ホームページ タイトル 本文へジャンプ
SOS 〜喪われた教室〜


第9話 鍵

 そのころ、美久がどうなっているのか、知りもしない俺は、音楽室からの廊下を歩いていたんだ。
「先生、やっぱりおかしいよ。あんなにわんさか出られてもさ、困るけど」
 驚いた。
 気配が消えたと言う先生の言葉通り、猫の子一匹、いや、ケルちゃん一匹いやしなかったのだ。
「あら、先生の言葉を疑っていたの。なかなか、良い度胸じゃないの」
 白衣のすそから、白い足を覗かせながら、颯爽と廊下を歩く姿は、美しいと言えるんだけれど。
 なんだか、不気味さが優先して、じっくり見ている余裕がないのが残念だった。
「そうね、それじゃ、視聴覚室ね。あそこなら、マイクスタンドの一本も置いてあるでしょ、それで何とかしなさい。で、次は理科室」
「そりゃ、近いのは視聴覚室だけど」
「あら?何か不満でも?」
「俺たちが、これに巻き込まれたのは、いつでした?」
「何よ、五時間目。決まってるでしょ」
「えっと、さ、先生。カギって知ってる?」
「カギ!何よ、バカにしてる?」
「違います。先生、視聴覚室って、普段、カギ、掛かってますよね」
「あたりまえでしょ。かけてないと、あなたのような生徒が勝手に入り込んで… あ、カギ」
 目を丸くしながら、手を口に当てる姿は、先生と言うより、完全に女子大生っぽい。
「そうなんです」
 残念そうな表情を作るけど、先生の顔を見てたら、ついニヤついてしまうんだよなあ。
「何よ、そんなんで一本取ったつもり?そんなの、はじめから気づいてたんだから。そうよ、カギを持ってこなきゃ」
 一人確信に満ちた足取りで、クルリと階段に向けてターン。
「はあ」
 俺は曖昧に返事をしながら、怪物のいない、このラッキーな状態が、職員室に戻るまで続いていればいいと心から思ったんだ。
 先生が、ふと、立ち止まって、首をかしげた。
 くるり。
 後ろにいる俺に振り向いて、にっこり。
 あれ?何か思いつきました?
 ガシッ。
「痛っ」
「何よ、慌てさせないでよ。あのね、私たちが探しているのは」
「委員長」
「横山さんを探さなきゃいけないのは」
「誰かが連れ去ったから」
「ということは、視聴覚室にいたとしたら?」
「は?」
 先生の確信に満ちた顔の意味が分からない。
「何よ、鈍いわね。あのね、もし、そこにいるなら鍵は開いているコト。もう、簡単なコトじゃない」
 早くも、またターンして、歩き出そうとするから、俺は慌てて立ちふさがるようにしながら、できるだけ穏便に済ませようとする。
「な、なるほど、確かにそうなんですが、で、あの、犯人が、内側から鍵をかけてたら、開けてくれますかね?」
 とたんに、その美しい頬が真っ赤になって、次の瞬間、不満そうに唇を尖らせた。
「もう、だから、文系って嫌いよ。最初から言いなさいよ」
右足が回し蹴りの軌道で、さっきまで俺のいた場所を通過する。
 そりゃ、いくらなんでも、当たらないだろう。
『あ、せんせい、それ』
 だいぶ明るくなった外のあかりで、高々と上がった足の付け根が丸見えになったんだ。
 ドキ。
 いくら、さっき見たばっかりでも、やっぱりオトコたるものパンチラ、もとい、モロチラを見逃すわけにはいかんだろうが。
 ガシッ。そのすきに、掌底突きが、見事に額にヒット。
『しまった。うう、それにしても、けっこう効くんッスけど…』
「ほ〜ら、スケベなオトコは、自滅するのよ」
 ほ、ほ、ほ、とでも笑い出しそうな得意げな表情の先生。 
「仕方ない、目標を変更よ」
「は?」
「どうせ階段を下りるなら、その前に、理科室よ、理科室。こんな時の肝試しには定番だもの」
『あ、いえ、あの、肝試しというわけでは』
「あぁ、でも、化学室だと、骸骨標本はないわよね、ちょっと残念」
『そ、そういう場合では… しかも「がいこつ」じゃなくて「こっかく」のハズですけど…』
「もう!細かいのねえ。骨格でも、骸骨でも、同じでしょ。いちいち、細かいことを気にしないの!」
『あれ?俺、今、口に出しちゃったのか?』
「ちゃんと聞こえてるわよ。とりあえず、ナイトは姫を守る武器をそこで調達する。ほら、ぼけっとしない」
 きれいな顎をしゃくって見せた先には、廊下の掃除用具入れだった。
「なるほど、先生も、たまには、実用的な… 痛っ!」
 くぅ〜、先生の足が見事に俺の足を、うう、いったい何でこんな目にあわなきゃ…
「ほら、早くする、どうしたの?あら、何か踏んだのかしら?ホホホ」
 …って、まったく。先生の笑い声を後ろに聴きながら、廊下の片隅にある掃除用具入れに近づいた。開ける瞬間も、恐る恐るだ、
 何が起こるか分かったモンじゃないからね。
 幸い、掃除用具入れは、いつも掃除用具入れだった。
 ここから、モップをとって、先端の部分を外せば、一応は、木の棒だけど、さっきのように団体さんが来たら、こんなんじゃ絶対に無理だよなあ。
 ま、ないよりは、確かに数千倍マシなんだと思うけど。
 モップを手にした瞬間だった、かすかに、シャーっていう音を聞いた気がした。まるで、紙ヤスリで板を削るような音。
 その巨大バージョンって感じかな。
 もちろん、こんなところで巨大な紙ヤスリなんて、使うヤツはいない。
「ん?」
 思わず先生の顔を見ると、先生の顔が緊張していた。
「なんでしょうかね、これ」
「わかるわけないでしょ。そんなの。でも」
「でも?」
「嫌な感じがする。急いだ方が良いかもね」
「はあ」
「あれ?ほら、外を見てご覧なさい」
 漆黒の闇だったはずの外。
 いくぶん、明るくなっていたが、真っ白な霧というより、スモークでもたいたような、茫洋とした灰色の世界が、取り巻いている。
 薄明かりの中。
 見えた。
 学校の敷地が急速に、その灰色に侵略されていた。
「あれ、あれって……」
「わからないわ。でも、ほら、なんだか、この学校そのものが、削り取られているみたいじゃない?」
「確かに……」
 学校の敷地は、黒々とした土が見えていたが、まるで、輪郭を巨大なヤスリか、おろし金で削られているように、見る見るうちに、灰色に飲み込まれていた。
「どういう風になっているのか、わからないけど、そうね、あと2時間ってとこかしら」「2時間?」
「そう、上を見ても3時間ね。そのくらいで、あの、紙ヤスリは、私達の所まで削りに来るわよ」
「ええ!そうしたら、どうなって……」
「わかるわけないわ。でも、学校が削られちゃって、私達だけ無事ってわけには、多分、行かないでしょうねぇ」
「わ、わ、わ」
「ほら、さっさと、行く。こうなったら、横山さんを連れ去った人間が、何かを知っていることを祈りましょう。ほら、れっつ、ごー」 
 削られていく外の世界をもう一度振り返ってから、オレは慌てて、白衣をはためかせながら、颯爽と歩く先生を追いかけたんだ。
 まるで、何も出てこないことを確信しているみたいに、ツカツカと、真っ直ぐ歩く先生に追いつきながら話しかけた。
「先生、さっきの、日本霊異記ですけどね」
 今話しておかないと、話す暇がなそうだった。
「何よ、今更」
「先生、あれ、全部読んだことないでしょ」
「当たり前でしょ。あんなカビっぽい話。なんで、数学教師の私が、あんなの。家に伝わる話だけでたくさんよ」
「あれってさ、あの時代、まだ、作り物語なんてものはなかったから、各地に残っている実話を集めて元にしてるって言われてるんですよね」
「なによ、じゃあ、狐と人間が本当に結婚したとでも言うの」
「いや、実話を元にってことだから、そのままじゃないと思いますけど。ただね、こんな話があるんだ」
 剣呑な表情を浮かべた先生が、ふと立ち止まって、一瞬何か言おうとしたけど、黙ってくれたから、俺は話し始めた。
「狐と猪が争うこと、って段なんだ」
「なによ、それ」
「世を、ってことは、当然、日本中をってことだろうと思うけど、世を治める権利を狐と猪が争ってたんだ」
「で?」
 冷たい視線。
 でも、それにめげてる場合じゃない。
「どうしても、決着が付かなくて、仲裁を依頼した」
「あ〜ら、ずいぶん、平和主義の狐と、猪さんね。熊さんとか、ウサギさんチームは出ないのかしら」
 ちょっとためらいが入っているけど、ひややかに混ぜっ返す声は健在だ。
「そうなんです。この話に出てくる支配者は、治めるのは狐と猪であって、熊でも、獅子でも、あるいは、霊鳥とか、神獣の類でもなく、狐と猪なんです」
「それで?」
 オレの勢いの性だろうか、先生の声の剣呑なトゲが少し取れてきた。
「本当は、猪が鹿と結んで勝つはずだったのが、狐の方は、若く美しい娘に化けていて、色仕掛けで迫ったんだ……」
 一瞬、キツネちゃんの目が険しくなったが何も言わなかった。
「鹿は、娘に目がくらみ、狐と手を結ぶことを選んだ。以来、この世は、狐が治め、猪は、その影に甘んじることになる。これが、話の全てです」
「で、何よ」
「わからないかなあ、先生。俺の名前」
「名前?カトリが、どうか…… あ、鹿?」
「こう見えても、鹿取家第二十九代当主として、修行を積まされたんですよ。そして、我が家の先祖は、美濃の山中に暮らし、天下にコトある時にだけ、世に出よと言い残しました」
「じゃあ、何よ。猪さんチームが敵に出てくるとでも言うわけ?」
「ウチの学校。今年から、来た先生が二人いますよね」
「貴田先生と、そして、瓜子先生よ。何か?」
「オレは爺ちゃんと、修行で猪と対決しました。鹿取家代々に伝わる、大事な儀式です」
「で?猪鍋が上手になったとか?」
「先生。ちゃんと聞いてください。いいですか、猪の子ども、なんて言うかご存じですよね」
「あら、大人を試す気?うり坊に決まってるでしょ。カワイイのよぉ。伊豆の猪村なんて、うり坊レースでチョロチョロ走ってくれるから、もう、かーわいくて。それを見てお腹を空かせた後の猪鍋も最高よ」
「う…… よく食べられますね」
「あら、何か問題でも?」
「いえ、た、ただ、そのうり坊ですけど、うり坊の瓜は、その形からウリになぞらえていますので、別名をうりこ、つまり、瓜の子とも書くんです」
「あ!うりゅう先生、ね」
「瓜生先生…… 理科の先生ですよね」
「な〜る。ダテに1年長く高校生をやってないわ。やるわね。褒めてつかわすぞ」
 うう、先生、それは余計だよ〜
 ピタリと、止まった瞬間、先生の目が、きらりと輝いた気がしたんだ。
「ってことは、悪の根拠地はここってわけね。さ、いくわよ。我がシモベよ」
 目の前に、理科室と書かれた扉が、シンと、静まりかえっていた。