背徳の楔 09


 幻想的に繰り返されるパッセージ。
 エーゲ海に浮かぶ愛の女神であるヴィーナスの島を描いた楽曲は、色彩豊かに愛の喜びを紡ぎ出していく。


 約六分半の曲を弾き終え、七瀬はふーと息を吐き出す。
 少し滲み出た汗が額に前髪を張り付かせ、七瀬は少し恥ずかしく思いながらハンカチで拭う。
 おそるおそる一臣を見上げると、満足そうに頷かれた。


「いいんじゃないか。ただ、ここの運指はこの方が滑らかじゃないか……」

 一臣は七瀬の隣に浅く腰掛けると、弾いて見せる。

「あと、ここはもう少し情感豊かに歌いあげたほうが、後のパッセージが浮かび上がっていい……」

 一臣のピアノはまるで歌っているように聴こえる。
 音の一粒一粒が繊細で、優雅に愛の歌を歌いあげていく。


(こんなに……本当はこんなに情感豊かで、愛情の深い人なのに……なんで政略結婚なんか――!)

「……結婚なんか……しなくていいです……」

 七瀬は清楚なワンピースのスカートを両手でぎゅっと掴む。

「七瀬……?」

「私がいるもの……ずっと私が、お兄様の傍にいるもの……」

 隣に座っている一臣から何のリアクションもないことに不安になった七瀬が、兄を見上げる。

「……お兄様?」

(あれ……今、顔、赤くなかった――?)

 はっと我に返った一臣が、さっと席を立つ。

「お兄様ったら、お待ちになって」

「……その論理はどうかと思うが……しかし最近、少しは桐敷に相応しい令嬢になったんじゃないか……」

「本当ですか? ……お兄様、嬉しい!」

 いつもなら、ここで一臣に飛びついてしまうところだ。
 ところが、このところ令嬢に相応しい行儀見習いを受け、おしとやかな服装をさせられてきた七瀬は結構影響を受けたらしい。
 七瀬は計算したわけでもなく、頬を少し赤く染めて俯いた。


「調子が狂うな……」

「え……? ……じゃあ……」

 七瀬はゆっくり立ち上がると、目の前の一臣の胸に、ぽすんと遠慮がちに頭をもたせる。

「もう飛びついたりしませんから、これくらい許してくれる?」

「……しょうがないな、今日だけだぞ」

 そう言いながらも、一臣は優しく七瀬の背中を抱きしめてくれた。
 七瀬の心臓が、とくとくと徐々にその鼓動を早くする。


(どうしよう……)

 七瀬は自分の気持ちに戸惑って、小さく震える。

(どうしよう……私……)





 お兄様の事が、好き――だ。

















「なな、最近ほったらかしで悪かったな。今日、俺の部屋、来るだろ?」

 夕食後。  今日は早く帰れたらしい京次(きょうじ)は廊下に出た途端、七瀬の腰をそっと抱いた。

「………」

「どうした……?」

 覗き込んでくる京次の顔は、本当に七瀬の事を心配しているようで、七瀬と同じ色の栗色の瞳が少し揺らいでいる。

「京兄……ごめん。私好きな人が出来たの」

 そう言って京次を見上げると京次は瞳を見開いていたが、数秒後、七瀬の手を強引に引っ張って自分の部屋に導いた。

「……なんだって」

「好きな人……できた……」

「それは……俺じゃないんだな……?」

「うん……」

 明らかに項垂れている京次に申し訳なさを感じながらも、七瀬はきっぱりと頷く。

「まさかと思うけれど、兄貴じゃないよな……? 七瀬最近、兄貴にくっついてばっかりだったよな」

「………」

「兄貴なのかよ……」

「………ごめん。……きゃっ!?」

 気が付くと蒼白になった京次に、寝室のキングサイズのベッドの上に倒されていた。

「駄目っ! 本当に、もう駄目なの!」

「俺はっ! ……お前が兄弟以外の普通のやつと、普通の恋愛をした方がいいと思って、ずっと我慢してたんだ。それなのに、なんで兄貴なんだよ――!?」

 今までに見たことのない剣幕で怒る京次に、七瀬は恐怖を感じて震えあがる。

「ごめん……許して、京兄……」

 必死にそう懇願した七瀬の言葉が聞こえていないように、京次は七瀬のうなじに舌を這わす。

「京兄……お願い――!」

 一臣を好きだと自覚した今、京次から与えられる快楽は、もうイケナイ事以外の何物にも感じられなかった。

「いやぁ……ふぐっ……」

 京次は叫ぶ七瀬の口を塞ぐように、唇を重ねる。

(嫌――! 初めては好きな人とって……)










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