来年閉校になる母校の最後の運動会に、前日買った自転車で出かけました。雲行きは怪しいが雨にならないでよかった。父兄席から知り合いに呼ばれたが、バックネット横の土手から見物する。辺地校でも私の学年は四十人いたし、そのうえ中学も併設されてたので、賑やかだった頃を知るだけに、十分の一以下になった児童数はやはり寂しい。プログラムも大変、二十人ばかりが出ずっぱりも酷です。というわけで父兄の出番が多くなります。フノリ採りでよく会ったS.Mが通りがかりに「リレーに出てもらうんだった」と。早い時間に行ってたら引き受けてたかも知れません。
元々学校行事以上に、六月からの棹前昆布漁と七月中旬からの前浜漁の間におこなわれる、友知と双沖両地区の初夏のイベントでした。おでん屋など売店も出ました。昆布漁は家族総出の仕事です。私も小学四年くらいから朝三時半に起こされました。前日午後の漁の分を浜に干すのです。まだ無砂干場(砂利を敷いた)以前で、乾燥機導入はまだ先で、天日だのみの時代でした。経済成長期と重なり急速に機械化は進み、櫓から船外機、馬もエンジンにとって代わられましたが、手作業はロボット化できません。中学三年のときを覚えてます。もういっぱしの働き手なので、夏休み前に前浜漁が始まると、ハシリは当然水揚げが多く忙しく、朝の教室はガラガラ、友知の生徒は十時あたりからポツラポツラ現れました。家計を助けてるのですから学校側とて反対できません。私こそそんなことはなかったし、クラブ活動も自由だったけれど、サラリーマン世帯の子供との不公平感は覚えたものです。たとえば夏休み、かれらは昆布干しのバイトして丸々小遣いになりますが、われわれは無報酬です。
かなり前、運動会での父兄の飲酒が問題視されたことがありました。教育現場の行事という建前からです。運動会の地区における意義を分かっていない、能なしの反飲酒派に私は異議を唱えます。校内体育祭の見学じゃないのです。お父さんたちには親戚でまとめられた小屋を作る仕事があります。私なら伯父、叔母のところと一緒で、場所取りのクジ引きもありました。グラウンドを挟み、東西に小屋が並ぶわけです。地区をあげての、戦前からの伝統あるハレの日、祭なのですから、酒なんぞ当たり前です。確かに一人くらい酔っ払いも出ますが、それでもハダカ踊りなんてしませんて。ふだん尋ねにくい人との交流の機会でもあります。
さて、バックネット裏で立ちションともいかず、実は初めてこの校舎に入りました。いかに自分が地元とつながりがなかった証拠でもあります。玄関に水槽があり、魚が見えましたが、近づいて観察はしませんでした。
お昼になり、紅白のスコアはなんと99対99でした。家が賛助?会費を払ってるので堂々と弁当にありつけたのですが、飯時だけ尋ねるのに気兼ねしていったん家に戻ることにしました。そうすると、自分はOBでも部外者のようなもの、最後の運動会を見届けたという思いに収まり、午後の部に向かう気が失せました。共和ヨサコイソーランも見たし、昔は最後だった綱引きも父兄の方が多い参加で終わったし。私も引いたのと同じ綱なんだろうか…。万国旗だって昔のもののままかも知れない。
かくして不義の私は灯台に向かったのです。
南防先端に座れば、北西の方角、彼方の岸は切り立った十五メートルほどの崖になっています。そこを上れば(無理です)、グラウンドまでは百メートルばかり。もちろん見えません。直線距離にしたら六、七百メートルか。スピーカー音は聞こえません。あっ、二年生のときと思うが、魚釣り競争で運よくうまく引っかかり一位になったっけ。そのあたり、私は疑似ゲームには強いところがある。ファミコンで二人の兄貴が二ヵ月かけて釣りあげられなかった<黄金のイワナ>を二時間ばかりで仕留めたのです。
プログラムも短くなったのでもう終わる頃か、終わってしまったのか、行くのをやめたくせに気にしながら、魚信があって続くうちに、終わったのは確実となり忘れてしまいました。邪念のないせいか(?問答無用)、いい釣果でした。