背徳の楔 01
きっかけは本当に些細な事。
貴方のふとした表情。
でもそれが、私の心の鍵を開けてしまった。
身体の関係だけでもいい。
貴方の傍に居られるだけで、私は幸せだから。
だから、どうか私を捨てないで。
私の愛する、お兄様――。
「七瀬(ななせ)さんったら、本当にやっちゃったの!?」
朝一番。
教室に入った七瀬に、わらわらと女子生徒が集まってくる。
「うん! いいでしょ?」
七瀬は自慢げにそう言うと、胸を逸らす。
「いいっていうか……う〜ん」
「よくあのお兄様方に怒られませんでしたわね?」
「私は見直しましたわ! 七瀬さん、かっこいい!」
クラスメート達が次々に七瀬に対して感想を返していく。
「ななったら、そんな禁忌なことをして!」
取り囲んでいた取り巻きを掻き分けて、七瀬の幼馴染 兼 大親友の果菜(かな)が大声で叫ぶ。
「おはよ、果菜。禁忌ってまた大げさな〜」
にへらっと笑って見せる七瀬に、果菜は大きく嘆息する。
「私は知らないわよ〜今回ばかりは。……ほら、言わんこっちゃない……」
皆の視線が、七瀬の後ろの廊下に注がれる。
「え……何?」
振り返った七瀬の目の前には、高等部三年の我が兄上、陸人(むつと)が困惑顔で立ち尽くしていた。
「あ……陸兄(むつにい)……これは……」
取り繕おうととっさにあたふたしだした七瀬の細い腕を、陸人は握り締める。
「理事長サマがお呼びだよ……」
「げ……っ」
真っ青になった妹を睦人は容赦なく引っ張っていく。
「頑張って〜、七瀬さん!」
「負けてはいけませんことよ!」
「恋の為なら、女の子は戦わなくては!」
見送るクラスメート達は口ぐちに言いたいことを言って二人を見送る。
それを一歩引いて見ていた男子生徒達は、呆気に取られたように固まっている。
「助けて〜!! 果菜〜っ!」
廊下の向こうから叫んでいる親友の声に、果菜はまた盛大に嘆息した。
「なな、ご愁傷様〜」
「朝、学校に付くまでは栗色だったよな?」
理事長室の前で陸人はぼそりと七瀬に耳打ちする。
「えへへ……ウィッグを……」
「はあ、お前ってやつは。理事長サマは大層ご立腹だぞ。覚悟しておけ」
ギギィ。
目の前の重厚な革張りの扉が、嫌な音を立てながら内向きに開かれる。
理事長室であるその部屋は四十畳はあろう広さで、作り付けの家具はすべて飴色に磨き上げられ、創立百年の名門学園に恥じない風格を漂わせていた。
その真ん中。
家具よりもさらに風格を漂わせている、齢(よわい)二十六歳の青年が一人。
この私立桐敷国際学院の理事長代理、桐敷(きりしき)一臣(かずおみ)サマだ。
漆黒の瞳は冷たく細められ、眉間には青筋が立っている。
全身からは怒りの炎が本当に見えそうなくらい、恐ろしい気配を背負っている。
「お……臣兄(おみにい)……落ち着いて……」
おどおどとそう発した睦人に、臣兄と呼ばれた理事長代理はきっと睨みつける。
「睦人。学園では名前ではなく理事長代理と呼べ」
ぴしゃりといなした一臣に、睦人は首をすくめる。
今更だが、理事長である一臣は七瀬と睦人の兄だ。
一臣の怜悧な瞳が、隣で小さくなっている七瀬に注がれる。
「どういうことか、じっくり説明してもらおうじゃないか、霧敷 七瀬」
轟いた厳しい追及に、七瀬はひっと心の中で叫ぶ。
「えっとお……何のことでショ?」
七瀬はすっとぼけて首を傾げる。
ぶち。
一臣の堪忍袋の緒が切れた音を聞いた弟と妹は、蛇に睨まれたカエルの様にその場に立ち尽くす。
「その金髪はなんだって聞いてるんだっ!」
いつもは声を荒げない一臣が珍しく大きな声で追及する。
「ああ、これ? だって、センパイがギャル好きだって言うから〜」
七瀬は自分が金髪にしてしまった理由を思い出し、うっとりする。
中等部から高等部へエスカレータ式に進級した直後、七瀬は運命の人と呼んでいる谷町センパイに出会ったのだ。
金髪に近い明るくふわふわの髪の毛。
まるで外国人の様に彫りの深い顔立ち。
けれど濃すぎるわけじゃなく、爽やかな微笑み。
そんな彼の好みの女性が『ギャル』だというのなら、そんなの女子たる者、ギャルにならないでか! というものだ。
「その言葉使い、やめろ」
隣から小声で睦人がそう助言する。
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