第一章

 昭和7年、桜もそろそろか、という季節であったが、日本は第一次大戦後の金融恐慌の影響でひどい不景気が続いている。
怪しげな新興宗教、左翼に右翼の活動。不穏な空気が流れるそんな時期のことだった。

帝都東京の将校会館で桃と伊達が出会ったのも久し振りで、海軍と陸軍の違いはあるものの、
同期同階級で近況の報告など、多少の噂話を交えながら語り合った。
白い士官服も凛々しい桃は、何事かを画策している軍部の騒々しさを憂いていた。
伊達は煙草を燻らしつつ相槌を打ち、昼日中から高級酒などを飲んでいる。
「そういえば、抗日ゲリラの幹部が来日しているらしいな…特高と憲兵隊が目の色を変えて探しているらしい。」
いつもの桃の話し方に伊達は煙草を揉み消した。
消した煙草の間から、かすかに甘い香りがする。
「全部知っているクセに小出しに話すのはやめにしろよ。テロ資金が日本のシンパからゲリラに渡って、満州へって話だろ?」
桃も伊達も、軍上層部さえ知らぬ話をよく入手する。
「陸軍での情報か?」
「いや、こういうことは勝手に耳に入ってくるものだろう?」
当然、という顔つきの伊達に、桃は眉を寄せた。
「…伊達よ、まだあの異人とつきあいがあるのか?」
「質問ばかりだな。」
伊達は話をはぐらかす。
「俺は近頃、横浜に駐屯していてな…支那服を着た長身の混血と歩くお前を見て、ちっと心配してるんだ。」
桃はいかにも心配、という顔を作った。…わざとらしい、と伊達は思う。
「何の心配だ?俺が新中派と思われやしないか、とかか? 気にしなくていいぞ。
あいつは本牧の外人相手の娼館の奴だ。」
「娼妓か!?」
「馬鹿言うな。あれは男だぞ?娼館の客分だ。」
「脅かすなよ伊達…しかし、ニュースソースはそいつ、だろ?」
「そういう桃の情報屋はヒゲの新聞記者だろう?どっかの大物と繋がっている…」
「フッフフ…知っているなら話は早い。」
伊達は桃の笑いの危険さを知っている。
「伊達、この件で動いてくれないか? 俺は下士官の訓練があって身動きがとれんのだ。」
「何で俺が!?」
桃は伊達の軍服に鼻を寄せるとつぶやいた。
「…白粉の匂いがするなぁ。どこぞの花魁と一晩しんねこか、お前の情報屋が知ったらどんな顔をするかな?」
「男相手に、俺の色事の話をして面白いか?」
伊達は態度を崩さない。
「俺は伊達と歩く異人を見たとき、一瞬女に見えた…と、いうことは、そういう関係だろう?
 違うか? あの様子、お前も相手も本気っぽい。
じゃなけりゃ、お互い好き好んでこの帝都でそんな危険な相手を選ばんだろう。仮にもお前は陸軍将校だ。」
鼻歌を歌いながら、桃も引かない。
「た、ただの情報屋だ。」
伊達の目が少し泳いでいる。
そこで桃は最後のカードを切った。
「"飛燕"か、キレイな名だな。」
「桃っ!お前全部知ってたな!? くそッ! わかった、引き受けりゃいいんだろ?」
引き受けなければ、一体どんな目に逢うか知れたものではない。
伊達の答えを聞き、にっこり笑った桃は紙を一片差し出した。
「何かつかんだら、この男に連絡とってくれ。宜しく頼んだからな。」
伊達の手に名刺を一枚渡すと去って行った。
"新聞記者 富樫源次"名前と呼び出しの電話番号が記されていた。


第二章

どこから手をつけていいものか…
軍事教練をサボり、官舎でゴロ寝をしている伊達の部屋を訪ねてくるものがあった。
叩かれる扉に「開いてるぜ」と、声をかける。
入ってきたのは一分の隙もなく制服に身を固めた憲兵隊長。腕章の色が違う。
その右手には肘まで包帯が巻かれた上に革手袋。
「何の用だ?影慶。腐った手の匂いが鼻につくぜ。」
伊達は目も開けず、寝転がったまま聞いた。
「…相変わらず上官にも不遜な態度だな、伊達。」
呆れ顔で影慶は伊達を見おろした。
「何言ってんだ。陸軍と憲兵じゃ管轄違いだぜ。確かに階級はお前が上だろうが、俺の知ったことじゃねぇ。」
規律を尊ぶ影慶はため息をついた。
「そんなお前だから、こんな沙汰がおりるのだろう…起きろ、上意だ。」
憲兵が粗末な畳敷きに正座をすると、伊達は仕方なく体を起こし胡坐をかいた。
「上意って言われてもなぁ…お前の執務室に呼びつけなかったってこたァ隠密行動だろ?
受けるか受けないかは聞いてから考える。勿体ぶらずにさっさと話せ。」
影慶は渋い顔をして、持参した封書を読んだ。
「抗日ゲリラへのテロ資金国外流出の阻止。 この資金の出資者はあの藤堂兵衛だ。俺達が動かされるわけもわかるだろう?」
今度は伊達が渋い顔をする番だった。
「藤堂〜?あの変態ジジィがなんだってテロに加担すンだよ?」
「藤堂は満州での抗日が目的でなく、関東軍を弱体化させ、直属の部隊を送り込むことで満州を手中に収めようとしている。」
伊達は黙って聞いていたが、煙草に火をつけ、ため息とともに煙を吐いた。
「…気が乗らねェなぁ。」
「軍資金に成功報酬も出る。協調性のないお前に選択の余地などなかろう?」
しばらくの沈黙。
二人の間に紫煙がたなびく。
「抗日ゲリラの幹部とおぼしき男は相当の手練れだ。言いたくはなかったが、
資金がゲリラに渡ったと情報を得た我が憲兵隊は、特別部隊を出動させた。
敵を追い詰めたのは追い詰めたが…全員、殉職か重体だ。仇を討ってくれとは言わん。テロ資金の国外流出だけを阻止しろ。」
影慶の言葉に、伊達の目がわずかに反応した。
「憲兵隊の特別部隊なら少しは遣えるはずなのに全滅…。
そして、憲兵隊は大臣直属。話の出所は大体同じ、か。」
つぶやく伊達を影慶はいぶかしむ。
「どういうことだ?」
「あんたのオツムが飾りじゃないのは知ってるさ。いずれ、行き当たる。
…仕方ねェ、気は乗らんが引き受ける。」
影慶の顔に安堵の色が浮かぶ。上からだいぶん五月蝿く言われて来たのだろう。
「当面の軍資金だ、定時連絡は…」
「俺がそんなことすると思うか?」
「…重要な報告があれば、私の部屋に繋げ。」
それだけ言い残すと影慶は封筒を置いて出て行った。



第三章

伊達は陸軍本部から車を一台失敬すると、横浜に向かった。
横浜の色街、真金町へと車を飛ばす。
密命がおりれば、理由なくとも軍の設備を利用できるのは有難い。
影慶から受け取った封筒には、金の他に、お墨付きともいえる書状が入っていて、
装備、設備、人員まで動かせるように、大臣の署名と捺印があった。
これさえあれば、いつも以上に我儘が通る。

外人向けの白い楼閣の前に車を横づけし、口開けの午後六時など無視して見世に入る。
その遊郭は夕刻の開店準備中で、建物の外を掃除していた番頭に止められそうになるが、
伊達は帽子もとらず中へ入り、一言「飛燕を呼べ」とだけ言った。
洋装の番頭は「へぇ」と姿に似合わない声を出して、見世の奥へと入って行った、が、
すぐに中央の階段から、白い支那服に身を包んだ飛燕が降りてきた。
「わちきに何ぞ、御用でありんすか?」
坐戯け半分の廓言葉を全て聞き終わる前に、番頭が用心棒を連れて戻ってきた。
「お前に用心棒?お前が用心棒、の間違いじゃねぇのか?」
「…お客人。お腰のものを預かるのは昔からの決まりごとでして…」
伊達の不機嫌そうな顔を見て、飛燕は用心棒に合図を送った。
「この方は私の大事な客人です…腰のサーベルを預かった方が逆に危険ですよ。
今後こちらにお越しになったら、すぐに私の部屋に通してください。
そのままで結構です、大尉殿。…さ、こちらへ。」
飛燕は優雅に階段をのぼり、自室へといざなった。
洋風造りの遊郭は二階建てで、ホテルの形式をとっている。
番頭と用心棒の声に、ドアを少し開いてこちらをうかがう花魁衆は、いずれも洋装で、
断髪の女や、モダンガール風のパーマネントをあてた女など、誰も春を売る女には見えない。
「相変わらずの高級娼館だな。」
部屋に着き、ソファに体を投げ出した伊達は誰にともなくつぶやく。
「外人相手ですからね。珈琲を淹れましょう、お待ちください…」
「そこにある洋酒で十分だ。」
伊達は目ざとくサイドボードの高級酒を所望した。
「お目が高いですね。」
ボトルからグラスに酒を注ぐ飛燕の所作は流れるようだ。
「どうぞ。」
差し出されたグラスを受け取ろうと、手を伸ばした時、飛燕は伊達の両目をやんわり見据えて言い放った。
「ぬし様は、またどこぞで浮気な真似をしなんしたな。ちと、おたしなみなんし…」
と、グラスを持っていない方の手を抓った。
「痛てッ。…花魁ごっこもいいけど、お前、男だろうが?ここは陰間じゃねェし、俺にもそんな趣味は…」
飛燕は流し目をくれて、部屋の中央に鎮座する馬鹿馬鹿しい大きさのベッドに、ゆるりと腰かけた。
太夫花魁も顔負けの見事な傾城傾国座りである。
「わちきのこと、ほんに愛しう思うておくんなますのか?」
「今時、廓言葉なんて使わねぇだろ?お前の遊びに付き合ってるヒマはない。
言いたいことがあるならさっさと言え。俺は用があってここに来てンだ。」
「一昨日、私を抱いた手で、昨日は違う女を抱いたことを責めているんです。
…白粉臭い。」
「通訳せんでもわかる。」
「いいえ。言え、と言われたからには吐き出しましょう。
私は娼館に住まっておりますが、客分であって、花魁でも陰間でもありません。
貴方も女に手を出しているところをみると衆道のお方ではないように思います、が、私を抱いたのも事実でしょう!?」
「だから何だ。」
「本気か遊びかはっきりして頂かないと、お互いの今後に関わります。」
そう言う飛燕はベッドに寝そべり、明らかに誘っている。
「…わからせてやりゃあいいんだろ?」
伊達は軍服のボタンをはずした。



第四章

シーツを身体に巻いた混血は今、女にしか見えない。
「おい、わかったか?」
うっとりと伊達に胸に頬を寄せる飛燕はこくりと頷く。
「…俺は最初、お前が女に見えた。…男とわかっても、それでいいと思っている。」
どんな花魁もどんな令嬢も、モダンガールもレビューのダンサーも、絵のモデルもカフェの女給も、こんなものかとすぐに飽きた、
その俺が男相手にこの様か…
伊達は腕の中の長い髪をなでながらぼんやり考える。
「…それは仕方ありません。初めて貴方にお会いした時、私は女に見えるように振舞っておりましたから。」
そう、それが問題なのだ。
混血で人種もわかりにくく、男か女かもわかりにくい…そんな奴の仕事といえば…。

廊下で騒ぐ声がする。
廓はまだ開店前、客ではない、とすると…
伊達はため息をついた。
近づいてくる怒鳴り声に飛燕はすばやく鶴嘴を構えるが、伊達はそれを片手で押さえ首を振った。
予感は的中。
扉は力任せに開かれ、そこにはヒゲ面で傷面の男が立っていた。
取り押さえようとする人々に向かって「俺の客だ、問題ない。」と飛燕を腕に抱いたまま、伊達は身を起こす気も振り向く気もない。
飛燕もベッドの上から手を振り、人を引かせる。

仁王立ちに立っている男は一気にまくし立てた。
「おい、軍人さん。よく聞けよ。手前がこんなところでぼやぼやしてる間に、
相手はすでに金を受け取って、南京街(中華街)に潜伏しやがった。
あんたが悠長に遊んでっから、金の受け渡し現場を押さえられなかっただろ!?」
伊達は煙草に火をつけると、煙を吐いた。
「富樫源次、か。せっかちな奴だぜ。
こんなところで大立ち回りしたら、憲兵にヤクザに…面倒なだけだってのに。」
「ふン。そんなの怖かねぇんだよ、そっちの花魁には悪いが急ぎの用事でな。」
飛燕が鶴嘴を握り直すのを伊達は押さえた。
こんな状況でも、女と言われると気分を害するらしい。
複雑な男心のようだ。
「急ぎとはいえ、来るのが真っ最中でなくてよかったぜ。お前には刺激が強すぎる。
…俺がここにいるのも計画の内だ、それをぶち壊しやがって。
大体、資金は既に敵の手の裡だ。情報遅いぞ。
それに、俺の仕事は資金の国外流出を防ぐことだけだ。」
「ンだとォ!?」
凄む富樫に顔を見せぬように、飛燕はシーツの隙間から様子を窺っている。
それに気づかぬ伊達でもなく、片手で長い髪を撫で、もう片手は洒落た灰皿で煙草を揉み消す。
「でけェ声出すな。こいつが怖がってるだろ?」と、うそぶき、先を続けた。
「ま、南京街に潜んでるって情報は頂いた。そのへんは流石、桃とつるんでいるだけはある。 
さぁ、用が済んだら出て行けよ、俺の敵娼(あいかた)が泣き出す前にな。」
「軍人さんよ、俺にも立場ってモンがあるんでぃ。きちんと連絡いれてもらわねぇと、次はこんなお話合いだけじゃすまねェぜ?」
伊達は大仰に頷いた。
「邪魔したな。」
「おい、記者さんよ。俺にだって名前がある。知らないはずはないと思うが。」
帽子のつばを下ろし、背を向けた富樫は律義に返事をした。
「あぁ、伊達大尉殿。また近いうちにな。」

富樫が部屋を出ていくと、飛燕はかぶっていたシーツから顔を出し、笑いだした。
「一体誰が泣くんですか…」
「あァ?笑いすぎて泣くだろう?」
「確かにそうですね…でも怖がったりしませんよ?」
「この状況で、男とバレるのは怖くないのか?」
「それは…少し怖いかもしれませんね。この遊郭に迷惑がかかります。」
飛燕は伊達に戯れかかるふりをしているが、何か他の事を考えているようだ。
「それにしても無粋な方…せっかくの逢瀬が台無しです。」
白く長い指が伊達の肩を辿るが、傷顔の男は相手にせず、煙草を口にした。
「そうか?お前は情報を手に入れて、しかも相手の顔も確認して、せっかちな野郎に感謝ってとこじゃねぇのか?」
「…またそんなことを。」
伊達は、すがりつこうとした飛燕の頚を乱暴に掴み、枕に沈めた。
「お前の仕事くらい、わからない俺だとでも思ったのか?」
伊達は煙草を銜えたまま、残虐な笑いを浮かべた。
「お前、どこのスパイだ?…俺の用はこれを聞くことだ。」
飛燕の頚にかかった力が増す。
「人種もよくわからん、男か女かもよくわからん、腕も立つ…スパイとしか考えられんだろう?
 Yesなら目をつぶれ、 Noなら瞬き二回だ。しらばくれるなら…。」
長い睫に囲われた涙目は、すぐに瞬きを繰り返す。
頚を掴んだ手が緩められ、きっ、と結んだ飛燕の唇に、伊達の唇が軽く合わさり、すぐに離れた。
「お前がスパイだろうが何だろうが、別に構いやしねぇ。が、俺を餌にするのは気に食わん。」
「そんなこと…してませ・ん。」
鶴嘴を探してシーツの上を動く飛燕の手を伊達は払いのけた。
「抗日テロ資金騒動は藤堂がらみだ。あの変態ジジィに近づいただろう?
あの変態はお前みたいなのが好みのはずだからな。
このテロ資金流出の話を、俺にしたのは他でもないお前だ。
…本当のところを話してもらおうか?」
頚にこめられた力が、また少し緩められた。
「…私はスパイではありません。フリーの情報屋です。どの国の情報だって仕入れます。
でも、あなたの情報なんて売ってません。でないと、こうしてお互い丸腰の状態で一緒にいるなんてこと、できないでしょう?」
「…どうだかな。」
「職業を言わなかったのは、聞かれなかったからです。隠していたわけではありません。
でも、きっと貴方はご存じだったはずです。寝物語に話していれば気付かない貴方じゃない。
何度逢瀬を重ねました?私の気持ちがお解りにならない!?
貴方の為に情報を取りに行ったのです。売りに行ったわけではありません。」
伊達は飛燕から手を離すと、痛そうに喉を押さえる麗人に冷たい一瞥をくれ、言った。
「証拠を見せてみろ。…ゲリラが潜伏している場所を探せ。」
「それだけで、私の気持ちが貴方に通じるのなら、簡単なことです。」
そう言う飛燕の目は猛禽の目で、それを見た伊達は何故か嬉しくなった。



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