小説・竜の口見聞録
三吉不二夫

竜の口への道のり
プロローグ
ぼくの名前は、進藤龍一。
リュウと呼んでくれればいい。
ただいま高校3年生。大学受験の真っ最中だ。
いま、市立図書館の学習室にいる。夏休みの間はほとんどここに通ってきた。もち
ろん、勉強するというのが表向きの理由だが、ここに来れば多くの友達に出会える。
それが一番大きな理由だ。
でもいま、ぼくはすごく緊張している。
なぜなら、ぼくの机のすぐ前の席に大好きな女の子が座っているからだ。ふと顔を
上げれば、彼女と目線が合ってしまう。だからぼくはついうつむき加減になる。
彼女の名前は、向井由香里。学校で同じクラスだ。
明るくて、すごくかわいい女の子。ぼくは一目見ただけで好きになってしまった。
いつもはごく気軽に話すんだけど、今日は特別だ。
彼女のほうも、少し緊張しているみたいだ。
なぜなら、おととい、ぼくが彼女に告白したからだ。
「君と付き合ってみたいなあ、なんて思っているんだけど……」
って、少し卑怯なのはわかっているけど、他人事みたいにいってみた。そんないい
かたしか、ぼくにはできなかった。
でも、彼女にはぼくの気持ちは伝わったみたいで、じっとぼくの顔を見つめた後、
「考えてみる……」
と、小さな声でいった。
で、今日、いま、彼女がぼくの目の前の席にいるってわけだ。
すごく気まずい空気をなんとかしなけりゃと思って、ぼくが口を開きかけると、彼
女も同時になにかいいかけた。
「あ、いいよ。君が先にいって」
ぼくがうながすと、
「ううん、リュウ君が先にいって。わたしは後でいいから」
「いや、君が先にいってよ。ぼくはなにかいいたいことがあったわけじゃないんだ」
すると彼女は少し考えていたが、慎重に言葉を選ぶような口ぶりでいった。
「じつはさあ、近藤君の誕生パーティに呼ばれているんだ」
近藤というのは、ぼくたちと同じクラスの男だ。やつは由香里のことを好きだと、
すでに告白していた。つまりぼくのライバルというわけだ。
というより、やつが告白しなければ、ぼくも告白していなかったに違いない。
「行くのかい?」
心臓が、ドクドクと急激に高鳴りはじめた。頭の中がカーッと熱くなっていたが、
ぼくはできるだけ冷静に聞いた。──つもりだったのだが、でも声はかすれて、しど
ろもどろになっている。
「どうしようかなって、思ってるの」
由香里は、小さく息を吐きながらいった。
ぼくは思わず、ゴクンとつばを飲みこんだ。
──行くな、行っちゃダメだ! と、いうべきなのだ。
でも、ぼくの口から出てきたのは、まったく違う言葉だった。
「その誕生パーティに呼ばれているのは、君だけなの?」
「ううん、ほかの友達も何人かいるらしいわ」
「じゃあ、そんなに気にすることないじゃないか」
「そんなわけにはいかないわ。わたしは、特別なのよ」
彼女はそういって、ぼくの顔をにらむような目で見た。
「リュウ君は、わたしが彼の誕生パーティに行っても、なんとも思わないわけ?」
「そ、それは……」
ぼくはどぎまぎしながら、口ごもってしまった。
すると、そのときだった!
どこからか、ドーン! というようなすごい音がしたかと思うと、突然、床が生
き物のように激しく動いて、ぼくの身体を空中に放り投げた。
なんだ、これは? と思ってあたりを見まわすと、すべてのものがゆらゆらと、し
なるように揺れて、ぼくに襲いかかろうとしている。
あっ、地震だ!
と、ようやく気づいた。
揺れ動く床に這いつくばりながら、必死の思いで机の下にもぐりこんだ。
机の下に身を隠すと、少し心に余裕が戻ってきて、まわりのようすを見た。
図書館では地震を想定して、書籍棚などは倒れないようにしっかりと固定している
らしい。見たところ、危険はないようだった。
少し安心すると、由香里はどうしてる? と、無意識に頭の中で思考が働いて、視
線が勝手に彼女の姿を探しはじめた。
すると二メートルばかり離れたところに、彼女の姿があった。
床の振動で、イスから投げだされたらしい。書籍棚の間まで飛ばされていたが、床
にうずくまって、振動に耐えている。どうやらどこもケガはしていないようだ。
ぼくの視線に気づくと、彼女は泣き叫ぶように大きな声を上げた。
「こわい〜! 助けて〜」
「大丈夫だ。すぐおさまるよ」
ぼくはできるだけ冷静さを装った声でいった。
ところが、次の瞬間、ぼくは大声を上げた。
彼女のすぐそばの書籍棚から、バカみたいに分厚い百科辞典類が、彼女の頭
をめがけて落下しようとしているのだ!
あの重量物が最上段から落ちてきたら、彼女の命が危ない!
でもぼくは、バカの一つ覚えみたいに叫ぶしかなかった。
「危ない! 上、上だよ!」
ぼくの叫び声に気づいて、彼女は上を見上げた。
でもそれを見た瞬間、彼女の身体は硬直して、身動きが取れなくなった。
「早く逃げろ! こっちだ、こっちだよ!」
ぼくは必死で叫んだが、彼女の金縛り状態は解けない。
ぼくの叫び声に合わせたように、最上段の重量物が、ゆらり、と揺れて落下し
はじめた!
うわああぁぁ〜!!
ぼくの身体は、無意識に動いていた。
気づくと、由香里の顔がすぐ目の前にあった。ぼくは夢中で彼女の身体の上
に自分の身体を投げだした。
するとその瞬間、硬い重い物が、ぼくの頭の上に落下した。
ガツンッという衝撃で、まわりの物がすべてゆらゆらと揺れた。
それと同時に、ぼくの身体は異次元の世界へと落ち込んでいった。
ぐんぐんと暗黒の世界へと引きずりこまれる感覚の中で、次第に意識が
ああ、このまま死んじゃうのかな、となんとなく思った。
どのくらい
おそるおそるあたりを見まわした。見たこともない世界だった。
空気が、どんよりとしている。灰色がかった重い空気だ。
道端に、いろんなものが転がっている。
ぼくはゆっくり起き上がると、歩きはじめた。
道端に転がっているのは、人や動物の死骸だった。
ぼくが歩いてゆくと、その中からゆらりと起き上がったものがあった。
骨と皮だけに痩せこけていて、さしだした手は細かく震えている。手を上げるのが
やっとのようだ。
ぼくが、食べ物はないと手をふると、ばたりと倒れてそのまま動かなくなった。死
んでしまったのかもしれない。
あたりの建物は、ほとんどが倒れたり崩れ落ちている。
たぶん、先ほどの地震で崩れたのだろう。
ぼくは、もう一度まわりのようすをぐるりと見わたした。
見たことのない世界だ。ここは地獄なのかもしれない。
そう思った瞬間、目の前の視界が突然変わり、人々がうごめきはじめた。
空気にも、自然色が戻っている。
ぼくは映画館の観客席に座っているような気分で、その風景をながめはじめた。
すると不思議なことに、その時代のことが、ぼくの脳裏にまざまざと蘇りはじめ
た。まるで、その時代にぼくが生きていたかのように。
その時代──それは鎌倉時代だった。
ぼくは引きずり込まれるように、目の前で展開される人々の動きを見続けた。