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野草随想92

ニッコウキスゲ

23.07.28





  いちにち花で、次々に交代する
   


高原のニッコウキスゲをみたいと信州の霧が峰に出かけた。

予想したとおり車は大混雑だったが、なんとか車山肩の駐車場に車を入れることができた。ここから歩くのが一番楽なのである。

ニッコウキスゲは、車山の肩で7から8部咲きかというところだった。

広々となだらかな緑の草原が、まるで絵の具を塗ったように黄色に彩られている。この色は、オレンジというべきか山吹色というべきか、とにかく明るく高揚感のある色であり、満開の時期はさぞかし華々しいのだろう。

目を上げれば草原の向こうには、また緑の丘が続いている。丘のやわらかな稜線のはるか彼方には南アルプスや乗鞍が、まだ頂に雪を残して遠望できる。この眺望には訪れた人誰もが深呼吸をして、一時日々の生活を忘れるに違いない。

私は車山には何度か足を運んでいるが、ニッコウキスゲの盛りに訪れるのは初めてである。混雑を覚悟できてみる価値はある。

しかし実際は、いいことずくめというわけではない。

歩道脇には電線が延々と張り巡らされていて、なんとも風情がない。鹿の食害を防ぐためだという。もちろん人間も、一歩たりとも花園には足を踏み入れることができない。

それに加えて、この人出だ。歩道は列を成してぞろぞろ。また食堂の脇には巨大な望遠レンズをつけたカメラがずらっと並んで、みなそれぞれにシャッターチャンスを狙っている様子は、なでしこジャパン並みとは言わないが、異常である。それにしても老若男女、それぞれ一様に立派なカメラを首から下げておられる。これにも驚かされる。

ただし、この混雑も草原の一部だけであり、一歩奥に入れば静かな世界が広がっていた。

肩から下って車山湿原、さらに下って沢渡を経て肩に戻るコースを歩いたが、先ほどの喧騒がうそのような平和な草木の世界だ。


  車山湿原を雲の影がとおる

イブキトラノオ、チダケサシ、アカバナシモツケ、シモツケソウ、ウツボグサ、ウスユキソウ、コウリンカ、キバナノヤマオダマキ、キンバイソウ、シシウド、ヨツバヒヨドリ。

目立つ花だけ挙げたが、ちょっと歩いてもこれくらいは誰にも見つけることができる。私は、ウスユキソウを見るのは初めてだった。

私も女房も足に自信がないので、一番お手軽コースを選んだが、それでものんびり2時間半はかかった。高原は涼しいとはいえ、カンカン照りである。私は薄いシャツだったので、どういうわけか、シャツを透かして日焼けしたらしく、帰宅してから胸部が赤く発疹してしまった。それにしてもこんな日焼け方があるのか、いまだもって首をかしげている。

 

コース途中の沢渡は、樹叢の中に清冽な流れがある。その木蔭に、霧が峰の山小屋の草分けとも言うべき「ヒュッテ ジャヴェル」が人影もなく佇んでいた。小屋の名は尾崎喜八の名付けであったと記憶する。もう何年まえになるか、好奇心でこの伝説的なヒュッテに泊まったことがあったが、私はそれをすっかり忘れていて、道なりにヒュッテの脇に飛び出して初めて思い出してアッと声がでた。

ここ沢渡は、藤森栄一氏の名著「古道」の舞台の一部になっている。藤森氏は、知る人ぞ知る諏訪の住人でユニークな在野の考古学者だった。
氏の文章は実に生々しく印象に残るものがたくさんあるのだが、中の一編「ルング・ワンダルング」は特に鮮烈なものだった。

本の中でまだ若い氏は、ノルデックスキーの選手として池のクルミ付近で合宿をしており、八島湿原のかなたにある小屋に老人夫婦と一緒にいる、ヒサという少女に無性に会いたくなり闇雲に真夜中、雪中にスキーを走らせる、という状況である。

「なんといってはいったか、私はおぼえていない。が、しかし、老夫婦は喜んで私を迎え、奥の部屋へ私とヒサを寝かし、自分たちは、台所のコタツの方に行ってしまった。私とヒサは、コタツをはさんで寝た。二人とも、なにもいわなかった。私は一睡もしないで、いくども、顔を上げて、ヒサをみた。その都度、ヒサの喉が、ヒクヒクと動いた。窓から、月がさし込んで、ヒサの睫毛が、長く頬の上にかかっていた。」

しかしちょうどこの沢渡のあたりで、彼は遭難する。転倒して方向感を失い、何度も何度も同じ斜面を周回して明るくなってきたら、夜通しこの沢渡の谷ぶちを回っていたことに気づいたのだった。

こうして読み直してみると、つくづく自然のなかに人がいたことを感じさせる。
「雑木林への道」では、山中で道に迷い、ヒゴからきたというキコリの集団に紛れ込む話がある。10人の男と7人の女の群れで、山から山に移動しながら、夕刻の一時、それぞれ夫婦はトヤとよばれる栗の花咲く場所で、まぐわう。そんなことが書かれていて、今は見えない、往古からの道を、教えてくれる。
氏は、終生、八ヶ岳山麓の縄文文化を探求した人だが、その情熱の底に、この地域への深い愛着が感じられて
独特のひかりを放っている。

さて、氏が合宿していた池のクルミには、小さいペンションがあって私もかつて泊まり、周辺の湿原を散策したことがあった。こちらには八島湿原のような喧騒はなく静寂そのものだった記憶がある。

若い藤森さんは、池のクルミからどの辺りを通って沢渡へ行ったのか。今道路が通っているあたりは樹叢だからスキーは無理だったろう、とするとこの歩道の辺りか。

などと思い巡らしながら、私はいま、ヨツバヒヨドリの群生する斜面を、車山の肩に戻ろうとしている。また、にぎやかな観光地に逆戻りである。