第3話
結局、平日だというのに、なんと三回も挑んでしまい、寝たのは深夜を回っていました。さすがに気怠さが取れない私に、萩原さんはいつもの調子でポンと肩を叩いてきます。
「どう? 昼はちょっと遠出するか? 」
「あ、え、はい」
正直、どんなうまい飯に遠出するよりも、空き会議室で昼寝をしたい気分です。
「ふむ。眠そうだな。だが昼寝をするならメシを食った後だ。それよりも、奥さんがツルマンになった話でもしようや」
「え? 」
ドキっとしたとか、しないとか言うレベルではありません。恐らく、私の顔色は変わっていたはず。
「お~ どうやら、図星だったか」
「あ、いえ、そ、そんなことは、あの」
「いいんだ、いいんだ。分かってる。誰にも話さんよ。二人でメシでも食いながら話そう」
いつもは昼行灯という風情の萩原さんが、なぜかこのときばかりは後ろからライトでも当てているように、神々しく見えます。
一言で言えば「オーラがある」とでも言うのでしょうか。こうなるとボ~っとした気分も一発で吹き飛んでしまいます。
「いくか? 」
「はい。お願いします」
ホワイトボードの磁石を「出」の表示に変えている私です。
なじみの店だとという「昭和屋」の中は、早い時間のせいなのか、ガラガラです。会社から車で二十分ほど。常連らしい萩原さんは「おばちゃんよろしく」の一言で、とっとと奥の小座敷に入ってしまいまいます。
「ここはね、意外に、外に聞こえないんだよ。ラーメンで良いかな? おばちゃん、カタメ、ショーライふたつね」
ラーメンと言えば、定番のブラックラーメン。麺硬め、小ライスというやつ。待つほどもなく出てきた濃い口醤油で真っ黒なラーメンを二人ですすります。
萩原さんも年齢を感じさせない食べっぷり。半ライスになったとは言え、ドンブリ飯までも、私と同時に食べ終えました。
「ふぅ~ いや、大神田君、本社に戻ったら、きっとコイツが恋しくなるぞ~ 」
「ええ、そうですねぇ、初めて食べたときは心臓に突き刺さるかと思うほどしょっぱくて、正直、まいったんですけど、いやあ、いつのまにか、クセになりました」
「そうだよ。元々は隣のT県でやり始めたんだけどね、良いものは伝わるものさ。そして、個性の強い美味さは、とんがっているほどにクセになる。女も、男も、おんなじだね」
意味ありげな口調の萩原さんは、じゃあさ、と続けます。
「さて、と聞こうか。奥さんの様子」
「でも、どうして、妻がヘアをやったって、わかったんですか? 」
「え? そりゃ、昨日の話の途中で顔色変えて。そして、今日の寝不足だろ? しかもケンカした感じじゃないとしたら、奥さんのパイパンを見てヤリ過ぎたってことだ」
まるで、今日の天気予報を読み上げでもするように、神がかり的にも思える推理を淡々と解説してくれます。
「しかも、このネタでヤリ過ぎたってことは…… ま、そっちは後にしよう。ともかく、私に話してみないか? 前途有望な若者が、つまらないことでバツイチになってもいかんからね」
「バツイチに? 」
「そ。浮気じゃないかも知れないが、奥さんの心が何かにいっちゃってるんだろ? 危ないよ~ でも、うまく行けば、夫婦がもっと仲良くなるかもしれない」
「は? 」
一体何を言いたいのか、ちっとも飲み込めません。
「まあ、最初から話してごらんよ。なあに、時間はある。プロジェクトを成功させた立役者のためにこそ、こういう時間があるんだからね、ゆっくり聞くよ~ 」
そう言って、座布団の上で胡座を組み直すと、ゴクリとお茶を飲んだのです。
萩原さんの特技は、こうして、何となくぼんやりした雰囲気のまま、考えていることや、見聞きしたことを洗いざらい喋りたくさせてしまうこと。おまけに、喋っていくウチに、何となく心の中がすっきりしていくので、多人数のプロジェクトをまとめていく上で、欠かせないというのは、そのあたりのことがあるからです。
しかし、今日は話しても、いつものようにスッキリとはさせてくれません。その代わりに、「君には奥さんに関して、特別な趣味があるのかも」と話し始めたのです。
「特別な趣味といいますと? 」
「そうだな。ネトラレって知ってる? 」
「は? な、なんですか? それ? 」
「ほら、人妻が他人に寝取られるって話を聞くだろ? 」
「そりゃ、そういう話があることは知ってますけど。私は人妻に手を出したりは」
「あ、違う、違う、逆だよ。逆。奥さんが誰か他の男にちょっかいを出されて、それで喜ぶって趣味だ。『寝取る』じゃなくて『寝取られる』だからね」
「え~ まさか。智美が他人と浮気をすると喜ぶだなんて。私には、そんなヘンな趣味、ありませんよ」
「いや、厳密に言えば浮気じゃないんだけどね」
「どっちでも同じです。智美が他の男とだなんて、そんなの許せるはずがありません」
「いや、まあ、よく考えてみなよ。な? いろいろな趣味があるんだよ、この世にはさ」
そこから、いろいろ言葉を換えて説明されても、もちろん、簡単に納得できるはずもありません。幾分むくれ気味の私に手を焼いたのでしょう。萩原さんは、パッと立ち上がると、じゃあ百聞は一見にしかずとも言うし、会ってみようかと言い出したのです。
「え? 誰にですか? 」
「その整体の先生にだよ」
「だって、いきなりだなんて…… 第一、何て言ったらいいのか、あ、そもそも、いきなり行って会って貰えるモノなのでしょうか? 」
「大丈夫だ。オレに心当たりがある」
「でも、そんな急に、一体何を」
ぐずる私を手で制して、いきなり携帯を取り出します。
「ちょっと待ってて。 ……うん、あ、オレ。今日、そっちにいる? うん、今、昭和屋で飯食ってたんだけどさ、大神田さんってわかる? そーそー、その通り。じゃ、今から連れてくから、よろしこ~ 」
見ている前で携帯を切ると、唖然とする私にウインクをして車に乗り込みます。慌てて、私も助手席に乗り込みました。
この時間の道路は空いています。
「な? 話はしてみるもんだろ? 」
にこやかにハンドルを握る萩原さんの横で、私はまだ、納得し切れていませんでした。
「まぁ、さ、奥さんと、さっきの話で、しかもツルマンで三回もやっちまうと言うんだから、十分に素質があるってもんだよ」
「でも、私に、そういうヘンな趣味なんてあるなんて、ぜんぜん思わないんですけど~ 」
「ははは、みんな、最初はそう言うのさ」
「ですけど! 」
「おっと、ここだ、ここだ。さ、行ってみようか」
意外と近くにありました。
表の看板には、太めの墨痕も新しい「癒やしの星 カーマ整体院」とあります。その看板にちょっと気を取られている隙に、萩原さんはインターホンすら鳴らさずに入っていきます。
「お~い、シミ! 」
声だけかけると、返事も聞かず、もちろん名前すら名乗らずに、さっさと靴を脱いでいました。
さっきの店で電話していた様子から、知り合いだと言うのは想像しましたが、相当に親しい仲だということを思わせる動きです。
さっきまでの眠気は吹っ飛んで、心臓の音が半径二メートルには聞こえそうなほど高鳴っていました。
「あぁ、ぎっちゃ~ん、いつもながら急だね~ えっと、智美さんのご主人って、あっ、どうも、どうも。鈴木です。初めまして」
現れたのは若々しい、といっても三十後半と言ったところでしょうか。丁寧な物腰で、名刺を差し出してきます。
そうなると、話の行方はともかく、慌てて名刺を交換してしまうのはサラリーマンの本能でした。
『ん? ぎっちゃん? 』
さっきの電話の様子と言い、それほど親しい間柄なのでしょうか。
「ちょっと、驚いてみろよ。コイツ、バケモノでさ。あのさ、いくつに見える? 」
「もう、やめてよ~ ぎっちゃんってば」
「コイツ、オレの中学時代のバスケ部の後輩でさ、昔は、よくいじめられてたんだよな~ 」
「あ~ はいはい。 もう~ ぎっちゃんにはかないません いつも助けていただきました」
「え? ってことは」
「そ。パンツにシミを作って、あだ名がシミになっちまったお前は、今年、六十になるんだっけ? 」
「来年です。当分先ですから。それに、シミがあったのはパンツじゃなくて、Tシャツです」
「ま、似たようなモンじゃん、なあ、シミ」
どんと背中をド突かれながら、こっちを向いた鈴木さんは、表情を改めます。
「で、今日はどういったご用件で? 」
そのまえに、萩原さんの言葉を頭で反芻してしまう私です。
『ってことは、ごじゅう、はち…… 五十九歳かよ、これで? 』
まさに、バケモノです。白髪も一本も見えず、つやつやとした肌は、そのあたりの三十代よりも断然若々しい輝きを持っています。
「うん、改めて紹介しようか。こっちが、ウチの若手で、大神田君。まあ、大神田さんの旦那さん、といった方が早いか。お前が奥さんを治療したんだろ? 」
「ああ、なるほど。ええ。奥様は確かにウチで施術させていただきました。何か、問題がありましたか? 」
最後のところは、私に向かっての営業スマイルです。しかし、とても、きさくで、人の良さそうな人柄が偲ばれました。
「いや、クレームじゃないんだ。俺が、彼の趣味を見こんで連れてきた」
「ほう? 」
首をかしげて、こっちを見ます。
「単刀直入に聞くよ。どう思った? 」
「どうって…… えっと、美しい奥さんですね」
「おいおい、とぼけるな、いつものように聞き出してるんだろ? 」
「やだなあ、変なことを聞き出しているみたいじゃないですか 」
「シミ、大神田君はオレに相談してきた。そして、今が大事なところじゃないかと思うんだ。だから、率直に言ってくれ」
急に真面目になった萩原さんの声に、鈴木さんは、なぜか背筋を伸ばします。ちょっと厳粛な面持ちになったのは紛れもなく「院長」の顔。
私まで、背筋を伸ばしてして「院長」の話を聞こうとしていました。
「じゃ、率直に話しますね」
院長は一つ頷くと真っ直ぐに見つめてきます。
「……ぎっちゃんに、多分、もう言われたんでしょ? ええ、私もそう思います、ご主人、寝取られの素質があります」
「そんな。私と話してもいないのに? なんで、そんなことがわかる! 」
気色ばむ私をいなして、さあ奥へとその手を伸ばしました。
「詳しく話しますので、ここじゃなんですから、こちらへどうぞ」
その中は、広さも雰囲気も、おおむね妻が話してくれたイメージ通りでした。
ただ、その中央に置かれた黒い施術台が、なにやら、特別な何かをモヤモヤとわき出させてくるようで、私は視線を向けられません。
『ここで、智美は、裸になったのか…… あ、写真を撮られたってのは、あの足跡か 』
床には足のマークが付いていました。『おそらく、ここに立って、向こうのカメラが』と見れば、三脚らしきモノが、カーテンの下側から覗いています。
チラチラとあちらこちらに視線を行ってしまう私のことを、院長がどう見ているのか、気にする余裕はありませんでした。
『このマークに沿って立っていたんだよな? 紙のパンティーだけで。くそ、これじゃ、丸見えじゃん』
私は血走った目で、カーテンの向こうにあると思われるカメラをにらんでいたのかもしれません。
「あ、後で、施術の時に撮った写真、お見せしましょうね」
視線に気付かれたのでしょうか。院長の優しげな言葉は、なんだか心を見透かされた気がして、慌てて目をそらすと、後ずさりしてしまいます。
「いえ、それは」
「いいんですよ。気になりますものね」
「そんなことは。まったくですよ」
にこやかな院長は、お茶を出してくれているのに、私の視線がどこにむけられ、何を考えているのか、ちゃんと見抜いてている、そんな気がしました。
『いかん! オレがこんなんだから、女房をイタズラされて喜ぶ変態だなんて思われるんだ。しっかりしなくちゃ』
自分を叱咤していながらも、さっき院長が言っていた「写真」が見たくて見たくてたまらなくなっている私を、違う自分が見つめていたのです。
しかし、妻と話した内容を、どう判断すればそうなるのか、何度説明を受けても、私は納得できません。いや、納得したくない自分がいます。
同じ話を何度もしてきた疲れも見せず、にこやかな院長は、いきなり話の方向を変えてきたのです。
「どうです? 百聞は一見にしかずと申しますし、こうしませんか? 次の施術は明日。オイルマッサージを予約されています。ご存じですよね? 」
「え、ええ、まあ」
明日だというのは初耳でした。しかし「知らなかった」というのはなんだかメンツに関わるような気がして「明日だったのか」という驚きを押し隠すのに一苦労です。
「ぎっちゃんの言う通り、ご主人には、寝取られの素質があると思います。だから、それを正しく伸ばすとすると」
「難しいんだぞ、正しい寝取られってのは」
「ぎっちゃん、ちょっと待ってください。今は私の話が先です」
分かりました、と言うおどけた仕草で、萩原さんは、一歩下がります。
「で、ね、正しく伸ばせばすごく幸せになれるんですけど、もし、上手く伸ばせないと、せっかく仲の良い二人に、痛烈な亀裂が入っちゃったりするんですよ」
「後で気付いても遅いんだよぉ。幸せの緑の離婚届が待ってる」
萩原さんのチャチャに、今度は院長は反応しません。私の方をじっと見つめていました。
「正しく伸ばせば、もっと幸せになれます。お二人とも。ただ、そのために、それなりに手順が必要なのです。まずは、ご自分の本当の姿を認めるところかスタートですね」
にっこり笑って、イタズラっぽく瞳を光らせて、さりげない口調で続けます。
「だから、どうです? 明日、施術する所を見学なさって、ついでに、ちょっとした賭けをしてみませんか? 」
「賭け? 」
「ええ。もしご主人が勝ったら、二度と、この世界にお誘いしません。智美さんにも、ごく普通の施術だけを受けていただきます。ま、せっかくのチャンスが活かせないのは奥さんは可哀想ですが、ご主人の同意がないと、結局は、うまく行きませんからね」
「賭けというのは? 」
「明日、智美さんの予約は六時からです。おそらく五時半にいらしていただければ、奥さんに見られずにすむはずですから」
「見られないようにここに来て、どうするんですか? 賭けって言うのは? 」
訳の分からなさに、半ば怒気をはらんだ私の返答は、かなり無礼な言い方だったかも知れません。
横から、そっと萩原さんが間に入ろうとするのがちらりと見えましたが、院長は、それを片手でいなしてから、ひどく真面目な口調になりました。
「えっと、施術するところを見ていただきます。特別なやり方です。キチンとした治療ではありますが、ご主人の秘められてきたご趣味にも、きっと添うハズですから」
たったそれだけのことです、と院長は一つ頷いてから付け足しました。
「素質って、そんなのあるはずがないっていってるじゃないですか! 」
「ええ、ええ、大丈夫です。途中で、ご主人が止めたければ、ごく普通の施術に戻します」
「しかし! 」
「ご主人。何はともあれ、この間の施術が、奥様の症状の改善に、それなりに効果があったことはお認めいただけますよね? 」
言葉は丁寧ですが、そのきっぱりとした物言いには、自己の技術に絶対的な自信が込められています。
「そりゃ、確かに。効果があったことは認めますよ。このところ、妻も落ち着きを見せてますし、何よりも笑顔が戻ったのは感謝しています」
「でしょ? 」
萩原さんと、一瞬、目を合わせてから、にっこりする院長。
思わず「それが何か? 」と不審な声を上げると、院長と萩原さんはダブルで笑顔を返してきました。
「ふふふ、あのですね、ご主人は、お怒りになるでしょうけど」
「あのな、こういうときに素直に頷くヤツってのは、半ば寝取られを告白しているようなもんなんだぞ」
「え? 」
笑顔のまま、院長は横で「はい、その通り」と頷いてから、萩原さんの横腹にパンチを一つ。
「もう~ ぎっちゃん、また横から~ 良いところなのに~ 」
「すまんすまん、つい、な」
「えっと、ですね、もし、そういうのが一切ダメな人だったら、ともかく、自分の奥さんに誰かが触ること自体、断固拒否なのですよ」
「え? そんなの嫌に決まってるだろ! 」
思わず語勢が強くなります。
「いえいえ、嫌なら、賭けをするまでもなく、奥さんに行かないように言いますし、施術が効いただなんて、意地でも認めませんよ」
「そ、それは…… 」
「まあ、明日になれば分かります。施術自体は、奥様が納得されて受けているんですし、ご主人も、普通の施術を受けるのは構わないんですよね? 」
「それは、ええ、まあ」
「じゃあ、明日、試して、それで改めてお話ししましょう。いかがですか? 」
「おお、いいじゃん。本当はオレも見せて欲しいんだけどなあ~ ダメかな? 」
どこまで本気なのか、萩原さんが、目を輝かせてのぞき込んできます。
「ぎっちゃん、まだダメですよ。ちゃんと納得していただきながらですよ 」
「あぁ、わかってるって オレとしてもムチャするつもりもない。ただ、オレは、大神田君が気に入ってるからね、良い夫婦になってもらいたいだけなんだ」
その時、二人の間に何かの合図があったとは思いません。しかし、突然、院長が思いついてしまったのです。
「あ、そうだ。ぎっちゃんに見てもらいたいものがあったんだっけ」
「何だよ、また、どこか故障か? オレは電気屋じゃねーぞ」
「まあ、そう言わずに、お願いしますよ。二階のクーラーが、またまた、おかしくてさ」
「またかよ。しょうがねぇな」
萩原さんは技術畑出身だけに家電系の簡単な修理ならお手の物なのです。田舎では、こういう人はあっちこっちで頼み事をされるのが普通です。
「分かった。じゃ、大神田君、悪いけどちょっと待っててもらえる? で、調子は見るけど、本当に故障していたら、電気屋を呼べよ」
「はあい、感謝してます、いつも。じゃ、ぎっちゃんを十分ほど借りますね、あ、これ、さっきお約束の写真です。施術の時に、患者さんと一緒に確認してるんですよ、いつも」
「え? 」
赤いつや消しのファイル。インデックス部分には「大神田智美様」とあります。
ファイルに書かれた日付は、妻が初めてここに来た日がマジックで書かれています。
「じゃ、すみません、ちょっとお待ちくださいね」
二人が階段を上がって行ってしまえば、取り残された私の手元には、妻の写真が納められたファイル。
『馬鹿、落ち着け。見慣れたトモの写真だぞ? 今さら見てもしょうが無いだろう。これは、あの院長が撮った、単なる治療用の写真だ』
しかし、腹の底からわき起こる異様な興奮を騙すことはできませんでした。
手が震えそうになっている自分を懸命になだめ、そして、二人の足音が完全に階段を上り終わるまでの時間が永遠に終わらないような焦りを憶えていました。
しかし、足音がやんだ途端、矢も盾もたまらずに、中身を取りだしてしまいます。
『中に、またファイルか。ん?こっちはBe、こっちがAf なんだこれ? ん? あ! ビフォー・アフターってやつか。ってことは、こっちが、やる前ってことだよな? 』
Beと書かれたファイルから、震える手で取りだしたのは、A4の半分サイズにプリントされている、ごく普通の立ち姿。妻の言ったとおり、紙ショーツ一つの姿で、前、横、後ろと四方を向いて撮影しています。
しかし、普通の写真と違うのは、表面に細かい格子模様が印刷されていること。恐らく姿勢や、身体のゆがみなどを見やすくするためなのでしょう。
素人目に、妻の身体が歪んでいるかなんてことが分かるはずがありません。ただ、そこに映る妻の表情は、私が見たこともない種類のモノであったのです。
『なんて、エッチな表情なんだよ』
羞恥に顔を赤くしているのは分かります。しかし、化粧一つしなくても、パッチリとしているはずの妻の瞳は、妖しく潤んでいるのです。
『これじゃ、ゆうべよりも、淫乱じゃん』
昨夜の妻は、何度も焦らされ、イキそうなまでに感じているところを抜かれ、収まりかけるとまた入れられ、という繰り返しで、終いには半狂乱になっていました。
だからこそ、問われるがままに、何でも喋ったのです。
しかし、昨夜の半狂乱になったときですら、こんな風に、淫靡な光を宿し、見る者を誘い込むような妖しい女らしさを出してはいなかった気がするのです。
いえ、実際、この写真よりも、あの時は感じはいたはず。しかし、その写真に写しとられた表情には、羞恥と照れ、そして、この後にある、妖しい期待への潤みがはっきりと浮かび上がっているのです。
そして、私の大好きな胸。
『おい! これ、出てるじゃん、乳首』
わなわなと持つ手が震えながら、写真から目が離せなくなってしまいます。
見つめているのは、ツンと先端を尖らせた乳首です。
『なんで、こうなってるんだよ! 馬鹿な! 』
もともと、すそ野からボリュームを保って盛り上がり、自然な半円球がちっとも崩れないその形も大好きです。しかし、何よりも、普段陥没気味な乳首が、感じ始めた途端にコリンと飛び出すのが、恥ずかしがり屋の妻の言葉よりも雄弁に、エッチへの期待を告白してくれるのが嬉しくて、ついつい乳首から責めてしまうのがいつものこと。
今、写真にクッキリと映っているのは、まるで囓って欲しいとでも言っているかのごとくに飛び出した乳首でした。
私に触れられたわけでもないのに、妻は感じたというのでしょうか? いえ、こんな淫靡な姿を、人様に本当に見せたと言うのでしょうか。しかも、このときは、まだ施術の前のはず。
『何で、やる前から、こんなエッチになってるわけ? 』
妻がまだ処女である時から付き合った良人として、こんな時、あそこがヌルヌルになってしまっているのが常だということを、一番よく知っています。
『くそっ、こんなに、いやらしい顔になってやがる』
夫以外の男の前で、こんな淫靡な表情をしてしまう妻に、本来、怒気を見せるべきなのはよく分かっています。しかし、自分の中に、怒りの感情が生まれる前に、とてつもない欲望が生み出され、心と下半身をコントロールできないのです。
もし、周りに人がいたら、隠さなければならぬほど、硬く屹立してしまう自分を抑えきれません。かろうじて、この場所で、自分の物を握ってはならないことだけは意識しているから耐えているだけでした。
もし一度でも、痛いほどに突っ張るズボンに触れてしまえば、そのまま直に握ってしまわないと破裂しそうな不安が生まれるに決まっています。
生まれて初めて感じる、そんな不安と快楽への期待は、周囲の物音も光も全てを遮断して、私の全てを写真に集中させていました。
そして、ファイルに、もう一組の写真が残っていることに気が付いて出して見た途端、全身が凍り付いてしまいました。
『何だよ、全部脱いでるんじゃん! 』
前から、後ろから、横から。
さっきと同じポーズですが、妻は一糸まとわぬ姿をさらけ出していました。
どちらかというと、淡いヘアを映されながら、妻は先ほど同じポーズです。
いえ、さっきよりも、もっと妖しい表情を浮かべています。はっきりいえば、たっぷりと愛撫して、これから受け入れる時の表情。
その股間には、ふわりとした姿を見せる淡いヘア。
一糸まとわぬ姿の妻がそこにありました。それは夫である私しか、見てはならない姿のはず。
『それにしたって、なんで全部脱いだんだ? しかも、オレには言わなかった』
自分の手がプルプルと震えているのをどうしようもできません。
『あ、アフターを、アフターを見なきゃ』
気が付いたときにはどれほどの時間がたっていたのか。もう一つのファイル見たさに、慌て写真をファイルに戻したとき、不意に視界の端の影に気が付きます。
「あ! 」
「どうも~ ご覧いただけましたか~ 」
「あ、は、い、いえ、えぇ、ま、まあ」
慌てふためいて、あたふたする私に視線を向けず、院長は萩原さんの方を向いてしまいました。それはひょっとすると、見て見ぬ振りをする優しさなのかもしれません。
しかし、裏を返せば、それは、妻の写真に硬く勃起している姿を見られてしまった証明でもあります。要らぬ誤解がさらに深まってしまったという思いが苦いものを感じずにはいられませんでした。
「よぉし、じゃ、クーラーの件は、電気屋に任せるってことで。じゃ、次の時は頼んだぞ」
「ええ、ぎっちゃんのご注文通りで行きますから」
「ウンウン、頼んだからな。さて、大神田君、帰ろうか。実に愉快な訪問だったな」
さりげなく見える動作で、院長に赤いファイルを渡しながら、萩原さんの後ろから玄関へと向かいます。
強烈な欲望が、私を引き戻そうとしています。
『アフターの写真も、見せてくれえ! 』
しかし、故なくして「寝取られ趣味」などと言われている身です。そんな心の叫びを、カケラでも見せれば、余計に疑われるに決まっています。
その気配を、つゆほども見せないように装うしかないのです。
会社に戻る車の中で、萩原さんが、一切さっきの話題に触れなかったのが、せめてもの救いだったかも知れません。
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