野草随想91
雪中のナンテン
23.06.29
雪のように降るに任せている
隣家から苗をもらって、少し日当たりの悪い庭の境に一列にナンテンを植えてもう7、8年にもなろうか。日本画にみるナンテンは、立ち姿が美しく描かれているが、周知のとおり盛んに株別れするので、放っておくとぼうぼうになってしまう。どんどん剪定して、絵のようにすっきりした形にしたいとおもうが、なかなかうまくはいかない。
うれしいのは真っ赤な実をたくさんつけてくれたときだ。
お正月、玄関の壷に実の付いた背丈ほどの株を、数本投げ込んでおくと鮮やかで、華やかな正月気分をかもし出してくれる。
「南天」は「難転」で、即ち災いを転じるという縁起のよさが、また人気を支えている。そして案外花もち(実もち)がよいので重宝なのである。
しかし赤い立派な実をつけさせるには、結構気遣いが必要なことを知った。
立派な花をつけた茎には目をつけておいて、実が赤く染まりだす頃、ネットを張って、野鳥の食害を防ぐ必要がある。特にヒヨドリの悪食は恐るべきもので、1日手をこまねいていると、翌日まったく実がなくなってしまい地団太を踏むことになる。
さらに花の時期も重要で、花が雨に会うと受粉できずに実のつきが悪くなるらしい。雨に当たらないように軒先に植えるとか、ご丁寧に梅雨の時期は傘をさしてやるという繊細な配慮が求められるようだ。が私はそこまではマメではない。
だがこの花は雨に会うように運命付けられているのだろう。雨に打たれて白い花が流れていくという、風情もまた捨てがたい。
今年もわが庭のナンテンは雨に打たれっぱなしである。
すべきことなくて南天雨のまま しげる
ナンテンには、ナンテニンというアルカロイドの1種の成分があり、お赤飯の重箱に敷いたりしたのはその薬効を活かしてのことである。また昔は厠の出口に植えられていたのをみかけたが、庭木の代表として、日本人の生活に深く根を下ろしている。中国と日本が産地で、日本では本州の中部、及び中部以南の暖地に自生している。(「花の文化史」松田修)
けれど私の郷里、雪深い奥信濃にも庭木として植えられていたことを、あることで、思いだす。
何年生のころか忘れてしまったが、小学校の学芸会でのこと。出し物は「花咲じじい」だったろうか。舞台で籠から緑の葉っぱをつかんでばら撒くというシーンがあった。この、緑の葉っぱを家から持ってくるということになったが、さて、これが大変だった。
奥信濃の2,3月、学芸会の頃は、まだ豪雪の真っ只中で、すべてが雪の中である。2m近い積雪も珍しくはない。しかもこの地には常緑樹は極めて少なく、みぢかにあるのはせいぜい松とかイチイくらいのものだった。
ただし、後で知ったのだが、飯山の市の花は「雪椿」である。雪の中で折れも凍りもせず、春にけな気に花をつける。しかし「雪椿」はその時節山地で雪の下に埋もれているし、近所に椿を植えているお宅もなかった。
そんな時季に、常緑樹の葉を持って来いというのだから、指示した先生もピントがずれていた。
家には庭木がなかったので、私は母親に教えてもらい2軒隣の本家に頼み、裏庭のナンテンのあったあたりに見当をつけて、雪を掘った。果たして雪の中から葉っぱが出てきた。
十分な量にはならなかったが、どうやら籠に少し、凍みて赤黒っぽいナンテンの葉を確保できて、私は胸をなでおろした。
だが学芸会の当日、舞台でこの葉をどう使ったのかは、まったく思い出せない。雪の下から真冬に緑の葉を探し出すということが、どんなに大変だったか、そればっかりが思い出されるのである。
雪の深さ、重さ、雪に閉ざされた生活、というのは、暖地の人にはなかなか理解してもらえない。情報網の発達した今日でさえ、そうなのだから、まして一昔前は都会の人には想像ができないことだったろう。
「北越雪譜」という江戸時代の後期1830年頃から出版された本がある。
今の新潟県魚沼郡塩沢に生まれ質屋、縮みの仲買の商家を経営した、鈴木牧之がその著者である。
「北越雪譜」は、いわば雪国百科事典のごときもので、大いに人気を博したらしい。雪の猛威、生活習慣、生活の苦しさなどを連綿とつづり、奇譚もうまく散りばめられている。
雪国など知ることのなかった江戸の人たちは、おそらく物珍しさ好奇心一杯にこの本を読んだのだろうと想像する。
牧之翁は、
雪を賞翫するは雪の浅い国のことであって、越後のように毎年幾丈もの雪を見れば何も楽しいことはない。ここに書かれたところを見て想像してくれ、と訴えている。しかし果たしてどれだけ珍しさ以上の理解が得られたか。
その中で雪の元日という記事があり、
わが里の元日は野も山も田畑も里も平一面の雪に埋り、春を知るべき庭前の梅柳も、雪の中にありて元日の春を知らず。
古歌に「花をのみ待つらん人に山里の雪間の草の春を見せばや」とは、雪浅き都の事ぞかし。雪国の人は春にして春を知らざるをもって生涯を終わる。
と、悲憤をもらしている。
時代は変わったが、雪国の難儀についての理解は、実は余り変わっていない。その証拠には、雪国はいまことごとく限界集落の危機に陥っている。
悲憤をもらしながらも、牧之にとっては雪国がついの住処であった。かく言う私も悲しいかな胡馬北風に嘶いてしまうのである。
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