文永八年(一二七一)六月。この年の二月からはじまった大
執権・北条時宗は、この災厄から逃れるために、良観に対し、祈雨の祈祷をするよ
う命じた。
良観というのは、極楽寺に在籍している真言律宗の僧で、字は良観、名を忍性と
いい、通称、極楽寺良観とよばれていた。
良観は粗衣粗食にして、病人や乞食を集めて薬や食を施し、井戸、橋、道路を造
るなどの社会事業に努めている生き仏のような存在として、その名が広く知れわたっ
ていた。したがって多くの庶民から厚い崇拝を受けている。
しかしながら、この慈善事業を施行するための財源は、自分の権力をもとにして
徴収した、飯島という港の私的な通行税でまかなわれていた。なんのことはない、
膨大な収入源となっていたその一部を慈善事業に充てていたのだ。
いつの世にもよくあることだが、良観は、民衆から無法に巻き上げた金で私腹を肥
やし、その悪行を隠すために、その収益の一部で慈善事業を行なっていたのだった。
その当時、大旱魃による飢饉、悪性の疫病などが大流行し、庶民は餓えと病苦に
苦しんでいた。
さらに正嘉元年(一二五七)には、前代未聞の大地震が起こり、山が崩れ、鎌倉中
のほとんどの建物が崩壊した。
道ばたには、行き倒れや飢餓による死者の屍がいたるところに転がっていた。そ
んな悲惨な光景が、あちこちで見られた。
そういう世相の中で、良観は、もっとも弱い者から一般道路の通行税を取るなどの
悪らつな金儲けをして、私腹を肥やしていたのだ。
日蓮は、そうした良観の裏の顔をすべて知っている。要するに、ジキルとハイド博
士のような、典型的な二重人格の人物なのだ。
事実は小説よりも奇なり、とはよくいわれることだが、これほどの絵に描いたよう
な悪役は、通俗小説のなかでもめったに登場することはない。
だが現代においても、これに匹敵する人物が実在するのだから、人間の本質はいつ
の世も変わらない、というべきなのかもしれない。
庶民は、権力者によって、常に虐げられ続けてゆくしかないのだろうか?
悪の権力を倒す正義の味方というものは、しょせん夢物語でしかないのだろうか。
ほとんどの小説やドラマでは、そういう結末になっている。
だが日蓮は、そう考えてはいない。
そんな時代状況の中で、文永八年を迎えた。
その年は、二月ごろからはじまった旱魃がひどく、六月の梅雨時期になっても雨が
まったく降らなかった。そのため作物が実らず、さらに異常な大飢饉となった。
執権・北条時宗は、良観に対し、祈りで雨を降らせることができるかと問うた。
時宗は、念仏ではこの危機を救うことはできないと、日蓮がいっているのを知って
いた。そこで、あえて良観に念仏に功徳があることを立証させようとしたのだ。
もちろん、良観としては断ることなどできない。こうして良観は祈雨の祈祷を引き
受けることになった。
そこへ日蓮は書状を送り、
「七日のうちに雨が降るならば、日蓮は良観上人の弟子になるであろう。もし雨が降
らなければ、日蓮に帰服すべきである」
と伝えた。
良観は自信満々で、弟子百二十人あまりを引き連れ、盛大に祈雨の祈りをはじめた。
だが三日たっても四日たっても、一粒の雨も降らない。
あせった良観は、新たに数百人の僧を加勢させて祈った。しかし雨が降らないばか
りか、逆に旱魃はますます激しくなり、さらに大風が吹き荒れて、民の苦しみは増す
ばかりだった。
良観は涙を流してくやしがり、もうあと七日の猶予を願い出てきた。
日蓮はいった。
「何日やろうが同じことだ。一丈の堀を超えることのできぬ者が、十丈二十丈の
堀を超えることができるであろうか」
そう告げた上で、良観の願いどおりに七日の猶予を与えてやった。
日蓮は、良観の祈りが通じるわけがないと見切っている。
良観はさらに七日の祈祷を行なったが、一滴の雨も降らない。そればかりか、旱魃
の被害はかえってひどくなっていった。
こうして公衆の面前で大々的に行なわれた祈雨の祈祷は、良観の惨敗に終わった。
しかし彼は負けを認めて素直にわびるどころか、逆に日蓮への恨みをつのらせ、陰
湿なえん罪の陰謀を計画していった。
こうして良観は、エンターテインメントドラマの典型的な悪役を演じてゆくことに
なった。だが彼にはその自覚はない。どこまでも自分が主役だと思っているのだ。
脚本では、主役・日蓮の引き立て役なのに――。
ここに良観の喜劇的な悲劇性がある。
ぼくは驚いた。
まるでテレビのドラマに出てくるようなストーリーそのものだ。こんな悪役が登場
する事件が現実にあったなんて、にわかには信じられない思いだった。
ぼくはそのまま、食い入るような姿勢で、なりゆきを見守り続けた。
いっぽう日蓮は、そうした良観の態度に、
「たとえば和泉式部という色好みの女でさえ、三十一字の歌を詠んで、雨を降らせた
という。しかるに慈悲第一と聞こえる良観房が、数百人の僧を引き連れて祈雨の行を
行ない、一滴の雨も降らせられないとは、いかなることであろうか。
これを身の恥と思い、姿をくらまして山林に交わり、約束のままに日蓮の弟子にな
るのであれば、少しは道心があると人は思うであろう。しかしそうではなくて、陰険
なはかりごとをたくらみ、日蓮を殺そうとするとは、まったく見上げた僧侶であるこ
とよ、と感服する次第である」
と書かれた書状を送った。
ぼくはうなずきながら、その場面を見ていた。
大学受験にはあまり関係ないところだが、和泉式部のことは、興味があって少し調
べたことがある。
和泉式部というのは、平安時代の女流歌人で、二人の親王(天皇の男子)から寵愛
を受け、またそのほかの貴族との自由奔放な恋愛を貫いた生涯を送ったことで知ら
れている。また敦道親王との恋愛事件を書いた「和泉式部日記」を遺した。
当時は恋愛はわりと自由だったらしいが、だけど浮気性の女性が敬遠されたことは
現代とあまり変わりはないそうだ。だから彼女の社会的評価は高いとはいえない。
それほど男性遍歴が多く、浮き名を流した女性よりも、良観はさらに劣るといわれ
たのだから、彼の怒りは大変なものだっただろう。
良観は、いったいこれからどんな行動をとるのだろうか。──ぼくは興味深々で、
ストーリーの展開を見守った。