ゴマギンポ。釣っていたガズナギに該当するかは分かりません。図鑑で唯一体高のあるのが似ていて選びました。地方名エゾガジともなってます。でも地方名って何じゃろ?北海道人がわざわざ魚にエゾなんて付けません。私の釣りは小学低学年の磯に始まります。まだ港がなく、南防波堤の付け根はもっと広い磯でした。糸は50p位、餌は密集する黒いツブを割って、岩の間に落とします。すると蔭からチョロッと黒い頭が出ます。食いつく瞬間を見られる釣りでした。ただ面白くてもガズナギ(ギンポ)です。いいところ20p前後、子供でも食い物にはならず持ち帰れないと分かってました。それでも、何にならなくても、穴を作ったり生かす工夫をしてました。
ガズナギに混じってかかったのがヘビガズでした。正式名ナガガジと知ったのは小平に住んでた兄貴が買った図鑑からで、十五年ほど前です。こちらが嫌われものなのは、顔つきに加えネロネロして、諦めが悪くトグロを巻いて抵抗するからです。これが強靭なのです。この呼び名は近辺でしか使われてなく、市街地ではテッキレベベ(手っ切れ)だったと友人に聞きました。でもガズとつくので、海に立つ人にはほぼ通じるでしょう。たまに大きいのなら最悪でした。「○△のジジちゃんは食ったことあるってよ」なんて聞かされると、とんでもない変人と思ったものです。
それが、これを書きながらナガガジ記事を追ったところ、こころして食した方がいるじゃありませんか。しっかり調理写真付きです。へらひと日記 たいした人です。
磯は二年生あたりまでで、行動範囲も広がって川釣りに移ります。
沖根婦川、沖根辺川、近くの同年代と連れだって行きました。岩魚、ヤマベ、アメマス。沖根辺は周囲1キロ余りの沼があり、鯉が養殖されていました。私より六つ上になる、中学生だった兄貴の死闘は鮮烈でした。沼に膝まで漬かり、糸を手繰り60センチの青黒いのを取り込みました。家に持ち帰ってから養殖番?が取り返しに来たのが不愉快な話で、返したかどうか覚えがありません。まったくセコイ。しょっちゅう釣られるならともかく、中学生の快挙を潰しに来るなんて。見方によっては、中型までなら見逃しても、それほど立派な鯉だった証明になります。
沼の上流に行くのは五、六人揃わない限りめったになく、私たちの定番は沼と海の間にある、拓殖軌道跡の土手でした。配管から出てきた水は広くなって池のようになり、そこではこの川にいる魚すべてが可能でした(鯉以外は)し、なによりあくせく歩かずにすみ、腰を下ろし呑気に竿を構えられたのです。ウグイが銀ピカに舞い群れながら、餌(ミミズ)を落とせど食いつかないのが不思議でした。ゴタッペ(ハゼ)はよく釣れ、川におけるヘビガズ的存在で捨てられてました。有刺鉄線に並べて晒されたりするのは、そこまでやる気持ちが分かりませんでしたが、残酷というより、それを考えられる年齢でなかったに過ぎません。
私はというと、中学生になって釣りに行った確かな覚えはありません。運動部の練習というより、釣りそのものが思い浮かばなくなっていたのです。それはその先ずっと、成人後も長く。
今となっては、いつ防波堤に立ったのか定かでありません。丸九年北海道に戻らなかった時期もあります。帰ったとしても釣りの季節とは限りません。いつか、長兄と弟に連れられ、歯舞かゴヨウマイだったか、疑似バリでチカ、キュウリを釣った記憶がかすかに残ってます。興味を持てませんでした。
やがて、いつかの盆休み、沖根婦漁港西防波堤に立ったのです。そしてそれはヘビガズとの再会を意味していました。三時間やってもコマイ五、六匹がいいところでも、そんなものかと喜んでいました。ただその倍以上にヘビガズがかかるのです。勘弁してくれやの連続でした。
図鑑のナガガジ。真っ黒けなので明るくしました。十年以上前になりますが、港内に大量のヘビガズが浮いたという話を聞きました。実家横には小川が流れていて、子供の頃には足場が築かれ、母が洗濯をしていました。次兄に冗談で言うのです。「流れてきた桃に入ってたらしいぞ」と。大量死はどうやら農薬が犯人とのことでしたが、以後同じことは起きてません。拓殖軌道跡を越えてすぐに途切れてしまうような川で、同級生の酪農家とは離れていて、間に畑一つなく、見えない水源はけっこう上なのかも知れません。森が魚を育てるといいます。七十年代まで酪農家の北は根室湾まで続く広い森林でした。今は見る影もありません。この小川が森の栄養を海に注いでいたのかは分かりません。でも正真の沖根婦川と沖根辺川は森深くまで切り込んでました。双沖の魚たちを育てていたのは間違いありません。
釣り人によっては、ハリをはずす煩わしさ以上の憤りを覚えるのか、足で踏んづけたり蹴飛ばしたりします。あとは真っ先に舞い降りたゴメ(カモメ)が処分してくれます。大きいのになると一気に丸呑みできず、三、四羽で争ったりします。私も以前はゴメに任せてましたが、なかなか釣れなくなってからは逃がすようになりました。加えて、釣り上がったときから、目ざといゴメは狙いを定めているでしょう。このごろのゴメは横柄になってきたので、餌くらい自分で捕れとばかり与えないのです。
昔、墓地の供物はカラスのものだったのが、いつからかゴメが多数派になりました。海で魚にありつけないカラスにしたら、テリトリー侵害です。食い散らかすのがひどくなったのか、ボウズが怠けたいためか、今は供えても持ち帰ることになってます。ゴミ箱もなくなりました。たとえ鳥にかすめられようと供えは供え、どうして即座に片づけねばならないのか、首を傾げます。
続く