小説「日本のクレオパトラ」へ

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         エピローグ

 

 ぼくの頭の中に、薄い光が差し込んできている。

 その光がどんどん強くなると、どこか遠いところから声が聞こえはじめた。

 その声は次第に近づいてきて、ぼくの耳元で鳴り響くようになった。

「リュウ君、リュウ君。聞こえる?」

 と、その声はいった。

 あ、リュウ君ってのは、ぼくの名前だ。と気づいたとき、目の前に顔が見えた。

 どこかで見た顔だ。そう思ってよく見ると、由香里の顔だった。

「ああ、由香里……」

 と、ぼくは弱々しい声でつぶやいた。

 そっとまわりを見る。たぶん、病院かどこかのベッドの上だ。

「あ、よかった。気がついたのね」

 と、由香里がいった。

「ここはどこだ?」

 ひとりごとのようにつぶやきながら起き上がろうとすると、由香里が止めた。

「まだ起き上がらないほうがいいわ。精密検査をするんだって」

「精密検査?」

「そうよ。レントゲンでは異常はなかったけど、頭を打っているから、念のためだっ

て」

「頭を打った……」

「そうよ。地震のとき、重いものがわたしの上に落ちてきて、リュウ君がわたしを助

けてくれたじゃない」

「あ、そうか。そんなことがあったんだっけ」

「でもよかった、気がついて。あのまま目が覚めなかったらどうしようかと思った」

「大丈夫だよ。あのくらいのことでくたばるようなリュウ君じゃないって」

 そういって意識的に笑ったが、頭の芯がずきんと痛んだ。

「あ、イテエ」

「大丈夫?」

 由香里が心配そうな顔をした。

「大丈夫、大丈夫」

 といいながら頭を触ると、包帯でぐるぐる巻きになっていた。

「少し切り傷があるけど、たいしたことはないそうよ。頭だから大げさになるのね」

 そんな話をしているうちに、ぼくの意識が戻ったのに気がついたらしく、看護士ら

しい女性が笑顔で近づいてきた。

「進藤君、目が覚めた? よく眠ってたわね」

「ずいぶん寝てたんですか」

「そうよ。頭を少し打ってたんだけど、軽い脳震盪(のうしんとう)程度だからすぐ気がつくと思って

たのに、なかなか意識が戻らないから心配してたのよ。たぶん、最近、少し睡眠不足

だったんじゃない?」

「ああ……」

 そういえば、由香里のことが夢にまで出てきて、夜、あまりぐっすりと眠れない状

態が続いていたのだ。

「じゃあ、先生に連絡をとって、すぐ検査してもらいましょうか」

 

 CTなどの検査を受けたが、特に心配することはないということだったので、その

日のうちに病院を出ることにした。

 二人で歩いて病院を出たが、話したいことが胸にたくさんつかえていた。

 由香里も、目でぼくに訴えている。

「どこかでお茶でも飲まない?」

 由香里がいった。

「じゃあ、喫茶店でもいく?」

 由香里がうなずいたので、目についた喫茶店に入ることにした。

 でも喫茶店のテーブルで向かい合わせに座っても、なかなか言葉が出てこない。

 しばらくして、ようやく由香里が思い切ったように口を開いた。

「わたし、考えたんだけどさ、やっぱり近藤君の誕生パーティ、断ることにした」

「どうして」

「だって、リュウ君がこんなにわたしのことを思ってくれているって知ったら、行け

るわけないじゃない」

「そんなこと、気にしなくていいさ。それとこれとは別問題だよ。君が行きたいとい

う気があるのなら行くべきだ」

「そんなこと……。リュウ君、それで平気なの」

「平気といえばウソになるけど、君が中途半端な気持ちでいることのほうがもっとい

やだ」

「でも、わたしと付き合いたいといってたのは、どうなったの」

「それはいまでも変わってないさ。でもそれも、近藤とぼくをしっかり較べて、その

上で、ぼくを選んでくれるのでなければいやだね」

「え? わたしに二股かけろっていうの」

「そんないやらしい意味じゃないさ。君には、自分にとって一番いいほうを選ぶ権利

があるということさ」

 由香里は、しばらくぼくの顔をじっと見ていたが、小さな声でいった。

「わかったわ。ありがとう」

「いや、ぼくのほうこそお礼をいいたいよ」

「どうして? 助けてもらったのは、わたしのほうよ」

「いや、ぼくには君にお礼をいわなきゃいけない理由があるんだ」

「どうして? わけがわかんないわ」

「君がいてくれたから、いまのぼくがある。それがようやくわかった。少し遅かった

けれどね」

 由香里は、しばらくぼくの顔をじっと見ていたが、

「リュウ君、変わったわ」と、ぼくの顔を見つめたままで、ポツリといった。

「なにがあったの」

「夢を見たんだ」

「夢?」

「うん、夢の中で、自分の未来の姿や進む道が見えた」

「どんな未来だった?」

「すごく輝いていた。素敵な夢だったよ」

「リュウ君、いま、輝いているわ」

「うん、なんだか、世の中が明るくなったような気がするんだ」

 ぼくは、由香里に、にっこりと笑いかけた。

 ぼくには、命をかけても悔いのない素敵な女性がいる。それがどんなにすばらしい

ことか、いまのぼくにはわかるんだ。

 ぼくは窓から外の世界を眺めた。

 それは、いつもとまったく変わらない風景だった。

 でもその色彩は、ぼくの目の中で鮮やかな色合いに変化していた。 


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