野草随想95
北海道東の湿原巡り 2
23.09.19
この湿原は割と小さい 道東にこうした場所があちこちに整備されている
標津湿原では、約1キロの木道を自転車で走り抜け、向かいの丘の上にあるカリカリウス遺跡を訪ねた。ここでは縄文前期からアイヌのチャシ(城跡)まで1万年以上続いて集落が営まれ1500以上の竪穴住居跡が残されている。北海道の竪穴住居跡は、地面に窪んだままの形状で残っているものが多い。動植物の活動が本土に比べて少ないのが理由だろうが、数千年前の住みか跡をそのまま見るのは、やはり異様な感じがするものだ。冬はこの穴に雪が残り独特の光景を呈する。ここではヒカリゴケを観察することもできた。
ここの湿原も、スゲのような植物が一面に生え、所々にアキノキリンソウと思われる黄色い花がみえる。
フレペの滝で見たエゾジカの仔 逃げない
知床5湖は、道を外れることができない上に、急ぎ足だったので余り観察はできなかった。ここでは、木道コースは無料でフリーに入れるが、それ以外は有料で、氏名住所を登録して入場し、10分間熊の恐怖を植えつけらるレクチャーを受けてからのスタートになる。
公園は一面に熊笹でその中に白樺の木々が茂っている。草ぐさをみるには余り面白くは無い。
ただし風景は絵葉書のように美しい。池はあくまで澄みきっていて、真っ青な空を映している。背景には羅臼岳から知床岳に連なる山々。風がクマザザの原を渡っていくのが見える。かつて入植したが失敗した跡地も見えて、美しいけれど厳しい自然である。
トウフツ湖と渚の間にある小清水原生花園は、おそらく最も名が知られていて私も目的の一つにしていたものだが、立ち寄る気力が出ずにパスしてしまった。この日は異常な高温で30度を越した。まさかクーラーを入れて走るとは想像していなかったし、服装も慎重に厚手のものにしていたので、体力的にもこたえた。この頃になるとなんだか皆同じに思えてきていたのだ。
能取湖のアッケシソウ群落
網走から15キロほどにある、能取湖でちょうどサンゴ草が見ごろになっていると聞いて足を伸ばすと、湖の最奥端の卯原内地区の湖岸に、まだ茶褐色のアッケシ草が一面に広がっていた。たぶんもう少しで真っ赤に紅葉するのだろう。
形状が普通ではないが、これは茎と枝で、葉が退化してくっついているということらしい。塩湿地に生育する特異な植物で、最近は減少しているようだが、ここ卯原内では湿地をトラクターで整地した痕があり、保護に乗り出しているときく。
駐車場の売店でとうきびを買ってかじりながら常呂に向かったのだが、あちこちで湖岸が赤みがかってみえた。これも他所ではなかなか見られない景色である。
道東を一回りして6日目に釧路湿原にたどり着く頃には、湿原には余り関心がなくなっていた。毎日湿原の中を走っているようなものなのだから、当たり前だろう。広い牧場も地平線まで続く真っ直ぐな道路も、当たり前になってしまった。
釧路湿原の国際ツルセンターに寄って飼育されている丹頂ツルを見る。ここには冬にたくさんの鶴が集まり窓から観察できる。ちなみにツルは、サルルンカムイ(湿原の神)とアイヌ語では言うのだそうだ。
温根内ビジターセンター:各地にこうした施設が整っている。ここにも職員が一人所在なさそうにしていた。
湿原内の直線的道路を走り、温根内湿原ビジターセンターを訪れ木道のウォーキングコースを歩いた。ヤチボウズという草の団子状のものも見ることができたが、特に気を引くような花は見えなかった。もう些か食傷気味なのである。
道東を巡ってみて、野菜、特に葉物が無いしあっても高いことを知った。野菜を食べないので、尾篭ながら私は直ぐに腹の調子を崩してしまった。確かに蕗の茎の煮付けは、どこでも出されて美味しかったし、白菜もだされたが、たいてい茹でてあり、いくぶん硬い気がした。気温、地温が低くて葉物は栽培が難しいのだろう。
しかし、花は咲く。それなら、食べられる花を栽培することが産業としてできないだろうか。あれだけ多彩な花々が咲くのである、などと無責任な思いつきが頭をよぎる。
もちろんこれは堅くて食べられない それにしても大きい
食べ物で付け加えていえば、ソフトクリームは確かに美味しかった。
しかし生牛乳は薄い感じがした。宿の朝食には味噌汁のほかに牛乳が付いて出てきたが、いずれも薄い感じがした。ドライブ中、牧場に立ちよって飲んだものもやはりおなじ印象であった。これはどうしたことだろう。牛の種類は本土と違うのだろうか。それとも北海道の牧草が灰汁の少ないあっさりしたものなのだろうか。
チーズ作りに携わっている息子が言うには、
「春に人間はたくさんコゴミを食べるけど、牛には乳の質が変わってしまうから食べさせない」
とのこと。牛は大自然の中にいて、好きに飲み食いしているように見えて、実は意外に細かに管理されているのだろう。春のコゴミを食べることができないなんて、かわいそうな牛たちである。
もう一つ、道東の人影少ない地域を回って感ずるのは、ロシアの脅威である。人口が少ないところは占領が容易で北方4島はまさにそうした例である。
昔から、北方民族が人のいない浜にやすやすと入り込んだ。網走で発掘された「モヨロ人」もそうした『侵入者』である。もっとも、国が無かったのだから侵入とはいえない。
江戸時代の中ごろに、国防を説いた林子平などの人物がいたことを教科書で知っていたが、限られた情報のなかから、なんと鋭く世界が見えていたか、オホーツクの海を見ながら、改めて感じてしまう。
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