早くも一年、F家の盆の釣りが来た。例年弟は12日夜に来るので、夕方実家に電話したところ14日になるとのことで行くのをやめる。電話に出たのは釧路の兄貴で、傾斜護岸でやってみたがまったく駄目だったらしい。ここまでは盆への気持ちの入ったいい流れだったのに、そのあとの食器洗いがまずかった。む…と腰に違和感があった。これまでも耐えられなくなるのは度々あり、休めば元に戻った。それがギックリでもないはずなのに、ちょっとおかしい。だんだんひどくなり、寝返りもつらくなった。
13日。起きてもおもわしくない。墓参りがなければ出かけたくないほどだ。昼前に沖根婦に着くが最悪状態で、座ったら立つのが一苦労である。よりによってと思うが、ドラマ並みにありがちでもあり、まったく忌々しく、自分がふがいない。
早めに墓参りをすませ、また兄貴は行ったが盆のボウズで戻ってきた。十三日は海に入るなを去年兄弟は守った。私も腰が痛くなかったら今年は破ったかも知れない。義姉によれば釧路の整体は五千円で一発で治るらしい。ただ根室にあるかどうか、いずれにしろ明日どうにかすることに決める。部屋に帰る前に双沖子供花火大会を見にゆくが、始まりの写真を撮るも、近くまで歩く気になれない。戻った台所の窓にようやく空へ打ち上がりだした。といって何本もない。子供花火大会って、どれだけ子供がいるのだろ…。ガキがウジャウジャしてて、盆踊りをやっていた昭和時代が懐かしい。
病院の窓から。まだ工事中。来週から正面玄関が使えるようになる。14日。昆布は出漁したらしいが、手伝いに行けないのは伝えてある。電話帳から整体に電話するが、盆のせいで休みなのか出ない。もう一軒はやめ、市立病院にする。誕生日に腰痛で病院に行くというのは、われながら気の毒な、救いようのない、滑稽かつ悲惨な…。まあ、死ぬ人に比べたらと、情けない慰めをする。
保険証提示で「誕生日なんだよ」に受付嬢がキョトンとしてからフンフンと笑う。十時に行って診察を受けたのが一時過ぎた。横にもなれず、その間腰かけたり立ったり、50回は痛い目にあう。医者が「マックスベルト」とか言い、看護婦が前回(一昨年)も腰だと勘違いして「ベルトまだ持ってる?」「初めてだよ。この前は釣りで肋骨をぶつけた」「それなら」と新しいのを出しかけるので「そのベルトかい。昆布干しでおふくろのを使ってる」「おばさんのがあるならいらないわね」母をおばさんと呼ぶのは、やはりタダシの奥さんだった。沖根婦に住んだ一年で、家こそ川を挟んで二軒目でも、会ったのは一度しかなかったのだ。マスクのせいはあっても覚えにくい顔はある。次に道ですれちがっても分からないだろう。
医者に今日明日釣りをしてもいいか尋ねると、姿勢からしてやめた方がいいと言う。調剤薬局の男も釣りで怪我したと憶えている。こういう商売の人の記憶に感心する。じっとした構えはよくないようなので「歩きながら釣る」と抵抗する。坐薬は痛みに強力に効くと言われるが使った経験がない。これは病気にかかってない証しでもあり、ひょっとしたら私は健康優良児(肝臓は置いて)なのか。ともあれ帰ってケツの穴に恐々差し込む。釣りのページでなくたって、ことこまかに書くのは気が引ける(でもないか?)。
弟が来たのは夜八時頃。少年期の話は楽しい。少し痛みが薄らいだ気もするが、それが坐薬によるのかは分からない。世界陸上をやっていて、初日に同姓Fが銅メダルを取った話はちょっと触れただけ。あとメダルの可能性といったら、ハンマーは終わっていたし、男子マラソンか4×100リレー(よそのバトンミスで)しかない。この競技で黄色人種が勝つのは難しい。スピードレースにならないマラソンか、人口の強みで中国の女子砲丸投げくらいなものだ。オリンピック110Hのリュウショウは奇跡的なものだった。
15日。昼前に☆夫妻から母と私宛ての手紙が届いた。奥様のと思われるが、縦書きの上手な字で驚く。これだけ書ける人はざらにはいない。文字には品性が出る。私なんぞは横書きでまとめ、それでもイソメの這った?みたいで活字に逃げてしまう。旅で世話になった礼がていねいに記され、オフ会と玄関前での写真も同封されている。追伸でオモリをなくしたことを詫びていて、50円ばかりに恐縮する。
天気も悪いし、腰が耐えられるか心配ながら、兄貴と弟につきあわなければならない。しかし兄貴の12、13日(昨日14日も?)で沖根婦にカレイは寄ってないとはっきりしてるため、温根元を目指すことになる。釣りは無理でも、ホームページの記事含みから同行する。そもそも家で大事にしてれば腰痛がよくなるはずなんてない。腰の場合、大事にするってどうすればいいのだ?そのあたり、私も聞かないし、医者も教えてくれなかった。
航空写真を説明しよう。赤枠内の左角から弟、兄貴、私と並んだ。ずーっと右端に一人いた。右のへの字外にアブラコが棲みつきそう。黄色枠のあたりは、日本百名城温根元チャシ跡群の一角になる。百名城なんていつできたものやら、城跡でもあればともかく、そんなものの存在を知る根室人はいない。和人前の歴史を認めるのはいいが、名城とするには無理があるのではないか。
比べるのに難はあっても、世界において富士山のどこが遺産なんだろう。遺産登録に躍起になる思惑がいやったらしい。私は山なのでてっきり自然遺産と思っていた。こんなものは立候補して売り込まなくても、価値があるのなら放っといても選ばれるだろうし、興味もないのでよく分からなかった。それが団体の利害の対立から文化遺産に切り替えたそうな。どうもさもしい。日本の文化に誇りは持つが、秘めたる美意識を捨てるようなものだ。登録とか椅子争いはいかがわしくできている。オリンピックでも伝統競技を優先するいわれはないが、幾ら積んだかテコンドーなんてのが残り、レスリングが消されようとしている。ごっちゃにするなと叱られるか。
二時半から一時間で兄貴のコマイ一匹のみ。滅多にないほどの海の沈黙から、こりゃ駄目だと思う。しかし弟は経験からの予測で、すぐには来ないと読み、竿五本(兄貴は一本自前)用意するのもゆっくりとやったと帰ってから聞いた。
まもなくして弟が小さいクロ。一枚あがれば可能性は膨らむ。兄貴にも砂ガレイが来る。自分だけがカレイはおろかコマイさえなしに終わるような気もする。それもいいと思うのは、ふだんの装備でもないし、ベースとして兄弟の釣り親睦会的なのが頭にあるからだ。釣り歴はむろん知識技術でも敵わない遠慮もある。けれども去年から釣行回数では二人より多いし、それにここは現在住んでいる根室半島という地元なのだ。ということを意識したわけではないのだけれど、体裁は整えたくなってくる。
四時過ぎ、ようやく確かなアタリが来る。ヒトデではない。コマイと思ったが巻いてみたらクロ。そこから15分ペースで計9枚。竿二本のうち、左のは真直ぐに投げコマイ1匹のみ、ほとんどが6、7m右寄りのポイントで、コマイのダブルもあった。仕掛けのせいかは分からない。左の二回目のアタリが引いたら根がかりで、兄貴に頼んだら仕掛けが切れ、残り時間から後は一本でやった。右の竿もアタリのあと根がかりして、抜くとカレイというのが二、三回あった。兄貴は私が釣れるので右隣に移ってきたが、私のとオマツリした1枚だけ。兄貴によれば私のポイントはいつもは甥の定位置らしい。それからすぐ暗くなった。弟4枚、兄貴2枚。私は9枚だから数はよし、岸壁ヘリで急降下する重みも味わえたが、サイズが大きいのでも30pに届かず、おととしからの沖根婦のが当たり前になってるだけに、釣ったという手ごたえでは物足りない。
16日。十時頃弟一家は温根元へ行く。前日そこそこ釣れたし、30p以上が期待できず、気持ちが乗らない。続いて兄夫婦が釧路へ帰る。さてしかし、もう一晩弟につきあいたくもあり部屋に帰られず、することもないので、やはり一時頃南防へ向かう。歩く分には腰もなんとかなる。
アタリが少なく、あっても餌だけ取られる。西からの霧雨で眼鏡の左のレンズにしずくが溜まる。花咲の小さいのとコマイ3匹、四時を回って下痢が訴えてくる。道具はそのままに家へ向かうが、腰と腹具合をなだめるのにみっともない歩き方になってしまう。夜に高校の同級生と会うので弟が帰っている。カレイは甥の一枚だけだが35pクラス。イソメの残りを渡される。聞くと刺さりの鈍くなったハリは替えるべきらしい。
西防にいた若い三人は消えている。いない間にコマイがついている。面倒なので新しいハリの仕掛けには替えない。イソメをつけた一投目でクロが来る。20pそこそこでも、厚くて威勢がいい。腹が黄色がかっているのもかえって映える。これはいんでないのと期待するも、結果としてはこの一枚のみに終わる。30分位だけそこそこ忙しかった。コマイ19匹。カニはほぼいなくなった。キープしてた小さいのを放したら、納竿前にツブ、カニ、コマイがトリプルして、このカニは持ち帰った。ツブはミチイトがフタ(?)の中を通っていて抜けない。先端の輪のところで引っ張って切れた。昨日今日ともう一時間欲しかった。
弟の話では観光がてら車に釣り道具を積んでる人もいる。温根元には滝川と仙台の人が寄ったそうだ。ただ餌は現地調達になる。滝川の人は往復40キロ、町までイソメを買いに行って戻ってきた。それがヒトデのダブルが二度続いたというのは笑える。ヒトデを保安官と呼んだとか。なるほど、バッジの形か。仲間うちや地域のスラングはある。たとえばわがF家においてはトランプのキングはサンノヘで、三戸先生から来ている。しかしそれなら☆夫妻はヒトデもしくは保安官夫妻になる?いや、通せんぼに見えなくもないが、私は☆形が昔から好きだ。沖根婦にヒトデはいない。温根元はオホーツク海域なのだろうか。
かくしてF家の盆の釣りは終わった。去年のように沖根婦で賑やかにはならなかったが、欲を言ったらきりがない。今年もできたのを喜び、来年も続くのを願う。