13日。
時代は変わる。午前中の墓参りは初めて。実家には弟からなんの連絡もない。毎年必ず盆と正月には来るので、当たり前になっているから、来れないならそう言ってくるはずで、根室に着いたんで浅草軒でラーメン食べてからとか連絡があるだろう。
さて夕食までやることがなくなる。昨日釧路から来た兄貴と禁を破り釣ってみるかとなる。そんな気持ちはあった。
盆の釣りについては殺生はいけないと戒める声はある。もっともだと思う。しかし称えられる信心深いとは別な話で、そんな人だって盆に肉や魚を控えるわけではない。ある人は釣りをしなければいいし、釣りをしたければすればいい。人によっては、釣りが好きで育った故郷に盆休みにしか帰れないってことはある。海釣りをやらなかった私も盆の帰省の合間に覚えた。墓参りした足で魚の命をいただくのは矛盾だろうか。もちろん盆には殺生をしないという心は尊い。私は言葉を知らないが、合理的あるいは宗教的なものとしてより文化として。
ともかく港にゆくと、墓地では感じなかった風がかなり強い。これは釣りの強敵。糸が吹き流れるし、竿先も揺れる。兄貴が温根元ならカゲになるからそうでもないと言い、人間いい方に、有利を頼みとするもので、それならとそうする。こじつけのような展開だ。兄貴のように移動できない私は沖根婦で釣るしかないから風にも負けずだが、兄貴は条件にうるさいタチである。
温根元も風のあるのに変わりはなかった。来たからにはと試してみたが、一時間ほどで私のチンコイコマイ一匹のみ。それで退散。オキネップに戻りながらせっかく支度したので私は南防でやる気になってはいた。だから堤防元で降ろしてもらった。それが風がやんでいた。兄貴もその気になり灯台へ歩く。四時過ぎだった。
三日から十一日連続で昆布漁がないほど海は荒れ気味で、雑海草がかかる。風といい、兄貴はこういうことには敏感である。私はおととし天気も海も考えず防波堤に立ったので、釣果はともかく、別段なんということもない。つまり釣りをする者として利口ではない。
花火大会が六時半から始まった。去年までは七時からだったはずで、まだ暗くもないのに早いが、見る見せるより予算の知れてる町内花火遊びなのだから、夕方に始めて三十分弱で終わる頃に暗くなっているという寸法らしい。確か正しくは子供花火大会のはずで、しかし子供が少なくなった。もう盆踊りの復活は望めない。
結局二人でコマイ11匹、私がカレイ1枚こそあげたが20p位と、釣果としてはひやかされそうだ。しかし明日へのつなぎとして、そう不満足でもなかった。温根元のままやめてたらチト恥ずかしくなっただろう。
  黄昏もやはり夏がいい。
  西防の弟夫婦。南防との距離は写真ほどには遠くなく20mちょい。
  大物カレイの感触がなんたる悪ふざけ。誰だ、おあつらえ向きの誕生日プレゼントと言うのは。14日。
昨晩着いた弟はやはり温根元が頭にあったのだろうが、昨日のからして、オキネップに妥協する。二時半頃、私は先行して単独で灯台に向かうが、西防には三台車があり、先っぽには四、五人いるとTELするもつながらず。兄貴は昨日が散々だったので参加せず。
昨日の状態からして大釣りは望めない。ただ海は分からないという心はある。
弟たちは先端には着けない。低いところから西のポイントに投げているのが分かる。つまり海面が見えない。ときどき弟が高いところにのぼる。
しばらくして私からの携帯の着信に気づいた弟からかかってくる。けっこういい感じらしい。ただカニが多いとあきれてる様子。灯台ではまったく気配すらないのに。
六時を回り、いいアタリで重い。コマイではない。これはと思った。40p超か?期待が高まる。しかしなんと、ヘビガズとガズナギのダブルじゃないの。悔しまぎれよりおかしくなりブラブラさせて、先端が空いて移っていた弟に大声で教えてやる。家に戻ってから聞いたところでは、暗くなりかけてて、先っぽの黒いヘビガズは見えたものの、ガズナギは見えなかったとか。
以前は防波堤周りはヘビガズだらけで、巻きついて仕掛けをゴジャゴジャするし、顔も可愛くないし、食用にならない嫌われ者なのは変わらないが、少なくなってから、私は愛着を持つようになった。だからゴメにあげることもなく逃がしてやる。釣れないにこしたことはないが、憎たらしいのがいないのも物足りないのだ。トランプだってそういうカードがないとつまらない。
釣果のコマイ20匹はまずまずでも、黒ガシラ2枚がチンコい。裏口の弟家族のを見ると30pクラスのが2、3枚ある。私が灯台下にゆくようになったのは、テトラから近いためとカニの手づかみができるからだ。カニは沖に去った。カレイを狙うならおととしまでのように西防にすべきだと分かってはいる。ただ灯台下はスペースがあって体に余裕が持てる。
夜にハリの外し方の話になった。弟が魚の口に指を入れて、ハリの腹を押して外すのを当たり前にやるのを義妹は会得できないという。腹なのか山なりになった背なのか分からないと。弟はテグスを張ってからやれば指が腹側にいくと。それでは教え方として不十分だと義妹がからんで(ビールを飲み過ぎた?)長引いた。私もいつか現場で見て、「引いても駄目なら押してみな」と解し、つまりハリの根元を押してみて効果もあったのだが、腹とは思わなかった。確かに返しを外すのだから腹の方が理には適う。それからカレイの場合に移り、弟クラスになると釣果で騒ぐより、そこらへんが精通してるものだと感心する。
そのあたりで、長兄が根室に来れば尋ねる友人宅から戻ってきた。私たちは台所のテーブルで酔い加減で話していた。ハリ外しで弟が尋ねたけれど、居間からこっちには加わらず、そのうち寝てしまった。
同じ家で育っても釣りに限れば、また少年期の記憶として、六つ上のせいもあり長兄のことはよく分からない。ほとんど伴できなかったのは年少の私など釣りには足手まといだからだ。次兄となると釣りなんぞに関心がないどころか、勉強も野球も駄目、パッチも下手でフラフープもできなかった。兄弟には一人変なのがいるものだ。もっとも現在、兄弟一優秀だった私がその位置に落ちているのだが。弟は学年で三つ下になり、自分の監視範囲にいたといえる。しかし遊びで誘うのは同級主体で、欠員補充はかろうじて二つ下までだった。だから私の川釣り場面に弟はいないし、弟が沖根辺沼で鯉を釣ってた頃にはすでに興味をなくしていた。
15日。
南防上段を歩く影が見えた。根元ですれ違う連れのオバさんが話しかけてくる。
「何が釣れるの?」
「カレイ、コマイ。外ならアブラコ。カジカも」私を見ようとしない竿を持った男二人はともかく、このオバさん、飯場のマカナイみたいないでたちなのである。地元と言うから近所かと思うも沖根婦ではなく、盆帰省の身内に付いてきたらしい。
帰ったと思っていたら、さっきの三人と、車に控えてた子供たち三人が現われて、防波堤中央で外と内に竿を構えた。
オバさんが灯台まで来たので話したところ、この一団は昨日までにどこかの港(友知のようだ)で、子供たちもカレイとコマイは釣り飽きたので、別なところを求めて沖根婦まで来たとのことだ。釣りをしない人の言うことだからといっても、カレイが飽きるほど釣れたというのか。つまり勇壮な磯釣りに挑戦したい、アブラコをあげたいわけだ。それなら港なんかに来るなと言いたいのを抑える。もう一人は離れ、オバさんの甥と思われる男は高いところに立って外へ投げている。しばらくして私はそっちへ行ってみた。
「ここは仕掛けを取られるよ」
「それは承知です。根がかりするくらいでないといいのはかからないから」ふむ、とやかく言われたくないということか。それで私も続けるのをやめた。三十分ばかりで一団は引きあげていった。
まったく海に反応がない。あのオバさんを見て魚たちも海底に伏せたに違いない。西防の弟たちだって同じだろう。まもなく二人連れが現われ、私より先端についた。私は打開すべく、500円の竿をあげてテトラを試すことにした。穴釣りは落として食いつかなければ移るのが基本で、しかし本部を灯台に置いたままの出張で、行き来するからあまり離れられない。アブラコが来たが20pサイズ。つい弟式のハリ外しをやろうとするが、意外にもアブラコの口は小さくて指が窮屈でやめにする。ふつうはリリースでも今日の一号なのでレジ袋に入れる。
私がテトラに立ったせいか、二人のうちの灰色服も灯台のところで外に投げだした。するとデカい声がしてアブラコが釣れたようで、まもなく興奮の気配から、私のすぐ後に30p超の黒ガシラをビタビタ跳ねらした。
「三十年離れて信金前の寿ストアなんて分かるわけないだろ」二人の会話を聞いていたので、そう言った濃紺服にしばらくたって盆の帰省かと尋ねた。彼は母親の法事でと答えた。根室で大工をやってて、それから神奈川に移ったそうな。神奈川は日本一建築の仕事があるのだという。そのうち元キャロルのリードギターの内海だかと友達になって、「ウッちゃん」がドータラと自慢げに話だしたので、私はテトラの方に逃げた。
竿に向かって歩いてると、ちょうど下を来る若いやつがいる。ぶつかる手前にある竿を持ったら、むむ、巻いてみるとビクンビクン重いのがかかっている。かなりの大物のアブラコと思った。糸を手にあげると、黒に灰色が入って似ていても、去年のソイとは違って、あきらかにガズナギである。40p位あるのに、昨日に引き続きガジが夢を打ち砕く。いつのまにか男がのぼって脇に立っている。
「何ですかそれは?」
「ガジのデカいのとしか言えんわ」私とてこんなの初めてなのだから。話しかけられたせいと、昨日のダブルは収めたので写真を撮るのはやめた。今になって撮らなかったのがもったいなく思う。男は愛想のないやつで、さっさと灯台のテトラの灰色服へと行った。
しばらくして男は西防先の子供たち一団に混ざった。その後方にいた長兄夫妻が教えてくれたところでは、それは沖根辺に越したTファミリーで、男はどうも札幌あたりから妻の実家に来たと思われる。その割には左利きの鋭い投げでかなり手慣れた雰囲気ではあった。
ガズナギは、夜に弟に聞かされたところでは、そんな黒と灰色系が時間がたつと茶色に変わっていくのだそうだ。私は子供時代の磯で手釣りした黒っぽい姿しか覚えがなく、砂に穴を掘って生かしたものだが、あれもやがて色を帯びたということで、さすがに弟の観察眼は鋭い。
テトラから戻るとコマイがついていた。呑んでいたので指を口に入れると濃紺服がハリはずしを出してくれたが断った。そのときまた灰色服が声をあげたので彼は急いで向かった。私は弟に教わったのを試してみたがうまくいかなかった。テトラに行ってまた小さいアブラコをあげ、戻って彼に話した。
「さっき断ったのは、実はハリの外し方を習ったのをやってみたかったんですよ」これに答えようがないのは無理もない。
私は昨日と変わらない釣果だった。同じくチンコい黒ガシラ2枚。コマイが少なかった分アブラコ3本。持ち帰りサイズではないのだが、母が好物ということがある。
夕食に本日の大物賞の黒ガシラの刺身がうまかった。私は母にグリルの魚を返してと言われ、身がなかったものだからゾッとし、つまり縁側を焼いていた。甥があげはしたけれど、義妹が竿を放置してたらかかったものらしい。
おととしのような爆釣はなく、釣果としてイマイチだったものの、盆のあいだ海霧もかからず、まずまずの恒例釣り会だったとしよう。