海霧

うーん、素っ晴らしい。むっ、右を歩いてるのヨシコさんとノアちゃんじゃないの。
  こういう天気がこの夏は少なかった。海霧は避けられない地域ながら。
  ああ、友知の崎も見えず、戸田の客人が竿を構えたところも波が上がってる。

釣行記録にあらず。撮ってどうなるものでもないから海霧の写真もない。むしろ被写体には気の毒な天気。

今年の根室半島はまことにもって天候不順で泣きたくなる。と書いてから、おととし九月に三分の一世紀ぶりに帰ってきた者がうかつには言えないと気づく。梅雨はないし、台風も弱まるけれど、北海道って、言われるほどカラッとした天気なんだろうか。この地で生まれ育ちながら、いつしか幻想をもってるのではないのか。気温は低いし確かに蒸れたりしない。観測数値でもそうなるだろう。しかしこうも雨模様ばかりが春から続くと、疑問になってくる。それでなくても道東の太平洋岸は霧が多い。霧の町といわれる釧路は避暑地の売り込みを図ってるらしいが、ちょっと違うんでないの?世界三大夕日って、恥ずかしげもなく…。あと二つってどこだ?十代のとき「根室の夕日は日本一だ」と言って呆れられたことがある。「君は日本中の夕日を見たことがあるのかね」と言われたら黙るしかない。しかし夕日がとてつもなくきれいなものとして感じながら育った証しではある。

盆に兄弟が揃ったとき<じり>の話になった。長兄によれば<海霧>の字をあてる。全国的にこの天気用語は予報士でもないと分かるまい。しかし<海霧>として辞典にも載っているらしい。かつて三、四冊あった辞典がないので調べようがない。この地域ではふつうに使われる言葉だ。少年期からの感覚では海霧は<がす>で<じり>は霧雨だった。だから<がす>は湿る程度だが<じり>となると濡れてしまう。ふっと、朝霧たちこめ狭霧たつ、吉増剛三の詩の冒頭が浮かぶ。懐かしい。釣りページには相容れないものが舞い降りてたじろぐ。でもないか。朝霧はそれでもラジオ体操的と言わぬまでも、晴れていく兆しがあるのに、海霧はやはり重く暗い。朝霧のおぼに相見しひとゆえに命死ぬべく恋わたるかも。これは万葉集。明るくもないか。海霧のは思いつかない。音読み<かいむ>は置き、<うみぎりに濡れるひと>なら演歌のタイトルになりそうでも、<ジリに濡れるひと>じゃなー…。一気に憂愁イメージがこそげ取られてまうで。それとも<ガスに濡れるひと>で一発あててみるか。なお昔箱根のあたりで、勤めてたところの社長が運転しながら知った風に「ガスが濃いな」と言った。それがガにアクセント、平坦に発する北海道人としてはプロパンガスでもあるまいし変に聞こえた。これでは霧ではなく、ガス燈も臭くなり、抒情的<ガスに濡れるひと>もきわどい。東京ではテレビも朝も同様。花火にしても京都出身の人に聞き返された。まっ、深入りせずやめとこう。

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