花咲蟹

全国的に花咲蟹の知名度は低いでしょう。このカニは根室半島から歯舞群島近辺が生息域で、夏蟹のうえ絶対数が少なく、出回らないせいもあります。仮に九州の人なら花咲を商用名と思うかも知れませんが、根室半島は並行して花咲半島とも呼ばれ、私が生まれたところも、北海道花咲群歯舞村字沖根婦だったのです。花咲小学校は北海道で二番目に古い学校です。

地元贔屓を差し引いても、私のカニの序列はタラバの次がハナサキで、ケガニ、ズワイを相手にしません。タラバは根室に住んでいてもキングだけに易々とは口にできません。大都市で高値をつけてまかなわれるのはしょうない。ハナサキは確かに醍醐味ではタラバに劣るが、ジュクジュクした浜の風味という点では勝ります。好みは人それぞれ、甘くどいと嫌う向きがあっても致し方ありません。

私には淡白で毛蟹をうまいと感じたことはほとんどない。まずフンドシの小さいのにガッカリする。脚の身こそ詰まってるものの、ひもじく感じるのは何故なのか。規則に従う堅物というか、サービス精神に欠け、食べてて楽しくないのだ。そのくせ偉ぶってザル一盛りのような売られ方をしない。これはまあ、生い立ちと関わっている。子供の頃、地引き網があると、浜に置かれた大釜で茹でたカニを賑やかに近所中でボリボリしゃぶるのだ。私は今なお脚なら殻ごと口に入れ、歯で肉を絞り出して食べるのがいい(殻が歯の間に挟まると厄介でも)。殻の歯触りも刷り込まれたのだ。しかし毛ガニにはその気になれない。毛のせいでもない。ハナサキはもちろん突起だらけなので、割り箸を突っ込んで押し出したりもするが、自分からハサミで殻を切ったりはしない。人がやってくれる分には従うだけだ。耳かきみたいな金具は、食べ慣れない人には有難かろうが、私には違反に映る。剥き身になってしまったのは、手間が省かれるからいいというものでもない。御飯のおかずならともかく、バイキング要素を失いたくない。

―clicli-click.com とにかく脚がバカ長〜い

ズワイは東京ではお世話になり、やむなくの割には、ハンデ分で満足させられたこともありました。私は地元で見たことがなく、オホーツクも思い浮かばず、北陸山陰専属のカニと思っていたので、かなり昔になりますが、「ヨロコンデー」のやるき茶屋のメニューに<根室特産ズワイ>とあり、「根室でズワイは獲れないよ」と物申しました。よく喋る店長なのに、へっ?と目をしばたたくだけで、意味が呑めない様子にツッコムのをやめました。根室でもズワイが揚がると知ったのはつい五、六年前で、ただそれこそ僅か、カニ漁の対象になどなれません(漁法も違うそうな)。仮にそこそこまとまって揚がっても、道内では人気がなく安いので、品薄のタラバの代用的に高く売れる本州まで運ばれてしまうのだそうです。その頃ネットで知り合った根室エクハシの宿の若主人は、茹でたて15分までに限ればハナサキよりズワイの方がうまいと小難しいことを言ったものです。いずれにしろ、地元の者が見たこともなければ食べもしないものが特産である由もなく、偽メニューなのは言うまでもありません。とはいえ、ベニズワイガニ漁のあったらしい羅臼は根室管内に属するので…断言はできません。あの安居酒屋チェーンは、ヨーローなんかよりは好きでした。東京を去る頃、その中野富士見町の店は、別な暖簾になってたような気もします。

今なお謎のカニがいます。八戸の魚屋で大量に見たやつ。店の小母さんはハナサキじゃないの?と答えたけど、ちょっとちょっと、自分の売り物に他人行儀な疑問符気になりますね。ハナサキよりやや大ぶりでハサミが黒かった。このサイズなら食用として名が通っていておかしくないはずだが、似ていて違うのは、かえって気味悪い場合もある。フェリーに向かう途中に立ち寄ったので時間がなく、そのまま忘れることになった。その後、何人か青森出身者に尋ねたが参考になる答えがない。今書きながら、ネットで図鑑を調べたがそれらしいのがない。イバラガニモドキというのが近いが、結局一番似てるのはハナサキであり、ハナサキガニモドキとして手を打とう。

 1967年朝日新聞社刊行『北洋水族館』のカバーがハナサキです。

花咲蟹に関する文献、記事を紹介しましょう。

[図解]さかな料理指南 本山賢司 平成十一年十一月講談社刊行 新潮文庫版より

Fハナサキガニ

カニにはそれぞれ産地があり、地元のカニがいちばんだと譲らない。そうはいっても悲しいかな、ケガニを食べて育った身なので、なにはさておいてもケガニがいちばんだと思っていた。その後、タラバガニを食べては驚き、ズワイガニを食べては涙し、シャンハイガニを食べては満足した。そしてハナサキガニに出合った。

僕の出身地の北海道ではハナサキガニは缶詰が多く、まあ、どちらかといえばダシ用のカニだと馬鹿にしていたのであった。それが本場の根室駅前の旅館恵比寿屋で、夕食に一人一尾ずつついたハナサキガニを食べるやいなや、目からウロコが落ちたのだった。

季節はいちばんうまいという一〇月。ハナサキガニは、食べるというよりは、すするのである。足を折ると汁がこばれ出そうになる。あわてて口をつけて吸うと、身の表面が小さな粒子になって汁と混じるため、少しぶよんとした身がヌルヌルッと口に入ってきて満杯になる。上質な身の甘みと塩加減は、カニの身一〇〇パーセントのあんかけ状態で喉を滑り下りてゆく。恵比寿屋は、これでごく普通の宿泊料金であった。料理方法はと聞けば、塩水からゆでただけだと、いとも簡単な答えであった。

用意する材料
 ハナサキガニ・粗塩
 作り方<生のカニの場合のゆで方2種>
 ・中くらいの鍋に水を入れ、多めに塩を加え、水からカニを煮る。15〜20分ぐらい。
 ・カニのふんどしをはがし、粗塩をなすりこみ、蒸し器で蒸す。15〜20分ぐらい。

小さい頃、まだ港がない沖根婦の磯近くに缶詰工場があり、操業が止まってからもずっと建物は残り、小学四、五年頃の遊び場になりました。木箱が無数に積まれてるのを抜いていって体の通る通路が作られ、要塞仕立てになってゆきます。

そこにはまた竹と細い棒があって、私たちは弓矢を作り、隣の集落の友知から敵軍を集めて合戦ごっこにあけくれました。砂浜の陣取りなど屁になるほどスリルがあり面白く、弓も弦をうまく張るとかなりの性能になり、矢を尖らせはしませんが、防具などつけない危険な遊びでした。
 懐かしさにひたっても、友知のユッキは二十五前、ヨシノブは四十ちょうど、海で逝ってしまった。浮き玉を見るとき、それはちょっと悲しげだけど穏やかな、会えなくなった瞳のように感じてしまう。

北の魚歳時記 達本外喜治 昭和五十三年七月初版 北海道新聞社

――それにしても、中国人は味覚の優れたることをよく知っており、蟹を珍重すること<芙蓉蟹>の料理でも知られるところだ。蟹と玉子をつかって、芙蓉の花のごとく見せたもので、これからいくと、中国にない花咲蟹など、さしずめ蟹中の蟹と賞味されることであろう。

もう二十年も前になる。隣室の中国人留学生兼鍼灸師チョウ・ビンに花咲蟹を食べさせたことがあった。すごい喜びようだった。父は中国鍼灸界で三本の指に入るという上海の名士である。後日、お返しに上海蟹を御馳走になった。それは身がうまいというより、酒に漬けたと思われる味にコクがあり、茹でたのしか食べない私を不思議な心地にさせた。余談ながら、彼のおそらく初めてのスキヤキは私の手によるもので、おいしいを連発してみるまになくなった。また、中国から訪ねてきた知り合いの女医がニラの餃子を作ってくれて、それが、手でつかんで私の口に運んでくれるのには参った。確かにうまかった。醤油もラー油もかけないのだ。まもなく彼は引っ越し、つきあいも途切れた。日本に帰化したと聞いたが、本国の親の地位からしてどんなものか、詳しいことは分からない。

東京に土産にして、合点いかないのは「わあ、ポン酢買ってこなくちゃ」だった。カニといえば酢と思いこんでるのだろうか。ハナサキをスッパイのにつけたらオシマイだべな。

もう二十年余り前、実家の昆布のオカマリにカニ工場の女工の親分格のおばさんが来ていた。オカマリというのは沖乗りの対で陸回りか陸守りのつづまったものと思う。それで大量のカニが土産に持たされた。ところが釧路に着いたら航空機が霧で欠航になった。仕事が待ってるので、JRで札幌に行って早朝便に乗ることにした。しかしカニが重くて動きがとれない。考えて、和商市場で買い物をして、事情を話し、一緒に送ってもらうことになった。これは助かった。翌年お礼を言おうと寄ってみたが、それらしい店を見つけられなかった。
 フェリーで持ち帰ったこともある。そのときは二等でなく四人から六人位の船室だった。しかし私とライダーだけだった。カニをわけてやったライダーも部屋に戻らなくなり、貸切になった。当時は宅配便なんて発想がなかった。東京の酷暑は続いている。冷蔵庫は小さいし、腐らないまでも、茹でて冷やしてもいない三日たったカニを渡すのも忍びない。多過ぎて、半分近くを夜の甲板から海に帰した。

焼きガニも、何度かしか口にしてないし、味として乙には感じるものの、店ではそういうものなのか、身が殻にくっつき取り残されてもったいない。茹ではスッポリ抜けるから。本山さんのようにすすっても離れやせん。

上記の蟹を解説しているページです。
 北の甲殻類図鑑 ハナサキの評価は良くないけれど。

タラバになるけど、残念な写真がある。親父の東京への土産、特大三万円ので、脚を広げて持ったのがあったのだ。ハサミが人の手と変わらなかった。前のパソコンとともに失ってしまった。

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