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関川夏央『戦中派天才老人・山田風太郎』(ちくま文庫)

 これは名作だと思った。71歳の山田風太郎との座談を活字にしたという体にしてあるが、その実、風太郎老は話し言葉というものにまったく重きを置いていないため、その「過剰に融通無碍な談話」は、そのままでは原稿とならなかったらしい。
 著者は、風太郎老を「戦中派」「天才」「老人」の三つに因数分解して、その因数にのっとった立像を再構成したのだという。評伝の「パスティーシュ」だと表現している。

 実は、わたしは山田風太郎の作品をそれほど読んでいない。中学生のときに週刊誌で「くの一忍法帖」の断片を読んだことがあるのだが、特別な感想もなく、 流してしまった。そのため『幻燈辻馬車』『明治断頭台』を平成になってから読んだとき、実に新鮮な感じで読むことができた。『戦中派不戦日記』は、NHK がドキュメンタリー番組で取り上げ、話題になってから読んだ。『同日同刻』『人間臨終図巻』も出版後かなりたってからの読者である。
 要するに、あまり熱心な読者とはいえない。しかし、ただ者ではないと山田風太郎を認識してきたことは確かだ。

 「面倒臭がり、他に比類のない横着者」「人生最大の望みが、懐手して何とか楽に暮らしたい」という姿勢は、わたしと共通だ。いやなことはしない。外出も滅多にしない。
 冒頭のこの箇所だけで、わたしは共感をもってしまった。
 わたしの妻なんぞ、一日に集会やコンサートの掛け持ちを3つ程していることがある。友人知人のパーティーやなんとか協会の大会の準備のための会議だと か、ボランティアでどこかの施設を訪れるとかで、スケジュールはほぼ毎日詰まっている。その合間に習い事を入れる。「一緒に食事をしないで勝手に先に食べ る」と文句を言われるのだが、冗談じゃない。そんなもの合わせようと思ったら、常に彼女のスケジュール表とにらめっこしていなければならない。そもそも自 分自身でもよく予定を間違えて電話で呼び出されているではないか。日曜まで教会に出かけた後コンサートか買い物に行っているではないか。
 「みんなから好かれる」ことを意識して生きるのはなかなか大変だと思ってしまう。とは言え、自分がまったく世の中の役に立たないことを誇るわけにはいかない。少し肩身の狭い思いをしていることを周囲に分かっていただきながら、生きていくのである。

 その点、天才かつ老人は強い。「無用の人」であることは最早それほど不自然なことではない。「老人」であれば「無用」であるのは自然である上、風太郎老 の場合、小説という世界で認められ、十分な生活費を稼いでこられたわけで、「余人に代え難い」価値を認められた時期が少なくとも一定時期あったに違いない からである。

 ところが、この座談の中でこの老人は、幼少期から「列外の人」だったと語る。病弱で、体操や教練なども列外に出るよう指示されたというのだ。そして、但 馬の山村の医師であった父が亡くなり、2年間祖父の元で居候をした後、母が医院を継いだ叔父と結婚し、生家に引き取られる。ところが、中学一年の三月に亡 くなる。そのころから勉学に励む気力もなくし、虚無感に浸ることになる。
 寮を抜け出し映画館に潜り込み、酒を飲んで帰寮する。寮の部屋の屋根裏に隠れ部屋を作り煙草を吸う。その他悪いことの参謀として活動を始める。当然、成績は下がる。

 叔父は再婚しており、小遣いまではねだれず、「受験旬報」に投稿し、報奨金を稼ぐようになる。

 5年で寮を追い出される。親のない人間は学歴が必要だと思うが、教練が落第しており、どの高等学校も入学を認めてくれない。

 風太郎老は、軍事教練の教官となっていた人間の質が悪く、そのことが中等学校、高等学校、大学の学生が軍嫌いになった大きな要因なのではないかと指摘し ている。訓練するにしても合理的な方法を採れば、納得して付いていくものをあまりにも理に適わない命令を出せば馬鹿にするだろう。
 成るほどと思わせる。

 「宝石」との関わりから江戸川乱歩との付き合いも生まれた。座談の中ではそのことについても触れられている。乱歩が戦前の人間嫌いから戦時中の隣組副会 長の仕事を経て、戦後、若手作家を引き連れて飲み歩くようになった変貌について、風太郎老は、「若禿」コンプレックス説を提出している。乱歩は美青年で あったが、三十代にはすでに禿始めていたそうだ。
 しかし戦後は既に禿げていてもおかしくない年齢に達していたため、そのコンプレックスから解放されたのではないかという仮説なのだ。

 また、岡山に疎開していた横溝正史のもとに水谷準、海野十三[いずれも推理(SF)小説好きにはお馴染みの人たちだ]から乱歩はおそろしく戦闘的・権柄 ずくになっているから気をつけろという警告が届く。やがてやってきた乱歩は最初こそ高圧的であったものの、昔のままの乱歩であった。東京の周囲の連中が変 化していたのではないかと横溝は回想している。それだけ食糧難・住宅難に打ちひしがれていたということだ。
 
 昭和二十年三月十日の空襲について記した日記でも、硫黄臭い熱風に触れ、まだ火のついた布や紙が飛んでいる中、「自分は歯ぎしりするような怒りを感じた。「──こうまでしたか、奴ら!」と思ったのである」と記している。
 彼は、冷静になろうと努め、これが戦争なのだ、立場が入れ替わっていたら同じ事をしたであろうと考える。「さらばわれわれもまたアメリカ人を幾十万殺害しようと、もとより当然以上である。いや、殺さねばならない」となる。
 彼が東京医学校の級友の安否を確かめに本郷に歩いていく。市電は罹災者にのみ券が配られたため友人が頼っていった先を数カ所回って安否だけは確認できた ので帰ろうとして、女性が空を仰いで「ねえ……また、きっといいこともあるよ。……」と呟いたのが聞こえた。あの地獄のような阿鼻叫喚を十二時間前に聞い た女ではあるまいか。その中で子どもを失ってきたかもしれない。それでも彼女は生きている。きっといいことがあると信じ込もうとしている。

 風太郎老は、豊岡中学同級生の37人のうち16人が戦争で亡くなっていると言う。43%に当たる。それだけに、靖国神社への首相・閣僚の公式参拝はすべ きだと考えている。「あの戦争は侵略戦争だった」「日本は残虐行為を繰り返した」と一方的に断定されることに、抵抗を感じていると『文藝春秋』に彼の文章 が載せられた。
 それに対して、共感の手紙が寄せられたが、一通、「山田プータロー、アフリカに行って虎に食われろ」という当初が韓国から来た。

 先ほどの東京空襲や大阪空襲に対してわたしも両親たちからその惨状を聞き、財産を失ったことも聞いているし、その後の食糧入手のための苦労話は笑い話を 交えて聞いているので、反射的に「アメリカめ」と身構えてしまう。しかし、この民間も含めた無差別空襲は、重慶で日本軍が始めたということだ。これはサッ カーの試合であれだけヤジられても仕方ないなあと思ってしまう。

 しかし、それとは別に、「残虐行為」というのも中国が大金を掛けて欧米マスコミに働きかけたプロパガンダであったという側面もきっちりと検証した上で、 どの行為のどの部分をどのような理由から反省し、謝罪するかを明確にした上で、「自衛のための戦争」であった部分についてはそれを主張することは論理的に 謝ったことではないだろう。4割もの同級生を戦争に引き出され失った世代の個人が、「あれはすべて間違いでした。反省しましょう」と言われて納得できるも のかどうか。細川首相にそんな判断の権限はないと老人はいうのだった。
 ただし、『文藝春秋』の文章は自分で書いたものではなく、取材に答えたものを編集部がまとめたもので、ニュアンスは少し違うが趣旨は合っているという。違いは、そんなに自信を持って発言しているわけではないということだ。

 「祖国を守る」ために身を犠牲にして志願して軍役に就いた。それはそう簡単にできることではない。覚悟をしたのだ。利己的欲望を抑え、みんなのために死 ぬ覚悟だ。それを簡単に下の世代の人間に、「あれは間違いでした」と断言されて、そんなに嬉しいわけはない。

 関川は、司馬遼太郎の『坂の上の雲』の記述の一々に裏付けをとっていく作業の過程で、日露戦争だけでなく、日清戦争もほとんど勝ち目のない戦争を奇跡的 に勝利したことを明らかにしている。その事実を熟知していた陸海軍の幹部たちが、大陸での戦争やアメリカとの戦争に閉塞状況の打開の奇跡を求めたとしても 怪しむに足りないという面もある。いやそれ以上に、多くの国民が望んでいたことであったという「空気」は感じ取れる。
 その政策決定過程の一々を検討して、その誤りを批判し、反省することは必要だろう。大衆の熱狂の影響の分析を冷静に行うことも必要だろう。しかし、これまたある種の「空気」から自己批判の弁を公にするのはインチキだと思う。

 * 関川夏央『「坂の上の雲」の時代』を日記で紹介しているものと勘違いしていた。この本は紹介に値するので、いずれ取り上げたい。


 風太郎老はアルツハイマーのボケではないが、アル中ハイマーは患っているのでとボケながら話しているのだが、耳を貸すべき内容はもっていると思う。

 老人の死についてのとらえ方も、わたしは好きだ。彼は自身の体験から60代は徐々に老化が進行し、その後飛躍的に進むとしている。足がほんの数センチの 段差に上がらない。躓いて、おっとっとっとと状態を起こしてバランスをとることができないので、そのまま顔から床に落下していく。それが情けないという。

 加えて、彼は外出をほとんどしないのだが、出かけるときも財布を持たずに妻に付いていく。新宿駅の雑踏で見失って途方に暮れる。必至で妻の姿を求めるが見つからない。家の鍵もない。引き返しても家には入れないのだ。
 関川が訪ねてきて応接間に招き入れても、暖房器具の付け方を知らない。二人は襟をかき合わせ震えながら座談に及ぶ。幸い、間もなく戻ってきた奥さんのお陰で救出されるのだが。

 ボケれば怖いものはなくなるようだ。
 風太郎老は65歳人間引退説を唱える。国立劇場をガス室にする。そこに老人を集め、ベートーベンかなにか聞きながらまとめてあの世に送ってもらうなどと いう案を口にする。死んだら第二靖国行きだそうだ。確かに、彼が言うように、世のためになって生きている価値があるという観点もありうる。早く死ぬことが 世のためということもありうる。というより、わたしなど真っ先に志願する。それが一番世の役に立ちそうだ。

 「朝まで生テレビ」を見て、「最後まで見た。しかし、なにをいつているのかさっぱりわからん」「誰も人の言うことを聞いていないんだ。それぞれ勝手に得 体の知れないことを喋りちらしている」「ぼくも支離滅裂だが、彼らよりはまだましかも知れん。"これからの日本はどうなるか"という話なんだが、あれ じゃ、これからの日本は支離滅裂としか思えんなあ」
 これは傑作だし、当たっている。
 生徒たちが、ああいうのを討論だと思いこんでいるので驚いたことがある。もう何十年も前の話だ。以来、ずっと驚いたままだ。「それは違うよ」と説明して も通じない。彼らの頭の中には、「テレビに出る者、偉い」という価値観が定着していて、いくら理を説いても頑固にはね除けるようだ。
 こちらに勝ち目はないので最近は逆らわない。もうこうなると呆けるが勝ちだと悟ってしまった。

 政治学のイロハから言えば、民主主義とは、討論の原理に支えられ、相互に論理的な説得を試みることが前提になっている(アーネスト・バーカーを参照)。その際、党派性や自己の利害を超えて判断することが求められる。裁判における審議の構造も同じだ。
 論理と証拠が重視されるのだ。国会審議のテレビ中継を見ていて、ときに極めて論理的かつ実証的な質問を見ることがある。しかし、政府側答弁は、いかには ぐらかすかしか念頭にない場合が多くて、がっかりする。野党の議員も多くは、扇情的・独断的な追求というより一方的な非難であることが多いし、与党議員の 質疑に至っては、自己の選挙区向け宣伝でしかない。

 この状況は衆愚政治でしかない。古代ローマにおいて真剣に少数制との組合せが模索された歴史的事実を冷静に参考にすべき時がきている可能性もある。などとオーバーなことを行ってみたくもなる。

 日本がイラクに湾岸戦争のときに百億ドルも出して誰にも感謝されないのなら、いっそ外国人に町づくりを任せたらどうか。麹町区は英国人に、港区はフラン ス。新宿区はアメリカ、それぞれ奥にぶりで存分に町をつくってもらう。働き手は東南アジアから。五年で帰ってもらう。その代わり海外援助はしないし百億ド ルは出さない。西欧旅行をして、町々の壮麗さに驚いた。それ以上に花と樹と鳥を大切にすることに驚いた。大噴水と彫刻の公園に花がある。辻辻には花があ る。無数の窓々を花が縁取っている。その行為に敗北感を持った。
 これが豊かさだ。アメニティだ。
 アイリス・オオヤマの会長が対談番組に出ていた。彼は、19歳で会社を引き継いで、養殖用生け簀のプラスティック・ブイ製造のアイデアで下請け工場を脱 却する。しかし、仙台にも工場を建て進出したところでオイル・ショックで倒産の危機に陥る。大幅な敗北的リストラを経て、家庭菜園用プランターなどの製造 というニッチ産業で当てる。DIYブームを演出し、大型ホームセンターで家庭園芸用品を販売し、そのスタイルの産業を生み出す。衣装ケースなど新製品開発 でも先鞭をつける。彼が、そうした消費者ニーズを思いついたのは、ハリウッド映画を観ていて、やがて日本社会もこうしたアメニティ製品が売れる日が来ると 確信したのだと説明していた。
 風太郎老の指摘は、面白い。莫大な資金投入で、インフラ整備をはかる。その際、海外技術者や労働者に大金を支払えば、日本の評価は上がるだろうというのだ。
 地中海のマルタ島なんて面積は淡路島の半分で、人口は結構多い。何層にも重なった要塞都市が首都で、白い外壁が美しい。観光の対象にもなっている。
 東京都か、横浜なんていうのは、あんな風に仕立て上げられる。本当は、西欧風にしてしまい、ギャンブルOKの特区にして観光化してしまうのは、淡路島だ とか、下関界隈だとか、西南諸島のいずれかの島だとかの方がいいのかもしれない。対馬なんていうのもいい。アジアからの観光客でにぎわうだろう。歴史的記 憶とどう結びつけるかは難問ではあるけれど。そうか。その意味で、東京なのかもしれない。函館や神戸なんていうのもありだと思うよ。
 明治のお雇い外国人のように、外国人技術者・デザイナーの導入は、再び日本の発展を促す可能性はあるね。(3.24)

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