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野草随想86

オオイヌノフグリ

23.03.01




オオイヌノフグリ

 スズメノカタビラやノボロギクは冬中でも咲いているが、花らしい花ではオオイヌノフグリがまっ先なので、二月ごろこれが咲き出すと、ぞくぞくと嬉しくなる。帰って来る太陽の足音を聞きつけた気がする。

 

宇都宮貞子さんの「草木おぼえ書き」には、オオイヌノフグリが「しらみっつぶし」という名で登場していて、これはその書き出しの一節である。本当にそんな気がする。


「草木おぼえ書き」は私の好きな本のひとつである。宇都宮さんは信濃や越後の山村を歩いて、土地の人が草木をなんと呼ぶのか、食べたのか、何かに使ったのか、遊び道具にしたのかなど、いわば植物民俗を、あふれる愛情と古典の知識を持って書きとめた。初版が昭和43年、とある。戦後の貧しくも穏やかな時代の、人と植物のつながりの密接さが新鮮によみがえり、よむたびに心があらわれるような気がする。

「しらみっつぶし」とは、その二つ並んだ太った実を、押しつぶしてプツンプツンと割ったことから付けられたようだ。この花は触るとすっぽりと抜けるように取れ真ん中に穴が開いているが、それを松の葉にとおすと「まるで松の葉を貫いたるり色の露の玉」のようだとも書いている。今度、ちょっと試してみようと思う。

「どんなにはびこっていても、名なしのところが多い」ともかかれている。してみると、オオイヌノフグリは外来植物であるが、この頃田舎ではまだまだ新参者だったと考えても良いだろう。

オオイヌノフグリは、どこでも普通に見られる雑草だが、1880年代に渡来し、急速に分布を広げたものらしい。原産地はカフカス山地からイラン北部であるという。(大場秀章:「道端植物園」)
学名は「ベロニカ・ペルシカ」で、ペルシャの聖者という意味になるようだ。

カフカス山地といわれても、グルジアやアゼルバイジャンとか黒海とかロシアとの民族戦争とか、テロとか、この地域にたいしてはわずかな知識しかもたないが、山岳地帯に星をばら撒くように咲いている風景を想像するのも悪くはない。山岳修行をしていた聖人の透き通った眼の色なのだろうか。

それに対しイヌノフグリは「犬の陰嚢」の意で、あんまりにもイメージが違いすぎる。

昔、悪友らと詩を作っていたとき

  桃の花ひらき
  野にはツクシやイヌフグリ

と書いたら、
「お前それは、女と男ではないか」と言われて、純情な私は不意を突かれたことを思い出した。


タチイヌノフグリ

同属にタチイヌノフグリという、それはそれは小さな花をつける草がある。これはルーペでじっと覗かないと判らない花だが、濃い紫色である。また、フラサバソウという変な名の仲間がいる。これは明治の初めに長崎で採取された記録が、フランス人のフランシェとサバチェ両氏が著した日本植物目録に記録されたことから、両氏の名前のフラとサバを取って付けられたものだという。つまらない名である。

またイヌフグリは、もっと古くから日本にあるものである。

私にはこれの同定がむずかしいが、とりあえず、三種を掲載する。
特にフラサバソウは自信がない。採取して庭に下ろしたが、この頃逃げてしまったようだ。

 
フラサバソウ


(参考)
宇都宮貞子:「草木おぼえ書き」(読売新聞社)
大場秀章:「道端植物園」(平凡社新書)
浅井康宏:「緑の侵入者たち」(朝日選書)