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  |山極寿一『暴力はどこからきたのか』江國香織・すきまのおともだちたち |



  小川洋子『ミーナの行進』(中央公論新社)は、その評判は聞きながらも読みはぐれていた作品の一つでした。
 偶々立ち読みを始めて、これは読まなければと感じたのでした。
 その理由は単純です。舞台が、阪急芦屋川駅の北西、芦屋川の支流高座川に沿って海抜二百メートルのあたりに建てられたスパニッシュ・スタイルの洋館であったからです。山手小学校、山手中学校、打出の市立図書館、阪神芦屋駅近くのアンリ・シャルパンティエといった小説に登場する場所にはなんともいえない記憶が刺激されて、もう少し読みたいと願わずにはいられませんでした。
 小説の1972年から3年にかけてというのは、私にとっては既に大学生でしたので芦屋の風景もそれなりに私の小学時代とは異なっています。しかしながら、これは、ある程度芦屋に暮らした者でなければ書けないなという感触があって、一気に読めそうでした。  
 実際には、仕事上読まなければならない本や資料もあり、飲みに行かねばならない約束もあって、あまり進みませんでした。
 ゆっくりとした読書ペースは、寺田順三の挿画を楽しむ余裕をもたらしました。少しだけ読んで、本来の仕事に戻ります。その間、しばらくの間、挿画を眺めて物語を反芻します。
 いとこのミーナはマッチのコレクターです。喘息で身体が弱く、始終医者にかかり、入院も頻繁な美少女は、何不自由ない豊かな生活であるはずにもかかわらず、自動車に乗ることも儘なりません。ほぼ家の中だけに留まり、本を読み、空想の世界に遊びます。マッチのラヘルに描かれた絵柄から、彼女は物語を紡ぎ出していたのです。
 ある日、ベッドの下の箱の中から取りだしたマッチにはシーソーに乗った象の絵が描いてありました。草原に据えられたシーソーは赤く塗られていて、子ども達は皆嬉しげに葦を揺らしています。象は鼻で一人の子を持ち上げ、空に掲げています。その子はオペラ歌手がアンコールの拍手に応えるかのように両手を広げ、得意満面の笑みを浮かべています。象はその胴に鼻を巻き付け支えているのです。
 挿画は赤いシーソーと積み木のような象の切り抜きだけ。なんともシンプルで、マッチのラベルの描写通りでもなく、ミーナの作った物語とも関係なく、それでいて、少しばかりミーナの物語のようにもの哀しい目をしていて、見飽きない絵です。一度閉じた本を再度開けて見直してみると、シーソーの端の象の乗っている部分のペンキが少し剥がれているではないですか。象の前足の部分にもペンキの剥がれがあって、何ともいえない雰囲気が醸し出されています。
 主人公の預けられた家には、先代社長、ミーナのおじいさんに当たる日とが遅くできた一人息子の誕生日のために購入したカバのポチ子がいます。庭の池に住んでいるのです。コビトカバ。偶蹄目カバ科コビトカバ属。リベリアから来たものです。
 ミーナが身体が弱く、自動車にも酔うため、
 
 ポチ子の様子は普段とまるで違っていた。眠そうな目とのっそりした動きは変わらないが、首には何やち齢っかをはめられ、背中には木製の小さな座椅子が載っていた。またその座椅子を固定するため、丸々とした胴体に二本の革ベルトが巻きつけてあった。
 小学校に入学する前、伯父さんは校長先生と交渉し、ミ−ナがポチ子に乗って通学する許可を取った。ポチ子が人を襲ったりしないよい子かどうか、校長先生が実際に乗ってみてテストをしたらしい。わざと大きな声を出したり、給食のコッペパンをちらつかせたり、耳を引っ張ったりしたが、ポチ子は迷惑そうに鼻を鳴らすだけで大人しくしていた。彼女はテストに合格したのである。
 試行錯誤を繰り返し、ポチ子を乗り物にするための付属品を作ったのは伯父さんだった。子供用の食卓椅子の脚を切って鞍の代わりにし、ベルトを首輪に、カーテンを束ねるタッセルを手綱にした。伯父さんは世界に一頭の人乗りコビトカバを仕立て上げることに成功した。朝、小林さんがミ−ナをポチ子に乗せて学校へ送り、放課後はポチ子を引いて校門まで迎えに行く。それが習慣になった。
 ミ−ナと小林さんとポチ子、彼らの行進は威風堂々としたものだった。ミーナは真っ直ぐに前を見据え、中林さんはしっかりと房を握り、ポチ子は一歩一歩坂道を踏みしめてゆく。門の前を掃いている人、阪急芦屋川駅へ急ぐ人、同じ小学校へ通う子供たち、誰もが行進に出会うと立ち止まり、道を譲る。小林さんは目礼し、微妙な手綱さばきで方向を調節する。
「あらミーナちゃん、学校?」
 近所の顔見知りのおばさんが声を掛けてくることもある。するとミーナはポチ子の背中から、
「おはようございます」
 と、礼儀正しく挨拶をする。
 ごく稀に、事情を知らない人が無遠慮な視線を投げ掛けてくることもあるが、彼らの行進はいささかも乱れない。ミーナはうつむかないし、ポチ子はただひたすら自分の務めに没頭するだけだ。
 ポチ子はぼんやりしているように見えて実は、よく要領を心得ている。身体をのけぞらきないためにずっと首を垂らし、ミ−ナがもぞもぞ動くと、心持ちスピードを緩める。ミーナに余計な気を使あせないためか、どんな急な坂道でも億劫な素振りを見せない。それどころか、背中になど誰も乗っていないかのような、あるいは自分自身の事情と目的のためにこうして歩いているだけなんです、とでも言うかのような淡々とした態度を貫き通す。
 なんとも素晴らしい展開であり、シュールな風景ではないですか。ドイツ人の母をもちドイツの大学を出た父親だからといって、ここまでの交渉をしてのける親がいるものか。また、それを許可する校長がいるものか、判断が付きかねます。ただし、私が校長ならば、許可を出すでしょう。開森橋を渡って坂道を登る。六甲の山並みや芦屋川と高座川の分岐している箇所を背にして絵になること請け合いです。
 感心したのは、その箇所の挿画も、マッチのラベルに頭に帽子を被ったカバのようなものが描かれているだけです。説明的ではない絵なのです。前向きと後ろ向きでお尻を描いたものと二つのマッチ箱です。

 この小説は、寓話性のないお伽話のような手触りの作品です。ハンサムな伯父さんはベンツで主人公の朋子さんを迎えに来て、中学の制服作りにも朋子を連れて行き、細かい注文もつけてくれます。でも、伯父さんは家に帰ってこないことが多いのです。ローズおばあさんは、双子でした。今はいない姉妹の代わりに、性格も好みも体形も全く異なる米田さんがいまは双子の相手のようです。米田さんは、この家の家事を切り盛りしています。伯母さんは家からほとんど出ることもなく、煙草と酒に浸っています。無口だけれどやさしさの溢れた人です。留学先から一時帰国してきた龍一さんもハンサムで、ジャガーを乗り回して友人と遊んでいます。ある夏の日の海水浴では、龍一さんは父親と水泳の競争をします。どちらも本気の勝負になります。
 ローザおばあさんは、朋子の朋の字の説明に惹かれます。まるで自分たち双子姉妹を現しているようだと紙に書いてみるのです。朋子に薄化粧を施し楽しむ様子は何とも言えません。
 ローザおばあさんの誕生日には、六甲山ホテルからの出張サービスでディナーを楽しみ、おばあさん二人のデュエットがコックさんたちやボーイさんたちもが拍手をしたのでした。ガラスに鼻先を押し当ててポチ子までが見物していたのでした。
 天王寺動物園から獣医さんが来てポチ子の健診をします。そうして昔あったフレッシー動物園のもう一匹の人気者トロッコ列車の運転手であったタイワンザルのサブローの事故死が語られます。ブレーキが利かないことに気づいたサブローは、身を挺して乗客を守ったのでした。みんなはサブローたちの墓にお参りをします。獣医さんは袋からリンゴを出して供えます。いつのまにかポチ子がみんなを押しのけてリンゴを食べてしまいます。

 これは凄い家族の物語なのではないかと思ったのですが、余計な分析は止めておきます。とにかく楽しい小説なのでした。誰かに対して嫌な感情をむき出しにすることもなく、非難や批判とは無縁で、ひたすら誰かを楽しませたり、誰かのために生きることを心掛けている家族の物語です。
 それが、母が洋裁の専門学校を卒業して岡山に二人が帰るまでの限定した期間の思い出であり、終わってしまったことを回想するというかたちで描かれているとしても、それは喪失の物語ではなく、ポチ子や米田さんが亡くなってしまったとしても、残りの家族は離れていてもみんな互いを思いやって生きているという物語です。あるいは最も家族の家族らしいスタイルの物語なのかもしれません。(2.20)

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