野草随想97
子規(ホトトギス)
24.7.10

子規庵
俳句をやっている人に勧められて、梅雨の中休みに東京根岸の子規庵を訪ねた。
鶯谷駅に降りると意外にもけばけばしいホテル街が待ち受けていて、そのネオン街を通り抜けると、一昔前の町屋風な家がそれだった。うっかりすると見落としてしまいそうな地味な家である。だが子規が住んだ実際の建物ではなく、門弟がそれを復元したものらしい。
入場料500円。5,6人ほどの来訪者が入れ替わり立ち代りやってくるので家はいっぱいである。テレビ「坂の上の雲」が放映されていた頃はもっとにぎわっていたのだという。
急にばたばたっとしたら、寸劇が始まった。めったにないイベントらしく偶然それに出くわした。
「病床六尺」や「墨汁一滴」、その他から選んだ数編を、子規に扮した痩せた初老の男と若い女二人が、代わる代わるに朗読してくれた。女一人は8畳の縁側に座っていたが、
「誰かこの苦を助けてくれるものはあるまいか」
と大声を発しながら中に入ってきたので私はびっくりした。男は6畳に床をとり横になって朗読をしたが、すっかり子規になりきっていて顔も子規のように見えてくる。現場が舞台であるだけに身にしみる迫力があった。

庭から見た子規庵
6畳にある子規の文机には、左ひざを立てるために15センチ四方ほど切込みをしてある。私も座ってそこに脚をいれてみた。
外を見ればガラス窓の向こうに糸瓜の棚といろんな草が植えられた庭が広がっている。
病で動けない子規があかず眺めた小園である。
子規は31歳のとき「小園の記」を書いている。死の3年前だ。
私は子規庵を訪ねるに当たり、「小園の記」に記された草木が、今はどうなっているのか突合せをしてみたいと思っていた。しかし庵に入るなり、「庭は昔と全く違う」という意味のことを案内ビデオで聞かされてこの目論見をあきらめた。ぼんやりと庭を観ている私の目に白い蝶がひらひらと舞った。私は思わず、子規が蝶を自分の命とおもい蝶が消えたとき呆然としたというエッセイを思いうかべた。
庭には3箇所ほどから蚊取り線香の煙が漂っている。雑然としていてことさらの趣があるわけでもなかった。
記念に投句をしてください、といわれたので恥ずかしながら
子規なでた畳に黒し糸瓜影 しげる

子規の6畳の間 手前棚がヘチマ
8畳の間で、子規は句会を開いたという。
虚子、碧梧桐はもちろん、伊藤左千夫、長塚節、漱石、鴎外など明治のそうそうたる文人が新しい時代を写す的確な表現形式をもとめて熱病者のように集まっていた。この部屋こそ新しい俳句や短歌、というか文芸思想とも言うべき「写生」という美が日本に広がっていった、まさにその波動の始点となった空間である。政治だけでなく文学においても若い英才達のエネルギーが世の中を変えた明治時代を象徴する空間なのだろう。
子規は34歳11ヶ月で命を終えた。いかにも短い生涯だったうえに、誰もが知るように死にいたる数年は、病魔との絶望的な闘いの日々であった。彼自身「拷問」と言っているほどである。
しかし苦悶を生きながら、抹香くさい宗教心やお説教じみた台詞が、あまり子規にはみうけられない。ベースボールを野球と名付けて大いに興味を示したことはよく知られているし、食べ物に対する執着心、さらに活動写真、自転車競走、水族館、自働電話、ビヤホールなどに関心をしめすなど、新しいものにたいする無邪気な好奇心、楽天的な明るさが随所に感じ取れる。
また、自分は無宗教だから苦しいときは救いようがないから大声で泣き喚け、ともいっている。
現実主義とでも言うのだろうか。この明るさと楽天性を思うと、なまじ感傷に浸るのは的外れだし失礼なのだろう。
ところで、言うまでもなく子規とは鳥のホトトギスをさす。夏を代表する鳥として時鳥、不如帰など様々に表記されるが、けたたましく鳴き喉が赤いことから「鳴いて血を吐く」というイメージが広がった。
俳号「子規」も結核で血を吐いたことに由来する。
だが意外なことに、子規はホトトギスの音をあまり聴いていないようだ。明治29年著の「松羅玉液」の8月1日の条をひらくと、故郷松山で聴いたことはない、東京へ来ても、根岸に来ても「なおホトトギスを知らず」。ところが29年には夜中に皆で句吟していると何度も鳴いて、初めて聞く人も多くおおさわぎになったことが書かれている。
重ねて意外なことに、山本健吉氏の「ことばの歳時記」をみていたら、山本氏も「はっきりこれだと合点して聞きとめたことがない」と書いている。
これは田舎に住む私としては、全く意外なことだった。私の周りでは、今年もホトトギスは6月半ばから毎日、夜となく昼となく鳴いているからである。キョッキョッキョッキョキョと甲高くないて、それを東京特許許可局と聞きなすのは誰もが知るところだ。
俳句をする人は季節や自然現象に敏感だといわれる。けれど、多くのホホトギスの句が観念上のものだった。いわば約束事、固定化したイメージのうえで歌われ、受け止められていたということである。子規の「写生」もまたこうした深い沼のうえに咲いている。当然とはいえ、危険と背中合わせなのである。
植物にもホトトギスという野草があるが、この名は、花の斑点が鳥のホトトギスの胸の模様に似ているということから付けられたともいわれている(一説によると、若葉のときの模様)。茶花にも用いられたから、古くから愛された花であろうが、子規の小園の記には登場しない。庭を見回してみたが、私の目では見つけることはできなかった。
変種が多いのだが、我が庭のダルマホトトギスは、今年はうまく咲いてくれた。普通のホトトギスはいま花芽を大きくしている最中で、これもまた楽しみである。
(参考)
「正岡子規」 ちくま日本文学全集37 筑摩書房
「ことばの歳時記」 山本健吉 文芸春秋
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