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SOS 〜喪われた教室〜


プロローグ

「ほれ、裕太、いいかのぉ、いよいよじゃぞぃ」
「じいちゃ…… じゃなかった、お師匠様、お願いします。あと少しだけ休憩を」
「仕方ないのぉ。こんなことでは、修行の甲斐がないと言うものじゃ。まあ、仕方ない、後、半刻ばかり休んでよろしい、ただし、水は飲むんじゃない、気が緩むでな」
 へなへなと崩れ落ちるように座り込んだ俺の体は、修行前より、5キロは確実にやせていたはずだ。
 来る前に写真を撮っておけばよかったな。帰った後(生きて帰れればの話だけどさ)の写真と比べれば、きっと、ダイエットマシーンの広告に使えると思うぞ。
 なにしろ、爺ちゃんを背負って、半日山道を歩いて、ようやく、松の実を煎っただけの物をほんの一口、食べさせてもらえるだけ。
 昼間は、ひたすら、岩登り。
 石を一つ持って岩山の上にある祠によじ登ってお参りしては、その石を置いてくる。もちろん、上り下りは、素手でよじ登るんだ。
 岩登りって行っても、要するに絶壁ってヤツ。
 ゲームなら、失敗してもリセットすればいいけれど、十数メートル以上の崖から落ちれば、そりゃ、命がないでしょ。もっとも、実際、何度かは落ちてるけどね。
 幸い、受け身と運だけは極上ってことらしい。まあ、一番上から落ちたことだけはまだないからかもしれないけど、なんとか、こうして生きてられるってわけ。
 で、ひとつ、石を積んで帰ると、ありがた〜い、栗を一つだけいただくって生活。
 日が暮れるまで、何度も、何度も往復させられて、夜に入れば、武術の稽古。コイツが終われば、一杯の粥と、代々伝わるとか言う怪しげな丸薬。
 でもさ、気功なんて、バカにしてたけど、実際に爺ちゃん、じゃなかった、お師匠様に気をぶつけられて、半日寝込む羽目になって以来、真面目にやってきたんだ。
 で、なんとか「気」を使って戦うことを覚えてきたわけ。
 その「卒業試験」が今日だったんだ。
 課題は、野生の猪を木刀だけで倒すこと。
 無茶だと思ったんだけどね。
 だって、あの間抜けそうな外見にだまされちゃいけない。熊ですら、猪には手を出さないって言うよ。
 本州最強の「猛獣」と言っても良いんだから。(全日本のチャンピョンベルトは、当然ヒグマだよな)
 そいつを、わざと手負いにして猛り狂ってる奴を倒してみろって、そりゃ無茶だよ。
 だって、できなきゃ、死ぬってことなんだからね。
 爺ちゃんは、鉄柵付きのケージに入っている猪を、わざと、棒の先でつついている。
『ああ、そんなに、もう、怒らせないでよぉ』
 怒りに満ちた猪の憤怒が、ここまで届く気がしていた。
「さ、そろそろいいかのぉ」
 え?もう?
 絶対に半刻(一時間)もたっていないはずだったけど、お師匠様の言うことは絶対だった。俺は、ふらりと立ち上がってケージの三メートル前に立つ。
 凶暴な猪の怒気が、目の前の俺に向けられていた。
「さて、いくぞぉ」
 まるで、農作業でも始めるかのように、間延びしたお師匠様の声が、響いた。
 俺は引きつった顔で、こくりと頷く。
「それ、いけぇ」
 のんびりしたお師匠様の声を、猪の凶暴ないななきが被さって、開け放たれたケージから、巨体が突進してくる。
「てぇい!」
 裂帛の気合いを込めて、振り下ろした木刀は、十分な気を込めて猪の頭に振り下ろされた……
 はずだったのが、とっさに、ためらっちゃったんだよなあ。
 だって、アレだよ。俺、都会っ子だもの。ハムスターですら殺したことがないんだよ。
 本当に、こんな生き物を殺しちゃって良いんだろうかって、ためらっちゃって。
「戦いにためらいは禁物。身を滅ぼす」
 さんざんに、たたき込まれたはずだったのに、そのためらいが、とっさに気を逃がしちゃったんだよね。
「ぎゃ」
 悲鳴ともつかない声を上げた猪は、そのままの勢いで俺にぶつかってきたんだ。
「うわっ」
 危うく、最初の一撃は避けたけれど、振り向いたイノシシは、見事に俺の足を狙って牙を剥く。
「とぅりゃ!」
「ぶひぃ」
 かろうじて、気を込めて頭を狙うが、ヒットしたものの、十分じゃない。
横倒しになった猪が、もう一度、起き上がって、向かってくるのを、今度は落ち着いて、一撃する。
 その場で猪がドサリと倒れた瞬間、あまりのことに、俺ときたら、腰が抜けてへなへなと崩れ落ちるように座り込んでしまった。
「たおせたぁ〜」
「やれやれ、やっとのことじゃなあ」
 じいちゃんが、お師匠様の顔になってオレの前で難しい顔。
「お前は、どうやらこうやら、内気は使えるようになったようじゃが、外気を使えねば一人前とは言えんぞ。まだまだじゃな」
「そんなあ」
「内気は溜めねば使えぬ。外気なら無限に体に流れ込んで来るものじゃ。特に、取り囲まれたときには、気を溜める余裕など、ないでのう」
 普段は、孫の俺に激甘の爺ちゃんの目が、これ以上ないほど真剣だったんだ。
 まさか、今時「取り囲まれて戦う」なんてことがあるわけない。RPGじゃないんだからさ。
 ネトゲなら、コントローラ捌きも鮮やかに、必殺技を繰り出せばいいんだし。
 どう考えても、今時、こんな、蜘蛛とムカデしかいないような山の中で「修行」なんて、キ○ガ○沙汰だった。
 しかし、そんなことを口にしたら、あばらの一本も折られるのは、確実のような気がした。
 なにしろ、修行が始まって以来、爺ちゃんの厳しさは、並の人ではない。
 ひょっとして、このまま死んだ方が楽なのかなって、思うことが、何回合ったことやら。
「さて、そろそろ、山を下りねばならんのう」
 爺ちゃんが、見上げた稜線の影に、夕日はとっくに落ちていた。
 この山に入って、どれだけ過ぎたのか。
 卒業式が、終わってないことだけを、祈ったのだが、現実は、それほど甘くはない。
 半年ぶりに学校に顔を出した俺は、卒業式が明日だと言うことと、卒業生の席に俺の席なんて、ないことを知ることになった。
 つまり、俺は留年、ってことになったんだ。
 

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