未来からの使者との対話
日蓮は、ぼくの顔を見て、にっこりと笑った。
「残念だけど、もう時間がない。君に見せてあげられるのは、ここまでだ」
ぼくは少し緊張して、小さくうなずいた。
「どうだね、少しは参考になったかな」
「は、はい。すべて驚くようなことばかりでした」
「そうか、それはよかった。人間には、自分でも信じられないような、大変な力が備
わっているんだよ。それに気づいてくれればいい」
「はい。それはよくわかりました」
「では、今日見たことを胸に刻んで、これからの人生を力強く生きていきなさい」
日蓮は、そのまま消えようとした。それに気づいて、ぼくはあわてて叫んだ。
「あっ、ちょっと待ってください」
「なんだね?」
「あの、少し質問してもいいですか」
「ああ、いいよ。なんでも訊きなさい」
ぼくは混乱した頭の中を整理しながら、一番気になっていたことから質問した。
「まず最初に、竜の口で起きた怪奇現象ですが、あの現象が起きるのを、あなたは最
初から知っておられたのですか」
「わたしが知っていたかどうか、ということだな」日蓮は質問の内容を確認し、ぼく
の顔を見て、逆に訊いた。「君は、どう思うかい?」
「ぼくは、あなたは知っておられたのではないかと思います」
「なぜそう思うのかね」
「日蓮という人物は超能力者で、あの怪奇現象は、日蓮が引き起こした奇跡だ、と説
明する人が多くいます。でもぼくは、それは間違っていると思います」
「ほほう、なぜだね?」
「あのとき起きたことは怪奇現象などではなく、ただの自然現象です。あれは『おひ
つじ・おうし座大流星群』だったと、科学的に計算して証明した天文学者がいます。
現代の学者が計算して割り出せるのですから、宇宙で通常起こっている周期的な天体
現象です。ですから、あなたが起こした奇跡だ、という見方は間違っています」
「ふむ、なるほど」
「すると、それ以外に考えられることは、前もって、あなたがそういう異常現象が起
きるのを知っていた、ということしかありません」
「たまたま、偶然、そういう現象が起きた、とは考えられないかな」
「いいえ、それはありえません」
「なぜ?」
日蓮は笑っている。彼は、ぼくがなにを考えているのかを聞くのを楽しんでいるよ
うに見えた。
「理由の第一は、あなた自身がおっしゃっていたように、竜の口で死ぬわけにはいか
なかったからです。あそこでもし死ねば、広宣流布という、あなたの最大の目的が達
成できないからです」
「なるほど」
日蓮は感心したようにうなずいた。
「ぼくが一番疑問に思ったことは、竜の口の刑場に連行されることを四条金吾に知ら
せに行かせたことです」
「なぜだね。四条金吾は、わたしが一番信頼している弟子だよ。誰よりも優先して彼
を呼んだことに疑問はないだろう」
「いいえ、もしあなたがほんとうに竜の口で処刑されると思っていたとすれば、彼を
呼ばなかったと思います」
「どうして?」
「四条金吾は、自分の命よりもあなたのことを大切に思っています。そんな彼を死刑
執行の場に呼んで、あなたが死刑にされるのを見させれば、あなたと一緒に自害して
いたと思います」
「たしかに、その可能性は高いな」
「そうです。それをあなたがわからないはずがありません。それなのに彼を呼んだの
は、死刑の場で超常現象が起こり、奇跡のように命が助かる、という歴史的な場面を
彼に目撃させるためだったのです」
「それは、君の想像だな」
「いいえ、証拠があります」
「ほう、証拠が?」
「あなたは南条時光という弟子に宛てた『上野殿ご返事』という手紙の中で、こん
なことを書かれています」
ぼくはポケットから一枚の紙片を取り出した。
不思議なことにこんなものを持っているのだ。まあ、夢の中だからなんでもありか。
ぼくは紙に書かれた文章を読み上げた。
『三世諸仏の成道は子丑の終り、寅の刻みの成道なり』
「つまり、仏が成仏する刻、そこには一定の決まった時間帯がある、ということをあ
なたはご存知でした。それは子丑の終り、寅の刻み──いまの時間でいえば、午前四
時ごろということになります。そして仏が誕生するときには、必ず超常現象のような
予兆があると、あなたは述べておられます」
「なるほどね。よく調べたな」
「ところが、その超常現象を利用するためには、時間を調整しなければなりませんで
した」
「時間の調整かい?」
「そうです。これを見てください」
といいながら、ぼくは鎌倉周辺の地図を取り出した。(巻頭の地図を参照)
「出発したのがどこだったのか、正確な場所はよくわかりませんが、鶴岡八幡宮から
竜の口までの距離をおおよそ測ってみても、七キロメートルくらいしかありません。
ゆっくり歩いても二時間弱で到着する程度の距離です。北条宣時の屋敷を出たのは夜
半過ぎ──夜中の十二時過ぎでした。すると、そのまままっすぐ竜の口に向かえば、
午前二時ごろには刑場に着いていたはずです。そして処刑を行って、跡片づけが終わ
るのが午前三時ごろでしょうか。平左衛門尉は、そのくらいの予定でいたはずです」
「なるほど。その予定を、わたしがぶち壊しにしたというわけだな」
日蓮はおかしそうに笑った。
「そうです。あなたがした最初のぶち壊し作戦は、鶴岡八幡宮への参拝でした」
「ほほう。あれは、法華経の行者を守護するという約束を守らずに、いまだに八幡神
が姿を見せないので、わたしを守るように催促に行ったのだが」
そういって、日蓮は笑っている。ぼくは、とんでもない、と首をふった。
「あの時代の人をだませても、ぼくは引っかかりません。鶴岡八幡宮に行った理由は
二つあります。一つは、法華経の行者のほうが八幡宮の神よりも位が上だということ
を示すためです」
「もちろんそうだ。法華経の行者のほうが、諸天善神より上だからな」
「もう一つの理由は、時間稼ぎのためです」
「時間稼ぎをしたというのかね」
「そうです。そのまままっすぐ竜の口に向かえば、超常現象が起きる前に首を斬られ
てしまいます。そうならないためには、二時間くらいの時間の引き延ばしをしなくて
はなりませんでした」
「なるほど。そういうことになるわけだな」
日蓮は、にこにこ笑っている。ぼくは自信をもって言葉を継いだ。
「鶴岡八幡宮は、竜の口と反対方向にあります。ですからそこまでの距離を往復する
だけで、たぶん、二、三十分の時間が費やされたのではないでしょうか。そして八幡
宮に着くなり、あなたは神様を叱り飛ばしました。ぼくはこの目で見ていましたが、
ほとんどの兵士は、おびえてぶるぶる震えていましたよ」
「ハハハ、そうかね」
「そんなことをしてみんなが肝をつぶしている間に時間はどんどん経過し、八幡宮を
出たのが三十分後くらいでした。これで約一時間の時間稼ぎができたことになります」
「すると、あと一時間だな。それはどうやって作ったのかね」
完全に日蓮は、ぼくの推理を聞いて楽しんでいる。
「あとの一時間は、四条金吾を呼びに行かせることで作りました」
「四条金吾を呼んだのは、予定の行動だよ。君も指摘したように、彼にわたしの成道
の姿を見せて、歴史の目撃者にさせるためだ」
「四条金吾を呼んだのが予定通りだったのはわかっています。でも彼を呼ぶタイミン
グが問題です。彼を確実に刑場に連れて行こうと思えば、宣時の屋敷を出るときに、
熊王を走らせて知らせに行かせておけば、八幡宮を出て由比ガ浜に着いたころには、
四条金吾はすでにそこで待っていたでしょう」
「そうだな。それは気がつかなかった」
日蓮は笑いながらいった。
「ウソでしょう。完全に意図的ですよ。由比ガ浜に着いて、熊王を走らせて金吾たち
を起こさせる。彼らが起きて支度をして駆けつけてくるまでには、少なくても三、四
十分はかかったでしょう。そして驚いて駆けつけた四条金吾をなだめて諭し、納得さ
せるまでに、またかなりの時間がかかりました。こうしてようやく竜の口に到着した
ときは、予定通り、午前四時前になっていたのです」
「つまり、すべて計画通りだったというわけだな」
「そうです。でもじつは、竜の口で処刑されるということ自体が、計画の内だったん
じゃありませんか」
「どうしてそう思うのかね」
「この事件の発端となった良観の祈雨のときに、彼を味噌カスにいいましたね。あん
ないい方をされれば、誰でも怒ります。また平左衛門尉があなたを逮捕しに来たとき
も、めちゃめちゃにけなしました。警察権と司法権の両方を握っている人間をあれだ
け侮辱すれば、死刑にされるだろうということは、誰が考えてもわかります」
「あえて死刑になるような言動をしたといいたいわけだな」
「そうです」
「なぜ、竜の口に送られるようなことをしたと思うかね?」
「なぜ、ですか?」
「そう。なぜそんな危険な道を選んだか、ということだ。たまたまその日が大流星群
の起こる日だったからいいようなものの、一日でも狂っていれば、わたしの首は飛ん
でいた」
「そうですね」
ぼくはため息をついた。一日どころか、一時間でも計画が狂っていれば、生命はな
かったのだ。
「わたしは、どうしても奇跡を起こして見せなければならなかった。もしも『竜の口
の奇跡』がなかったとしたら、わたしが説いた南無妙法蓮華経は、どうなっていたと
思う? 君は学校で、日蓮という人物のことを習ったと思うが、竜の口の事件がなけ
れば、わたしのことが学校の教科書に載ることがあったと思うかね?」
「たぶん、なかったでしょうね」
「歴史というのは、そういうものだ。だから、法華経の行者は、どんな権力にも打ち
勝てるということを示す必要があったんだよ」
「じゃあ、法華経の行者は、どんな迫害があっても死ぬことはないということですか」
「そういうことではない。たとえば、小松原で襲われたときには、気の毒なことに、
工藤吉隆と鏡忍房は、わたしを護ろうとして討ち死にした。また君たちの時代では、
創価学会初代会長の牧口常三郎は、戦争に反対して逮捕され、投獄されて獄死した」
「だったら、法華経の行者が必ず護られるということではないのですか」
「どういう状態を、護られた、というかという問題だな。死んだから護られなかった
ということではないのだよ」
「よくわかりません。どういうことですか」
「生命というものが、生きているときだけしか存在しない、と考えていたのでは、人
生という問題、幸福という問題は解決しない」
「生命って、死んだらなくなるのじゃないのですか」
「むずかしいことをいえばきりがないので簡単にいうが、死ねば生命がなくなるので
はなく、ただその働きが止まるだけだ。そして次の活動の時期が来るまで、非活性化
の状態でエネルギーを充電する。再びエネルギーが充電されると、また活動を再開す
る。これを生命が誕生するという」
「輪廻転生ということですね」
「むずかしい言葉を知っておるな」日蓮はにっこりと笑った。「死ねばどうなるか、
知っているかい」
「よくわかりません。ただ、あの世という別の世界に行くのではないことだけはわか
ります」
「それがわかっていれば十分だ。生命は、死ぬと再び宇宙に溶け込む。ただしその生
命は活動を停止しているから、見ることも感じることもできなくなる。しかし肉体は
滅びても、心は消滅することはない。それは『空』という状態で続いてゆく。空とい
うのは、見ることも触ることもできないが、間違いなく存在する実在をいう。つまり
三次元の物質ではない存在のことだ」
「むずかしいですね」
「むずかしいことを、あえてわかろうとする必要はない。ただ、死んでも生命がなく
なるのではないということだけをおぼえておけばいい」
「それをおぼえておけば、どうなるのですか」
「人生に対しての考え方が変わってくる」
「人生に対しての考え方ですか……」
「そうだ。もっとわかりやすくいえば、幸福、不幸というもののとらえ方だよ」
「それがどう変わるのですか」
「先ほど、法華経の行者でも難を受けて死んでしまうことがあるといった。竜の口で
も、もしわたしが殺されていれば、四条金吾も殉死しただろう。しかしその場合、四
条金吾は不幸だっただろうか。君はどう思う?」
「よくわかりません。でもやっぱり生きていたほうが……」
「生きてなにをする」
「生きてなにをする?」
「いい方を変えよう。なにをするために生きるのか、ということだ」
「なにをするために、ですか……それは、考えたことがありません」
「君は正直だね」日蓮はにっこり笑った。「それが人間にとって、一番重要な問題な
のだ。人生は、筋書きのないドラマだ。すべての人間は、なにかをするためにこの世
に生まれてくる。もっとわかりやすくいえば、なんらかのなすべき使命を持って生ま
れてくるといってもいい。使命のない人間は、この世には一人もいない。そしてその
使命をまっとうしてゆく中で、人間は、幸福というものを感じるものなのだよ」
「ええ、なんとなくわかるような気がします」
「だから、仏法を弘める戦いの中に身を捧げて亡くなった人間が不幸かといえば、そ
れは本人でなければわからない問題だといえる」
「そうですね。ぼくもそう思います」
「ところが、重大な使命を持って生まれた人間は、その使命を果たさないうちは、死
にたくても死ねない」
「死にたくても死ねないのですか?」
「それがどんなに重いものか、君に想像がつくかね」
「いいえ、わかりません。でも、死にたくても死ねないんだったら、幸せじゃないで
すか。だけど、それは、どんな人なんですか」
「ハハハ、君の目の前にいるだろう。たとえばわたしだよ。わたしは、できることな
ら竜の口で死にたかった。佐渡流罪になど、ならないほうが楽だからね。だがわたし
が死ねば、この地球の広宣流布は誰がやるのか。それを考えたとき、わたしは死にた
くても死ねなかったんだよ」
「なんとなく、わかるような気がします」
「いやいや、君には想像もつかないはずだ。たとえば、創価学会の第二代会長になっ
た戸田城聖という男がいる。彼は牧口と一緒に投獄された。牧口は死んだが、戸田は
生きて牢獄を出た。そして牧口の跡を継いで、創価学会の再建をし、広宣流布の戦い
を開始した。しかし身体は牢獄にいる間にぼろぼろになっている。それでも彼は死ぬ
わけにはいかなかった。彼が死ねば、牧口の遺志である広宣流布ができなくなってし
まうからだ。彼の代わりができる人間は、まだ誰もいなかった」
ぼくは思わず、ふーっとため息をついた。日蓮は真剣な顔で話を続けた。
「しばらくして、池田大作という人物が戸田の弟子になった。戸田は彼に期待した。
しかし池田は身体が弱かった。重い結核を患い、医者からは三十まで生きられない
だろうと宣告されていた。彼は必死になって戦った。それを見て、戸田はいった。
大ちゃん、君は死のうとしている。だがそれでは困る、と。
池田は、どうせ短い命なら、命が尽きるまで戦いきって死のうと考えていたに違い
ない。それを、戸田に見抜かれた。戸田は、池田に自分の仕事を継いでもらいたいと
考えていた。いや、池田以外に自分の仕事を継げる者はいないと考えていた。
池田は、戸田にいわれたその一言で、死にたくても死ねなくなってしまった。
それがどんな重圧か、君に想像できるかね」
「いいえ、想像もつきません」
「そうだろうな。ただわたしがいいたいことは、命をかけてもいい目標を持ち、そし
てそれに邁進している人間は、幸福だということだ」
「はい、それだけはわかるような気がします」
「それがわかれば十分だ。ああ、そろそろ時間がきた。じゃあ、元気でがんばりたま
え」
そういうと、日蓮の姿は、ボーっと薄れはじめた。
「あ、もう一つ聞かせてください。いつか、もう一度会えますか」
「わたしの生命は、宇宙の中にある。そして君の生命も宇宙から離れることはない。
心は、無限の広がりをもっている。だから、いつでも会えるよ。君がほんとうにわた
しに会いたいと思えば」
そういって、日蓮の姿は、スーッと消えていった。
次の瞬間、目の前に黒い幕のようなものが降りてきて、ぼくの視界をさえぎった。
そのままぼくは、再び暗い闇の中へと吸い込まれていった。