
朝。夏だからか、既に日は高いところにある。現在時刻は七時四十分ぐらい。俺はいつもの登校ルートを歩いていた。普段はユカと一緒に登校しているが、今日は一人だ。今頃、ユカは堂々と遅刻できるのを良いことに、病院に行く時間までのんびりと寝ているのだろう。特に何もないことを祈る。
学校までの道のりは平坦だが、信号が少なく道も狭いため、事故が起きやすい。特に住宅が密集する地域では死角が多く、また車道と歩道の区別も無いため、歩行者と車との事故が頻繁に起こる。俺自身、昔一度だけ車に跳ねられたことがある。しかしながら、今でも俺が元気に生きているのは、そもそもここを通る車があまり速度を出していないからだ。そのため、事故の頻度は高いが規模は小さい。
「あれ、ソウじゃない」
後ろから声が掛かった。足を止めて俺が振り向くと、そこには一人の少女が立っていた。まず目に付くのはその長い髪だ。軽く腰まで届きそうな艶やかな黒髪は嫌でも目を引く。その長い髪は、今は後ろで結んでポニーテールにしている。気が強そう、という印象を受ける容姿で、全体的に男勝りな感じがある。青い色のキャミソールに、革のジャケットを羽織り、デニムスカートを穿いている。
「ん? ああ、マリか。おはよう」
彼女の名前は中村真里。こいつとは幼稚園のころからの付き合いで、今までずっと同じ経歴を辿って来た、いわば腐れ縁だ。気が強そうな容姿とは裏腹に、とても人当たりがよく、同性にも異性にも人気がある。俺も小学校の頃は淡い恋心を抱いたものだが、今となっては古い思い出でしかない。マリ自身も、特に俺に対して恋愛感情を抱いたりしている訳でもなく、精々二月十四日に義理チョコを貰う位だ。
「おはよ。ユカは?」
即座に訊いてくる。俺が定期健診のことを告げると、納得した風に「そう」と言ってから、世間話を切り出した。ちなみにマリは、ユカの定期健診どうこうのことは承知している。別に俺が言った訳ではなく、ユカ自身が親密になった人にもれなく話しているだけだ。
「あ、そうそう。夏休み、どうするか決まった?」
「夏休み……か。そうだな」
もう一週間ぐらいで夏休みを迎えるが、実はまだ計画とか言ったものは決めていなかった。とりあえず、七月は去年と同じく広瀬宅に泊まり込みになりそうだったが、八月はまだ真っ白だ。
「特に無いな。八月はずっと予定を入れてない」
「ふうん。実はさ、あたしも特にないんだよね」
「そうか。まあ、ユカにも訊いてみる」
「うん、そだね」
そんなこんなで、もう学校まで一キロというところまで行った。住宅街は既に抜け、今は片側一車線の大きな車道が通る商店街を歩いている。この商店街を抜けてから少し歩くと、真星学園はそこにある。
「ん? おーい、ソウじゃねえか」
ふと、また後ろから声がした。マリと同時に振り返ると、こちらに走ってくる人影があった。よく知る男だ。そいつはこちらまで走ってくると、開口一番にこう言った。
「なんだ、もしかして浮気かぁ?」
「違う」
なんだ違うのかすまなかったな、と早口で言った後、そいつはユカのことを訊いてきた。定期健診だと答えると、すんなり納得した。こいつの名前は一ノ瀬秀。高校で知り合った奴で、俺やユカと同じくTCG同好会に属する。Tシャツにジーンズと、可とも不可ともいえない衣装を纏い、やや長めの黒髪には多少寝癖が残っている。
「あ、そうだシュウ。あんた、夏休みの予定なんかある?」
挨拶もそこそこに、マリが即座に訊いた。そんなに夏休みが待ち遠しいのか、お前は。
「ん? 夏休みか……そうだなぁ」
数秒考えたが何も思い当たらなかったようで、首を横に振って「ないな」と答えた。
「んー、高二って意外とヒマねえ」
「だなぁ」
マリとシュウが何やら納得しあっていると、真星学園がすぐそこに見えてきた。遠くから見ても一目で分かる、巨大な建造物の数々。いつ見ても大きく、そして広い。目の前までたどり着き、開放された校門を通って校内に入ると、その広大さはより鮮明になる。
まず目に飛び込んでくるのは、四棟ある校舎のうち最も大きい、四階建ての「特別校舎」と呼ばれるものだ。職員室、校長室、事務室、保健室、各特別教室などの、言わば普通の教室「でない」部屋が立ち並ぶ。また、四階は全て購買となっている。
この校舎には奥に四つの渡り廊下があり、それぞれ他の校舎と体育館に繋がっている。渡り廊下と言っても、十五メートル程しかない、ただ単に各棟を区別するためだけのものだ。体育館は全部で四つ、プールは二つあるが、これらは一つの渡り廊下からさらに枝分かれし、それぞれに繋がっている。ちなみに、この校舎にはエレベーターが二つある。
他の三棟の校舎は三階建てで、それぞれが各学年に対応している。つまり、一学年に付き一棟の校舎が割り当てられているのだ。しかし、それでは一学年六クラスの教室数に対して広すぎるので、一階は各教室、二階は学年専用の食堂、三階は学年専用の講堂になっている。
脱靴場は特別校舎にあり、そこから各学年の校舎に行くことになる。ちなみに「決められた上靴」というものは存在しないため、何も履かないか、持参するしかない。学校では販売していないため、中学からの流用がダメになると、面倒だが自分で買わなくてはならない。
その脱靴場で靴を履き替え、そのまま直進する。各校舎への渡り廊下は、特別校舎一階部分の左端、真ん中、右端に位置しており、それぞれ一年二年三年の校舎に繋がっている。俺達は二年だから、真ん中を通った。ちなみに体育館などへの渡り廊下は二階から伸びている。
チラッと時計と見ると、時刻は既に八時を回っていた。
渡り廊下を通り、二年生の校舎に辿り着いた。真星学園は全館空調完備であるため、夏でも涼しく冬でも暖かい。廊下を抜けてまっすぐ行くと、各教室がある。両端には階段があり、二階三階に通じている。俺とマリのクラスは、渡り廊下に近い順に一組〜六組と並んでいる教室群の一番向こう、つまり二年六組だ。シュウはその二つ手前の二年四組だ。
「じゃあねー」
「じゃあな」
「おう」
四組の前でシュウと別れ、さらに二教室分歩く。「二年六組」とプレートが掛かっている教室の、二つある内の後ろの扉から、俺とマリは入室した。教室には既に十数人のクラスメイト達がいた。各々時間を潰しながら、SHRまで待っている。
俺の席は廊下側の最後列、つまり教室に入ってすぐだ。マリはその三つ隣の列の後ろから二番目、ユカはさらにその二つ隣の列の前から二番目だ。新学期に入ってから、一度も「席替え」というイベントは無く、未だに最初の出席番号順のままだ。担任によれば、新学期――夏休み明け――になったら変えるという。
「あ、おはよ」
「おはよう」
隣の席の奴が声をかけてきた。名前は斎藤。下の名前は……何だったか。ユカが親しくしていて、その関係でよく話すことがある。何でも、ユカがアメリカに行く前の――つまりは幼稚園の時の友人らしい。今ではクラスの委員長を務めている、至極真面目な性格の奴だ。
「ユカは? 一緒じゃないの?」
「病院」
俺は鞄を置きながら、短く答えた。
「病院? ……ああ、そうなの」
こいつも定期健診云々は承知している。納得した斎藤は、さっきからやっていた予習作業に戻った。SHRまで、あと二十分と言ったところか。俺は鞄を置いてから中身を取り出し、机の中に入れた。やる事が無いため、何となく鞄からプラスチックのケースを取り出した。黒いスリーブが掛かった、俺のデッキだ。
――と、気配を感じ、俯いていた俺は目線を上げた。俺の机の前に、マリが立っていた。手にはカードの束。赤いスリーブが掛かった、40枚のデッキだ。ちなみに、マリも俺やユカが所属するTCG同好会の一員だ。遊戯王以外に、マジック:ザ・ギャザリングの経験もある。
「ねえ、暇でしょ? 一戦どう?」
「時間が無いだろ」
SHRまで、あと十分ほどしかない。大抵デュエルには十五分は掛かる。中途半端で終わるのは望めない。
「じゃあ、ライフ半分で良いじゃない」
「……分かったよ」
渋々、と言った感じだったが、まあ俺としても暇なことに変わりは無いわけだし、受けるに否応は無かった。いつの間にか、マリは自分の椅子を持ってきていた。互いにデッキをシャッフルし、机に置く。俺の机を挟み、互いに向き合った形だ。
「「デュエル」」
「ドロー、モンスターをセット、ターンエンド」
先行は俺。まずは様子見だ。
「あたしのターン、ドロー。《抹殺の使徒》を発動」
「ん」
ぱっぱとモンスターを除外し、次のアクションを待つ。隣では、斎藤が予習を中断してこちらを見ている。
「《首領・ザルーグ》を召喚、攻撃」
俺のライフポイントが1400減少する。あと2600ポイント。だが、俺はあまり負ける気がしない。なぜなら、マリのデッキが紛れも無い「ハンデス」であるからだ。ハンデスとダークサイドとが闘うとき、有利不利は火を見るより明らかだ。しかし、簡単にはいかない。
「デッキ破壊の効果ね」
「ああ」
デッキの上から2枚を掴み取り、墓地へ。まあ、当然か。
「さらにカードを3枚セット、エンド」
俺は3枚のカードを見据える。マリのデッキは「ハンデス」ではあるものの、真っ当なものではない。自称「カウンターハンデス」と言うらしいが、要はカウンターを組み込んだハンデスだ。パーミッションとハンデスの両方から、アドバンテージを取っていく。
「ドロー、《大嵐》を発動する。通――らないよな?」
「とーぜん。《神の宣告》でカウンター」
マリのライフが半分になり、残り2000。
「《暗黒界の狂王 ブロン》を攻撃表示。通るか?」
「んー、《空虚な落とし穴》」
俺は了承し、《暗黒界の狂王 ブロン》を墓地へ。
「カードを2枚セットして、ターンエンド」
伏せたのは《炸裂装甲》と――《炸裂装甲》だ。普通なら攻撃は通らない。しかし――
「ドロー、スタンバイフェイズに《サイクロン》。その左のやつ。……通る?」
「っ……」
仕方なく片方の《炸裂装甲》を墓地に送る。非常にマズい。
「《豊穣のアルテミス》を召喚、バトルフェイズ」
合計ダメージは致死量。《豊穣のアルテミス》から突っ込んで来る。俺は《炸裂装甲》を発動し、迎撃する。
「んーもう。しょうがないなぁ」
マリは不承不承、と言った感じで《豊穣のアルテミス》を墓地へ。逆に怖い。
「《首領・ザルーグ》で、直接攻撃」
「ああ」
これでライフはあと1200。だが、問題はその後だ。デッキデスか、それともハンデスか。
「手札を捨てる効果。かかってこいっ♪」
おどけた感じで笑いながら、マリが言う。俺は2枚しかない手札を両手に持った。最悪、だ。
「右」
「っ……《暗黒界の武神 ゴルド》、特殊召喚だ」
この効果は強制。それ故、抗い得ない。
「1枚捨てて《天罰》。んでもって……いけっ、ヴァン!」
ヴァン。これはマリが付けた愛称で、正式名称を《冥王竜ヴァンダルギオン》と言う。
「どーでも良いんだけど、《豊穣のアルテミス》を蘇生ね。どっちにやられたい?」
ニヤニヤしながら、俺の返答を待っている。長い付き合いだから分かるが、こいつは俺に対してだけは、そのサディズムを如何なく発揮する。この後の展開は、分かりきっている。
「アルテミスで頼む」
「ふーん。あんた、天使がよっぽど好きなのねぇ」
ユカのことを言ってるんだろう。皮肉のつもりだろうが、俺は動じない。ここで言い返せば、次がある。
「まあ、応じるわけ無いけど?」
ばーん、という擬音――マリの声――と共に、ヴァンが突っ込んできた。物理的に。
「痛ッ……」
マリが、《冥王竜ヴァンダルギオン》をフリスビーの要領で、こちらに投げていた。ヴァンは俺の額にクリティカルヒットし、机に落ちた。カードは大事にしろ、と言われなかったのか。
「あたしの勝ちね。今日の昼ご飯おごってよ」
「何故そうなる……」
カードを片付けながら、会話は続く。SHRまであと三分と言ったところか。気付けば、クラスの大半の生徒が既に教室に入っている。
「へぇ。じゃあ、『あのこと』ユカに言ってもいい?」
「何のことだよ」
こいつに握られている弱みなんて……いくらでもあるが、さて何のことか。
「あたしね、見ちゃったのよ」
「何を」
「いつだったかしら。確か二週間くらい前だったと思うけど、ユカが風邪で学校を休んだときがあったじゃない」
ユカが休んだ時……か。そういえばあったような気がする。まあ、ユカが病欠するのはよくあることだが。
「ああ、それで?」
「昼休みに、あんたが教室から出て行ったから、どこに行くのかって後を付けたのよ」
「付けるなよ……」
思い出してきた。確かあの時は、三年生の棟に行っていた。
「そしたらびっくり。食堂であんたと蒼井先輩が仲良く食事してるじゃない!」
わざとらしく驚きながら、マリは言った。この学校の食堂、言わば学食だが、これはそこら辺のレストランと大差ないほど、豪華な料理が出される。味も良いし値段も安いしで、殆どの生徒が昼飯に学食を利用する。それだけ多くの生徒が利用するわけだが、各校舎の二階部分を丸ごと利用しているため、狭いとは感じない。食券方式ではあるが、その販売機も数多く設置されており、混雑と言うことは無い。
「なんだ。知り合いの先輩と昼飯食っちゃいけないのか」
蒼井先輩、というのは、TCG同好会に所属する先輩で、フルネームを「蒼井友奈」という。何故だか知らないが、俺に対しては非常に友好的(過ぎる)で、たびたびユカを怒らせている。だからと言って恋愛感情どうこうではなく、単にからかっているだけだろう。
「それは問題ないと思う。でもね、それだけじゃなかったのよ。でしょ?」
「……さあ」
思い出した。
「端的に言うけど、『はい、あーん』よ、『あーん』。先輩が煮物を箸で掴んで、『あーん』って」
「あれはな、あの人が勝手にやったことで……」
「んんー? こと恋愛に関してはぴゅあーなユカが、そんなこと信じると思う?」
悪戯っぽい笑みを浮かべながらマリが言う。まあ、事実なんだが。
「……思わない。分かったよ、五百円までならな」
「えー」
「『えー』じゃない」
むー、とマリは頬を膨らませる。この辺は可愛げがあって、別に良いとは思うのだが。
「先輩と体育館でいちゃついてた話はしたっけ?」
「……あったな、そういうの」
いちゃついてた。第三者から見ればそうなるのかも知れないが、要はあの人が俺をあーだこーだと弄んでただけだ。
「で?」
これはマリ。
「分かった。八百円で手を打とう」
「それでよし」
チャイムが鳴った。
《空虚な落とし穴》(くうきょなおとしあな) カウンター罠カード
効果:攻撃力2000以下のモンスターの召喚を無効にして破壊する。
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