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常々、童話とか、ファンタジーというものは、子供よりむしろ大人のためにあるのではないかと思ってきました。 人生のいろんな側面を経験してきて、人間の偉大さも卑小さも見聞きしてきた人間が、何よりも自分の限界に気づき、自分自身とその世界にがっかりしたときに読むのがいいのではないですか。 童話やファンタジーは、それまでの彼の生活にまったく別の光を当てるだろう。活力を蘇らせるような役割を果たすでしょう。 江国香織さんの作品は、ほんのちょっと生きる力の弱ったときに最適のものが多い。 本作品は、女性新聞記者が、さる経済学者にインタビューをする仕事で訪ねた田園の町で散歩をしている最中に、すきまに入り込んでしまい出会った九か十歳の少女とのことを描いているものです。 おんなの子は、生まれたときから、少なくとも気づいたときからおんなの子でした。その子は落ち着いた思慮深い子でした。そこで、その子がまずしたことは、両親の墓を作ることでした。だって、ひとは父と母なしには生まれてこないし、その二人が見当たらない以上、亡くなったのに決まっているからでした。次に、おんなの子がしたこと |
| 実は、童話と民話、ファンタジーに幻想小説などの区別はついていない。『指輪物語』とか『ナルニア国物語』『果てしなき物語』『ゲド戦記』は堂々たるファンタジーだと思う。 日本ファンタジー大賞の受賞作になると少々戸惑う。 また、『アーサー王物語』などは円卓騎士物語の元々は叙事詩だった別系統なのではないかと記憶していたのだが、確かめてみたことはない。詳しい人にいつか教えてもらおう。 高楼方子『時計坂の家』『ココの詩』『十一月の扉』荻原規子『西の善き魔女』などは児童文学と区分するのがよいような気がします。 また、エディングス『魔術師ベルガラス』シリーズやグッドカインド『魔道師』シリーズのようなものはSFファンタジーということで区分されてきたような気がします。多分、ル=グィン女史もSFファンタジー畑として出発しているのでしょうが、後にそれをはみ出したような印象を受けます。 いずれにせよ、小説全般が人間の想像力が生み出した部分をもち、そこが魅力の源泉であることに変わりがないので、ジャンル分けに拘ることもないようですが。 |
は、庭に花と野菜をつくり、レモンの木も忘れずに植えたことでした。そうすれば、レモネードをつくって売れるからというのでした。 この奇妙に論理的な癖に現実的でない感覚というのがいいのです。 新聞記者さんは、一度は元の世界に突然引き戻され、恋人であった男性と結婚してすぐに、食事の用意をしていて布巾を食器にかけたところで、またしても突如、すきまの世界にまぎれ込みます。 そこは野球場のスタンドで、おんなの子がレモネードを売っている場面に飛び込んだのでした。しかも、靴も履かずにです。 このおんなの子は──古い皿と一緒に暮らしているのですが──「…ってそんなもんでしょ」とよく口にします。すべては当たり前、あるがままを受け入れるのが得意のようです。 旅行に出かけようという誘いに「寒村」を選び、一日に一本しかないバスで出かけます。そのとき乗り合わせた男の子は、やはり生まれたときから兄がいただけで、両親はいませんでした。彼は、その村が寒村になるためにどんどん村人が離れていったので、自転車を集めてきて、観光客に貸すことを思いつきます。手狭になったため廃館になった映画館に兄弟で住んでいます。そこに年老いた犬がいて、彼は、町に出て新鮮なバターをその犬のために手に入れてこなければならなかったのです。 おんなの子は言います。「それはそうね。年をとった犬には、そりゃあ新鮮なバターの塊がいるわ」 犬はかなり広い廊下の間仕切りで仕切った一画に、豪華な天蓋つきベッドに寝ていました。ベッドサイドには純銀製のボウルとラジオが置かれ、上等の羽根布団のまんなかにまあるくなった犬。 「ひどく甘やかしているのね」 思わず口をついた言葉に、おんなの子は「失礼よ」とたしなめます。 「物事をあるがままには受け容れられない性質なの」と男の子に詫びます。「どの家にも、その家なりの暮らし方があるのよ。私たちはお客なんだから、意見なんか言うべきじゃないと思うわ」というのです。 多分、作者の江國さんが、いつかどこかの場面でそう考えたことがあるに違いありません。 おんなの子はおんなの子のままの世界。生まれたときから変わることのない世界。私などは、自分の苦しいときに、こういう世界を本を通して訪れることで、どれだけ気分が楽になるかしれません。大事なことは、その世界は糸を引かないことです。こちらが忘れてしまった頃に突然やって来て、非難を浴びせかけるような無礼を働きません。現実世界の方は、こちらが遠慮して言い控えていたり、しないでおいたことに対して何年も経ってから責め立てられるようなことが間々起こるのです。 「失礼じゃないの」「物事をあるがまま受け容れたらどうなの」とおんなの子に、そういう人を叱ってもらいたいものです。(2.13) |