六月、それとも七月に入っていたか、私はバスが来るまでの時間をイオンのベンチにいた。どうもこの店の名前はややこしい。私は住んでいなかったが、初めは根室ファミリーデパート(なんとも工夫のない名)、次がサティ(これは東京でも通る)、そして最近までポスフール(ポだかボだかよく分からない)で、いつまた変わるかも知れない。私はおかしく思ったことがある。普通デパートなるものは威容を誇らんと高くして、垂れ幕したり、アドバルーンを浮かべたりするものなのに、道路より低いところが一階、つまり地階と同じで、わざわざ低地に建てているのだ。屋上駐車場は楽としても、民家と同じ高さのデパートがあるかよ。まあ、デパートといってもピンからキリまである。道東一の20万都市釧路にしてからが、全国水準でのデパートは消滅したとなっているのだから。
話をたてなおしてと。停留所より低まったイオンの喫煙所のベンチで、同じくノサップ線に乗る人と昆布のことで話してたら、その人の知り合いのガッツ石松みたいのが現われ、よっぽど親しい間柄らしく「お、おめえよー」とまくしたててきた。当然私が誰かと見るだろう。よく喋る人で、こっちもつられてだったが、身元が割れてきて、「それじゃ親戚じゃねーか」と来た。私には母の弟のM叔父がいて、彼からは義理の叔父になるのだという。彼の母親とM叔父の妻(S叔母さん)は姉妹なのである。なるほど。長年地元を離れていたのでこうなる。春先フノリ採りのときも親戚と名乗られたのは、親父のイトコの奥さんだった。
11日。昼過ぎのバスは太平洋岸へと。頼むから雲さん泣かないで。
新茶屋。友知の島が見えてきた。昔、観光客が「あれか?」だとさ。
双沖港バス停からの締りのない写真。中央が一級上サトルの酪農場。何億だか借りての経営と聞く。右奥は同級フミノリのところ。左はお寺。この写真は偶々だが、釣果次第である酪農家に向かう頭があった。まあ、それが果たせたからこのページも書かれているわけになる。
本日、いや今年最高。計らなかったが43pか。こやつ実は一度バラした。口から糸が見えてるのが拡大するとよく分かる。
今年あと何度ここに立てるだろう。
お世話になっているテトラ帯。勤めに出たうえ、頼まれた図書目録を年内には終わらせねばならず、冬に差しかかっているのだし、今日が最後ということはないと思うが…。
これぞ有終の美。撮影ライトで。なんとなし合成っぽい。
大漁もブレが残念、拡大なし。活きも悪く見え、アブラコ様すまない。つくづく東京に忘れたデジカメが悔やまれる。それでそのトツゼン親戚mitsukiさんとバス中で10分ばかり話したのだが、魚のことになって、去年オキネップのテトラでアブラコが釣れたになったら、彼はアブラコが大の好物で、買ってまで食べるというのだ。買ってまでというのは、地元で獲れる魚はわざわざ買うまでもなく、適当な間合いでどこぞからお裾分けがあるからである。「それなら、今度アブラコが釣れたら持って行きますよ」と調子に乗って言ってしまったのは、キップがいい相手なだけについそうなってしまうのだった。
ところが、海は昆布漁期たけなわとなり、私もアホヅラで竿を構えにくくなり、また、たまに機会があっても、園児みたいのしか食いつかないし、カレイ&コマイ狙いも面白いし、南防外から遠ざかってしまう。気にはなっていても、私は九月からオキネップを離れ、ますます見込みがなくなり、転居通知に言訳を添えようとか考えたりした。
さらに私は十一月になり勤めだした(年内限り、延びても一月までだが)。十日は初めての休み、しかし雨降り。去年のことを思い返して、まだひと月位なら釣れるとみても、いつでも出陣というわけにはいかない。こりゃ今年は四月のある日の4本が最高のまま、40p超えがなく終わりそうに思えてきた。
11日。波はないというので、怪しい雲行きながら沖根婦に向かう。前回はお祭りのときで40日ぶりになる。着12:35。日暮れは早くモタモタできないので、仕掛けが前回のままで整っていなくても、昼飯かきこみながら母にサンマを切ってもらう。日曜なのに西防には車二台しか見えてなかったので、カレコマ切り捨てに納得。
折しも沖根婦漁港愛護会の秋の清掃が一時からで、集まった面々の前をわざわざ通り挨拶する。私は去年移ってきたばかりで家の代表としてスコップ持って参加、開始時間に行ってみると缶コーヒーが配られていた。飲みながら、さて、と顔の知るT・Mさんに何をしましょうと聞いたら、ニヤニヤ終わったから帰っていいよと。だからコーヒー飲んでるんやねんと。んな…。まあ、今年の春の清掃は15分位はやった。昆布の舟をつけてるわけじゃないからわざわざ手伝わなくていいとS・Tさんは言うけど、こちらとしては釣りで利用させてもらっているので。実体があるよなないよな愛護会なる名称が紛らわしいのだ。
台所から見えていたが一人テトラ釣り。声かけるとワームでやっていて、デカイの3本。中以下はリリースしている。竿呑み穴へ。即、中2本。荒らされてはいないと確信するが雨が落ち、いつしか止む。去年のようにアタリはビクンビクンするんではないのに、巻いてみると及第が続く。左にも竿。根掛かりしやすいが40p超えも。西防には休日というのに二人より増えない。さびしげで、活気があってもらいたくとも、カレコマ不漁ではしゃーない。
アブラコ釣るのに技術はいらない。ましてテトラ。いれば食いつく。分からないのは、カジカ園児は2、3ついたが、アブ園児はまったくなしだったこと。穴釣りは長幼の序でデカイのから順にかかると聞くが、その最後列がかからなく、この時期はいないのか。
クーラーに収まりきれなくなって満足した。ただ、通常なら移るポイントが二つ残っている。竿呑み穴にはもういない。手元が見えるのはあと30分、浅ましくも移動した。
堤防幅の変わる地点。すぐ一本来たが、続かない。ワームの人がいたあたりではある。二本目、巻いたら軽くなってハリ糸が切れていた。明るさが限界になってきたのでやめようと思うが、終わり方が釈然としないので、もう一餌だけにして、帰り仕度をする。…なんか、アタリのような感じもする。巻くとけっこう重い。今日は大きくても全般的に暴れるのが少なかったのだが、ちょっと違う。海草は今日はない。ハナサキももういない。暗がりに垂れているのはカジカ?レレレ、その存在を忘れていた。カジカにこしたことはない。春先に寸前バラしたこともあるし、夏にはスカリの口を外しもしたし、慎重にはなる。35p位か。携帯のライトを点けて写す。最後の最後にで、フッフッフの心地。
さすがに重くて肩が耐えられなくなり、途中担ぎ直して家到着。裏口にすぐ母が来ないのは、あまり期待してなかったのかも知れない。今年アブラコでの成果がないからだ。母は焼いたのが好物で、去年は喜ばせたものだったので、そちらでも巻き返した。
母はカジカ汁を作るかと聞いたがあまり食べたいとも思わず、それより20数本のアブラコからmitsukiさんにあげるいいところを選んでもらった。そしてすぐ向かった。
高校から東京時代にかけての親友の実家のすぐ横手で折れ、山(森林、のあった)に何百メートルか。野中の一軒家だから車が来れば自分ところへの用事以外になく、すぐ奥さんらしき人が戸口に現われた。イオンからの話を聞いて覚えてたし、本人も現れ、おおーっと大変喜んでくれた。まあ、義を尽くしたのにムゲにされるはずはない。しかしそれ以上にかれらには母との挨拶が優先される。母の兄が北洋鮭鱒漁をやってた時代、歯舞港で私の家も食堂や青果の店を出していて、M叔父は宝洋丸に乗り、酪農家のmitsukiさんは一升瓶の牛乳二本差し入れによく来たとか。私にはトツゼン親戚でも、母とは旧知の親戚である。二升持ってきたって、一人コップ一杯か二杯しかあたらなかったろうと母は言う。高度経済成長期に差しかかる良き時代、四島は占拠されてても200カイリ水域なんてものがなかった頃、もう半世紀前の話である。