、実地訓練には適応する。職業訓練などならバッチリという場合も多い。基礎を飛ばして応用から入るとうまくいく場合が多い。抽象は駄目で具体的実践的であればOKというわけだ。
 細かいことを言葉で説明しても伝わらない。全体のイメージをざくっと感覚的に伝え、後は実践で具体的に覚えた方が効率がよいらしい。長嶋茂雄タイプの直感型だという。
 言葉で説教したり、言葉で、決まりはこうなっていると、いくら説明したりしたところで、あまり効果がない。 

 このタイプの子を扱いなれた組織、例えばスポーツチームや道場において、挨拶や号令といったことが重視されるのは、そのためである。儀式的とも言える「型」や規律が重要なのだ。一日の日課を視覚化・空間化して明示し、一目でわかるようにすることも有用だ。
 ただし、規律が行きすぎてしまっても、弊害が起きる。このタイプの子は、主体的な行動力に富み、縛られすぎることを本質的に嫌うからである。規律と同時に、主体性が尊重されることも大事なのだ。
 スポーツなどの活動を通して、忍耐力や自己統制力を養うことは、このタイプの子にはとても合っている。実際、視覚空間型の子どもは、スポーツやグループ活動を通して、しばしば人格の基礎を築く。そうした活動に出会って、人間が別人のように変わったというケースも少なくない。
 視覚空間型の子は報酬依存性が高いので、まめに小さな褒美を与えることが効果的だが、与えすぎないようにすることも重要だ。ただし、報酬によらない役割も与えて、家族や仲間のために役立つという意識を育てることも大事だ。報酬依存性ばかりが強まっても困るからだ。
 視覚空間型の子は攻撃されると反撃しようとする本能が強く、厳しく叱りすぎると反抗的になりやすい。自分の気持ちや理由を言葉で表現するのが苦手である。だから、悪いことをしたときこそ、頭ごなしに怒るのでほなく、じっくり話を聞いてやるとよい。そして、自分なりの言葉で、そういうことをしてしまったときの気持ちや理由を話させるのだ。それによく耳をかたむけた上で、もっとはかによい対処の仕方はなかったか、聞いてみよう、こうしておけばよかったと言えれば、今度からそうしてみようなと語りかければよい。
 こうして行動について振り返ることが、叱ることよりも行動をコントロールすることにつながるのである。

 一般に学校で行われている授業に最も適応しやすいのは「聴覚言語型」の子どもで、「このタイプは、聞いて理解するタイプである。会話言語に強く、言葉の感覚も優れていて、会話を楽しめる。口真似が得意で、聞いた言葉もよく覚えている。このタイプの人が学習する場合には、自分で本を読んで勉強するよりも、誰かに教えてもらうというのが頭に入りやすいのだ」。

 相手の気持ちを理解したり、場の空気を読み取ったりするのも得意である。したがって、コミュニケーション能力に優れ、(特に相手の話をよく聞いたり、共感したりすることにも長けている。
 このタイプの難点は、映像や空間的な処理が要事ということであるや 地図が読めない、空間図形がわからないということや、絵画なども、立体感のある絵を措くのは苦手である。このタイプの人が措く絵は物語的で、そうしたよさを発揮することもある。
 また、論理的で厳密な議論や記号を用いた抽象的な内容は、あまり得意でない。このタイプの人は、論理的な説明にあまり興味を感じない。理屈っぽいことは、非現実的な絵空事にしか思えないのだ。それよりも、具体的で、身近な話に興味をそそられる。したがって、このタイプの人を飽きさせないためには、抽象的な話ではなく、常に身近な具体例で話を展開する必要がある。
 例えば、連立方程式を説明するのに、いきなり、xだのyだの言われても、あまり頭に入ってこないが、「今、この財布の中に、硬貨が七枚入っています。合計金額は250円です。財布の中の硬貨を当ててみなさい」と言えば、ぐっと身近に感じて、考えてみようという気になる。まず具体的に考えてから、それを抽象的な記号に置き換えると、その意味が頭に入りやすくなる。そうした点では、視覚空間型も共通するところがある。ただし、視覚空間型の場合には、言葉で説明するだけではイメージされにくいので、もっと図や絵や具体的な事物(この場合であれば、お金や財布)を用いる必要がある。
 抽象的な言葉が出てくるたびに、それを会話レベルの言葉で説明し直す必要がある。その努力を怠らなければ、この先生の話はわかりやすいという評判を勝ち得ることができるのだ。

 ハーバード大学のマイケル・サンデル教授の哲学講義は、一つの抽象的な哲学概念を説明するのに、いくつもの具体的で興味深いエピソードを用意し、抽象的な概念を、生き生きと理解できるように巧妙な仕掛けが施されているが、これはこの「聴覚言語型」に向いた対応だということになる。一般に大抵の専門家というのは視覚言語型の人が多いため、理論的、抽象的説明でよしとしてしまうが、サンデルはそれをエピソード・タイプに置き換えて分からせる工夫をしているところが魅力となっているというのだ。
 視覚言語型に対しては次のような説明がされている。

三番目は、視覚言語型である。このタイプは文字言語には強いが、会話は苦手というタイプである。詩的な作品はさっぱりわからないが、論理的な文章は頭に入りやすい。具体的なものより抽象的な概念を扱うのが得意で、物事を論理化や図式化して理解するタイプである。分析するのは得意だが、自分でオリジナルなものをつくり出すのは苦手である。特に、自由に何か話してくださいなどと言われると困ってしまう。論理的な手掛かりがないから、どう話を組み立てていいかわからないのだ。
 記憶力がよく、ペーパー試験は強いので、学校の成績はよいということが多い。活字の虫、本の虫の人も多く、自分の興味のあることはよく調べていて、知識も豊富だ。
 このタイプでは、何事もルールを明白にして、構造化するということが有効である。説明する際には、論理的な因果関係をきちんと説明するということが重要だ。ただ丸覚えするよりも、こういう理由で、こうなるという道筋の中で理解した方が覚えやすいし、応用が利く。
 つまり細かい部分のロジックがきちんしていないと、受け入れられないのだ。図式化して整理することも有効である。約束事は契約書のように書いて書面にするとよい。文面にして、それを明記した方が頭がすっきりするのだ。
 もう一つの特徴は、このタイプの人は演算型のコンピューターと同じで、一度に一つのことしか処理できないということだ。二つ以上のことを処理しょうとすると、たちまちマヒ状態た陥ってしまう。視覚言語型の人では、一度に一つのことに集中し、順次こなしていくということを徹底した方が効率的である。

 それに対して、視覚空間型や聴覚言語型の人では、複数の情報を並列処理するのにも強い傾向が見られる。学問的な厳密さは劣っても、感覚的で、あいまいな処理に強い。どちらかといえば私はこのタイプ、二番目の聴覚言語型で、エピソード記憶だとスンナリ頭に入り、訓練を嫌う。数式にしたり統計処理やフロー・チャートを描くことは好きだが、それ以上に感覚的把握を好む傾向がある。外来語を覚えるのは苦手でちょっと違っていても通じればよいという態度をとるため、同僚で典型的な三番目タイプの人に苛つく。「そんな細かい事どーでもいいやん」とつい思ってしまうし、瞬間に分かれよと思ってしまう。上方漫才で育っていると打てば響くの間合いが心地よいということもあるだろう。 

 視覚言語型の子は、スポーツなど体を動かすことにあまり興味がなく、そうした活動が苦手であるという子が多いが、それも訓練不足から来るところが大である。このタイプの子も、その子の特性や好みに合ったスポーツであれば、熱心に取り組むことが多い。チームプレイが必要なものは概して苦手だが、陸上競技や水泳、格闘技、武術といった個人競技なら、練習次第でかなり上達することもある。忍耐力や欲求不満耐性を高めるのに、ぜひスポーツを活用すべきである。(p.66)

──とも説明がある。
 そして、視覚空間型と視覚言語型には大きな共通点がある。それは、マイペースを好むということで、主体的に行動しつつ、試行錯誤しながら学ぶのが性に合っている。先生の話をおとなしく聞きながら理解するというのは、どちらも体質に合わない。
 フィンランドやオランダの小中学校授業風景をNHKが流していたが、一斉授業はほとんどなく、各自のペースで自習をしたり作業をしていた。

ことに、視覚空間型の子どもでは、手を動かした方が頭に入りやすい。
実際にやってみて、わからないところを教え合ったり、教師が指導したりという方法が効率的だと言える。
 視覚空間型の子は、自分でやってみなければ納得がいかないし、視覚言語型の子も、自分で読んだり、書いたり、パソコンをいじったりして学ぶことを好むのである。彼らの学び方は独学的であり、その意味で主体的である。

 TVドキュメンタリーを見ていて、オランダの子どもたちが中二階のようなロフト・スペースに壁面に向けられた個人用机で各自が作業をしている様子には、それなりの規律が伺えた。一斉に同じ事をしなければならないというのはどんなものだろう。これからは、校舎そのものの設計や教室の設計まで抜本的に改めた環境で、各自に合った個別的カリキュラムでそれぞれの子どもに合った学習ができるような学校に改変していくことが重要ではないかという気がする。

 とはいえ、現実にはそうなっていない。なってはいないがそれなりに工夫することはできないかという気はする。

 また、比較的わが校の生徒に多い標準型の「聴覚言語型」と他校に比べて特徴的に多い「視覚言語型」の生徒はなんとか講義型一斉授業に適応していくが、「視覚空間型」の生徒の場合、クイズのような形式にしたり、ゲームのようなタイプの授業を組み入れてやらなければ退屈してしまう。何年かに一人二人はその極端な例が現れる。保護者は、それをうまく理解してやれれば、頭ごなしに叱りつけて自身を喪失させ、反抗的にさえしてしまうというような事は避けられるであろう。
 「視覚言語型」の場合は、好きなようにさせてもらえるという伝統的にわが校が採ってきた環境下では伸ばせる余地があるはずで、「授業中、自分の好きなことばかりやっていました」というOBの証言は少しハラハラする発言ではあるものの実際その通りであったし、それを旨く活かせた者は適応していた。しかし、本来そのタイプではない「聴覚言語型」の生徒がその真似をすれば、単に学習能率を著しく下げるだけのサボリになるし、「視覚空間型」の子どもの場合は、プラスはやはり生まれないだろう。このタイプの子には身体的に反応させるような授業を受けさせてやりたいものだ。
 逆に、「視覚空間型」に適したトレーニングを他のタイプの子に押しつけた場合、これらの子どもが悩むことも多いものと推測できる。
 中途半端な補足説明だが、少し理解を深めていただけただろうか。(2012.3.21)

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