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過去編 フランス啓蒙思想の教科書には出てこない話

  河合隼雄対談集『続 物語をものがたる』(小学館)の中に、作家の中村真一郎が相手の回がある。中村は王朝文学にも英米文学にも詳しい。
 河合得意の「とりかえばや物語」「有明の別れ」の話題になり、猥褻な小説の話題に流れていく。イギリスのビクトリア朝というのは偽善的な社会で、ディケンスの膨大な作品群にはまったくエロティックな場面は出てこない。一体どうして子どもが生まれてくるのか皆目見当がつかないくらいだ。「世紀未には、なにしろプラトンの『パイドロス』や『聖書』もいけないところは省いてたぐらい」だという社会だ。
 ところがそのくせ膨大な匿名小説があって、微に入り細に渡り性的描写のあれこれを試している。その量もまた膨大なのだ。

 さてここからが「思想史」絡みなのだ。引用しよう。
 フランスでは、十八世紀末のロココ時代から大革命直前までに猛烈な勢いで猥本が書かれるんですね。作者は百科全書家の人たちです。デイドロの作品は非常に有名で、邦訳もあるけれども、いちばんいいところが抜けている。それは『おしゃべりな宝石』という作品ですが、これは女性の器官を宝石になぞらえて、奔放な女性で大勢の男性と関係した女性の器官が「この男はこうだった、あの男はこうだった」と、サロンでいきなりしゃべりだしたので男たちが困っちゃうという内容です。ところが、そのなかの一章がものすごい高級な哲学論文になっている、ディドロですから。この章は読みたくない人は読まなくていいって書いてあるんですが、その章を読むと、エロティックなところが、なおさらエロティックになるのです。
 十八世紀のフランスの猥本作家で、暗殺された革命家ミラボー伯 にも彪大な全集がありますが、彼の作品はものすごくわいせつです。フランス革命は、革命家が猥本を書いたという不思議な革命です。つまり、官能の解放こそが、自由、平等、博愛の根底にある意識を偽善的な階級社会のなかで解放することに通じるというわけです。だから猥本は革命的パンフレットでもあった。そしてフランスの場合は、ヴィクトリア朝とはまたちがって非常に哲学的猥本が多いのです。マルキ・ド・サドが牢屋へ入れられたのは猥本を書いたからではなくて、革命論文を書いたからです。マルキ・ド・サドの猥本は革命論文なんですよ。たしかにサドの作品はちっともエロティックじゃなくて、ものすごく過激な革命的なものです。
 ですからフランスの猥本とイギリスの猥本を比較すると、イギリスの場合はものすごい細かい日常的リアリズムであるのにたいして、フランスのものはすごく哲学的、抽象的です。このちがいは、国民性のちがいでね。(p.71)

 話は流れて、日本のことになる。日本人は伝統的に「おたく」なのだ。日常的な細かいこと、「たとえば、この茶碗はどこのどういう土でつくられているかということに興味があって、この茶碗の形は宇宙の構造とどういう類似があるかといったことには、まったく興味ない」。日本の猥本も、王朝ものから始 まって江戸に至るまで、日常性から一歩も抜けていない。
 これに対して、「フランスの猥本の主人公は、女性と戯れていながら、いったい人間存在というものは宇宙のなかでどういう意味があるのかとか、神が全能だということは、いったい自分の抱いている女とどういう関係があるのかとか、デカルトは魂と物質の二元論だけども、自分の女に魂があるのかとか、ものすごいことを考えている。ところが日本の猥本の主人公で、霊魂は不滅であるかなんて、女と寝ながら考えているのは」、一つもない。

江戸時代の猥本には坊主も出てくるんですが、こんなことをしていたら地獄にいくんじゃないかとか、あの世へいってつぎは牛に生まれてこやしないかとか、そういう輪廻転生のことも考えない。この女とうまくやって、檀家から金をとってやろうというようなことを考えているんですよ(笑)、不思議に。日本人は、ほんとうに形而上学に興味がない。(p.72)

 これはイギリスも同じ傾向があり、「不思議に形而上学はない」。それに対して、「ドイツの猥本は、これはカントの国ですから、もうむやみやたらと 形而上学的で、むずかしくって、そしてエロティックじゃない。しかしドイツ人は、むずかしい細かい哲学的な議論の積み重ねを読むと、ぞくぞくして官能を刺 激されるんですね。ホフマンの『尼僧モニカ』など、その典型ですね」──という。

 だからドイツ人にとっては、カントの『純粋理性批判』はエロティックな本なんでしょう。エロティスムの代表的なドイツ人、女優のディートリッヒが、一生の間、カント狂いだったのも、そう考えるとよくわかりますね。猥本は、ほんとにそれぞれの国の国民性を正直に表現する。(p.73)

 そうか。カントで興奮するのか…。でも、なんとなく分かる気がする。教科書しか読んでないと絶対に気づかないだろうけれど、デカルトにしてもヘーゲルにしても女性にはすぐに手を出してるしね。猥褻さと哲学とはどこかで重なっているところがあるのかもしれない。

 フランス啓蒙思想の話題が出てきたが、ヴォルテールの『カンディード』、岩波文庫版で読むとあまりエロティックじゃない。高校時代に読んだが、滑稽ではあったが、エロとは思わなかった。ところが、その後、イタリア映画だっただろうか、女優はイタリア人だったのだが、映画で見るとエロ話なのだ。驚いた記憶がある。『デカメロン』がエロ話なのは原作通りで、あれを小学生のときに読ん だ。実はよく理解していなかった。まあ、わかったら恐いわな。映画では、無茶苦茶な話になっていたが、あれは原作や訳本にもそのトーンは残っている。

 日本社会では、どこか分離をしてしまうところが大きいよな。それはつまるところ生活そのものと思想とが関係しているのではなくて、思想は生活の糧と関係している人が多いからだろう。(10.20)

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